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挨拶に来るかもしれない他国の貴賓に備え、面会を断らせるためにエルマを残し、ウルシュラ達は城下町へと出掛けた。
リュクレシアの今代の皇帝は凡才ではあったが、少なくとも、この広大なリュクレシアを、そして特性の違う国々を同盟盟主として纏められるだけの才覚はあった。
クロツィアエル各諸国は安定し、カドゥーリアからの侵略も許さず、おおむね平和だ。
「リーディアも、自分でこれぐらいの才覚を身につけられれば自信もつくんだろうが。上が優秀すぎると、それも難しいのかもな。あまり委縮しないでくれると良いんだが」
賑わうリュクレシアの常設の市を冷やかして歩きながら、ウルシュラはリーディアの不安げな様子を思い出し、そう呟く。
モザイクタイルで飾られた地面は、人の集まる大通りだけあって整備もきちんとされている。飾る事に意識が向けられるぐらいに、豊かである証拠だ。
公道が整備され、荒れた所のない町の様子は、治安の良さをうかがわせた。人々の顔も明るい。
市に並ぶ商品の値も事前にウルシュラが報告が受けていた通りで、適性だ。
「政治に向かない所を責める気はないが、淑女としてはもう少し成長してほしい、とは思うな。いきなり飛びかかって来るとは思わなかった。抱きつかれたら、さすがにバレるからな……あれは少し、肝を冷やした」
ユリアーネの魔法薬によって誤魔化しているのは、視覚と聴覚の部分だけだ。触れられたら体付きで女性ではない事がバレてしまう。
「肉体まで変化させるような薬は、さすがに理論もまだないよ」
「それができたら万事解決だ。後天的な変化だから、幻獣達に俺が竜妃として認められる事はないだろうが、それでも今より危険度はずっと下がるだろう」
「う、うん」
ヴィシリアスに――クロツィアエル同盟にとっては、ウルシュラの性別を変え、本当の女王になる事が最善だとユリアーネも分かっている。
クロツィアエル同盟国の一つである、マトレイアの王族としては、ウルシュラ本人が望むならユリアーネも望み、努力して掴み取るべき未来だ。
分かっていても返事すらためらいがちになってしまったのは、ユリアーネがそれを望んでいないからだ。
ウルシュラに姉か妹がいれば――と、ウルシュラとは違う意味で、ユリアーネは考えずにいられない。
もしもウルシュラに姉か妹がいて、彼が普通に王子として生きていたならば、ユリアーネが嫁ぐ事も、決して不可能な話ではなかったのだ。
(この状態じゃあ無理だけどね……)
ユリアーネは神の貴色を受け継がず、直系血族ではないただの王族だ。しかしそれでも、現王の実子であり、王族である事に違いはない。
ウルシュラには直系血族の女性を次代に繋ぐ義務があるが、公にできない相手の子をユリアーネが宿す事は許されない。偽装で結婚して誤魔化す手段はあるが、ただでさえ面倒な話が余計に面倒になる立場の上、ヴィシリアスの重鎮が頷かないだろう。
(ウルシュラの子を産む役目は、きっとヴィシリアスに深く根付いて、何があっても裏切らない女性になるわ……)
その候補を、容易にユリアーネは思い浮かべられるのだ。今背後を振り返れば、その顔を見る事だってできる。
血統的にも、ウルシュラに傾倒している心情的にも、ヴィラほどその役目に相応しい女性はいないだろう。
(私も勿論、裏切るつもりなんかない。ずっと側にいたいと思ってる)
だがそれは、ユリアーネだけの気持ちに過ぎない。
気持ちで立場を越える事は、難しい。
(ウルシュラ、貴方はどう考えているの?)
十七という年齢は、もう結婚を考えていい年だ。ウルシュラが何も考えていないとは、ユリアーネは思わなかった。
ぼうっとウルシュラの背中を見詰め、ただついて行っていると。
「おっとそこ行くお嬢さん! 何やら思い悩んだ顔してるね。さては恋の悩みだね?」
「え、ええ!?」
いきなり横合いから声を掛けられて、ユリアーネは驚いた。
子供の頃の人付き合いの苦手意識を引き摺って、ユリアーネはあまり、こういう手合いのあしらいが今でも得意ではない。
元々慣れ慣れしく声を掛けられる立場にない、というのも、大きな要因だが。
「何か買っていかないかい? 可愛いお嬢さんの魅力を更に三割ほど引き立たせる髪飾りだ! こいつなんかその綺麗な黒髪によく映えるよ」
「あ、あの……」
口上を述べながら店主が勧めて見せたのは、銀の縁取りがされたサファイアのティアラだ。守護国たるヴィシリアスの貴色を合わせた色合いは、クロツィアエルでは人気の定番配色なのだ。
「ああ、確かに良くできてるな」
勢いに押されて何も答えられなくなっているユリアーネの横から、そうウルシュラが話に割り込んだ。
「特に細工が素晴らしい。これはどこの工房で?」
「そりゃ勿論、鍛冶神イヴヌースの都、ツベッツェンですよ! 騎士様はヴィシリアスの方でしょう。北端のヴィシリアスじゃあ中々手に入らない逸品ですよ」
「南端のツベッツェンは遠いからな」
「そうですとも! 見れば騎士様は見事な銀髪青眼でいらっしゃる! 高貴な所のご子息でしょう。どうです、お知り合いのご令嬢に一つ」
神の直系血族である純銀髪と青の瞳は、祖の血を正当に受け継ぐ王族にしか表れないが、近しい血族には似た色彩の子供は生まれる。ヴィラの灰銀髪などがそうだ。しかしその場合も、ウルシュラのように純粋な色合いを得る事はない。
知っている人間には一目で分かってしまうが、ウルシュラの色こそが直系血族の銀髪青眼なのだとは、王家と顔を合わせる立場にある者ぐらいしか分かりようはない。まして今、ヴィシリアスの直系血族は王女ウルシュラただ一人という事になっている。
なので、本来の男の姿の時は、結構堂々と晒して出歩いていたりするのだ。
「悪くないな。……そういえば、カドゥーリアでも南領公主のジルタリテ公はこの手の細工物に目がなくて、自領に多くの職人を集めていると聞くが、そちらはどうなんだろうな?」
「はは。こいつぁヴィシリアスの騎士様とは思えないお言葉だ。よりによってカドゥーリアとは。ジルタリテ公がどんだけ躍起になって職人を集めたとしても、ツベッツェンの工房を超えるなんて事ぁありませんよ」
明らかな嘲りを見せて笑った店主に、ウルシュラも苦笑して見せた。
「そうだな、すまない。どの程度か少し興味があっただけだ」
「そりゃ、稀に流れて来る事はありますがね。酷いもんですよ。バラして溶かして、宝石と貴金属を分けて売った方が高値がつくでしょう」
「ああ、悪かった。妙な話を持ち出して。お詫びにそちらの髪飾りを貰おうか」
「そりゃありがたい。それなら騎士様、こっちの金のネックレスはいかがです?」
言って店主が指し示したのは、大ぶりのレッドダイヤモンドを中心に据え、その周囲に小ぶりのピンクダイヤモンドをあしらった金鎖のネックレスだった。
きちんと見れば、ピンクダイヤモンドの色も形もバラつきがあり、輝きも鈍い。それでも、おそらく並んでいる物の中では一番高価だろう。
お詫びならばと、値の張るものを買わせるつもりらしい。
「頂こう」
「はい、毎度! 流石はヴィシリアスの騎士様だ!」
その強かさに苦笑しつつ、ウルシュラは即決して購入した。
値切りもしなかったウルシュラの態度に、自然、店主の愛想もより良くなる。包装する手付きがより丁寧だ。
高価とはいっても所詮露店で売られている程度の代物で、ウルシュラからすれば身につけるのからためらうレベルだ。包装をしてもらう必要性も感じないが、声を掛ける事はしなかった。店に並ぶ中で最高級のランクの品物に、それはあまりに失礼だろう、という意識はきちんとあったためだ。
「どうぞ、騎士様」
「ああ、ありがとう。行くぞ」
「あ、ええ」
店主の相手をウルシュラが始めてから、すぐに身を引いて背の後ろに隠れていたユリアーネは、すでに歩き出しているウルシュラの後に、慌ててついて行く。
「あ、あの。ありがとう」
「大した事じゃない。俺も確かめたい事があったからな」
購入したネックレスを、包装から取り出して素手で無造作に扱いながら、ウルシュラはその出来栄えを試す眇めつ観察する。
「まあ確かに、ツベッツェン製みたいだな……」
「確かめたい事って?」
「あの男のクロツィアエル語の発音、おかしかっただろう」
「え? そ、そうかしら。とても綺麗だったわよ。変な訛りもなかったし」
「ああ、綺麗だったな。まるで教師の様だ。俺がカドゥーリア語を話しても、多分現地の人間にはああ聞こえる」
連なる神話が別物のせいだろう、側に在りながら、クロツィアエルとカドゥーリアは全く別の言語を有する。
とはいえ、互いの状況が状況なので、貴族であればカドゥーリア語の最低限の読み書き、会話ぐらいは出来るのが、クロツィアエルの常識だ。
ウルシュラは日常会話は勿論、公式文書も古事も、ついでに現地のスラングまでナチュラルにこなす。
それでも、後から身につけた違和感が、どうしても消せない。分かる人間には分かってしまうのだ。