出来るか出来ないかではないというお話ノ壱
長所を磨くという事がどれ程素晴らしい事か。そんなのは議論するまでも無い事で、そもそも長所というものが存在している時点で誇るべき事だと思う。
僕のように取り得が皆無な人間よりも、何かに秀でているのであれば、それが例え社会的に見て不利益なものであろうと、とにかく素晴らしいということだ。
例えばおもてなしの心。ホスピタリティー。接客の心意気。
普通に考えれば接客が得意というのは何事にも変えがたい、尊い特技だ。しかし一流レストランと近所の居酒屋で求められる技術は全く異質の物であるように、接客の中でも社会的に疎まれるジャンルというものが存在する。
そのうちのひとつがこれだ。
「お帰りなさいませ。ご主人様」
フリルがチャラチャラと着いたメイド服を身に纏った少女が、そう言いながら赤渕の眼鏡を掛け直した。中指でブリッジを押す仕草にさえ洗練を感じるような、一挙手一投足が綺麗な少女。ピンク色の髪の毛は柔らかそうで、閉じた扉によって起きた小さな風で靡いている。
「……た、ただいま」
なんとか声を振り絞って答えるけれど、声が淀んでしまった。僕はマイホームに帰ってきたところだというのに、どうしてこんなに緊張してしまうのだろう。
「ご飯が出来ているますわ」
無愛想にそう言って、僕に背中を向けるメイドさん。僕はその後に続きつつ、制服のネクタイを緩めた。
だが、リビングから漂ってきた香ばしい匂いを嗅ぐと、ネクタイを締めろと本能が叫ぶ。自殺衝動というやつだ。
その香ばしい匂いを一言で表すのであれば、異臭。二言で現すならばとてつもない異臭。もしくは焦げた匂い。三言で現すならば、もはや死にたいレベル。
リビングに入るとそこは、悲惨な状態だった。
テーブルの上は真っ黒だ。上に置かれたお皿が真っ黒だったのではない。テーブルの上が真っ黒だったのだ。
それはおそらく、焦げた料理をテーブルの上に運ぼうとした際に溢してしまったのであろう痕。テーブル全体がそれ一色になって尚も溢したという言葉で済むのかは不明。
ゴミ箱へと目を運ぶと、割れたお皿が何枚か見えた。
ごくり、と息を呑み、台所を確認。我が家にあるであろうありとあらゆる調理器具が流し台に放り込まれていた。
テーブルの下には何故か大量の洗濯物。黒い水を吸って一箇所に固まっている。多分、お皿から溢れた何かを拭こうとしたけれども拭くものが見当たらず、仕方なく洗濯物で拭いたのだろうと思う。
びしょ濡れになった掃除機が転がっている。
掃除しきれなかったのであろう割れたお皿の欠片が落ちているのも見えた。
蓋付きのゴミ箱。その蓋が閉まらなくなっている。
そうか。ここが地獄か。と、僕は悟った。
そして。
「さぁ、早く食べなさいませ」
彼女は地獄の門番。いや、地獄の創造者。
その地獄が僕の家。
無理矢理座らされた僕。無理矢理食べさせられる黒い塊。料理のはずなのにたまに布のような食感がしたのは何故だろう。
咀嚼数およそ二十回。
そこで、僕の意識は途絶えた。
人を貶めるためのおもてなしは、流石に長所とは言えないよね。
薄れ行く意識の中で僕は、そんな事を思った。
「――酷すぎると思わない!?」
土曜日の朝。金曜の夜にあった事をトウギに話した。僕の部屋で、僕が録ったアニメを見ようとしている時の事だ。
トウギというのは僕のヲタク友達で、本名は藤枝孝一郎という。運動神経も思考能力も高い、無駄にハイスペックな糞野朗の事である。
「そいつぁ確かに酷いな」
トウギはテーブルを肘置きにして、アニメを流す画面から目を離す事なく、適当に相槌を打った。
「その後、母さん達が帰って来る直前に目が覚めたのだけれど、その片付けをやったのは僕だったんだよ!? その間メイドもどきは何をしてたと思う? 僕の顔に落書きしてたんだよ!? そもそも片付けをして余計に散らかすっておかしいよね!」
あのメイドもどきときたら、僕が片付けた端から散らかしていくという暴挙まで働いてみせたからね。違うよ、片付けはこうやるんだよ、って教えようとしても「あたしはあたしのやり方を貫くわ!」なんて口調だけはかっこよく決めるもんだから、僕も泣く泣く諦めたけどさ。
「仕方ないじゃない」不機嫌そうに口を開いたのが、問題のメイドもどきだ。「天使見習いに片付けっていうスキルは搭載されてないんだもの」
天使見習い。それが彼女の称号。というより、立場、というより……なんなんだろ、この子。サポーターという名前の天使見習いなのだけれど、如何せん僕も彼女の全てを把握しているわけではない。
とにかく、彼女は人間じゃない。今は訳あって僕の家に居候している。その代わりにと家事をやろうとしてくれたのは良いのだけれど、彼女に家事スキルは皆無だった。先日のような惨劇は、実の所初めてでは無い。
「この間は洗濯機に洗剤入れすぎて溢れさせるし」
洗面所どころか廊下まで泡まみれになってたからね。
「仕方ないじゃない。まさかあんな小さな箱にあれだけの泡が隠されてたなんて思わないもの」
「だからって一箱全部入れるのはどうかと思うよ」
「一箱丸々入れてはいけませんって書いてない会社が悪いわ」
「専用のスプーン一回分だってしっかり書いてあったからね。確認しなかったポーターが悪いよね」
「説明書をちゃんと読みなさいって書いてないのが悪いのよ」
「よしんばそれが書かれてたとしてもポーターはそれさえ読まなかったよね」
というかそもそも『用法要領をお守り下さい』的な事が書かれてたはずだからね。
「うっさいわね」ポーターは長いピンクの髪をさらりと靡かせてから続けた。「そもそもあたしに家事を任せたあんたが悪いのよ」
「尊敬する程の責任転嫁された!?」
「責任は責任者が取るものよ」
「家事をやるって言い出したのはポーターじゃないか!」
というかここに居候する事さえポーターが勝手に決めた事だったはずだ。それなのに僕が責任者というのは、些か理不尽に思える。
「女々しい男ね。そんなんだからあんたはいつまで経ってもツキヒなんていう女みたいなあだ名なのよ」
「貶し方が雑……」
これはもう溜息を吐くしかない。月島久志という名前に対しても全国のツキヒというあだ名の人にも失礼だ。ポーターの理不尽さからは一切のホスピタリティーが感じられない。こんな彼女がメイドの真似事なんて出来るはずが無かったのだ。
「それにね、ポーター。たった一週間で洗濯機と掃除機と炊飯器を壊しているんだから、そろそろ自分のやり方が間違えているんだって気付いても良いんじゃない?」
僕が思うに、生活に必要な便利道具達の代表を次から次へと壊している気がする。
しかしポーターはむしろ堂々とした立ち姿で言った。
「甘いわね。ちゃんとあんたのお父さんのアイパッドも壊したわ」
「ポーターは二度と掃除をしないで!」
反省の色が全く無いというのが恐ろしすぎる。しかもちゃんとって……。
「どうでも良いんだがよ、ポーター」ふと、トウギが溜息混じりのめんどくさそうな声で言う。「お前、メイドになりたいっつう願望でもあんのか?」
本当にどうでも良い質問するな、こいつ。
「何言ってるのさトウギ。ポーターはこんな性格なんだよ? 人を癒すのが仕事であるメイドさんになりたい、なんて、この子が思うわけないじゃないか」
「はぁ? 月島こそ何言ってんのよ」不機嫌そうに唇を尖らせるポーター。「あんたあたしの何を知ってあたしを語ってるの? 勝手な言を言わないで欲しいわ」
「掃除の結果を見て語ったんだよ」
あんな掃除をするような人間が、ちゃんとメイドさんをこなせるわけが無い。
しかしポーターは不服そうに目を細め、腕を組んでから言った。
「あんなのはまだまだ序の口よ」
「解ってないのは日本語? それとも会話の流れ?」
あの掃除の悲惨な結果が序の口なのだとしたらこれ以上ポーターに掃除用具を触らせるわけにはいかない。ポーターにその自覚があっての発言だとしたらポーターの人格が危険域だ。……ポーターが人間じゃないせいか、非人道的な思考を抱いていても違和感とかは無いからね。余計に怖い。
「とにかくだよトウギ。ポーターは掃除はしようとするくせに、雑巾の在り処すら知らないような状況なんだよ。雑巾がある場所を教えようとしても、『あたしはあたしの(以下略)』で聞いてくれないし」
そんなやる気の無いポーターが、メイドさんになりたいなんて願望を抱いているわけがない。
トウギはようやくアニメの画面から目を離し、「だがなぁ」と、僕を見てからポーターを見た。
「俺にはポーターが、掃除を楽しんでるように見えたぜ?」
「違うよトウギ。ポーターが楽しんでたのは掃除じゃなくて破壊だよ」
父さんも母さんも「そろそろ変え時だったから、大丈夫だよ。次からは気を付けてね」と言うだけだったけれど、僕の家にある機械は半分近く破壊されてるんだよ?
「ほんと、あの壊しっぷりは破壊神と呼ぶに相応しい壊しっぷりだからね」
「ふざけた事言わないで欲しいわね。破壊神じゃなく破壊天使と呼びなさい」
ポーターはそう呼ばれて嬉しいのだろうか。
「こんな事を言っている時点で既にメイドとは程遠いよ」
「だな」
トウギも納得してくれたようで、どこか白々しい態度で頷いていた。
「で、結局そこのメイドもどきはどうしてそこまで掃除に拘るんだ?」
それがそんなに重要な質問なのか、再三聞きなおすトウギ。ここまで執拗に聞くのならこれ以上横入りするわけにもいかない。僕は黙ってポーターのほうを見た。
僕とトウギの視線を浴びたポーターはどこか誇らしげに胸を張り、人差指を立てて答えた。
「あたしは超有能な天使見習いなの。そんな超有能な天使見習いであるあたしはね、気付いたのよ。あんたらがアニメとかゲームとかに浸らなくても二次元を求める欲求を解消する事が出来たら、ピクシー処理がもっとスムーズに行な」
「聞く必要のねぇ事だったわ」
「そうだね、アニメ見ようか」
「聞きなさいよ!」
ブルーレイの電源を入れようとした指を止められた。
「あんたらがしつこくアニメアニメ言うから、ならアニメによく出てくるメイドさんにあたしがなって、その欲求を満たしてあげようとしてるんじゃないの。感謝しなさい」
早口でまくし立てるように言われたところ悪いけれど、どうして生活に必要な炊飯器、洗濯機、掃除機を壊された僕がポーターに感謝しなければならないのか、という話しだ。
ポーターは息を荒げながら僕とトウギを交互に睨む。なんでそんなに必至なのさ。
「解った解った。お前の言いたいことはよーく解ったから、とりあえずどけ」
適当にあしらうように言うトウギ。冷たい反応のように見えるけれど、非常識な事をしているのは間違いなくポーターのほうなのだから、むしろ当たり当然の対応と言えるだろう。
「どかないわ。あんたらには精力的にピクシー退治をしてもらわないと困るの」
「そうか。俺は困らん」
即答するクズなトウギがかっこいい。僕も続こう。
「ねぇポーター。前も言ったと思うけれど、僕とトウギは三次元で過ごした倍の時間は二次元に浸らないと、癒されないんだよ。このまんまじゃ僕達には穢れが溜まっちゃう。だからアニメを見せて」
「あんたらはもう真っ黒に汚れきってるから手遅れよ」
酷い言い草である。
「アニメなんていつでも見れるじゃない。それこそ、ピクシー退治しまくってあたしが天使になって、あたしの力で大金持ちになれば、一生働かずにアニメ見放題なのよ? 魅力的だと思わないの?」
未だ駄々を捏ねるポーター。けれどその言い分には一理ある。天使見習いたるポーターはピクシーを処理しまくる事で天使になれる。そしてポーターが天使になったあかつきには、天使ポーターが直々に願いを叶えてくれるというのだ。
確かにそれは魅力的だ。ヲタクのみならず、誰もが一度は憧れるシチュエーションだとも思う。
でも、
「残念だな、ポーター」と、トウギがやけに澄ました声で言った。「俺達ヲタクはな、将来の事なんて考えないんだ」
「それはただのクズじゃないかしら!」
ポーターはそれっぽい事をツッコんでいたけれど、やはりトウギの言い分が正しいと思う。
いや、勿論、全てのヲタクが将来の事を考えていないとは思わない。将来の事を考えているヲタクも居るだろう。でも、本気で将来を憂う事が出来るのなら、引き篭もるほどのヲタクにはならないとも思うのだ。
「ったく、埒が明かねぇな」
と、「どうしたらあんたらは精力的にピクシー処理をしてくれんのよ」などとほざいているポーターを尻目に、トウギが呟いた。
「この日常破壊兵器、なんとかならない?」
ポーターには聞かれないようにトウギに耳打ちすると、しばしトウギは考えた。
「……しゃーない。ちっとばっか面倒だが、こいつを黙らせつつ俺達が二次元を楽しめる方法がひとつある」
「え、なに?」
「まぁ見てろ」
そしてふと、トウギはわざとらしくため息を吐いた。
そのため息に反応したポーターがぴくりと肩を強張らせ、少し警戒した様子でトウギを睨む。
「なによ」
怒られるとでも思ったのか、唇を尖らせるポーター。
「ポーター。お前は言ったな。俺達がアニメを見ずともゲームをやらずとも二次元に浸らせるために、自分がメイドになるんだと」
「……言ったわよ」
「つまりお前は、俺達をアニメ達の代わりに癒そうとしたわけだ」
「ええ、そうよ」
尋問じみた応答を進めるトウギ。事実これは、なんらかの誘導尋問なのだろう。
「お前さ、そのメイド知識、どこで覚えた」
「どこって、あんたらがよく見てるアニメじゃない」
「成る程な。それでお前は、天然メイドキャラがよくやるドジを踏んでたわけだ」
そのトウギの言葉を聞いてハッとした。そういえば確かに、ポーターがやるドジは大抵、どこぞの天然キャラがよくしでかすボケに近いものがあった。下手糞な料理とか、余計に散らかる掃除とか、テンプレだ。
「は? なに言ってるのよ、あたしはちゃんと普通のメイドしてたじゃない」
ポーターから普通という言葉が出てくるとは思わなかった。僕は思わず度肝を抜かれる。思わずじゃなければ度肝なんて抜かれないだろうけど。
「まぁなんにせよ、ポーター。お前が抱いているメイド知識は、間違えている」
ビシッと、トウギはポーターを指差した。
「なんですって?」
眉を潜めるポーター。指摘されてご機嫌を損ねたらしいけれど、構わずトウギは続けた。
「いいか、メイドってのは一朝一夕で身につくもんじゃねぇ。もっと崇高なもんなんだ。俺達をメイドとして癒そうってんなら、まずは修行して貰わないといけない」
そう言って、トウギが怪しい笑みを浮かべた。
「修行……?」
ごくり、と、ポーターが生唾を飲む。
そしてトウギは堂々とこう告げた。
「お前に今から、本場のメイドがなんたるかを見せてやる」