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3-6

「っ!」


 密偵は警戒に一足飛びで間合いを開け、ウルシュラの手には、先程まで存在していなかった漆黒の剣が握られている。

 華美な装飾は一切無い。柄も鍔も、刀身まで、全てか黒の両刃長剣。しかし光に照らされると色合いを移ろわせ、その黒は全ての色を含んだ黒なのだと伺わせた。


「俺に剣を抜かせるな。何のための護衛だ?」

「申し訳ありません……っ」

「まあ、いい。今は王女じゃない(『俺』だ)し、実戦を積みたかったのも間違いないからな。今日はユリアーネを守ってろ。――ユリアーネ、お前は少し、援護を頼む」

「わ、分かったわ」

「フェールテア、私に力を!」


 先ほどのウルシュラ同様、手を伸ばし己の幻獣へと呼び掛けたヴィラに応え、再び天から光が一閃し、降りて来る。ただし今度は眩いばかりの紅銀だ。

 ヴィラの手に握られたのは、精緻な装飾が施された優美な片刃長剣だった。刀身にも薄紅で植物の蔓が彫刻されていて、一見すると儀礼用の飾りの様ですらあった。


「何だ、その武器は……。生き物か!?」


 鼻をひくつかせ、生物の匂いをかぎ取ったらしい密偵に、ウルシュラは苦笑する。


「俺が情報を与えてやるほど、フェアを尊ぶと思うか?」

「全く思わん」

「そういう事だ!」


 全身に風刃を纏い、ウルシュラは駆ける。

 攻防一体の不可視の障壁。何も知らぬまま間合いに入れば、その瞬間全身を切り裂かれ絶命する。今回は殺すのではなく捕えるつもりではあるが、風刃の鋭さの加減はしなかった。


「ふん!」


 己の毛を撫でる風刃に、密偵は間合いに入ってから気が付いたが、どうという事もなさそうに鼻で笑う。


「このような惰弱な風で、我が鋼の神毛を切り裂けるかァ!」


 肉体の変化と同時に凶悪に伸びた獣の爪を武器に、振り上げた腕が上から薙がれた。初撃はドゥルーガで受け、続く左手は避け、反撃を――と思っていたウルシュラだが、初撃を受けた所で、いきなり算段が狂った。

 予想以上の筋力で、受けたドゥルーガごと腕を弾かれ、明後日の方向へと逸らされる。


「っ!」

「死ね!」


 男の目にも手にも、ためらいはない。

 互いの視線が交錯し――ゾクゾクした。

 どちらかといえば、歓喜と興奮で。

 自然に手に力がこもり、纏う神力が濃くなり、風がざわめく。


氷縛の蔦アイシクル・プフランツェ!」


 しかし、熱くなりかけた頭を、巻き起こった冷気が急激に冷やして、ウルシュラは我に返る。


「ちィッ!」


 地面を這う氷の蔦に足を絡め取られ、密偵の爪は身を反らしたウルシュラの胸元を浅く薙ぐに留まっ

た。


「大した馬鹿力だ」

「シンプルで、かつ、最強の力だ!」


 ベリッ! と嫌な音を立てて、密偵は足首まで氷で埋まっていた己の足を、無理矢理引き剥がす。自慢の神毛が何本か抜けて氷に張り付いていたが、その程度だ。


「あぁ。悪くないな。俺も本当はその方が好みだ」

「だが、貴様には謳われる程の力はないようだな、竜騎士!」

「戦闘が本分じゃないんでね」


 軽口を叩きながら、今度は剣に神力を流し、眷族たるドゥルーガと互いに呼応させる。どくりっ、とドゥルーガが好戦的に疼いて脈打ったのを感じて、唇が笑みを刻む。


(分かってるから、そう急くな)


 ウルシュラと契約する竜だけあって、ドゥルーガの性格も、同程度には好戦的だ。


「何の言訳だ!」


 密偵はウルシュラの言葉を一笑に伏す。竜騎士の隊服を着ている人間が本分ではないなどと言えば、無理もないだろう。

 ウルシュラの纏う風も、手に持つ刃も、己の肉体には届かないという余裕と嘲りから、密偵は深くに踏み込み、心臓を抉るべく腕を突き出し――

 キィン、と澄んだ音を立てて、爪が綺麗に切り落とされた。


「ドゥルーガ、殺すなよ?」

「な――」


 密偵の目に、ドゥルーガが一瞬ぬらリと光って見えたのは、ただの気のせいだったのか、それともウルシュラの声に対する返事だったのか。

 答えはおそらく後者だろうと、力の限りで振り抜かれた剣が体の肉を裂いた時、密偵は悟った。


「がっ……!」


 血飛沫を上げ、袈裟がけに肉を裂かれた体が傾ぐ。数歩たたらを踏んでそれでも堪えた所を、ウルシュラは再度、ためらいなく切りつけた。反対側から同様に切られ、斜め十字の傷痕を負って、ようやく密偵は地面に倒れた。

 その凄惨な様子に、ユリアーネは震えた息を吐き出し、唇を青くして弱く頭を振った。


「やっぱり、血は苦手だわ……」

「得意にならない方がいいんじゃないか、人としては」

「……うん。でも、置いて行かれるのは嫌だから、慣れるわ」

「別に俺だって、早々前線になんか行かないぞ?」

「たった今戦ってた人の言う台詞?」

「……」


 それは最もだったので、ウルシュラは反論しなかった。

 『王女』であるなら、ヴィラに任せて待っているべきではあった。だが、後方に人を置ける状況だったからこそ、ウルシュラはあえて自分で臨んだのだ。

 万一自分の手に負えなくとも、代わりがいる状況だから。


「……まあ、俺にも経験は必要だろう? 何しろ、本気の殺し合いをする事はほとんどない」

「でも、楽しそうだったわよね?」

「……」


 必要性を語ったウルシュラに、ユリアーネは少しばかり責める口調でそう言った。

 殺し合いを楽しむ気質は間違っているし、自覚もあるので、やはり何も言えずにウルシュラは押し黙った。


「……悪かった」

「うん」

「けど、酔って戦ってた訳じゃない」

「うん、分かってる」

「……ありがとう」


 ユリアーネはきっと分かっていたのだと、そう思ったから礼を言うと、嬉しそうに微笑された。


「うん」


(あぁ、本当、自制できるようにならないと)


 いつまでも周りが止めてくれるのに、頼っている訳にはいかない。

 溜め息をつき、そう自戒を強く心に言い聞かせ、顔を上げる。


「ユリアーネ、こいつの拘束を頼む」


 傷の面積と深さが能力以上になったらしく、腕の傷を瞬時に再生させた密偵は、何とか傷から溢れる血を止めただけで、まだ動く事もできないようだった。

 しかし、見ている間にも赤い肉が少しずつ盛り上げり、再生を果たそうとしている。


「うん。――光の聖鎖ライト・オーラチェイン


 杖先を男に向け、先端の魔法石に神力を流し、魔術を使う。光の帯がぐるりと密偵を取り巻き、互いに繋がると、銀色の鎖となって具現化した。


「ヴィラ、こいつを頼む。もうリュクレシア兵も来たようだし、俺とユリアーネは先に戻る」

「はい。承知いたしました」


 逃げ散った誰かが呼んだのだろう。遠目にリュクレシア兵が駆けて来るのが見えた。時間切れだ。


(本当は聞き出してやりたかったが……仕方ない。とにかく、呪いのジュエリーをばら撒かれるのを止める方が先だったからな)


 帰ったら、次に起こす行動を考えよう。

 ウルシュラとユリアーネは入り組んだ路地へと入り込み、その場を後にした。

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