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2-2

「……アトルーシェ皇子の苦労がしのばれるわね」


 廊下に出て、防音の魔術を掛けてから、ユリアーネはそっと溜め息交じりにそう言った。


「全くだ」

「本当に血縁関係があるのか、疑問すら覚えますね」

「そこは間違いない。皆直系血族だからな」


 神の貴色を受け継ぐ直系血族は、その国を継いだ王の血筋からしか生まれない。だから全員、今のリュクレシア皇帝である母の腹から生まれた事には間違いないのだ。今代は父親も全員同じである。


「レグナストル皇子、結構本気みたいだったわよね。大丈夫かしら」


 ユリアーネは少し心配そうだった。

 何しろ、メイドと駆け落ちしてしまう皇子だ。思慮は足りないが、行動力はある。組み合わせとしては決して望ましい物ではない。

 その行動力が厄介を引き起こさないかと、心配なのだろう。


「大丈夫だろう。自分に優しくない女に執着するタイプじゃない」

「そのように見受けられましたね」


 自分に無条件に甘い女にしか興味は続かないはずだと言うウルシュラに、ヴィラも深々と頷いた。そこには軽侮が滲み出ている。


「でも、一回話としては上ってるし……」

「今更申し込めないだろ。何しろ、向こうから最悪の形で俺に恥をかかせてきたんだから。どれだけレグナストル皇子が恥知らずでも、皇帝陛下とアトルーシェ皇子が絶対に頷かない」


 恥をかいた、と言うわりには、ウルシュラの唇は笑みを浮かべたままだ。口調も楽しげですらある。


 ウルシュラが十五歳の時に、リュクレシアからレグナストルとの縁談が持ち込まれた。

 宗主国から持ち込まれた話だ。断るのは難しい。しかし、秘密を共有する相手としては、レグナストルは不安過ぎた。


「メイドと駆け落ちしてくれて、本当にほっとした」

「……あの。タイミング良すぎる時期だったけど、まさか……?」


 婚約お披露目のその日にレグナストルは出奔し、ウルシュラはメイドに負けた形になって目出度く破談だ。

 婚約者に捨てられたウルシュラよりも、有名な才媛を捨ててメイドに走ったレグナストルを失笑する声が遥かに大きく、実は言うほどの傷にはなっていなかったりもする。

 そろり、と見上げて来たユリアーネに、唇の笑みを深くするだけで肯定する。


「ちょっ……それは、あんまりよ! その子、これからどうなるの!?」

「そこでレグナストル皇子には同情しないんだな、お前も」

「だって、レグナストル皇子は皇子だもの。大丈夫よ」


 そして本人も、全く堪えていない事が後追いのお針子事件で発覚する。


「心配しなくても、うちでしっかり面倒見てる。妙な噂話をばら撒かれたら、こっちだって困るからな」


 おそらく、皇帝はメイドの逃亡先がヴィシリアスである事を付き止めてしまったのだろう。そこから推察されたのだと、ウルシュラは思っている。


「でもそれって、つまり監視つきって事、よね?」

「リュクレシアの皇族を騙したんだ。彼女だってそれぐらいの覚悟はある。生活を保障してさえやれば、納得の上だから不満も持たないだろう。それでも裏切るようなら斬るけどな」


 今の所、件のメイドは監視つきではあっても、働かなくて良くなった現在の生活を楽しんでいるので、問題はないだろう。


「俺が本当に女だったら、これ以上ない理想の相手なんだが。それは非常に残念だとは思う」

「理想、ですか? あれが? おそれながら、ウルシュラ様にはもっと良き伴侶が」

「共同統治者は要らない」

「!」


 きっぱりと言い切ったウルシュラに、ユリアーネとヴィラははっとした表情をした。


「部下の意見は聞くが、俺の権力に近しくなる夫の意見は対立した時に邪魔だし、危ないだろう。その点、レグナストル皇子は理想的だ」


 男の意見は駄目だ。それをウルシュラは自分自身で理解させられた。だから、それこそ――アトルーシェのような、切れる夫は要らない。

 いたら、危ない。


(俺自身がそっち側だから……絶対、頷いてしまう。俺に必要なのはむしろ――)


 その先は、あえて考えるのを止めた。

 それはただ、自分の弱さを補ってもらおうとしているだけだ。


(甘えるな。俺はヴィシリアスの女王だ。俺が間違えることは絶対に許されない)


「判断するのは俺だけだ。部下はただ提案だけすればいい」

「……そうね……」


 丸投げできる相手がいれば、喜んで全てを放り出す。そんな想像が容易についた。


「そうですね。殿下のお考えこそ、ヴィシリアスの指針となる全てであるべき。足を引っ張るおそれのある相手は不要ですね」


 一瞬ショックを受けた表情をしたものの、ヴィラはすぐに興奮に顔を赤くしてそう言った。


「私はただ、殿下の剣として一生ついて行きます!」

「ああ、信用している」

「はい!」


 ヴィラは熱のこもった瞳で強く頷いたが、ユリアーネの表情は晴れなかった。


 十二歳で出会い、一年後に薬師としてヴィシリアスに招かれ、ウルシュラの秘密を知った。初めて会った時に胸を打ったものの正体を、今のユリアーネは分かっている。


(私は、貴方の強い瞳に惹かれたの)


 ユリアーネには、昔も、そして今も、持ち得ていないもの。


 秘密を知った今ならば、ユリアーネにはウルシュラが発した言葉に込められた覚悟がよく分かる。自分には持てない強さを持って、国を守って立っているその姿を、尊敬してもいる。自分に支える力がある事を、嬉しく思ってもいる。


(分かっているわ。貴方は強い)


 他人の支えなど、ウルシュラは必要としない。自分の意志に迷いがない。そうあろうと努力している事も、側で見ていたからユリアーネも知っている。

 その姿勢は憧れているが――同時に、寂しくもあった。


(貴方が必要なのは、私のアルケナの神力――魔術師としての力だけ)


 助ける事の出来る力を持っているだけでも十分だ、と自分を慰める事は出来る。けれど、本心は自分自身には誤魔化せない。


 ウルシュラにとって必要な物が、自分である必要はないのがユリアーネには少し、寂しかった。

 ユリアーネがウルシュラ自身を好ましく思うように、アルケナの力としてではなく、自分自身を認めてもらいたい、というのは――


(無理な話よね)


 能力の差以外で、自分がウルシュラより優れ、助けになれる才覚など持ち合わせていない事を、ユリアーネは自覚している。


(そう。三年前の事、とか)


 ウルシュラから責められた事はないが、ユリアーネは過去に一度、盛大に彼の足を引っ張った事がある。


(ウルシュラが自分に口出ししない配偶者を求めるのも、きっと、そのせいよね)


 失態を思い出して、ユリアーネは恥ずかしくなり、小さく息をついた。


「どうした? ユリアーネ」

「なっ、何でもないわ。大丈夫」

「そうか?」


 多少訝しげだったが、ウルシュラは追及して来なかった。

 ほっとしたはずなのに、少し不満だ。わがままな自分の心に、だから駄目なのに、とまた少し落ち込みそうになったので、考えないようにして意識を別の所へ持って行く。


「それより、これからどうするの? 部屋に戻る?」

「先にリーディアに会ってから、だな」

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