8.夢の終わり
パチン、という音が鳴ったような気がして、目が覚めた。
俺は何故か素っ裸で、浴室のような場所にいた。浴槽の中で眠っていたようだが、入っていたはずのお湯のようなモノは見当たらない。
とりあえず、タオル掛けに引っかかっていたカピカピのタオル(の成れの果て)を腰に巻きつけながら周囲を観察する。
周囲を観察しているうちに思い出した。
大学の夏休みの期間を使って、俺の兄貴とその幼馴染みたちが開発したという、最新式のゲームの被験をやってみないかという誘いに乗ったこと。
そのゲームが、幼馴染みである浅苗 宇月のために開発されたことから、同じ幼馴染みの鳥待 六花(ゲームの中では何故か「エル」と名乗っていたが何故だろうか)共々、半ば無理矢理参加することになったこと。
兄貴たちに言われ、この浴室でそれぞれ身体を洗い、風呂でも楽しむように言われたこと。その風呂が、突如、浴室の天井近くまで湯が溢れ、気が付いたら「あの世界」にいたこと。
とりあえず。
俺はこのカピカピの身体を洗ったらとっととこの浴室を出て、兄貴に最低でも腹パン一発は入れようと決めたのだった。
一っ風呂浴びてさっぱりとした俺は、宇月達がいるはずである、兄貴達の共同の研究室へと入る。そこで見た光景は、先程俺が決めた「兄貴に腹パン一発」どころの騒ぎではなかった。
六花が俺の兄貴・水無月 吏尋に馬乗りになって、何か関節技のようなモノを極めている。その横には、何故か恍惚な表情を浮かべる六花の兄・鳥待 瑠夏が転がっている。一見、瑠夏の方は落ちているようにも見えるのだが、猫可愛がりしている愛妹が自分の彼氏(瑠夏さんと史尋は付き合っている)に技を極めているのを見て呆けているようだ。
というか、身長190cm近くある俺の兄である史尋だって180cmを越える一般的に言えば長身で肥えてはいないものの巨体と言われる部類だ。そんなフィジカル面でのハンデを全く感じさせない見事な技のかけっぷりは、やはりこの幼馴染み特有の必殺技なのだろう。
とりあえず、俺が入れようと思っていた「腹パン一発」分以上の制裁は喰らっているようだったので、俺は兄貴へと向けていた握りこぶしを解いたのだった。
有象無象と化している兄と幼馴染み達の隙間をすり抜け、俺は目的の場所へとたどり着く。
宇月の寝ているベッドだ。
上半身を起こしてあり、こちらへ笑みを浮かべる宇月と、その隣に寄り添う宇月の兄である浅苗 睦月。ちなみに、あの『ゲーム』内で森の出口に待機して俺達を待っていたのも、多分彼だろう。睦月さんはおそらくこの混沌空間と化した研究室内に置いて、俺を除いて唯一の常識人というか真人間かもしれない。
原因不明・現代医療では不治と言われた弟・宇月の病を治すべく、医師を目指しているのだから。
治療のために色素が抜けつつある髪と瞳をこちらに向け、宇月は俺に笑いかける。色素が抜け始める前は、兄の睦月さんと似たような色合いの茶髪に茶目だった。今は淡い栗色に鳶色の瞳になっている。……ゲームの中で「ウヅキ」の髪が茶髪だったのは、かつての自分を投影したのだろうか。
「おはよ、潤。潤が一番お寝坊さんだったね」
クスクスと笑う宇月と、そのバイタルをチェックする睦月さん。俺達の後ろでドタドタと暴れまわる三人。
あぁ。いつも通りの「世界」に戻ってきたんだ、と改めて実感する。
それと同時に、もう多分二度と、宇月と一緒に野山や森を駆け回ったりして、一日中過ごしたりする「夢」も終わってしまったのだと、俺は気が付いてしまった。
「潤君もお疲れ様。後ででいいから、ゲームの被験レポート、瑠夏か史尋に出しておいてね。……どうやらシステムのエラーのようで、六花ちゃんのデータが抜け落ちてしまっているようだから。もちろん、覚えている範囲の事で構わないと思うよ」
俺にドリンクを渡しながらそう言う睦月さんに、素直に頷く。
六花のみゲーム内のデータが抜け落ちているという、システム上のエラー。……心当たりがないことは無い。
あの「世界」から脱出する直前、エルはユニの杖に身体のほぼ中心を貫かれていた。
……もし、「ユニ」の存在自体が、ゲーム内に兄貴達が用意したシステムではない「別の何か」だとしたら……?
俺は自分の立てた仮説に異様な恐ろしさを感じた。
睦月さんから受け取ったドリンクを持つ手が震えていたようで、宇月が「大丈夫?」と言いながら俺の顔を覗き込んでくる。
背後では六花の制裁が終わったのか、すっきりとした表情の六花と、顔面が変形している兄貴・史尋に続いて六花の兄・瑠夏さんがこちらに向かっていた。
「もー。起きたら服は着てないし何だかよくわからない液体が渇いて身体がカピカピになってるし、髪まで傷んでるし、おまけにあれだけ楽しみにしていたゲームを遊んでいたデータだけ無いなんて、ひどいとばっちりだわ!」
「一応あの培養液、六花ちゃんの事も考えて、お肌や髪にも良い成分で作ってたのよ?」
「渇いてガビガビになるんじゃ意味ないでしょうがこのクソ兄貴!」
「六花ちゃんったらひどいワ! ゲームの世界では『師匠』なんて言って慕ってくれたのにぃ」
「だからその記憶自体無いって言ってんでしょー!?」
「安心したまえ、六花よ。君の海馬に関しての深刻な障害については、睦月も日常生活に支障はないと言っていたではないか! だから安心して」
「安心したってあのゲームの中での記憶は私だけ無いんでしょう!? 理不尽よぉ~!!」
そう言ってまた瑠夏や史尋をタコ殴りにする六花。口と同時に手を出していると見せかけて実はその前から足技を掛けている辺りから、性格と手癖の悪さが滲み出ている。……コレが大学に入ってからいきなり髪をピンクがかった薄い茶色に染めて、彼氏づくりという名のボーイハントを始めたのだから、まぁ結果は散々というのはお分かり頂けると思う。
ちなみに、瑠夏さんを見て気づいたのだが、あのゲームに出てきた「エルの師匠ルキア」改め「四天王・ルキウス」の正体は彼だろう。あと、終盤で出てきた「改造屋・フミヒロ」は、どう見ても俺の愚兄だ。
確か、あのゲームはシナリオ・世界観などを史尋が担当、ソレを元に瑠夏さんがあのゲームのシステムを組んだと聞いていた。……誰だ、変態に知識と技術力と経済力を与えたのは……。
というか、制作陣超出たがりゲーだなアレ。マジで何だったんだ。瑠夏さんに至っては、俺達と同じ普通のハンターとしても活動していたと言うし、もうマジで何なんだ。
そんなカオスな面々に、俺はふと、疑問を投げかける。
「なぁ、兄貴のシナリオに、『ユニ』っていう女の子、出てきてたか?」
「ユニ」の名前を口にした途端、兄貴、瑠夏さん、そして睦月さんの間の空気が凍ったのが伝わる。宇月と六花は何の事だかわかっていないらしい。……やはりあの「世界」でも、「ユニ」を確認出来ていたのは俺だけだったのだろう。
「……ボクの遊んだシナリオは、単純に、潤や六花ちゃんたちと、『ハンター』としてモンスターを狩っていくっていう内容だったけど?」
沈黙に包まれる研究室で、宇月がそっと告げた。
記憶はないが、六花に用意されたのも、その手のシナリオだったのだろう。
何故、「俺の世界」だけに「ユニ」は現れたのだろうか。
ちょっと短いけど、キリがいいので分割します。




