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1-8

「何だい、今の騒ぎは? 一体何があった? ――って、兄上! リーディア!」


 完全に物見遊山のノリで、断りもなく淑女の部屋にひょいと顔を覗かせたのは、第二皇子であるレグナストルだ。


 背格好、目鼻立ちはアトルーシェと良く似ていて、申し分のない美男子なのだが――決定的に締りがないせいで、見間違えられる事はまずないだろうと思われた。


 戻って来た時に、扉を完全には閉め切っていなかった事に、今更ながらにヴィラが気が付き、己の失態に顔を歪めた。


 レグナストルは、やはり断りもなくウルシュラの部屋に足を踏み入れると、その場の状況を二回首を巡らせてから把握して、大声を上げる。


「なっ、何て事を、兄上! いくら自分が王座に就きたいからって、リーディアを!?」

「馬鹿者! 滅多な事を言うな!」


 例え根も葉もなくとも、アトルーシェとリーディアの状況は、十分噂に火を点けかねないものだ。そこに妙な燃料を加えられては堪らない。アトルーシェの額にも、本気の苛立ちによる青筋がくっきり浮かんでいる。


「え? 違うんですか? じゃあ――、あ! ウルシュラ王女! 貴女が!?」

「……どうぞ、お座りになって少し落ち着かれませ、レグナストル様」


 これ以上大声で喚かれると余計面倒になりそうだと判断して、ウルシュラはレグナストルに席を促した。更なる野次馬を呼ばないよう、今度こそ扉をきっちり閉める。


「申し訳ありません、ウルシュラ王女。愚弟の無礼を、何とお詫びすればいいか……」


 よりによって、一国の王女を証拠もなしに皇女殺害未遂の犯人呼ばわりしたのだ。

 確かに、リュクレシアとヴィシリアスの間には上下関係があるが、それは実力的には強いものではない。むしろ、軍事的な国力においては、ヴィシリアスが大きく勝っている。ヴィシリアスがリュクレシアに膝をついているのは、忠誠ゆえだ。


 そしてヴィシリアスに反旗を翻される事は、クロツィアエルにとって、カドゥーリアとの大きな戦が起こる事を意味している。


「気にしておりませんわ、アトルーシェ皇子。大切な妹君が倒れられたのです。気が動転されてしまっても、無理もありません」


 三年前のウルシュラであれば、レグナストルの失言を使い、何らかのペナルティによって利を得ようと思っただろう。自身がヴィシリアスの王には相応しくないと思い知る前の、愚かな小僧の時であったなら。

 しかし今のウルシュラは、そうしようとはもう思わなくなっていた。


「……感謝します」


 アトルーシェは不思議そうではあったが、同じくらいほっとした様子で、疲れ切った息をついた。間違いなくその疲労は本心だっただろう。


「しかし一体、何があったのです?」


 安定した呼吸へと落ち着いたリーディアを癒士に任せ、アトルーシェは改めてウルシュラへと問いかけた。


「殿下はそこの紅茶を飲んだ後、倒れられたのです」

「何だって!? じゃあ、その紅茶に毒が入っていたという事か! 一体誰がそんな事を!」

「用意をしたのは、殿下の侍女であるグレーテです」

「ひっ」


 ついに自分の名前が出され、グレーテは引きつった悲鳴を上げて身を竦ませた。


「グレーテ……?」

「ちっ、違っ、違いますっ、アトルーシェ様っ。わ、私、私そんな恐れ多い事……っ!」


 怯えて涙目になり、必死に首を左右に振るグレーテを、アトルーシェは冷ややかに見つめ、目を眇める。


「ん、んん……っ」

「!」


 不意に小さく、むずがる様な声を上げたリーディアが目を開き、はっとしてその場の全員がリーディアを注視する。


「リーディア、大丈夫か。具合は? 苦しい所はないか」


 床に膝をつき、リーディアと目線を合わせ、様子を窺いつつ訊ねるアトルーシェを、リーディアは不思議そうに見つめながら、ぼうっとした調子で呟く。


「あら……? 私……。あれ? お兄様……?」


 いきなり部屋の中に増えている人影に、リーディアは状況を把握できずに、何度も瞬きを繰り返した。


「大事はないようだが、今は先にリーディアを休ませる事としよう。グレーテ、お前の身柄は拘束する。ウルシュラ王女、貴女にも、もう少し話を聞かせていただきたい」

「承知いたしました」

「え? え? どういう事なのです? お兄様」

「いいからいいから。後で説明してあげるから、お前は休んでいなさい。兄上、僕は侍従を呼んできます」

「ああ、頼む」


 妹姫の暗殺未遂という大事件は、物語好きのレグナストルの気分を大いに高揚させたらしく、その足取りは異様に軽かった。それを見て、またアトルーシェは顔をしかめる。あまりに不謹慎だとウルシュラも思う。

 程なくして戻ってきたレグナストルと侍従によって、リーディアは担架に乗せられ、運ばれていった。


「一体、誰がこんな恐ろしい事を」


 リュクレシア側の人間が全員いなくなった後で、ユリアーネは表情を曇らせ、ぽつりと呟く。


「待って。ユリアーネ、防音を」

「あ、ええ」


 身内しかいない場でウルシュラが口調を偽ったままである意味を理解して、ユリアーネは腕に着けたリングの魔法石を重ね合わせ、呪文を唱える。

 彼女本来の武器である杖程ではないが、ユリアーネの持つ月神アルケナの力――現象を操る『魔術』の力を増幅してくれる役割を持つ。


 他国の王宮内で露骨な武装をする訳にはいかないが、護身を全て任せきりにできるほど、ユリアーネは胆力を持っていない。ついでに、こうして役立ってくれる時がままあった。ぱっと見はただの装身具なので、見咎められる事もない。


風塞壁(エア・シュテント)


 音を伝える空気の流れを押さえ、部屋の中の防音を施す。


「……疑われてるの? 私達」


 ユリアーネは、先程のアトルーシェの言葉は、現場に立ち会った者に対する事情聴取だと思っていた。だから、警戒するウルシュラの様子に、少なからずショックを受けた。


「さあな。だが、これから疑われる事にはなるかもしれない」

「どうして?」


 お茶の用意をしたのは、間違いなくグレーテだ。聞かれればリーディアもそう証言してくれるだろう。


「茶を入れたのはグレーテだが、その前にエルマが用意を始めている。あの時間じゃあ、まだ湯を沸かしている最中だっただろう」

「あ!」


 気が付き、エルマは両手で口元を覆って青ざめ、怯えた声を上げる。


「わ、私、もうカップなどは用意してワゴンに乗せていましたわ! グレーテ様は、きっとそのまま使ったはず……」

「使ってなくても、使ったと言うかもしれないしな」


 皇女暗殺となれば、過程はどうあれ行きつく先は極刑だ。真実はどうあれ、逃れるための嘘を必死につく可能性がある。


「でもおかしくない? もしグレーテがやったのなら、こんな人の多い所で実行する? だって彼女は侍女なのよ? リーディア皇女も……その、あまり人を疑わない方だし」


 警戒心のなさを少しぼかして指摘しつつ言ったユリアーネに、ウルシュラも頷く。


「そうだ。だから面倒なんだ。もしかしたら、殿下を殺すつもりはなかったのかもしれない。俺の部屋で暗殺騒ぎを起こす事そのものが目的の可能性がある」


 証拠品として、お茶に使ったセットは全てリュクレシア側が回収して行った。

 リーディアが割ったカップも、こぼれた分の中身も全て。液体を吸いこんでしまった絨毯は、さすがに剥がして持って行く事はしなかったが、すぐに替えを用意して取り換えるだろう。


「確かに、あれだけためらいなく飲んでいらっしゃった訳ですし、もし本当に殺すつもりで毒が仕込まれていたのなら、充分致死量を超えているはずですね。――そしてそうではないのなら」


 そこまで言って、ヴィラは一度言葉を切る。瞳に強い怒気を宿して。


「我がヴィシリアスを陥れようとしているのかもしれない、と」

「可能性はある」

「そのような真似、断じてさせません」

「当然だ。だから、犯人の狙いは知っておく必要がある」


 捕えよう、とまでは今のところウルシュラは考えていない。実行がグレーテだとしても、侍女一人が計画を立てた訳ではないだろう。

 相手によっては、事を公にするべきではない場合もある。


 もし――もし万が一本当に、アトルーシェやレグナストルが帝位を狙ってリーディアを始末しようとしたのならば、より慎重に見極めなくてはならないだろう。

 可能性があるうちは、切り捨てるべき可能性は何もない。


「やれやれ。笑っていれば済む外交のはずだったんだがな」


 ――面倒な事になったものだ。

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