出来るか出来ないかではないというお話ノ弐
一時間後。
「こ、ここは……」
人の流れが絶えない繁華街にて、ポーターが呆然と呟いた。流石のポーターも、この光景には驚かざるを得ないらしい。
「紹介しよう。ここは、俺達の心のふるさとだ」
得意気に胸を張り、そう説明するトウギ。
心のふるさと。言いえて妙だ。この場所ほど安らぎを得られる場所は、僕らには無いだろう。
そう、僕らは今、秋葉原に来ていた。
「ふるさとって……ここ、ヲタクの聖地じゃないの」
呆れた面持ちで、文句ありげにトウギを睨むポーター。
トウギは一度鼻で笑って、空を指差した。
「そう、聖地だ。俺達ヲタクを産んだ場所と言っても過言ではないこの場所はやはり、俺達のふるさとと呼ぶに相応しい場所だろう」
トウギはやはり良い事を言う。
「それでトウギ。これからどこに行くの? 正直、今日アキバに来る予定とか無かったから、あんまりお金無いよ?」
小遣い日も、やってるのかどうかもわからないほど休みまくってるバイトの給料日もまだ少し遠い。金欠とまでは言わないけれど、それでも潤っているわけでは無いのだ。あまり無駄遣いは出来ない。
「どこって、決まってるだろうが。メイド喫茶だよ」
当たり前のように言って、トウギはそのまま歩き出した。
メイド喫茶か。喫茶店としては比較的割高だけれど、その分他の喫茶店には無い魅力が山ほどある場所。売っているのは飲食物ではありません。夢です。
「あんたらまさか、天使見習いであるあたしに、そんな低俗なものを真似しろって言うんじゃないでしょうね」
まるで仇でも見るような目でポーターが睨んできたけれど、その発言でポーターは僕らの仇と化した。
「低俗……? 何を言っているのさ、ポーターは」
僕は哂った。
「メイド喫茶のメイドさんは、人に夢と希望と癒しを与える、誇り高き仕事だよ」
「あんたらほんときもいわね」
ポーターの意見とかどうでもいいです。
ともかくとして到着したのは『ダブル~グラス』というメイド喫茶だ。
「トウギ。君はやっぱり、良い場所をチョイスするね」
「当たり前だろツキヒ。俺をなんだと思ってやがる」
「とか言いながらにやけるのやめなさいよ。二人ともきもいわよ」
ポーターがつまらない事を言っていたけれど、トウギはそれに対しては何もコメントせず、ポーターの肩を叩いた。
「良いか、ポーター。これからお前は、奇跡を見る事になる」
「奇跡的なまでのきもさなら既に見たわよ」
「気を引き締めろよ、ポーター。お前のメイド道の第一歩は、ここから始まる」
そして、純和風の外装の扉をトウギが開けると、「お帰りなさいませ、ご主人様」という定番故に王道故に僕らを満たしてくれる歓迎の言葉が。
そう、僕らは帰って来たのだ。浴衣をモチーフにした純和風なメイド服に、華美過ぎない落ち着いた髪型。満面の笑みを浮かべ、全員がメガネ着用のここ、ダブル~グラスに、ご主人様として。
だから僕達は、ご主人様として、メイド達にはこう返さなければならない。
「「……ただいまぁぁ」」
「奇跡的なまでに緩みきった表情ね!」
ポーターが驚愕していた。メイドさん達があまりにも可愛いせいだろう。僕も初めて来た時は「メイド喫茶のメイドさんって、アニメでは皆可愛いけど、現実はそうじゃないでしょ」と思っていたけれど、とんでもない。
少なくともここダブル~グラスは、和服とメガネが似合う可愛い女の子しかメイドさんになれない。ここで可愛いと思えないメイドさんを、僕は見た事が無いのだ。
中でも、
「一ヶ月ぶりのお帰り、お待ちしておりましたぁ」
と、四人居るメイドさん達の中から一歩前に出て、赤渕メガネのメイドさんが僕達の前に立った。前に出る時に一度躓いて転びそうになっていたけれど、これはこの子のご愛嬌。躓き慣れた彼女は簡単には転ばず、むしろ躓いてなんていないとでも言い出しそうなほどに堂々と胸を張る。その胸元には『カガミ』とカタカナで書かれたネームタグがあった。
「今日は、お嬢様もご一緒ですかぁ。お久しぶりです、お嬢様」
ちなみに、このメイド喫茶では初来店と思わしき相手にはお久しぶりと言っているらしい。
「久しぶりも何も初めて来るわよ」
情緒もへったくれも解ってないこのお馬鹿さんはそんな事を言っていた。
「いいから、ポーターは少し見てて」
空気を壊されてはたまらないから、僕はそう警告して、そのメイドさんに案内されるまま、席へ着いた。
そこで僕は店内を見回し、
「今日はあんまりお客さん居ないね」
と、呟いた。呟いてしまった、というべきかもしれない。一ヶ月前に来た前回まではほぼいつも満席だったから、半分以上の席が空いている、というのが不自然に思えたのだ。ここは結構人気の場所……の、はずである。
「今日はご主人様達が忙しいみたいなんですよぉ」
と、メイドさんは苦笑して、人差し指でくい、と、少し大きめのメガネの位置を直す。
「ご主人様達は今、パイ投げ仮面舞踏会に向かわれてるのでぇ」
「もう既に秘密を守れてないね、その仮面舞踏会」
仮面舞踏会って誰が誰か解らなくするために仮面するんだったよね、確か。なんか色々と詰め込んだ結果カオスになっているけれど……。
「あ、お水持ってきますねー。お水? いえいえ、魔法のお水です」
結局水じゃん。というツッコミは、可愛さに免じてしないでおいた。
僕らに背を向けるメイドさん。
かわいいなぁ、と、やっぱりにやけてしまう。
半年前まで、僕とトウギは色々なメイド喫茶を出入りしていた。行き付けが無かったのだ。でも半年前にここダブル~グラスでこの子を見つけた途端、ここが行き付けとなってしまった。
この子はとにかく可愛いのだ。自然な黒髪というのは勿論、お団子ヘアーがここまで似合う子はそう居ないと思う。
絶世の美少女、というわけではないかもしれないけれど、和服調のメイド服は勿論、何よりあのメガネが反則的だ。ポーターの日常破壊兵器じみた天然ボケと違って、天然レベルも適度で、今も持ってきてくれた水がトレーの上で少しだけ零れていた。バランスが取れなかったんだね。
「それにしても今日は、やっぱ暇なのか?」
と、トウギが辺りを見回しながら、そのメイドさんに尋ねた。
メイドさんは露骨に顔を逸らし、何度も何度もメガネの高さを調整し出す。
「いえいえいえぇ、まさかそんな。私達メイドは今、メガネの位置を整えるのに大変忙しいですよぉ」
「暇そうだな」
「私達メイドはメガネ拭きも怠れないですぅ」
「あはは、それってメイドさんじゃなくても言える事だよね」
楽しくて笑ってしまった。対してメイドさんも嬉しそうに笑って、片手でトレーを抱きかかえ、首を傾げて、トレーを持ってないほうの手を小さく振ってくる。
「食べたい物が決まった頃に、また来ますねぇ」
ゆったりとした口調で言って、メイドさんが席から離れていった。接客中、笑う時に首を傾げる仕草も完璧。まさにメイドオブメイド(アキババージョン)。
その子が離れていくのを確認して、トウギは腕組みをし、ポーターを見た。
「解ったか、ポーター。あれが正しいメイドのあり方だ」
とのこと。
しかしトウギも、即興で考えたにしては大胆な作戦に出たものだ。ポーターにあのメイドさんを見せている内に、僕らはメイド喫茶の空気を楽しもうっていう一石二鳥の作戦。流石トウギである。
なのに。
「あんたら、ピクシー退治やる気あんの、ないの、どっちなのよ」
なんておかしな事を、突然、ポーターが口走った。
「…………ポーター? それはいったい、どういう意味、かな……?」
恐る恐る尋ねると、ポーターはさっきのメイドさんが去っていったほうを見つめたまま、こう言った。
「――さっきの子、ピクシーが入ってるわよ」
「よっし、帰るかツキヒ」
「アニメイトにも寄ってきたいしね!」
「待ちなさい」
立ち上がった僕らの首根っこを掴むポーター。そんな殺生な……。
「聞いてないよポーター折角メイド喫茶に来たのにピクシー処理しなくちゃいけないなんて!」
小声で叫ぶという器用な業を僕は身に着けた。
「言ってないもの。仕方ないじゃない、居るなんて知らなかったんだし」
「だからって、だからってこんなのはあんまりだ! 僕達はメイドさんにニヤニヤしにきただけなのに!」
「あら? ここにはあたしにメイド道がなんたるかを叩き込むために来たんじゃなかったかしら?」
「そんなの建前に決まっているじゃないか!」
「一週回ってかっこいいまでに開き直ったわね」
とはいえどんなに文句を言おうと、店内に入ってしまった事に変わりは無いし無かった事には出来ない。まだ何も注文はしていないし、少なくともここはただの水でお金を取ったりしないし、席料金とかも取らないから「やっぱり帰る」事も出来るけれど、それをしてしまうと次またここに来難くなってしまう。
取り乱した僕はそこで、店内のお客さんの視線がこっちを見ている事に気付いた。
「ご主人様、どうかなさいましたか?」
さっきとは違う真面目そうなメイドさんが声を掛けてきて、目立ち過ぎた事にもやっと気付く。やばい、これは恥ずかしい。
「いや、なんでもない」
取り繕ったトウギが言って、席に座りなおした。僕も同じようにトウギを真似るけれど、気持ちとしては逃げ出したい気分だ。
僕らを心配か警戒していたメイドさんも「そうですか。何も無かったなら良かったです」と言いながら、僕らから離れた。
「そんなに取り乱さなくて良いじゃない。ピクシーが居るなら処理すれば良いだけなんだもの」
と余裕ぶったポーターが言う。
確かにポーターの言う通りだ。今まで三人の宿主からピクシーを処理したけれど、別に全てが大変だったわけではない。いや、三人中二人が大変ではあったけれど、絶対に全てのピクシー処理が重労働、というわけでも、多分、ないはずだ。
「それもそうだね」
思い直してみれば働きたくない一心で取り乱してしまったけれど、まだあのメイドさん、メイド名カガミさんの中のピクシーも確認していないのだから、取り乱すのはまだ速かった。
……そう思ったのは、僕だけだったらしい。
「そう簡単に行けばいいがな」
と、苦々しい表情を浮かべてトウギが呟く。
「どういうこと?」
聞くと、トウギは二人のメイドさんが立っているカウンターのほうに視線を運ぶ。そこにカガミさんは居ないけれど、メイドさん達のほうを見ろ、との事らしい。僕もそっちを見た。
どうやら片方は新人のメイドさんらしい。さっきの真面目そうなメイドさんがどこかおどおどしているメイドさんに何かを教えていた。
あの真面目そうなメイドさんはここの店長で、僕も何度か接客を受けているけれど、もう一人のおどおどしているほうは初見だった。
「……アキバのメイドとはいえ、一応仕事だからな」
意味深な事を呟いて、けれどそれについては解説も何もしないまま、頭の後ろで手を組んだトウギ。そのまま簡単そうに
「とりま飲み物だ。アールグレイで良いだろ」
と確認してきた。
「僕はなんでも」
「あーるぐ……何語よそれ」
別に紅茶に詳しくない僕らは、定番的なものを適当に注文するだけだ。ここは紅茶だけでも複数種類があるのだ。
そしてトウギが注文するために手を上げようとしたところで、
「お決まりですかぁ?」
と、どこからともなく赤渕メガネメイドのカガミさんが現れた。メガネの向こうにある楽しそうな瞳がまぶしい。
「ああ、いつものを三つ」
「畏まりましたぁ」
簡単なオーダー。僕らが常連だから「いつもの」が通じるんじゃなくて、「いつもの」というのが、紅茶一杯と軽食セットの商品名であり、ここダブル~グラスの看板メニューなのだ。
そういう定型的なやり取りをして、カガミさんが後ろを向いた瞬間、トウギがさり気無く、それこそトイレに行くために立ち上がろうとしているかのように、テーブルの下から足を伸ばした。カガミさんの影を踏むためだ。
そして。
「コネクト」
満を持して、トウギが小さく呟いた。