気付いたら始まっていたという話ノ壱
眼の前に居る少女は夕日を反射して輝く銀髪を風に揺らしながら、憂いを帯びた碧眼でこちらを見つめている。
硬く結ばれた唇。そこから言葉が紡がれる事は無く、彼女は自らの両手で自分を抱き、その瞳を不安げに揺らしていた。
だからこそ、この選択だけは、間違えるわけにはいかない。
そういうわけで――
「ねぇトウギ。とりあえずこの辺りでセーブしとかない?」
「あまり俺を舐めるなよツキヒ。セーブなら既にしてある」
――流石はトウギ。ぬかり無い。
僕は今、僕の部屋にて二人の友人とゲームをしている。ギャルゲー(良い子は真似してはいけない方)というやつだ。
「どうするべきか、少し冷静に考えてみよう。とりま出てる選択肢は三つだが、一番上の『抱きしめる』は急展開過ぎて脈絡がねぇから削除だ」
そう提案したゲームのコントローラーを握っている短髪の似合う伊達男は、中学からの悪友である藤枝孝一郎だ。僕は彼を、親しみを込めてトウギと呼んでいる。
「そうだね。なら二つ目の『途中で拾った蝋燭を使う』も、場面に適さないから除外しよう」
そう付け足した僕こと月島久志はトウギからツキヒと呼ばれている。あだ名は女の子みたいな感じだけれど、トウギ曰く女々しいお前にはぴったしだとのこと。いつかトウギを殺そうと思う。
「どれでもいいから早く先に進めなさいよ。消去法で最後の『脱ぐ』を選べばいいんじゃないの」
投げやりにストローを咥えた最後の一人。部屋の真ん中にあるテーブルに肘を着いく、ピンクのロングヘアーを携えた美少女がポーターだ。
「そうだな。消去法で最初のやつにすっか」
「うん、僕も全部声に出して読んでみたらそれしかないと思った」
とりあえず、トウギが操作するままにテレビの画面は次へと進んだ。すると、さっきまで退屈そうにしていたはずのポーターが態度を一変。テーブルを思いっきり叩きながら立ち上がる。
「ちょっと! なんであたしが選んだやつにしないわけ!? 一番現実的じゃない!」
口調からして本気らしいけれど、残念ながら女の子の前でいきなり脱ぐ行為を現実的とは言わない。狂気的という。
「今すぐさっきの場面に戻って主人公に脱がせなさい! CG映像の美男子の裸体なんてテンプレ的で退屈だけど、この際仕方ないわ!」
「何が仕方ないの!? というか裸体がテンプレっていう表現はちょっと猟奇的過ぎないかな!」
「月島は黙ってなさいよ!」
「僕のほうを見ながら文句言ってたくせにそれを言う!?」
理不尽だ! これは理不尽過ぎる! というかそもそもコントローラーはトウギが握っているのだから、僕にあーだこーだ言ってもどうにもならない。
「藤枝! もう一度よく考えなさい! 美少女が目の前に居る! だから男が脱ぐ! どう!? 現実的でしょう!」
僕の胸倉を掴みながらトウギのほうを睨むポーター。トウギはゆっくりコントローラーを置いて、腕組みをして深く考える素振りを見せる。
そして答える。
「いや、ねぇわ」
考えるまでも無いと思うけれど……。
トウギのそんな反応を見て、ポーターは呆れたように嘆息して僕から手を離した。
「そんなんだからあんたらはヲタクなのよ」
「ポーターが言う常識が通じる人は大抵が刑務所に居ると思うよ」
ヲタクなのは事実だから否定しないけどね。というかそんなんってどんなん?
「あーもー草食系男子はこれだから……自分達が一番常識的だとか思ってるの、はっきり言って痛いからやめたほうが良いわよ」
「ポーターに言われたくはないのだけれど……」
まさか彼女がここまでの人格破綻者だったとは思わなかった。自分の事を棚に上げるどころか上げられた棚がぶっ壊れるよ。
「つーかよ」置いたコントローラーをそのままにして、トウギはフローリングの上に寝転がった。「そこまで文句言うなら、着いて来なきゃよかったんじゃんねぇの? 別に俺らは、お前を誘ったわけじゃない」
そうなのだ。僕らは本当は、トウギと僕の二人だけでこのゲームをやる予定だった。
今やっているのは最近ネットで噂になっていたゲームなのだけれど、地方の店ではなかなか販売されず、仕方なく僕が通販で買った。でも実際やってみたら難しいのなんのって、僕にはクリアーできないなと悟ったから今日、こういう心理的要素が内包されたものが得意なトウギを呼び出し、コントローラーを握らせているわけだ。
そういうわけで僕の家の近くで待ち合わせをして、近くのコンビニに行って飲み物を調達してから帰路に着いたところでポーターと遭遇。いつの間にか着いて来ていた。
ポーターはさらに不機嫌そうな表情を浮かべ「はぁ?」と、不良も逃げ出しかねない程に突っぱねて唇をとがらせる。
「今更帰れって言うわけ? こーんなか弱い美少女を、深夜の二時に外へ追い出すんだ? あんたら草食系の鏡ね。草を食べて腹壊して死ねばいいのに」
言葉の刃ならぬチェーンソーで僕らの心を切り裂くポーター。ほんと、酷い言い草だ。言い草を喰らった、と言えば、ある意味ではポーターの言う通りになっている。
「少なくともか弱い少女は男の胸倉を掴んだりはしないと思う」
「それはあんたのよがった希望的観測でしかないわ。普通の美少女は殴るの」
それはいったいどこの普通なのだろうか。
「全国の普通の美少女に謝ってよ」
「ごめんなさい、あたし。これでいい?」
「何をもってそれで良いと思ったの? 僕今、割りと本気でびっくりしたよ?」
どうすればここまで破綻した人格になれるのか、心の底から疑問である。
「とにかくよ」開き直ったポーターはビシッとトウギを指差した。「ここまで付き合ったからには、報酬として美男子の裸体CGでも見なきゃ割りに合わないわ。さっさとシーンを戻して、選択肢を選び直しなさい!」
どこまでギャルゲーのCGに期待しているのだろうか、この子は。いや僕も期待はしてるけどさ。気体する対象が違う。
「駄目だよトウギ。ポーターの言う通りにしたら、僕らの精神衛生上よろしくない。 なんとしてでも女の子のCGでエンドロールを切るんだ」
なんたってネットで話題になるほどのゲームだからね。ヒロインのエロCGには期待出来る。それにわざわざ色んな店を探して回ってネットも見て回って何日も待ったのにも拘わらず、最初に開くエンドカードが男の裸体なんて冗談にならない。
しかし、
「あー、それだがな」トウギは歯切れ悪く、僕らのほうを見た。「残念ながら両方外れだ」
…………はい?
なにやらトウギがおかしなことを言ったため画面を見てみると、そこにはバッドエンドの文字と、モノクロに染まった画面が。そしてモノクロだから解りづらいけれど描かれている絵をよく見ると、何故か三枚に下ろされたモンスターのイラストがあった。
「モンスターの死体CGで我慢してくれ」
「「出来るかぁぁっぁぁぁぁぁぁああああああああああ!」」
僕とポーターが声を合わせて叫んでいた。なんでギャルゲーでそんなエンドカードが用意されてるの!? これ以上精神衛生上よろしくないイラストって他に無いよ!?
「そもそもこのゲームにモンスターなんて出てきてないよね!? どんな超展開を持ってくればこんなエンディングを迎えられるの!?」
「んなの決まってんだろ。ヒロインと主人公が抱き合ってたら、その隙を突いてモンスターが襲い掛かってきたんだ」
「あの選択肢の直後に超展開!?」
道理で途中からコントローラーを置いてたわけだよ! 休憩にしては早すぎるとは思ってたんだ! 既に終わってたんだね納得!
「まぁ安心しろ。その後すぐに主人公が本当の力に目覚めて、モンスターは倒した」
本当の力云々という時点でギャルゲー失格だと思う。
トウギはさらに「しかも」と続けた。
「実は小波ちゃんは侵略者達のスパイで、地球に侵略してきたモンスターは一体じゃなかったって知らされた主人公が戦いに身を投じることんなって、『俺の戦いはこれからだ』つって終わったんだが、ヒロインの小波ちゃんは無事だ」
「安心出来る要素皆無だよ!? それはつまり敵が無事だって事だからね!?」
裏切りフラグ全開なうえ打ち切り臭が尋常じゃない。どうしてギャルゲーでそんなことしちゃったの、製作者は。
「文句ばっか言ってんじゃねぇよツキヒ。物語の展開を読ませない。これもまた、クリエーターがクリエーターたる所以だろうが」
「この読ませなさは卑怯だよ! よくこれで苦情とか来ないよね、このゲーム!」
「このゲームの公式ホームページにあるレビュー、お前は見なかったのか? 皆『超展開ワロタ』って書いてたぞ」
「プレイヤーが皆して寛容過ぎる!」
そこまで言い切ったら、どうやら文句を言い過ぎたらしい僕は息切れしてしまった。疲れてテーブルに手を着くと、ふいに右膝に痛みが走り、体勢を崩してしまう。
ガタ、と、テーブルがバランスを崩し、上に置いてあった飲み物が倒れた。
ポーターのイチゴオレとトウギのコーヒー。そして僕の紅茶が一緒くたになって、テーブルの上を満たし、フローリングへと零れていく。
「ああ!?」「何やってんだてめぇ!」「死になさいよ」
自分の失態に自責する間も無く、二人から糾弾を喰らう。ポーターに至ってはただの中傷だ。
「ごめんごめん。下の冷蔵庫から変わりを用意するから、許して」
といっても、お茶くらいしか出せないからイチゴオレとコーヒーの代償になるかは微妙だ。
「とりあえず拭くものを取って来ないと」
「いや、ちょっと待てツキヒ」
部屋から出ようとした僕をトウギが止める。
「なにさ」
フローリングだからジュースが染みてしまう、という事は無いだろうけれど、早く拭かなければどんどん広がってしまうし、下手したらベタベタが残ってしまう。今はまだ大丈夫だけれど、このままでは部屋の随所にある神聖なるヲタクグッズ達にまで被害が及びかねない。だから一刻も早くこれの処理をしたいのだ。
「ここは役割分担で効率化しよう。ポーター。お前は下の階へ行って変わりのお茶を持ってきてくれ。その間に俺はこのゲームを進めて、一枚でも多くのCGを集める。そしてツキヒが床を拭く」
その提案は確かに効率的だ。でも、
「はぁ? なんであたしがそんなことしないといけないわけ」
この通り。ポーターのことだから、素直に言う事を聞いてくれないとは思ってたんだ。
「考えてみろ、ポーター」さて、トウギはどうやって彼女を説得するのやら。「ツキヒが床掃除をしている光景ほど、似合う様は無いと思うんだ」
「ちょっと待ってよトウギ。それどういう意味?」
割りと意味が解らない。
「成る程、確かにそうね」
「ポーターはいったい何に納得したの? 二人の間にはどんな共通認識があるの?」
二人はいったい、僕をどういうふうに見ているのだろうか。雑巾が似合う男だとでも言いたいのかな。
「藤枝の指示通りに動く、っていうのが癪だけど、仕方ないわね。あたしが下からお茶を持ってきてる間に月島が床を拭く。そしてそれを藤枝が撮影する。この陣形で行きましょう」
「ああ、そうだな」
「ねぇ、さりげなくトウギの役割が変わってない?」
僕の言葉は完全に流され、ポーターはさっさと部屋から出て行ってしまった。時間が時間なだけに家族は皆寝ているのだけれど、流石に自分の家を女の子が勝手に出歩く、というのは、そこはかとなくむず痒い。
それでもやる事はやらなければならない。僕はポーターの後に続いて、部屋から出た。でも雑巾なら二階のトイレ横にもあるから、僕は途中で階段を降りていくポーターの姿を確認してから、部屋に戻って床拭きを始めた。
トウギはその様子をスマホで撮影しながら、片手間でゲームを進めている。
「なぁ、ツキヒ。ポーターの件でずっと疑問に思ってた事があるんだが」
ふと、神妙な様子でトウギが口を開く。
「ん? 何?」
床拭きの様子が撮影されている、と思うと無駄に緊張してしまう。僕はなるだけ取繕った声で受け答えをした。
でも、
「――あいつ、誰だ?」
その言葉に、僕の作業の手が止まる。
「誰、って、友達のポーターじゃないか」
どうして、そんな当たり前の事を聞くのだろうか。トウギは忘れちゃったの? だとしたら精神科に行く事をオススメしたい。
「なら質問を変えるが片手間のゲーム画面から目を離さないトウギは、誰かに何かを尋問するように、問いを重ねる。「俺らとあいつは、いつ、どこでどうやって出会ったんだ?」
「コンビニの帰り道に、偶然出会ったんでしょ?」
たった数時間前の話だよ? トウギってばまさかアルツハイマー?
「そこじゃない。俺らとポーターがどうやって友達になったかだ」
質問の意図がよく解らない。
どうやって友達になったかって? そんなの……。
「自然と、気付いたら友達になってたって感じじゃない? 多分」
これといったエピソードが思い出せないから断念した。でも、友達、というのは割りとそういうものではないかと僕は思うのだ。
ロマンチックな出会いがあるのなんて二次元の話であって、三次元はそういうものの用意が無い。だから、なんとなく出会って、なし崩し的に友達になって、気付いたらそれが大切になっていた、なんて事はよくある事だろう。劇的だけが劇では無いように、そういうメローも現実には転がっている。
「……それもそうか……」
納得したように、ではなく、不承不承といった様子で頷くトウギ。結局こいつは何が言いたかったの?
「意味が解らない事を言ってないで、早くゲームを進めてよ。とりあえず最初は僕が我慢するから、ポーターを黙らせるために美男子のCG獲得出来るようなルートで」
「ああ、それなんだがな。美男子の裸体CGは獲得したぞ」
「え? 本当に? 流石トウギ。仕事が速い」
まさかものの数分で獲得してしまうとは思わなかった。これでポーターも納得するだろうと思い画面を確認したら――ノーマルエンドという文字の背景に、顔はそのままで体が機械になった主人公のCGが描かれていた。
「なにがあったの!? ものの数分で何があったの!?」
しかも画調もやけにハードボイルドになってるし! 高校生だったはずの主人公が煙草らしきものも咥えてるし!
「これが、侵略者と戦うために自らの体を機械にした男の勇士だ」
「ギャルゲーにそんなの誰も期待してないよ!? ただの学園ラブコメだったはずのギャルゲーにどうしてそんな展開が待ってるの!?」
「文句を言うなツキヒ。公式のレビューでも書かれてただろ。『主人公かっこよすぎワロタ』って」
「それ書いた人は確実にネタで書いてるよね! そのイラストを見る限りでは笑いどころがあるとは思えないのだけれど!」
「確かに笑っちまうくらいかっこよかったぜ……。侵略者に領土を奪われるばかりだった人類が、最後の手段として作り上げたアンドロイド。その第一次被験者として選ばれた主人公は、自分が人外となって尚、人類のために戦うと決意したんだ。その主人公を中心にして始まる人類の反撃。最後に主人公が言った『俺達の戦いはこれからだ』にも痺れた」
「どうしてギャルゲーのエンドカードに逐一その台詞が入ってくるの!? 確かにその台詞の使い方はかっこ良いかもしれないけれど、ギャルゲーをプレイしてる人間からすれば最低の終わり方だよ!?」
「そうでも無いぞ。公式のレビューでは『あの戦いに主人公が勝てたのか気になり過ぎてワロタ』と、いくつも書かれてたしな」
「相変わらずプレイヤーが寛容!?」
僕とこのゲームのプレイヤー達とでは、徹底的に価値観が違うようだ。もしかしたら僕は、このゲームに向いていなかったのかもしれない。自称とはいえヲタクを名乗る身としては恥ずかしい限りだけれど、肌に合わないゲームというのもたまにはある。
そうこうしていたらようやくポーターが戻ってきた。
「お帰りポーター。やけに時間が掛かってたね」
下の階に行って冷蔵庫からお茶を持ってくるだけだったはずなのに、わざわざコップに移してトレイに乗せてきたポーター。
「あんたの家の勝手を知らなかったからよ。あたし、ここに来るの初めてなんだからね」
不機嫌そうなコメントとは裏腹、表情はやけにすっきりしている。下の階で何か良い事でもあったのだろうか。
トレイに乗せられたコップ。慎ましい仕草でそれをテーブルの上に置いたポーター。お茶の色が普段僕の家にあるやつと比べてかなり濃く見えたのだけれど、さっき散々叫んでしまったこともあり、僕はすぐにそれを手に取った。
ごく、っと、一気に一口喉を通す。
舌に触れるしょっぱさが、喉の血管から体中へ広がっていくような感覚。途端に胃が痙攣し、異物を発見した兵隊のようにそれを押し戻そうとしてきた。
「ぶほっ!?」
耐え切れずに吐き出すと、濃厚で芳醇な、親しみのある香りが部屋中に広がる。
「……ポーター」
「なにかしら、月島」
「……これ、醤油じゃん」
「あら、間違えちゃったわ」
「持ってくる前に気付こうよ! 明らかに色も匂いも違うんだからすぐに気付こうよ!」
「かくいうお前も飲む前に気付けよ」
トウギによるどうでもいいツッコミが聞えた気がしたけれど、無視してポーターに説教してやった。すぐにポーターが確信犯だったと発覚して、殺人未遂で訴えてやろうかと思った。