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第二章 殺意の向き先

「では、グレーテは覚えがないと言っているのですね?」

「そうなんだよ!」


 額に手を当て、芝居がかった大仰な仕種でレグナストルは大きく息をつきつつ、頭を左右に振る。


 ウルシュラがレグナストルを訊ねたのは、リーディアの暗殺未遂騒ぎのあった翌日だった。

 本当ならばアトルーシェの方と話したかったのだが、建国祭、次期皇帝指名式典に通常業務と重なって、ただでさえ忙しい所に皇女暗殺未遂の事件まで抱え込み、とても会える状況ではなかったのだ。


 なので仕方なく、事情は知っているだろうレグナストルに話を聞きに来たのである。


「しかし、全てを用意したのはグレーテなんだ。知らぬ存ぜぬでは通らないだろう? エルマ嬢なら可能性はあるだろうが、その線が消えてしまった今となってはね」


 グレーテの尋問が一通り済んだ後、ウルシュラ達が危惧したように、グレーテの前にエルマが準備をしていた事で、ヴィシリアスにも疑いがかけられた。


 しかし、リーディアより先にウルシュラが口を付けていた事で、幸いにして嫌疑は晴れたのだった。

 ウルシュラが命じて仕込んでいたのだとすれば、何も知らないグレーテが出したお茶を飲むはずがない。給仕の人間が変わってしまえば、どちらに毒が入っているのかが分からないのだから。


(殿下に勧めて頂いた事で、救われたな)


 カップはリュクレシアで用意されていたもので、柄も全く同じ物。見分けられる印は何もないのを、カップを回収したリュクレシア側が確認し、認めている。


「では、やはり紅茶に毒が入っていたのですか?」

「ああ、そのように報告を受けたよ」

「そうですか。すぐに凶器を調べ上げられるとは、皆様優秀でいらっしゃるのですね」

「いやあ、ははは」


 モルモットか何かに零れた紅茶を与えてやればいいだけの話で、優秀も何もあったものではないが、とりあえず何でも良いから褒めておく。


 相手がアトルーシェなら、むしろ馬鹿にしているとも取られかねないので下手な事は言わないが、レグナストルならとにかく褒めておく。


(気持ち良くさせておけば、ボロボロ情報零してくれるだろうしな)


 そういう意味では、会って話すのも無駄になる相手ではない。


「実行犯は捕まえているんだ。すぐに片がつく」

「ええ……。そう願いますわ」

「顔色が優れないね? 殿下にはちょっとショッキングな事件だっただろう。気晴らしに城下町に散策にでも行かないか? 僕のお勧めの店を案内するよ」

「あら。殿下には確か将来を誓い合ったメイドがいらっしゃったのでは? それともお針子だったかしら。どちらにしても、彼女達に悪いわ。謹んでご遠慮申し上げます」


 にっこりと笑って放ったウルシュラの言葉は、過去、二人の間にあった関係を思えば、相当な皮肉だった。

 その証拠に、一瞬でレグナストルは表情を引きつらせ、やはり芝居がかった大仰な仕草で天を仰ぐ。


「やめてくれ、ウルシュラ王女! あれは僕がどうかしてたんだ!」


(いつもだけどな)


 第二皇子レグナストルの頭の中には花畑ができている――という話が決定的に周辺諸国に広まったのは、ウルシュラが口にした二つの事件のせいだった。


 一度目は二年前。一人のメイドといきなり駆落ちした。数日後、路銀が尽きて頼った貴族宅にて一人で保護された。メイドは金品を奪って逃げたらしい。

 二度目は半年前。お針子と勝手に婚約し、皇帝によって破棄させられた後、子供が出来たのでせめて養育費を――を涙ながらに訴えられ、宝物庫から勝手に数点の宝飾品を売りさばいて金を渡してしまった。真実、子供がいたかどうかは定かではない。売られた宝飾品のうち、まだ一つか二つは回収できていない物があったはずだ。


「僕は学んだ。やはり、身分差のある恋は成就しない。いや、愛を育む事さえ不可能だ! 彼女達は、僕を愛してはいなかった!」


(まあ、いい所金ヅルだな)


 ――という言葉は、何とか飲み込んだ。


 隣でユリアーネが顔を伏せて肩を震わせているのは、笑いを堪えているせいだろう。背後のヴィラの冷ややかな眼差しは、ウルシュラからは見えようもなかったが、容易に想像がつく。


「ウルシュラ王女! 貴女は聡明な人だし、何より王女だ! きっと僕に相応しいと思う!」


(お前がヴィシリアス女王の伴侶として相応しくないだろうが!)


 ――と叫びたいのも、何とかこらえた。その後ろで、ヴィラが刷いていない剣の柄に手を伸ばしたそうに腕をわななかせる。


 同じく王女であるユリアーネに声をかけないのは、分別がついたから――ではなく、直系血族ではない彼女の事を、レグナストルが下に見ているからだ。


「そのお話なら、もうとっくに破棄されているはずですわ。殿下がメイドと駆け落ちした時に。それに、わたくしにはもう婚約者がいますもの」


 急ぎ過ぎるのも外聞が悪いかと、保留にしているうちにレグナストルとの婚約話が持ち上がってしまったのを反省して、破談になった後、やや間を空けてから、すでに決めていた相手と婚約を発表した。


 その『やや空いた間』にどこからも打診がなかったのは、リュクレシア皇帝による若干の牽制があったと、証拠はないがウルシュラは確信している。

 おかげで今は全ての秘密を知り、ヴィシリアスを裏切らない相手を、つつがなく婚約者として据える事ができている。あと一、二年後には結婚も済ませてしまうつもりだ。

 そうすれば、後は純粋に後継ぎの問題だけを考えれば済むようになる。


(俺が本当に女なら、伴侶の席はもっと有効に使うんだけどな……)


 そんな所も、無念でならない。


「ああ! 何という事だろう! 僕の恋路が祝福される事はないのか!」


(今のままなら、まずないだろ)


 呆れた気分で、ウルシュラは心の中でだけ嘆息する。

 そもそも、王族に生まれておきながら、愛だの恋だのが人生に入って来る余地があるなどと思っている辺りが、すでにウルシュラには理解不能だ。


(俺は、恋なんかしたくない)


 本当に想ってしまう相手ができたら、苦しすぎる。そして諦めないだろう自分を、ウルシュラは自覚していた。きっと無理をしてでも、その相手を手に入れようとする。

 ――それは、ヴィシリアスにとっては弱点だ。


(俺はヴィシリアスを裏切れない。裏切りたくない。民の期待を、生まれた瞬間に俺は一度――そして一生、裏切ったんだ。だから、これ以上の裏切りは絶対にしない。自分を見失うような感情は、要らない)


 だから、考えないようにしている。


「仕方ない。じゃあユリアーネ王女、貴女で我慢して愛してあげよう!」

「あ、あの……っ」


 失礼極まりない言い様だが、レグナストルにその意識はない。そしてどれだけ失礼な物言いであっても、宗主国の皇子をふざけるなと怒鳴りつけてやるのは難しい。


「僕は控えめな女性が好きだ。その点では、君は非常に僕の好みだな、うん」

「あの、私……っ」

「――ごめんなさい、レグナストル皇子」


 がっしとユリアーネの手を掴んで熱く訴えるレグナストルを、やんわりとウルシュラが押しとどめた。


「ユリアーネはわたくしの大切な友人であり、主治医なの。急に奪われては困ってしまうわ」

「あー……。そうだったね。貴女に死なれてしまうのは困る。でも、君のためなら癒士を僕が用立ててあげてもいいよ。我がリュクレシアには優れた治癒能力の使い手がいるから、ユリアーネ王女よりずっと――」

「アルケナの魔術の力が必要なのです」


 当然、ウルシュラの抱える問題は病気ではないので、リュクレシアの治癒能力では役に立たない。


「そ、そうなんですっ。それに私は、一生ウルシュラの道を支えようと決めていますから……っ。誰にも嫁ぐつもりはありませんっ」

「まあ、君は直系血族じゃないから、それ程問題はないだろうけど。けど、一生かあ……。何か、禁断の香りがするなぁ。いやいや、でもウルシュラ王女とユリアーネ王女なら悪くはないのか……」

「邪推ですわ、レグナストル皇子」

「あぁ! すまない。最近読んだ恋愛小説の中にそういうものがあってね。いや、誤解はしないでくれたまえ。彼女達は実に純粋だった。ピュアだった」

「物語ですものね」


 綴られた妄想を勝手に押し付けて来るなと、微笑しつつも拒絶した。


「お時間を作っていただき、ありがとうございます。そろそろ失礼させていただきますわ」


 本筋から大分脱線して、どうでもいい話になってきたので、ウルシュラは場を切り上げようとする。


「いや、僕も楽しかったよ。気が変わったらいつでも来てくれ。陛下も兄上も、君なら祝福してくれるだろうし」

「今の婚約が破談になったら考えますわ」


 それでは、と一礼してレグナストルの部屋を後にする。

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