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第一章 神々の末裔

 穏やかな気候に恵まれて、肥沃な大地を基盤に豊かに栄える西大陸。南北に別れた二大勢力のうち、南側を支配するのは、神話に依る同盟で結ばれた十ヶ国から成るクロツィアエル同盟連国。


 同盟国の中央に位置する宗主国、リュクレシア神皇国の帝都・ティアシュブルグは、現在大変な活気に満ちていた。


 第一皇女リーディアが今年十五歳を迎え、建国祭と同時に、次期皇帝指名式典という一大行事が行われるからだ。


 宗主国の次期皇帝指名式典へ参列するために、同盟各国の王族がリュクレシアを訪れ、またそれを迎えるために、ティアシュブルクの一般市民までもが大わらわになっていた。


 爽やかに晴れ渡った晴天の空を、数頭の(ドラゴン)不死鳥(フェニックス)天馬(ペガサス)鳥獣(グリフォン)――幻獣達が駆け抜ける。その様子を見た地上の人々は、わっと華やいだ歓声を上げた。


「ヴィシリアスの幻獣だ!」

「話には聞いていたが、何とも勇壮なものだな」


 歓待のため、町の外壁周辺に集められた市民の中から、興奮した声が次々と上がった。

 天空を駆けて来た幻獣達は、速度を落としながら着陸態勢へと移行する。

 整列したリュクレシアの騎士達が聖句を唱えると、高度を落とした幻獣達の上空に、色とりどりの花吹雪が生まれ、ひらひらと幻想的に舞い落ちる。


 高らかに響くファンファーレと、群衆の歓声。それらの中を幻獣達が舞い降り、町の外にまで伸びる、整えられたモザイクタイルの上に降り立った。


 まずは、先頭を駆けていた黒竜に乗っていた女性が地に足をつける。

 空より降り注ぐ陽光を受けきらめき、より輝きを増させて弾き返すような、美しい純銀髪。白皙の美貌に納まるのは、たった今駆け抜けて来た晴天よりもより鮮やかに、人々が理想にする蒼天の瞳。


 年の頃は十七、八。すらりと背の高い肢体を包むのは、白と青で構成された、後ろにい並ぶ彼女の騎士達とは一線を隔てた、装飾の多い儀礼用の軍服。

 詩人に謳わせれば、『戦女神の如く』とでも形容されそうな、気品のある、凛とした雰囲気の持ち主だった。


「ヴィシリアス王国第一王女、ウルシュラ・クルースウェール・ヴィシリアス殿下、ご到着!」


 女性――ウルシュラに続いて、付き人がそれぞれに幻獣から降り、手を天へと向けて差し伸べる。それを合図にして、全ての幻獣が一斉に翼を広げ、天空へと舞い上がった。十分な高度を取ると同時に、光の柱に包まれ、姿を消す。


 王女という身分にあるウルシュラだが、彼女の預かるヴィシリアス王国は、戦女神である天空神カルシューアを祖とし、翼ある幻獣達を支配する能力を持つ、クロツィアエル同盟最強の軍事国家だ。

 そのため、幻獣騎士団の隊服はヴィリシアスにとって由緒正しい正装の一つであり、公式の場において着用しても失礼にはあたらない。


 それでも周囲の常識に合わせ普段はドレス姿でいるのだが、竜に乗って移動する際の利便性もあって、今は軍服の方を身につけている。


「お姉様!」


 幻獣達が姿を消すと同時に、出迎えのために居並ぶ貴族高官やその騎士に侍女、侍従達の間から、一人の少女が飛び出してきた。


「こら」


 両手を広げて駆け寄って来た少女を、やんわりと叱ってその肩に触れ、ウルシュラは彼女の行動をたしなめた。


「駄目でしょう、リーディア。もう子供ではないのだから」


 諭すように微笑して言ったウルシュラに、リーディアは少し不満そうな顔をしたが、大人しくドレスを摘まんで、優雅に一礼して見せた。


「ようこそおいで下さいました、ウルシュラ王女殿下。リュクレシアを代表して歓迎いたしますわ」


 やや取ってつけた様な、慣れない様子でそう言ってから、リーディアは伺うようにウルシュラを見上げた。


 輝く太陽の黄金の髪は、緩やかなウェーブを描いて腰まで届く長さ。命の炎を思わせる紅玉の瞳は、ウルシュラが知るどんな宝石よりも深く、美しい色をしていた。

 この国の第一皇女であるリーディアは、ウルシュラの採点を待って、期待に瞳を輝かせている。


「そうね、よろしくてよ。頑張ったわね、リーディア」


 そもそもまず飛びついて来ようとするな、とか、十五にもなって挨拶すらわざとらしさが抜けきらないのか、とか、言いたい事は色々あったが、前回会った時よりもマシになったのは確かなので、ウルシュラはまず、そう褒めた。


 人を指導する時にやる気を削ぐような言い方から入るのは、愚行中の愚行だ。つい厳しくなりがちな己の言動を飲み込み、ウルシュラは自分の理想の女王の姿を脳内で描き出し、優しく微笑む。

 甘えたがりの皇女のために、頭も一緒に撫でてやる。


「ふあぁ……。お姉様の手、優しくて暖かくて、大好きなのです……っ」


 とろけそうなうっとりとした笑顔でそう言うリーディアから、ウルシュラは適当な所で手を引いた。抱きつかれるよりはずっとマシだが、あまり人と接触するのは好ましくない事情がある。


「お招きいただき、ありがとうございます」

「お姉様が来て下さって、とても嬉しいのです。お姉様はあまりお体が丈夫ではないから、代理でどなたかが来るかもしれないとも思っていましたから」

「次期皇帝指名式典に、そのような無礼はしないわ」

「ふふ。だから、嬉しいのです。でも、ご気分が優れなくなったら、すぐに言って下さいね?」

「ええ、ありがとう、リーディア」

「はい……」


 自分よりも頭一つ分は高い位置にあるウルシュラの顔を見上げて、ほんのりと頬を染め、リーディアはこくん、と小さく頷いた。


「リーディア」

「!」


 その背後から、やや厳しめの声音で不意に名を呼ばれ、リーディアはびく、と身を竦ませた。


「アトルーシェ兄様……」


 おそるおそる、という様子でリーディアが振り向いた先では、彼女とよく似た面立ちの、そして彼女と全く同じ色の金髪赤眼の青年が歩み寄って来る所だった。年頃は二十歳前後、という所だろう。


「長旅でお疲れの客人を長々と町の外に留めるとは何事だ? お前がどうしてもというから任せたというのに、このような……。特に、ウルシュラ殿下はあまりお体が丈夫ではないと分かっているはずだろう」

「ご、ごめんなさい、お兄様……」


 肩を竦め、びくびくとアトルーシェをうかがうリーディアからは、実の兄への苦手意識が手に取るように分かる。

 リーディアが委縮して何も言えなくなっているようなので、ウルシュラは彼女を擁護するために、やんわりとした口調で間に入った。


「アトルーシェ皇子、わたくしの事ならどうぞ、お気遣いなく。殿下と久しぶりにお会いして、つい話し込んでしまったのはわたくしも同じですから」

「ありがとうございます、殿下。しかし、リーディアを甘やかしていただく必要はありません。せっかく貴女のような才媛を姉と慕っているのですから、どうせならもっと見習って成長してもらいたいものなのですが」

「光栄です」


 溜め息交じりに言ったアトルーシェに、内心同情しつつも、ウルシュラは外交用の笑顔を張りつけたまま謙虚に応じた。


 ウルシュラの抱いた同情心は本心だ。だがそれは、リーディアへ向けたものとアトルーシェへ向けたものと、半々だ。


(リーディアは言われる程悪くはないと思うが、アトルーシェ皇子がもう少し、と期待する気持ちも分かるからな……)


 次期皇帝であるリーディアへの周囲の評価は、姫としてなら可愛いが、皇として戴くには不安すぎる、というものだ。

 ここ数十年、国内で大きな問題が起こっていないせいか、リュクレシアの皇族は緊張感が薄くなっている者が多いようだった。


 第二皇子のレグナストルに至っては、頭に花畑まで出来上がっているお気楽かつ考えなしで、第一皇子であるアトルーシェがいなければ、国は回らないとまで言われている。

 そんな状況のため、アトルーシェに期待する声は少なくない。だが、アトルーシェがその声に応え、王座を継ぐ事は決してない。


 なぜならば、リュクレシアが女王国であるためだ。


 女性が王を継ぐ国は、クロツィアエル同盟国の中では珍しくない。ウルシュラの国であるヴィシリアスも女王国家だ。

 その理由は、神話時代にまで遡る。


 クロツィアエル神話では、創造神ローディエを筆頭とした十二神が登場する。そしてクロツィアエル同盟に名を連ねる国々の王族は、全て神々の末裔だ。

 そのため、全ての国で己の祖である神と、同性の王を立てるのが習わしとなっている。


 現実的な理由もある。クロツィアエル同盟国すべての民は、己が所属する国の祖と同じ力を持つが、発現する力が祖である神と同性である方が強い傾向にあるためだ。


 特に、北の大国カドゥーリアとの国境に位置し、クロツィアエル同盟の守護国であるヴィシリアスでは、女神である天空神カルシューアの力を濃く受け継ぐ女王――『竜妃』を失う訳にはいかなかった。

 カドゥーリアは、クロツィアエルとは全く異なる体系の神話の神を祖にしている。ウルガ・ケンドラという主神一神教で、彼の神の名の元、世界の統一を声高に掲げる好戦的な国だ。


 事実、クロツィアエル同盟はカドゥーリアの侵略によって、すでに二ヶ国失っている。

 先代のヴィリシアス女王アイリスは体が弱く、一児を儲けて若くして身罷った。

 生まれた子が神の貴色を継ぐ、銀髪青眼の女児であると公表された時、国民のみならずクロツィアエル同盟加盟国は皆一様に安堵し、カドゥーリア帝国民は落胆に地団太を踏んだという。


「至らぬ妹ですが、どうぞ、次期女王としての心構えを叩き込んでやって下さい」

「恐れ多い事です。けれど、共に高め合う良き話し相手が務まればと思います」

「ええ、ぜひ。では案内を――」


 女官を呼ぼうとしたアトルーシェを遮って、ばっ、とリーディアがすかさず手を上げた。


「私がします、お兄様!」

「……」


 淑女の振る舞いとしてもいかがなものかと思われるリーディアの行動に、アトルーシェは眉間に深くしわを刻み、再び溜め息をついた。


「……では、くれぐれも粗相のないように」

「勿論大丈夫なのです! さあお姉様、ヴィリシアスの皆々様、どうぞこちらへ!」

「!」


 柔らかな素材で、厚めに作られている手袋越しとはいえ、いきなり無遠慮に手を掴まれウルシュラはぎくりとしたが、リーディアが『何か』を不審がった様子はなく、ほっとする。


(全く、この姫君の考えなしさ加減はありがたいのか冷や冷やさせてくれるのか……。どちらにしても、苦手だ)


 顔の笑みは崩さぬまま、ウルシュラは内心でそんな事を考えていた。

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