とても単純な話ノ弐
――あの時の僕と同じように、かみ締めて押し殺した悲鳴を、誰かに聞いて欲しかったのだろう。
これが、優しい人間というレッテルを貼られた、弱い人間の本音なんだ。
誰しもが耐えられるわけじゃないからこそ、こうやって、密やかに抱え込んでしまう人も出てくる。
そう思ったら自然と、僕は立ち上がっていて、この手は宝生さんの頭に触れていた。
「……なんだよ、本当は汚い私の本音を知って、馬鹿にしてんのか」
顔を下げ、涙の浮かんだ上目遣いで僕を睨む宝生さん。
それが妙に心地よくて、僕は思わず笑ってしまった。
「うん、君は馬鹿だ」
「っつ……」
悪びれない僕に何か言おうとしたのか、宝生さんは顔を上げそうになった。でも、自分の顔をこれ以上見られたくなかったのだろう、また顔を下ろす。
「まずは、ごめん。本当に、勝手な事言ったね」
宝生さんの頭に手を置いたまま、僕は言う。
「それでもう一回ごめん。また、勝手な事を言うね」
宝生さんは馬鹿なんだ。
見てて居た堪れないほど、痛々しい程に、馬鹿なんだ。
「僕は、さっきみたいに叫んでる君のほうが、よっぽど素敵だと思う」
「なっ……!」
一瞬だけジタバタして、でもそのためには顔を上げないとけなかったからだろう、宝生さんはすぐに大人しくなった。良かった。今は僕も顔を見られたくなかったから、助かった。
「あのね、宝生さん。僕も馬鹿なんだ」
宝生さんとは違うタイプの馬鹿だけど。よくトウギにバカにされるし。
「臆病で、卑怯で、逃げ出してばっかり。結局自分の事しか考えてない」
「…………」
宝生さんは何も言わない。
「そんな僕は勿論優しくなんてない。自分のために色々なものを投げ出して逃げて生きてきた勝手な人間だ。だからこそ言うよ、宝生優李っていう女の子には、もっとわがままになってほしいって」
「…………」
勝手な事を言ってるのは解かってる。責任とか今まで積み重ねてきたものを放り出せ、なんて、誰も得しない。
でも。
「……無理だよ……、私には、今更。そんなことしたら、友達が居なくなっちゃう」
そんな悲しい事を言う少女をその不幸から引きずり出せるなら、何を犠牲にしたって構わない。
そういうふうに思ってしまった僕は自称していた通り、最低の人間である事だろう。
だからこそ、
「大丈夫だよ」
僕は言う。
「大丈夫じゃないよ。全然大丈夫じゃない」
彼女は言う。
「それでも、大丈夫なんだ」
ああ、口下手なのが嫌になる。対三次元においてはトウギに頼り過ぎた。本当に無能だな、僕は。
「何が大丈夫なの……?」
「君が不幸ではなくなる」
「不幸だよ。友達が居なくなる」
そうかもしれない。宝生さんが優しいからっていう理由で近付いていた人からは距離を置かれる事にはなるだろう。
でも、
「だけど、大丈夫なんだ」
僕は言う。
「さっきからそればっか。なんの保証も無いじゃん……」
彼女は言う。
保証なんて無い、って言われたら困る。保証なんて、この世界の大抵の事には無いじゃないか。
結婚式場で永遠を誓い合った二人が離婚するように、平和を掲げて立ち上がった政治家がいつの間にか内戦起こしてたりするように、初詣で大吉を引いた年に人生で一番嫌な事が起きたりするように。
保証なんてどこにも無い。あるのは仮定と前提と、それに寄せる信頼くらいだ。三次元は裏切るのが大好きなのだ。
だからやっぱり、僕は言う。
「保証は無いけど確信はあるよ。だって、没個性なこんな僕が、本音を出した君のほうが好きだなって思ったんだもん」
「っつ!」
不意に、宝生さんが変な動きをした。頭を撫でる僕の手から逃れるようにジタバタするもんだから、ようやく、これセクハラじゃん、と気付いてその手をどかす。
でも、宝生さんの耳が赤くなっていた。僕は何か変な事を言っただろうか。
いや、まだ言ってないはずだ。変なことは今から言うんだ。
「少なくとも僕は、本音の君となら友達になりたいと思った。僕なんかじゃ役者不足かもしれないし、むしろお前なんて要らねえよって思うかもしれない。でもほら、ここに一人、居るでしょ? 本音の君と友達になりたいって人が」
それに、馬鹿が好きなトウギって人間も居るからそれで二人目。多分石動さんと朝間さんも宝生さんを見捨てないと思うから、推定これで四人だ。最底辺の人間が約二名程居る気がするけれど、これはもうどうしようもない。
「…………」
宝生さんは何も答えなかった。台詞がクサ過ぎたのだろうか。でも僕は二次元に浸りすぎてて、三次元ではどれくらいまでがセーフなのかを知らない。
「全部背負う必要なんて無い。全員を大切にしないといけない義務なんてどこにも無いよ。たまには休まないと。壊れたりしちゃったら、どうにもならない」
僕がそうだったように。逃げるっていう選択肢が無くて壊れてしまった僕だからこそ、逃げ道が無い状態を平気で作り出す三次元が嫌いな僕だからこそ、逃げる事の大事さが解る。
「……なら、私はどうしたらいいの?」
その問いは、正直難しい問いだった。正解とか不正解とか、それが判断出来るほど僕は賢くない。
特別である事を辞めたら友達を失う。でも続けたら自分を失う。
どちらも拒んだ彼女に、逃げるという選択肢は無かった。頑張るしか道は無かったんだ。
理不尽だ。
そう思った。
漫画やアニメみたいに、誰も何も失わないエンディングなんてどこにも無い。持てる人間と持てない人間が居て、失う人間が居るから手に入れる人間も居て。
しかも失う側の人間の選出はランダムだ。そこに感情論とか普段の行いとかは関係無い。人のためにって頑張る少女からも、平気で毟り取っていく。
これが現実だ。こういうことが平気で起こるのが三次元だ。
「友達も失くしたくない。でも、私だって幸せになりたい。どこまで手を抜いていいのかが解からない」
それが、彼女の答え。
「でも、どうしたら変われるのも、解らない」
当たり前だ。彼女は自分の心を、茨の檻の中に、自ら閉じ込めてしまったのだから。
「とりあえず、心の在り方から変えればいいんじゃない? 結果は後から着いてくるよ」
努力すれば報われるとは思わない。僕はそれで失敗した人間だから。
だから僕は、彼女に手を伸ばした。
「そうすれば、私は変われるの?」
その問いに、僕は頷いて、伸ばしたままの手をさらに彼女に近付ける。
「君が願ってくれるなら、君は変われる」
僕が、君を救い出せる。
そして、彼女はゆっくりと、僕の手を取った。
これで、僕らの影は繋がれた。
「――コネクト」
広がる水面。下に写し出された僕。
ぎし、と、鉄が地面を踏む音がした。木霊するようにそれはいくつも重なる。
見上げた先に、幾人もの騎士が居た。
これが、彼女を縛り付けていた概念。
僕は手に持っていた弓を引いて、構えた。
僕に気付いた騎士が、各々の武器を構えて突進してくる。矢を放つより先に、騎士が到着しそうだ。僕は急いで弓を引くが、芹沢君の時と比べて何故か弓が重く感じる。なかなか引けずに腕が震えた。
真っ先に僕の元へ辿りついた騎士が、振り上げた刀をそのまま振り下ろそうとする。
間に合わない。
それでも、腕の一本や二本はくれてやる。この一撃で、未だ宝生さんを逃がすまいとしている茨の檻をぶち抜いてやる!
目の前に光の筋が走った。それが刃の反射光だと気付くのに時間は掛からなかったがしかし、それは僕に向けられた攻撃ではなかった。
「せめて避けやがれ、馬鹿野朗!」
保健室のすぐ外に居たのであろトウギが、騎士の動きを止めていた。互いの力は拮抗しているように見える。少なくとも、トウギが二人同時に抑えるのは無理そうだ。
それでも、僕が弓を引ききるより先に、二人目が襲い掛かってきた。
「あーもう仕方ないわね!」
今度はそれを、ポーターのデスサイズが止める。
「あたしだって、悪い事したとは思ってんのよ! 悪魔じゃないんだから!」
よく解らない言い訳をしていたけれど、今はそれに突っ込んでいる暇は無い。
続けて、三人目、四人目が襲い掛かってきた。トウギもポーターも、それぞれ一人の騎士を抑えるのでいっぱいいっぱいみたいだ。僕の弓はまだ引けていない。どうしてこんなに重いんだ! これでは間に合わない!
二人からの同時攻撃はどうしようもない。弓を引くのは一旦中止して、回避しないと――。
しかし、思考ばかり働いて結局行動に移せなかった僕はそれでも無傷だった。
攻撃が中断されたからではない。
僕に襲い掛かってきた騎士の攻撃を、違う二人の騎士が止めていたのだ。
一人は盾を。もう一人は聖剣を携えて、僕を庇っている。
鎧で顔が見えなくても解った。この二人は、朝間さんと石動さんだ。
一回目のコネクトでは敵に回っていたはずの二人が、今は僕らの味方になっている。
つまり、宝生さんはようやく、二人を仲間だと認めたのだ。
我がままになっても良い対象に、この二人も含まれた。
その事実が、この上なく嬉しかった。
「ねぇ、宝生さん」
思わず僕は笑ってしまった。
「虹の麓には、何があると思う?」
僕は、世界が嫌いだ。その世界から逃げるためにヲタクなんてものをやっている。
何度も何度も苦しめられてきた。ずっとずっと辛かった。
僕がヲタクになった理由は簡単だ。初めて見たアニメは、主人公は特別な力を持ってるわけじゃないけれど、仲間と協力して、時に敵だったやつと共闘して、勝利を得るっていうありきたりなアニメ。どんなに苦しい展開になろうと、最後の最後には必ず皆が報われた。
それが非現実だなんてことは解ってる。
でも、こんな世界があるのか、と、当時の僕は涙を流した。
こんな報われる世界があるのかと、それを願い作品として作り出した誰かが居るのかと思うと、心の痛みが和らいだ。
そして、重かった弓が軽くなる。
「虹は架け橋じゃない。空に弧を描いて、大地へ辿り着く前に消えてしまう」
飛ぶことの出来ない僕は地に落とされて、前へ進む力を失った。
手の届かない所へは伸ばさない。それが上手い生き方なのだと、そう思わざるを得ない世界なのだと。知りたくなんて無かった事を、この世界は得意気に、耳元で囁きかけてくるのだ。
虹の麓を追いかけて、代わりに見たのは、そういう現実。
きっと、だから。
「だから人は、虹の麓に憧れちゃうんだろうね」
歩いてきた今までが、頑張ってきたこれまでが、無意味じゃないと思うために。
その場所にはそれほどの価値があると信じるのだろう。
放った矢が光となった。
一閃。
真っ直ぐに伸びたそれは、間に居た騎士達を容易に貫き、地面を抉りながら、彼女を閉じ込める檻まで届く。
その中で祈るように手を組んでいた宝生さんは、その光を真っ直ぐ見詰めている。
これが本当に光となるか闇となるかは解らない。それでも、彼女は自由になりたいと、心から思えるようになるはずだ。
これから待ってるのはもしかしたら、今まで以上に困難な、険しい道かもしれない。それでも、宝生さんを支えてくれる人は沢山居るはずだ。
僕みたいな偽物じゃなく、本当に宝生さんを思ってくれる人を見つけられるはずだ。
光が消えた時には既に、檻は半壊していた。
それでもまだ、宝生さんは檻から出てこようとしない。
「それでいいんだよ」
呟きながら、次の矢を弓にセットする。
「虹の麓に何も無い。真っ暗な場所だったら嫌だもんね。怖いのは当然だ」
でも、と、口の中で呟いて、もう一度放つ光の矢。しかし、騎士によって防がれる。
「君なら」次の矢を込めて、今度はさらに強く放つため、何故か力の入らない右足で地面を踏みつける。「きっと……」
迸る閃光。切り裂かれる空間と鼓膜を劈く爆音。僕が生み出したとは思えない、白くて強烈なそれは宝生さんを閉じ込める檻の全てを打ち壊した。
それでもそこから動こうとしない彼女を外に出すべく駆け寄ろうとしたけれど、足が動かなかった。
見ると、僕の右足は肉と皮膚によって形勢されたものではなく、木製の義足になっていた。これで歩けというほうが無理だ。
これが、僕の心なのだろう。
僕は前に進めない。それが、僕の心の形。
それでも構わない。そもそも僕は前に進む必要が無い。
だって。
「君ならきっと、真っ暗な場所さえ、照らして行ける。それくらい頑張る事が、君なら出来る」
だって、石動さんと朝間さんが、宝生さんに手を伸ばしていたから。
朝間さんが宝生さんを庇いながら、盾で敵の攻撃を受け止める。石動さんが横から攻撃をしかける。
僕は、あそこで参戦する事は出来ない。駆け寄れないし、歩み寄れない。僕の心はそうなっているから。
だから、僕の心はこれを武器にしたのだろう。
進まなくても宝生さんに手を伸ばせる、僕にとって理想的な武器だ。
トウギが敵と鍔迫り合いしている所に、僕が後ろから矢を放つ。僕の所に敵が来たらポーターが庇ってくれた。それを幾度も繰り返しながら、僕は思う。
これがハッピーエンドとは思えない。もっと上手い立ち回りがあったかもしれない。
きっとこれから、宝生さんも、石動さんも、朝間さんも、大変な思いをする事だろう。現実という世界は、頑張る人間からは余計に色んな物を毟り取ろうとするからね。
報われないかもしれないけれど。
救われないかもしれないけれど。
今はまだまだかもしれないけれど。
虹の麓に辿り着けなかった僕よりは、ずっと素晴らしいエンディングを、いつか迎えられる事だろう。




