1-7
「お姉様、お母様とどんなお話をされたのです?」
「ご挨拶させていただいただけよ。陛下はお忙しい方ですもの。そんな中で、わたくしの事を気遣って下さったわ。大変お優しい方ね」
「そう……ですか」
実母の話だというのに、リーディアの表情は晴れない。はしゃいだ様子が消え、沈んだ口調になる。
母とはいっても、皇帝だ。普通の母と娘の距離ではないのだろう。生まれたその時に母を失ったウルシュラには、その距離感は分からない。
しかし、今リーディアが気分を沈ませている理由については、察しがついた。
「不安なのね?」
「……不安なのです」
こくん、とリーディアは素直に頷き、小さな声でそう認めた。
「私が皇帝には相応しくないって、皆が思っているのです。アトルーシェ兄様が姉様だったらって、沢山聞くのです」
「アトルーシェ皇子が政務に秀でているのは事実よ。貴女が相応しくないとはわたくしは思わないけれど、貴女が言われたくないのであれば、努力しなくてはならないわね」
「してるのです!」
「ならば、もっと努力しなくてはならないわ」
リーディアに、政務の適性がないのは事実だった。
適性がないのならば、より努力をして身につけなければならない。それは逃げる事のできない現実だ。
「うぅー……っ。お姉様まで、意地悪なのです!」
顔を赤くしたリーディアから、涙目で下から睨まれて、確かに優しくない物言いだったとウルシュラは反省した。
しかしこの手の話には、どうしてもウルシュラも過敏になってしまうのだ。
リーディアに対してというよりも、己に対して。そして、リーディアに対しても――全く思う所がない訳ではない。
それぞれの個性があり、性格があり、適性があるのだから比べるものではないと分かっている。だが、何もかもを揃えて生まれてきたリーディアの悩みは、ウルシュラには甘えに感じてしまうのだ。リーディアには宗主国の主として、しっかりしてもらいたいと思う心も、臣下として持っている。
だが今すぐに『王』を求めるのは、この甘えたがりの姫君には無理な話だ。
「ごめんなさい。不安な時に、余計に不安になる事を言ってしまったわね」
「お姉様……」
そっと頭を撫でると、すぐにリーディアは相好を崩して頬を緩める。
「急いで陛下や、アトルーシェ皇子のようになる事はないの。貴女を支えるために、貴女の臣下がいるのだから。勿論、わたくしも」
「お姉様も、側にいて下さるですか?」
「ずっとという訳にはいかないわ。わたくしもヴィシリアスの王となるから。けれど、わたくしが貴女の剣である事は変わらない」
今のリーディアに不満はあっても、リーディアの臣下である事には、ウルシュラは不満を持っていない。ヴィシリアスを、クロツィアエルを守るために王として立とうとはしているが、自分はむしろ王の下にいた方が有用な人材である自覚があった。
「だから、貴女は学び、努力する事を忘れなければいいの。良いわね?」
「はい、お姉様」
まだ瞳には蕩けたような熱が残っていたが、声や表情には真剣みを見せてリーディアは頷いた。リーディアなりに真摯に受け止めてはいるのだ。
周囲の不満を抱く声に晒され、不安ではあっても、リーディアは責務から逃げようとは考えていない。逃げない強さは、間違いなく適性の一つではあるとウルシュラは思っている。
「失礼致します」
そこに、丁度良く準備を終えたグレーテが戻ってきた。
「下準備がなかったので、お菓子があり合わせなのですけれども……」
「それは次回にするのです! ね、お姉様。約束して下さいなのです」
「ええ、よろしくてよ。けど、今度はグレーテに無茶を言っては駄目よ?」
「はい、なのです」
グレーテが慣れた手つきでテーブルにセットを並べて行く。冷やされたチェリーパイは、成程確かにあり合わせだろう。
「お姉様、さあ、どうぞ!」
「では、いただくわね」
満面の笑顔で勧めるリーディアに微笑みを返し、ウルシュラはティーカップに口を付ける。ほんのりと柑橘系の果物の香りがした。
そっと舌先で味の確認をしてしまうのは、最早習慣だ。幸い、現実に役立ってくれた事はまだないが。
「どうですか? お姉様」
「ええ、とても美味しいわ。香りもとても引き立たされてる。エルマにもぜひ淹れ方を教えていただきたいわね」
「勿論なのです! お姉様が喜んでくれたら、私もとても嬉しいのです!」
にこにこと笑ったまま、リーディアもカップに口を付け、こちらは何の警戒心もなさそうに中身を喉に通す。
――と。
「……っ!」
「リーディア?」
びくんっ、と指先を強張らせたリーディアの異変にすぐに気が付き、ウルシュラは僅かに腰を浮かせて、声を掛ける。
「ぁ……う……っ」
細く華奢なリーディアの指からカップが滑り落ち、テーブルの上で音を立てて割れた。
同時に、胸元を掻きむしるように手を伸ばし――しかし適わず、ブローチを引っ掛けだけでその手は力なく落ちる。引っ掛けられたブローチは床に落ち、その針で傷付けてしまったのか、指先にプツリと赤い玉が浮かんでいた。
「リーディア!」
傾いだリーディアの体を抱き止め、呼びかける。体には力が入っておらず、重さが増す。呼吸も荒いが、まだ息はしていた。
「ひっ、リ、リーディア殿下!!」
「ヴィラ、すぐに癒士を呼んで来なさい!」
リュクレシアでは、怪我や病気の治療を行う者を癒士と呼び、医師は存在しない。祖である創造神ローディエの癒しの奇跡の行使が最も有効な治療方法であり、医術を学ぶ事も、発展させる必要性もないからだ。
「はい、殿下!」
ウルシュラの命に、すぐにヴィラは動いた。リーディアは宗主国の姫君だが、ヴィラにとっては主ではない。驚きはあったが、衝撃は少なかった。
「あ、あぁ……っ。ああぁぁっ。リッ、リーディア殿下……っ。どうして……っ。し、しっかりして下さい……っ」
「下がりなさい!」
「っ!」
うろたえた声を上げながらリーディアへとにじり寄ろうとしてきたグレーテを、ウルシュラは一喝して下がらせた。
「ウ、ウルシュラ王女……?」
「殿下は貴女の淹れたお茶を飲んで倒れられたのよ。わきまえなさい」
「そ、そんな!」
自分が皇女を毒殺しようとした疑いが掛けられている事を理解して、グレーテは蒼白になる。
グレーテにはそう言ったものの――リーディアの呼吸を確かめながら、ウルシュラは果たしてそうだろうか、と自問する。
(自分が淹れた紅茶にわざわざ毒を盛るか? 真っ先に疑われると分かっているのに)
発覚を覚悟して実行したのなら、グレーテはとっくに逃げ出している気がする。
「リーディア!」
「ウルシュラ様、癒士の方をお連れしました!」
ヴィラが戻って来て、声を上げて報告をする。
ウルシュラが振り向くと、そこには報告の通り初老に差しかかった女性癒士と、話を聞きつけたらしいアトルーシェが、息せき切って駆け付けてきた。
「殿下、私が代わります」
「お任せ致します」
リーディアの体をアトルーシェに委ね、ウルシュラは場所を譲る。
「万物の一たる命の光よ、顕現せよ」
創造神ローディエの血を引くリュクレシア国民が持つ、癒しの奇跡をアトルーシェは己の神力を以って行使する。
「ああ、落ち着いて来られたようですね」
アトルーシェに自分の仕事を取られた癒士は、リーディアの様子を見ながらほっとしたように息をつく。
女神であるローディエの力は、やはり女性の方が多くを受け継ぎやすく、リュクレシアでは要職にある者も女性が多い。リーディアの治療に駆けつけてきた癒士もまた、高位にある事を窺わせる上質の癒士制服を着ていた。
しかし優秀であるはずの彼女が黙って役目を譲ったという事は、男性ではあっても直系血族たるアトルーシェの方が、性別を越えて強い神力を持つ事の証である。