隠蔽されたグラスハートⅠ
「それでは今から美味しくなる魔法をかけますのでぇ、私と一緒に、両手でハートを作って下さぁい」
おっとりゆったりした口調でそう言ったのは、俺達の席にスナックと紅茶を持ってきたメイド、カガミだ。
俺とツキヒはいつものように両手でハートを作る。が、いつもやっている事にも関わらず、やはりこの動作は緊張する。その緊張を誤魔化すために笑みを浮かべてみるのもいつも通りだが、如何せん表情筋が美味くコントロール出来ないため、どこか引き攣った笑みになってしまう。それはヲタクなら誰しもが解る事だろう。
「じゃぁ、行きますよぉ。美味しくなぁれ、きゅんっきゅん」
「「きゅん、きゅん」」
俺とツキヒのこれでもかという低い声で相槌を返し、そして、料理に魔法が掛かった。
「あらぁ? お嬢様、どうされましたかぁ? もしかして、体調が優れないのですか?」
小首を傾げたカガミの視線を辿ると、そこには死んだ魚のようにDHAが豊富そうな目をしたポーターが。
「いえ、違うわ。でも、気分が優れないのは確かよ」
「それは大変ですぅ、お薬お持ちしましょうか?」
「結構よ」
メイドに取るべき態度とは思えない素振りでカガミを突き放すポーター。この場の空気が読めないのは仕方の無い事だが、それにしたってこいつは露骨過ぎるだろう。
去り行くカガミを見送ってから、俺はひとつ、あからさまな嘆息をした。
「ったくポーター。さっきのが恥ずかしいってのはよく解るが、それでも俺達はカガミと同じ事をやったんだぞ。俺達を見習え」
「見習いたくないわ」
「俺達を見習わねぇと、カガミのように立派なメイドになれねぇぞ」
「なりたくないわよ」
相変わらずの死んだ魚アイでもって虚空を見つめるポーター。しかし突然精気を取り戻したかと思えば、俺を睨んできた。
「流石に今の行為は気持ち悪いわよ。いや、ほんとに」
「馬鹿な事を言うんじゃねぇ」俺は腕組みをして、ポーターを睨み返した。「気持ち悪いのはあの行為じゃねぇよ。俺達自身だ」
「良い事言ってるみたいな口調で言う台詞じゃないわよね、それ」
「お前はまじでなんも解ってねぇんだな。いいか、ヲタクってのはな、まずは自分達が社会的に疎まれがちな趣味を持ってるって事を自覚するところから始めねぇといけねぇんだ。そうしなきゃ、立派なヲタクになれねぇぞ」
「なりたくないんだけど」
「そうなのか?」
きょとん、とした素振りを作ってみせて、なるだけ純粋そうな瞳でポーターを見つめると、ポーターは露骨に顔を逸らす。
「……別にあたしは、そういうのには興味無いわ」
そういうのってどういうのだ、なんてありきたりな尋問をするつもりは毛頭無い。別に俺は、こいつに何を言わせたい訳じゃないんだ。
「そうか。違うのか。俺はてっきりポーターなら――ピクシー処理をしてくれる人材を探し回って挫折した時に現実逃避として二次元を嗜んでたポーターなら、俺達の気持ちを理解してくれると思ったんだがなぁ」
「え? は? ちょ、ま、え、な、ななななななんで知って――違う! そんなわけないじゃない何言ってるのぜんぜんあたしはあたしであって天界っていう超次元軸から来たあたしだから二次元とか一次元とか全然これっぽっちも知らないし何よりもあたしは天使見習いなんだから二次元じゃないわよ! だからあんたが何言ってるのか全然解らないわ!」
「おう、俺も今、びっくりするくらいお前が何を言ってんのか解らんなかった」
動揺し過ぎにも程がある。
「まぁポーターが何をどう好いてようが関係ねぇ。気持ち悪かろうと関係なく、とりあえず今は、状況を整理するぞ」
言って、一先ず落ち着くために紅茶を一口啜る。
ダブル~グラスは会員制になっており、初来店時にメルマガ登録するかカード会員になる必要がある。客のほうが一方的に店の情報を知るのではなく、店のほうも客の情報を握ることで、ある種の信頼関係を築くためだろう、と俺は考えている。
そのメルマガに登録している俺とツキヒの元には、定期的にメイドさんの情報や、メイドさんの日記的な呟きが載せられるのだが、それには勿論カガミの情報も入っており、そこからカガミという人物がどういう人物としてダブル~グラスで働いているかを知る事が出来た。
それを元にしたカガミというメイド喫茶店員の情報はこうだ。
メガネに度は入っておらず伊達だが、生まれつき目が弱いため、紫外線カットのための色無しサングラスとしてメガネを着用しているとの事。真偽は不明。
十七歳(今年で十八歳になる)高校三年生である事。これは、パーソナルワールド内でのシフト表が真偽を証明している。金土日の三日だけ、しかも金曜は夕方から仕事をする、というのは、典型的な学生アルバイトのそれだろう。
身長、体重、スリーサイズも書かれていたが、まぁあれは嘘だろう。それに、ピクシー攻略には不要な情報だ。
兄弟姉妹は居らず、一人っ子で、親はあまり帰ってこないらしい。性格は内気でナイーブ、と紹介文には書かれていたが、どうだろう、あの接客態度からはそうは思えないがしかし、接客はある意味での演技だ。接客時の人格がその人となりとは、思わないほうが良いだろう。
つまり、はっきりと解っている事はカガミという人物が高校生だという事。俺達のひとつ年上だという事だけだ。本名すら知らない。なら、何も知らないと言っても過言ではないだろう。
「こういうサービス業じゃ、ストーカーだなんだは命取りの問題だろうからな。個人情報は隠蔽されてしかるべきだろう」
と、紅茶を飲みながら言うと、ポーターが眉を潜めた。
「アイドルみたいなもの、ってことかしら」
「だな」
芹沢、朝間、宝生の時は、やつらの情報を簡単に調べる事が出来たし、なんなら調べるまでもなく知っていた面も多い。だが今回は違う。調べる事は出来ないし、そもそも彼女を知らない。
となると、やはりカガミの事を知らなくてもごり押しの力技でピクシーを処理するしか無かったのだが、それは手詰まりだったと言っていいだろう。なにせ、店内にはカガミすら居なかったというのに、店内から出られないのだから。
「ならどうするのさ」
と、スナックを摘みながらツキヒが聞いてくる。
「ツキヒがカガミを口説く」
「まぁ、無理だね」
笑顔で解りきった対応をされた。
「そりゃそうだろうが、口説く以外にカガミの中に居るピクシーをどうこうする手段があるか? ポーターは何か案ないか」
「無いわ」
「せめてちょっとは考えろ」
まじで無能だなこいつ。
「少し時間をやる。五分以内に策を考えろ。俺も考える」
そして、俺達は黙った。
方法。個人情報を知る方法には何がある?
一、ネットや公共の場にある情報を見る事。
二、本人もしくはそいつと近しい人間から聞く事。
三、ストーキングもとい観察をする事。
四、仲良くなって接する事。
以上。
なら、これらの中で実行可能なものはなんだ? 実行出来ないものは何故実行出来ない?
まず一に関しては、それで集めた情報が先述した通りの程度のものしか無い。既に実行した後だ。あの情報がこれ以上更新される事は、おそらく無いだろう。
二に関しては実行可能だろう。不可能ではないはずだ。店長やら本人やらと信頼関係を築いて、雑談に混ぜて聞き出す事は可能なはず。だが、そうやって聞き出した情報は確かな情報では無いと考えて良いだろう。
三は論外だ。犯罪を犯してまでピクシーを処理するのは、メリットとデメリットが不釣合い過ぎる。
四は二と大差無いだろう。むしろ二の延長と言える。
俺に考え付くのはこれくらいか。
まぁ、実際はあともうひとつ候補があるっちゃあるが、それは考えるまでもなく実現不可能だから除外しよう。
さて。
「何か思いついたか」
問うと、ツキヒとポーターが頷いたため、ちっとばっか関心した。こいつらもちゃんと考えていたらしい。俺はてっきり、「なんであたしがそんな事考えなきゃいけないのよ」なんて舐めた逆上をされると思ってたんだがな。
「なら聞こう。まずはツキヒからだ。カガミの情報を知るために、お前ならどうする」
問い掛けに、ツキヒは自信満々に答えた。
「トウギの指示に従う」
「この無能が」
なんも考えて無かったわこいつ。その自信満々な表情を箸で突き刺すぞ。
「ポーター。お前ならどうする」
「そうね、あたしならまず殴るわ」
「それは俺達が警察から話しを聞かれるだけだ」
「そうならないために、カガミって子が気絶するまで殴るの。そうすれば、通報されないじゃない」
「お前、本末転倒って言葉、知ってるか?」
話を聞こうとしてるのに相手を気絶させてどうすんだよ。
「ったく……まぁいい。お前らには最初から期待してなかったしな」
適当に言って、紅茶のカップを手に取る。
「なら、トウギだったらどうするのさ。トウギは何か考えたの?」
「当たり前だろうが」
「じゃあ言ってみてよ」
「――諦める」
「一番駄目じゃないか!」
「考えてみろツキヒ。俺達が今以上にカガミとの距離感を縮めるためには、まず客と店員って立場をなんとかしなきゃなんねぇ。そうするためには、学校が同じってわけでも家が近いってわけでも無い俺達は必然的に、カガミと店外にて知り合いになる必要がある。……つまり、ナンパしなきゃなんねぇって事だぞ」
「待ちなさい、話に着いていけないわ。どうしてカガミってのと仲良くなるために海で遭難しなきゃいけないのよ」
「てめぇは一生その話題でさ迷ってろ」
「はぁ!? うっざ! なにそれわけわかんないんだけど!」
一番わけが解らんのはお前のボケだ。放っておこう。
「なんぱ……か」
ふと、ツキヒが顎に手を当てて考えていた。どうやら、俺が出した案が実行可能かどうかをツキヒなりに模索しているようだ。
そしてその答えが出たのか、ツキヒは下げていた視線を上げる。
「――ならまずは、簡単に沈みそうな船を用意しなくちゃいけないよね」
「――お前は自殺願望でもあるのか?」
難破の話なんか誰もしてねぇよ。しかも実行可能みたいな清々しい表情がむかつく。
「ようはカガミを口説いて、リアルの知人にならにゃならんって事だ。そんなことが俺とツキヒに出来ると思うか?」
「無理に決まっているじゃないか。僕をなんだと思ってるの?」
「だろ? 俺だって女を口説くなんて出来ない。なにせヲタクだからな」
「あんたら自分で言ってて悲しくなんないの?」
ポーターが何か言ってたが、自分で自分が悲しくなるようなヘマを俺がするわけないだろ。
「ようは仲良くなれば良いだけじゃない。簡単よ」
「ほう? ならポーター。お前ならカガミと仲良くなるためにまず何をする」
「そうね、まず、アクセスしてデスサイズを取り出すでしょ?」
「初っ端から仲良くなる気が皆無だな」
「それで、その刃を突きつけてこう言うの。『お前は既に死んでいる』」
「既に切ってんじゃねぇか」
殺してどうすんだよ。つーかなんで天使見習いのお前がそのネタを知ってんだよ。
「あんたら人間ってそういうの好きでしょ? 死んでから知るその人の大切さ、みたいなな王道的展開」
「お前人間ナメ過ぎだろ」
確かに失って初めて知るその人の大切さってのは魅力的な展開だが、片方が一方的に相手を殺す展開を王道的とは言わない。非人道的と言う。
「俺達が知りたいのはカガミの大切さじゃなくて、カガミの情報だ。それじゃ全く意味が無い。つーわけでポーターはしばらく黙ってろ」
「…………」
機嫌を損ねたらしいポーターは唇を尖らせ、何かをぶつくさ呟きながらもちゃんと黙った。
「あ、思いついたよ、カガミさんの事を知る方法」
「よし、ツキヒ、言ってみろ」
「仕事が終わった後のカガミさんの後を着けてみる、ってどうかな」
「もうお前も黙ってろ」
二人揃って使えないにも程がある。これじゃまじで埒が明かない。
俺は、気付かないうちに最後のひとつとなっていたスナックを手に取り、口に放り込む。そして乾いた喉を紅茶の最後の一口で潤してから言った。
「まぁ、カガミがこの店を辞めない限りはいつでも会えるんだ。即効性のある手段が使えない以上は、じっくりやろう」
つまり、今日はここまで、ということだ。
学校にでも行けば、女と仲良くためにどうしたらいいか、という策を無条件で考えたり教えたりしてくれそうなやつに心当たりもあるからな。