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前回リュクレシア王宮へと入ったのは、一年程前になるだろうか。少し懐かしい気分で、ウルシュラはリーディアの後について歩く。
途中で侍女や侍従など、付き人の案内は用意されていた女官に委ねられたので、今リーディアによって案内をされているのは、王族であるウルシュラとユリアーネ、護衛役としての同行とはいえ、ヴィシリアスで侯爵位にあるヴィラ、それとウルシュラ付きの侍女だけだ。
「ねえ、リーディア」
「はい、お姉様」
「皇帝陛下には、お会いできるかしら。招いていただいたご挨拶がしたいわ」
クロツィアエル同盟十ヶ国全ての王族が集まるのが慣習ではあるが、招いてもらった形になる事に違いはない。格下のヴィシリアスの王女である、ウルシュラから会いに行くのが当然だ。
「え? でも、お姉様は今日はお疲れではないですか?」
「わたくしの体調よりも、陛下のご都合の方が重要よ」
長距離移動故の疲労はあるが、実際のウルシュラは病弱でも何でもないので、相手の都合で問題ない。勿論、多少は弱っている振りぐらいは演じるが。
もっと大きな嘘をついている身としては、その程度、今更何とも思わない。
「お母さ……っ、へっ、陛下も、お姉様の体調の良い時にと仰っていたのです。だから、大丈夫なのです」
「そう。臣下であるわたくしの事でお気を遣わせてしまって……。申し訳ないわね。ありがたくご厚意に甘えさせていただくわ」
「はいなのです! お姉様は重要な方なのだから、当然なのです。……私より、ずっと」
前半部分は元気の良かったリーディアだが、後半に従って、しゅんと項垂れたものになる。
同盟盟主国の、次期皇帝となる姫君の言葉とは思えない言いようだが、リーディアは真剣にそう思っていて、そして、一部の人々にとっては事実でもあった。
だが、そのリーディアの自信のなさすぎる精神状態は、ウルシュラには看過できないものだ。
傲慢になってもらうのは困るし、違う。だが卑屈になる程、彼女に才覚がない訳ではないのだと、分かってほしかった。
「何を言うの、リーディア。貴女はこのリュクレシアを継ぐ皇帝となるのだから、そのような言葉を口にしては駄目よ。貴女にそれを言われたら、臣下が己の誇りを見失うでしょう」
「でも、私が皇帝になるのは、ただの慣習なのです。兄様が兄様で、私が女だったから、仕方なくなのです。ヴィシリアスがある限り、ローディエの力など、そんなに強くなくたって構わないと、皆が思っているのです。……だから、私は」
「リーディア……」
「私じゃなくても、本当は大丈夫なのです」
「良く聞きなさい、リーディア」
立ち止まり、やや声音を厳しくして言ったウルシュラに、リーディアははっとした顔をして、弾かれたように自分より高い位置にある青の瞳を見上げた。
「大きな戦がないからと言って、カドゥーリアはわたくし達を征服する事を諦めた訳ではないわ。わたくしも、戦などという馬鹿げた行為を行わずに済むよう尽力する。けれど、逃れられない時が来るかもしれない。戦は、容易く人を狂わせる。血が人を狂わせる時代が来た時、誰よりも正しい判断を下せるのは、おそらく貴女よ、リーディア」
「私……私は、そんなふうに賢くなどないのです。お姉様や、お兄様のようには……」
自信なさげに、一度上げた顔を俯かせたリーディアの頭を、ウルシュラは優しく、そっと撫でた。
「臣下に必要な賢さと、皇の賢さは違うわ」
「……良く、分からないのです」
「では、まずは自分に恥じないよう、努力する事に集中なさい。つまらない雑音など、笑って流してしまえるぐらいに」
「……」
「何?」
「お姉様も、何か言われているのですか?」
ウルシュラの言葉にこもった実感に、リーディアは聡く気が付いてしまった。
ぎくりとして一瞬動きを止めてしまってから、曖昧に微笑む。気付かれた以上、誤魔化しきる事はできないと思った。
「まあ、万人に受け入れられる者など、そうそういるものではないという事よ」
「お姉様っ」
つい先程まで、悲しげな色に沈んでいた赤の瞳が、急に強さを宿して輝き、ウルシュラを見つめた。
「な、何?」
「悲しくなったら、私に教えて下さいなのです」
「……ええ、と?」
リーディアが何を言いたいのか、ウルシュラは当惑し、理解が追い付かない。
「私は、お姉様とお話しして、沢山勇気づけられたのです! だから今度は、私がお姉様の心を軽くするのですっ」
胸の前で両手を拳にして、力強くそう言うリーディアに、ウルシュラは微笑ましい気分になって、頷いた。
「……ええ。その時はお願いするわ」
「はい! なのです! 大体、お姉様に文句を付ける者など、バカなのです! お姉様は誰よりも強くて、優しくて、賢くて、素晴らしい方なのです!」
「いえ、そこまでは……」
そう在りたい、とは思っているが、実際の自分がその理想に遠く及ばない事を、ウルシュラは知っている。
滅多に会わないせいもあるだろうか、リーディアの中で美化されすぎている自分の虚像に、ウルシュラはつい、苦笑する。
「そうなのです! 私が知っているのです! ――っ、あ、いけないっ。ここっ。ここなのですっ!」
熱くなりすぎたのか、話しているうちに通り過ぎてしまった扉へと少し戻り、リーディアは手を伸ばして部屋の一つを指し示した。
「こちらはお姉様に、ユリアーネ王女殿下は、そのお隣なのです」
「ええ、分かったわ。ありがとう」
「……えっと、それで、お姉様……」
案内という役目を終えたリーディアだが、定型句を口にして下がる様子はなく、何やら言い淀んでもじもじしている。
その様子で、何を言おうとしているか、察しが付いた。
「では、陛下のご厚意に従って、今日は休ませて頂くわね」
「うっ……。は、はいなのです……」
自分の母――リュクレシア皇帝の言葉を前にしては、リーディアは何も言えずに頷くしか出来なかった。
おそらく、ウルシュラをお茶に誘いたかったのだろう言葉を飲み込み、定型句を口にする。
「では、どうぞごゆっくり、お寛ぎ下さいなのです」
「ありがとう。また後でね」
「はいなのです!」
建国祭当日までは、まだ十日の余裕がある。その間には、リーディアとお茶をする機会もあるだろう。
今日も少しぐらいなら相手をしても構わなかったかもしれないが、リーディアと遊ぶ前に、やりたい事があった。