暴走系のエンジェルⅢ
「ねぇトウギ、話に着いていけないのだけれど」
食堂を出たところでようやく口を開いたツキヒ。そんな精神状態でよくここまで歩けたな。
「おいおい説明する。まぁ安心しろ、死にはしない」
「僕が死ぬ云々はどうでもいいんだよ。この状況が理解出来ない事のほうが重要な問題だよ」
「まぁ、お前の命は軽いからな。グラム百円くらいか?」
「そこまで安くはないんじゃないかなぁ!」
ツッコミ所はそこじゃないと思うんだが……。
「ていうか、もう授業始まってるよ? むしろあと十分で五時間目終わるよ? 今から何をするの?」
「ああ、それはな」
俺は勿体ぶった間を置いた。
「死地に向かうんだ」
「死ぬ事は無いって言ってたよね!? それ死ぬ事が前提になってるよね!?」
「死ぬことはあるわよ」
「どっち!? ねぇ僕は死ぬの死なないの!?」
発言者がいきなり変わってもスムーズにツッコム辺り、ツキヒのツッコミ能力はなかなかだと思う。
「うっさいわね。死ね」
「三つ目の選択肢!?」
元気だな、こいつら。
「で、ピクシーってのはどいつに宿ってんだ?」
「さぁ」
「さあって……」
そこは適当にされると困るんだが。
「おおまかな反応は読み取れるわ。でも、そもそもあたしは、あんたらのクラスメートの名前を知らないもの。誰にピクシーが居るかをなんとか絞れても、誰が誰なのかが解らないわ。そもそもあたしから見れば、人間なんて皆同じ顔よ」
「天使見習いって無能なのか?」
「失礼ね! 少なくともあたしは有能よ!」
ただの人間に記憶の齟齬を勘付かれても有能になるのか、天使見習いってのは。なんか俺にもなれそうな気がしてきたぞ。
「で、だ。無能天使見習い」「劣等生言うな!」「そうは言ってねぇよ」
被害妄想も甚だしいぞ。こいつ、絶対天界では劣等生だったぜ。
「で、ピクシーの宿主が男なのか女なのかくらいは解んだろ。どっちだ」
改めて問うと、ポーターは不機嫌そうに鼻を鳴らしてから答えた。
「どっちもよ」
「……それは、ピクシーの宿主が二人居て、それぞれ男と女に住み着いてるからのどっちも、なのか、それともピクシーの宿主が男であり女でもあるからのどっちも、なのか」
後者だったら気持ち悪くて投げ出すぞ、俺。
「前者よ」
良かった。気持ち悪くはな……どっちも?
「一つのクラスで二人ってのは、多いのか、少ないのか」
「珍しくはないわ。宿主の中でピクシーが増殖を終えた場合、近くに居る人間に感染したりもするから」
「成る程……」
結構えぐくないか、それ。
「とりあえず、繁殖数が少ないのは男のほうね。ほら、あいつよ」
いつの間にか教室の入り口近くまで来ていた俺達は、すぐに押し黙って教室の中を覗いた。
ポーターが指差した先。そこに居たのは。
……芹沢じゃねぇか……。
「ちょっと来い」
俺はポーターの首根っこを引っ張って、教室から離れた。
ばれないであろう安全圏まで来ると、念のため周りを確認する。
よし、誰も居ないな。
「おいポーター」
「なによ」
「ピクシーは心の中で宿主の心を具現化するって話だったよな」
「言ったわね」
「……その具現化された心が、現実世界に漏れる可能性は?」
「多々あるわ」
成る程。つまり休み時間に散々見せられた、撮る機会などあろうはずが無い宝生のスク水写真――芹沢曰く天から舞い降りたその非現実は、つまりピクシーの仕業である可能性が高いわけだな。
で。
「説明不足にも程があんだろうがぁあ!」
俺はてっきり、現実世界には影響が無いとばかり思ってたんだが!? ツキヒ並の勢いでツッコンじまったよ、今。
「成る程な……だから可能な限り即決して欲しがってたのか……。確かにこれは、可及的速やかに対処する必要がありそうだ」
クラスメートが犯罪者にならないためと、俺及び宝生の精神衛生のために。
「ねぇ孝一郎、芹沢君にピクシーが居るってことは、芹沢君の心の中に入る必要があるってことだよね」
何故か怯えた様子で聞いてくるツキヒ。こいつは何を今更。
「当たり前だろう。そうしなきゃピクシーが処理出来な――」
待て。
ちょっと、待て。
芹沢の心の中は、ピクシーが勢い余って宝生のスク水写真を作り出しちまうような状況になってるって事だろ? そん中に、入る……?
「ポーター。これは命が危険だ。撤退を」
俺の心が死ぬ。絶対に挫ける。
「はぁ? 入る前から何言ってんのよ。やってみなきゃ解らないじゃない」
正論を語るポーター。だが。
「やる前から解る事だってあんだよ!」
俺はポーターの肩を掴み、主張を強めた。
「変態の心ん中がどうなってるかなんて、俺は……俺は見たくないんだ!」
願わくば誰の心も見たくはないが、見ても見なくても変わらないから大抵の人間は許容出来る。しかし変態は別だ。
「あいつ、宝生のスク水写真を待ちうけにしてたんだぞ……?」
「なにそれきも」
おお、流石のポーターも解ってくれたか。
で、なんでこいつはスク水って言葉を知ってんだ? 天使見習いには縁の無い単語だと思うんだが。
「でも、だったらなおさら、早く処理したほうが良いんじゃない?」
気持ち悪そうに自分の体を抱きながらポーターが言う。確かに正論だ。
「芹沢の妄想をピクシーが現実へ具現化する前に、カタを付けろってことか……」
宝生に被害が及ぶかも、だの、芹沢が犯罪者になるかも、なんてことは別にどうだっていい。しかし、それらは回り回って俺達の平穏を奪う。
なら、自分達の平穏を守るためにも、やらなきゃいけないってことか。
「そういうわけだ、やるぞ、久志」
「うん、まぁ、乗り気はしないけれど、仕方ないよね」
陰鬱に肩を落とすツキヒ。その気持ちはよく解るぞ、俺だって今その状態だろうからな。
「覚悟は決まったかしら?」
ポーターが急かすように言うもんだから、逆に決まっていないから全てを無かったことにしてくれ、と言いたくなった。
だが、そんなことをしても何にもならない。問題が先送りにされるだけだ。
「うし」
気合いを入れるため、自分の頬を強く叩く。
そして。
「おーけーだ。馬鹿野郎の心の中とやらに踏み込んでやろうじゃねぇか」
もしも本当に危険な状態になったら撤退すればいいんだろ? なら、もう少し気楽に構えても問題は無かったかもしれない。しかし、俺達はヲタクだ。二次元に時間を費やしている分、三次元への耐性は常人を下回る。
決めた事はすぐさま行動に移さなければ、きっとなぁなぁになってやらなくなるだろう。
そんな俺の心構えを後押しするかのように、五時間目終了のチャイムが響いた。
「じゃあ行くわよ」
歩き出すポーター。俺とツキヒはそれに続いて、自分達への教室へ向かう。
教室からぞろぞろと出てくるクラスメート達。その内の何人かが俺達に気付き、授業サボったな、なんで俺も誘わなかった、などという悪ノリじみた冗談をかましてくるやつらも居た。どうでもいいが、ポーターの姿を見ても誰一人として驚かないということは、彼女は全ての人間の記憶を操作しているのか、普通の人間には見えなくなっているのかもしれない。
実際に一度記憶の操作を受けている俺は、どうやら感覚が麻痺しているらしい。そんな摩訶不思議な仮定を建てる事に抵抗は無かった。
そして授業をサボった俺達に文句を言ううちの一人に、芹沢が居た。
「いやー、俺が持ってる写真が羨ましくなって、俺に合わせる顔が無くなっちまったのかと思った」
と芹沢は言うが、あながち間違いではない。お前と顔を合わせたくなかったのは事実だからな。
「そんなんじゃねぇよ。ただ……」
俺が適当な事を言って誤魔化そうとしていた時、ポーターが芹沢の背後に回りこみ、そして彼の影を踏んだ。
おそらくあれが、心の世界へ入るための条件のひとつなのだろう。
そして彼女は呟く。
「――コネクト」
途端に体が沈んでいく感覚に陥った。まるで影の中に吸い込まれていくかのような感覚だが、視界から確保出来る情報の限りではそんな事は無いようだ。眩暈に似た感覚かもしれない。
そして次に、スローモーションで瞬きをしたかのように、視界が外側から徐々に暗くなっていく。半分ほど黒に塗りつぶされてからは一瞬で真っ黒になった。
その黒が振り払われたのもまた一瞬。視界にはすぐ光が差し込んだ。
だが、景色は変わっていた。
俺達は廊下に居たはずだ。しかしそこは、廊下であって廊下ではなくなっていた。
形こそは学校の廊下で間違いないのだが、色やデザインが変わっているのだ。白かったはずの校舎の壁が、何故かほの暗いピンクになっていた。
そして何より変わっているのは、配置されている人間の服装だ。
スク水だった。
スク水で校舎を歩いていた。
ちなみに全員女子である。男は居なくなっていた。
女子だけがこの世界に残され、そして余す事なく全員がスク水を纏っている。
言ってしまえば確かに、目の保養にはなる。この学校はなかなかどうして女子のレベルは高いほうだと思うから、目に毒ということは無い。
しかしそれにしたって、スク水で校舎を歩いているのはどうかと思う。
「これが、芹沢君の心の世界……?」
戦慄したようにツキヒが呟くと、ポーターがそれに頷いた。
「パーソナルワールド、ってあたし達は呼んでいるわ」
個人の世界。成る程、確かに心の中というのは最大のプライベート空間だ。なかなかに的を射た命名だろう。
つまり。
「芹沢は救いようの無い変態だってことで間違いねぇらしいな」
「うん。これは引く」
ツキヒの同意も貰ったが、これはどこまでピクシーの影響を受けている状態なんだ?
「で、俺達はどうすればいいんだ?」
そういえば、芹沢本人の姿が見当たらないが。
「宿主が居そうな場所はどこ?」
質問したのは俺のはずだが、ポーターからは返答変わりの質問が返された。
「パーソナルワールドの住人達はどれもただの概念でしかないから感情とか持ってないけど、宿主本人は心の寄り処にしている場所に固定されている場合が多いわ。もしくは、思い入れのある場所ね」
成る程。つまり……教室だな。
がら、と教室の扉を開けると、芹沢はなんと自分の席に座って、幸せそうに水着女子達を眺めていた。
さて、殴るか。
「待ちなさい。まだ勝手な行動はしないで」
芹沢へ歩き始めたところでポーターに止められた。なんだ、あれを殴ったら駄目なのか。
「あれはつまり宿主の心の核だから、攻撃を受けたら心にダメージを負うわ」
「なら殴ってもいいじゃねぇか」
俺は今、まさにそれがしたかったところなんだ。
「つ-かよ」
俺を制止しているところ悪いが、俺以外にも既に動いてるやつが居るんだが。
「ツキヒが芹沢を殴ってんのは止めなくていいのか?」
「待ちなさいって言ってるじゃないのおおおおおお!」
無言で芹沢を殴っていたツキヒを羽交い絞めにして、ポーターはなんとか芹沢の安全を確保した。
「なんなのこれホントなんなの! なんで天使見習いのあたしが人間を庇って、人間のあんたらが人間を傷付けてんの! おかしいでしょ!」
「どうでもいいのだけれど、叫ぶの辛そうだね」
「ほんっとどうでもいい! なんで無言で、無感情に人を殴ってんのよ! サイコ!? あんたら他人に無関心なうえサイコなの!?」
「俺達は善良なるただのヲタクだ。つか、どうでもいいなんてことはないだろう。俺にはお前が楽しそうに見えるぞ」
「あたしが楽しいんじゃなくてあたしを困らせるのを楽しんでるだけでしょうが!」
「はぁ? 何言ってやがる。そんなこと」しか「ねぇよ」
「今不自然なところに間があったのはいったい何かしらねぇえ!?」
「そんなに怒らないでよポーター。謝るから」
「あんたらが怒らせてるんじゃないの!」
「ごめんごめん。ところで、僕は芹沢君を殴るのに忙しいから、説明とかは後でいいかな」
「そもそも話を聞いてないじゃない!」
元気だな、こいつら。
「とにかくよ」
暴走しかけていたツキヒをなんとか止めたポーターはごほんと咳払いをした。
「ここがパーソナルワールド。そして、あの男の周りでピカピカ光ってるのが今回のピクシーよ」
「驚いた。あれは芹沢の心境を表した光じゃなかったのか」
「ピクシーよ」
幸せそうな表情にあまりにもマッチしてたもんだから、てっきりあれも心を具現化したものなのかと。
……待て、あの光ってんの、よく見たら宝生のスク水写真じゃねぇか。写真に羽が生えてパタパタ飛んでんぞ。
「ピクシーの姿形は色々あるわ。で、今回はああやって光の粒みたいになってるの。あれを全部処理すれば討伐完了」
俺はあの写真よりも芹沢に攻撃したいんだが……。
「で、倒し方はどうすればいい?」
ドサクサに紛れて芹沢も攻撃しよう。やる事はしっかりやるさ。やる気のある内に。
「物理攻撃も効くわ。でも、それだと効率が悪いから、こっちも心を具現化した武器で戦うの」
成る程、ピクシーに出来る事がある程度なら俺達にも出来ると。
「具体的には?」
「簡単よ」
そう言ってポーターは、「アクセス」と呟く。
すると、俺とツキヒの眼の前に光の筋が奔った。
それは徐々に形を成していき、最終的には武器のような形に。
光が消えると、そこには光が象っていた通りに武器が現れた。
俺の目前にはシンプルな日本刀。ツキヒの目前には骨を削って作ったみたいな弓。なかなかどうして中二心を揺さぶる組み合わせだな、とは思ったが、成る程、俺達の心を具現化した、というのは確からしい。
「これ、矢が無いよ?」
弓を眺めながらツキヒが問うと、ポーターはそれこそ簡単そうに答えた。
「構えれば出てくるわ。心を具現化した武器だから、初めてでもある程度使いこなせるはずよ」
ご都合的な設定だなおい。つーことは、弾切れとかが無いって考えて良いのか? だとしたら俺の日本刀も刃毀れが無いって考えて良さそうだが。
「というわけで、ちゃっちゃとピクシー退治よろしくー」
まるでピクニックで子供を野放しにする親のように適当な説明しかされてねぇ気がするんだが、まぁいい。これであの光を切ればいいわけだ。
刀を構え、一気に踏み込む。
そして一番近くにあった写真へ一閃。スパッと切れたそれは二つに分かれ、ばらばらになった後、霧散して消えた。
ツキヒのほうも弓矢を使いこなしたようで、俺が切った光の隣にあった写真に骨の矢が突き刺さった。
矢が貫通した光は骨と共に消える。
「うわ、本当に当たった」
「やるじゃねぇか」
「当然よ、そういう力なんだもの」
初っ端から調子が良いな、と余裕を見せた、その瞬間の事である。
「あああああああああああああああぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!」
突如、芹沢が悲鳴を上げた。
「ひうっ!」と喉を鳴らすように驚くツキヒ。
「うぎゃ」と男勝りな悲鳴を上げるポーター。
「あぁ?」俺だって驚いたが、それよりも間近で大声を出された事への不快感のほうが上だった。
「俺の妖精たんに、なぁあにをするんだぁぁぁぁああああああ!」
鬼のような形相で立ち上がる芹沢。成る程、これがこいつの心の声か。
「その妖精たん達は、プールの授業が無くて悶々としていた俺にせめてもの情けをかけてくれた優しい妖精たんなんだ! オアシスなんだ! それを……それを……。きぃさぁまああああああ!」
…………うぜぇ……。
「ちょっと藤枝! そいつはそいつの心なんだから切っちゃ駄目だって言ったじゃない!」
「安心しろ。峰打ちだ」
「ダメージ与えちゃ駄目なのよ!」
いいんだよ、これくらい懲らしめたほうが。こいつのためにもなる。
芹沢も攻撃してすっきりしたところで改めて残りのピクシーを確認。あと一匹だから、もう片付くだろう。
そして最後の一匹を俺が切り捨てるのと、ツキヒが放ったのであろう骨の矢が芹沢の腹を打ち抜くのは同時だった。
「……あ」
思わず漏れた声。これ、芹沢死んだんじゃね?
「ちょっと月島! あんた、何やってんのよ!」
「いや、でも、大丈夫だよ。ゾンビは頭をやらなきゃ死なないらしいし」
「あれはゾンビじゃないわよ!」
まぁ、急所でも無ければ死なないだろ。失血にさえならなければ問題は無いはずだ。
「ポーター。これで終わりなら、さっさと元の世界に戻せ」
言うと、ポーターは「まったく最悪の連中と契約しちゃったわ」とか言いながら頭を掻いた。
そして。
「シャットアウト」
そう唱えると同時に、俺達が居た世界は、元の世界へと戻った。
手に持っていた武器も消え、休み時間の平和な雑多を取り戻した廊下は、至っていつも通りだ。