夜の陽だまり
お引越しを無事終えて、出勤の月曜日。
昨日は楽しかったなぁ。みんなでお家の大掃除して。まさかお引越し早々、廊下や窓、お部屋を雑巾で拭いたり掃除機かけたり。壁の芸術の痕跡を消したり、草刈をすることになるなんて思わなかったけど。夕食会で、自己紹介して軽く? 王様ゲームなんかしちゃったりして。うん。普通のアパートに越してたらこの出会いは間違いなく存在しなくて……。シェアハウスにしてよかったかな。
朝の電車に揺られながら、そんなことを考える。シェアハウスを選んだわたしを気にしてくれていた家族と友達に大丈夫という内容のメールを送信してスマフォをバッグに仕舞った。
もちろん、新しい人間関係に全く戸惑いを感じないわけじゃない。一から築く人間関係は気楽じゃないと思ってた。不安はあった。けど、幸いにもなろう荘に集った人たちは癖も強いけど、良い人たちばかりだと思う。
面倒見の良い大家さんこと陵さん。
ツンデレがたまらない愛依ちゃん。
向日葵みたいな笑顔が愛らしい元気な黄塚ちゃん。
身長を気にしてるようだけど、その心は繊細そうな裏崎さん。
不幸体質らしいけど、そこがまた乙女心くすぐる赤井くん。
落ち着いてて大人な緑竹さん。
この六人となら、楽しくやっていけるんじゃないかなって。何処からともなくそんな気持ちになる。それくらい魅力的な人たちが揃ってる。
みんなとのこれからの関係を思い描いていると、車内コールが停車駅を告げているところだった。やがて電車が停車駅に止まる。わたしは、人の流れに沿うようにして、電車から降りて改札をパス。駅から出て朝の雑踏の中に混じった。
さて、今週もお仕事頑張りますか!
金曜日の夜、緑竹さんと偶然にも一緒に帰ったわたしたちは、リビングでワリオカートに熱中しているみんなと遭遇した。
「青霧さんも、一緒にやりましょうよ。ボクと一緒にこのチビを最下位に沈めてやりましょう」
「甘いな。俺のドライビングテクニックを見てなかったのかよ? っていうか、チビ言うなぁぁぁぁぁっ!」
レースを終えた愛依ちゃんたちからのお誘い。
「でも、わたしコースを逆走しちゃう傾向があるんですよ」
あわわと両手をふるわたし。そう、わたしの方向音痴はゲーム内でも常備されている。
「前を見ながら走ればいいんですよ。簡単です。チャレンジしてみましょう?」
赤井くんが天使みたいな……ううん、最早天使だよ。な、笑顔でコントローラーを渡してくれた。
うう……。かなり久しぶりだけど、やってみよっかな。少しは上手くいくかもしれない。
レース開始前までは、淡い期待を胸に抱いていたわたし。
「悪いが、僕の狙いは外れない」
「ゲームに不慣れな青霧さんを狙うなんて。小っさ」
「……ゲームだからいいんだ」
愛依ちゃんの攻撃に緑竹さんは、動じない。
見事に緑竹さんが放った赤ガメさんに攻撃され、わたしが走駆させるピノッキーは大回転してくれた。
まずい、今ので方向感覚がっ……! えっと、こっち?
とりあえず、急いで復帰しようと車を走らせる。
「青霧さん、逆です、逆!」
「えぇっ?」
背後から、陵さんが忠告してくれる。が、もうこうなったわたしは止められない。慌てたわたしはハンドル操作を誤り、コースアウト。コースに復帰するまでに時間を要する羽目に。その間に、ライバルたちは我先に疾走していく。
このままじゃ、ピノッキーが……。
「……陵さん、ピノッキーの敵を、敵をとってください」
「この状態からですか? 無茶ぶりですけど、やってみますか」
「何っ? 真白参戦すんの? 気ぃ抜けねぇ!」
現在トップを走る裏崎さんの瞳に更なる闘争心が宿る。
「青霧さん、お疲れ様です」
「黄塚ちゃん、ありがとうございますぅ」
労わるようなやさしい瞳を向けてくれる黄塚ちゃん。彼女がグラスに注いでくれたオレンジジュースを一口飲む。
彼女が自転車でスーパーまで駆けて買ってきてくれたジュースは、いつもより美味しく感じた。
「コース逆走って、まさかと思いましたけど、本当だったんですね」
「はい。友達とやって勝てたことがないんです。CPと戦っても同じ結果でしたけど……」
「今度、僕でよければ特訓に付き合いましょっか」
「赤井くん……」
「一位、とりたいですよね」
「はいっ!」
「そうと決まれば、まずはコース内を走りきることからよね」
「だね」
黄塚ちゃんと赤井くんが真面目に相談してくれている。と、背後で歓声が上がった。
突っ伏している裏崎さん、その隣で小さくガッツポーズを決めている愛依ちゃんがいる。結果は、一目瞭然。
夜なのに、まるでお昼みたいにこの空間は明るくてあたたかい。まるで、陽だまりの中にいるみたい。
一度、部屋に戻ろうかな。加湿器も運ばなきゃだし。
そんなことを思っていると、スッと緑竹さんがわたしの前を通っていった。床に置いていた加湿器の箱を持ち上げる。
「部屋の前まで運んでおく」
「え、いいんですか?」
「構わないけど」
「ありがとうございます」
帰り道といい、今といい、所作っていうのかな……さりげなくな人だなぁ。
痛たたっ……。
わたしは両腕に奔った鈍い痛みに表情を顰めた。この痛みは確か、筋肉痛と呼ばれるもの。思い当たることはある。昨夜、加湿器を電気屋さんから持ち帰ったこと。有難いことに、途中で出会った緑竹さんがなろう荘まで代わりに運んでくれた。それから、原因はもうひとつ。どうしてもと言う、みんなのリクエストに応えてワリオカートに参戦したこと。最初は断ってたんだけどね。まあ、みんなが楽しそうにゲームしてるのを見ていいなぁと思ったのも事実だったし。で、プレイ中にコントローラーを握る手に妙な力が入ってしまったらしい。
鈍い痛みを発する箇所を軽くほぐす。
加湿器の電源をオフにして一週間前に出逢った二〇九号室、新しいわたしの小さなお城を後にした。
「あれ、青霧さんお出かけですか?」
一階に降りて玄関を出ると、陵さんがエプロン姿で箒と塵取を装備していた。玄関先を掃除している最中みたい。
「はい。ちょっと、本屋さんまで行って来ようかなって」
「ですか。車に気をつけてくださいね」
まるで、小さな子供に言い聞かせるように穏やかな微笑を向けてくれる陵さん。
こんな保育士さんいたら、遊んで欲しいなぁ。
などと、真剣に考えちゃうわたしがいた。
一週間経っても、まだ新しい道に慣れないわたしは、注意深く歩く。
えっと、あそこにケーキ屋さんがあるってことは、この角を曲がったら本屋さんがあるはず……!
ドキドキしながら、角を曲がると……あった! 目的地に迷わず辿り付けたことに安堵する。
店内に入って、真っ先に向かったのはラノベコーナー。
イラストレーター力作の表紙にパッと目を惹かれずにいられなくて。今回の目的は、異世界転生物の新作。薄紫がかった銀髪の女の子が表紙を飾っている……それを手に取った時。
「……緑竹さん?」
見覚えのある男性の姿に固まるわたし。
「青霧くん」
「緑竹さん……どうしてここに?」
「僕が本屋にいたらおかしいかな」
「い、いいいいいえ、そんなことはっ」
何も後ろめたいことはないのに、たった今手にとったラノベを後ろ手で隠す。腕に鈍い痛みが奔るも我慢。
「……気にしなくていいと思うが」
「え?」
「別に、僕はキミの趣味をどうこう思わないし、言うつもりもないよ」
「ほんとですか? いい大人がラノベなんてって思いません?」
「思わないよ。じゃ、僕はこれで」
無機質に響いた声から感じ取れたのは――。
何が好きかだなんて、人それぞれってことでいいんじゃないのかってこと。
「待ってください。……えと、お時間あったら、みんなにケーキでも買って帰りませんか?」
「何で、キミと……」
「理由は……ないです。唯、何となくです」
「……いいけど。二メートル以上距離を空けて歩いてくれるなら」
「はい」
溜息交じりの彼の苦笑に、わたしは笑顔で頷く。
腕の痛みも心に感じた不安も治まっていた。




