第初話 無垢=何も知らない心
女ヒロイン視点
「相川さん、15番に電話よ」
返事を交わし手慣れた素振りで内線の番号を押す
内線15番とは、社長室直通の社内内線番号であるが、私が勤める個人経営の中小企業経営者は社長と気取っておらず親しみ易い為、直通内線も緊張感を感じる事なく電話に出た
「経理課の相川です」
と、返事をすると“「話があるから、私と一緒に昼食を食べて欲しい
勿論、私のおごりだ」”と、いう内容だった
社長の“話”の内容が少々気になるところもあったが、勿論“おごり”の魅力に負けふた返事でOKを出した
私“相川 美海”は、短大卒業して直ぐ祖父の知り合いが経営している中小企業に祖父のつてで入社、15年経った今は代もとっくに代わって月日が経った事を身を持って教えている
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ノックをした後、社長室のドアを開け
「経理課の相川です・・・失礼します」
と、一言言って頭を軽く下げ入室すると、社長は微笑みを浮かべ
「せっかくのお昼休みを私の為に使ってしまって悪いねぇ・・・埋め合わせに、この先にある天ぷら屋“夕月”の穴子天丼をおごらせて頂くよ」
と、言う社長に
「あ!!ありがとうございます!!
一度、食べてみたいと思っていたんです」
と、少し興奮気味に言う私に社長は
「“夕月”の看板は高級天ぷら屋だからね・・・だが、昼の丼ぶり物は案外ディーズナブルなのだよ
ま、夜と比べて・・・だけどね」
と“カカカ…”とご機嫌に笑う社長に私も笑顔で返した
ほんの時たま、昼時に社長室に訪れた来客者に“夕月”の丼ぶり物を社長がご馳走しているところを見て、私もいつか食べに行ってみようと思う事はあるが、安月給のアパート1人暮らしの私には、どんなにディーズナブルであっても無理がある“夕月”の穴子天丼はボーナスが出たら…1回行ってみようと、勇気を振り絞って初めて来店出来る夢が…私の究極の“贅沢”が、社長のおごりで実現しようとしていた
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“「ご注文は…」”と、店員の言葉に社長は慣れた様子で穴子天丼を2つ頼んだ後、社長は背広の内ポケットから1枚の写真を私の前に差し出した
「相川君、この写真の人物は・・・とある人の秘書をしていらっしゃるお方なんだが・・・……
彼とお見合いしてみないかい?」
“「ぅんぐ!!!!」”社長の唐突な“お見合い”と言う言葉に息が詰まった
先にも説明したとおり、私は短大を卒業して直ぐに此処に勤め始めて15年、年齢は34才、来年の2月でとうとう35才になってしまう独身女の私は、学生時代の全てを国立では珍しい小中高短大の一貫校の女子校に通い、ほぼ全寮制に近い生活をしていた私は、数年間の学生時代に男性とお付き合い出来る確率は…自分的に無いにひとしいと、思っていたが、そんな特殊な環境でも中には男性と男女のお付き合いをしている人は私が知っている中でも3.4人はいた事を思い出した
『どんな環境でも…人間、努力すれば…何でも出来る』と言う言葉を脳裏に浮かべつつ…私は苦笑いを心の中で浮かべた
確かに…好きな男性と恋をして、愛し合い…お互いを求め合って結婚出来たら…等と夢を見た事は、人並みにあったし、30才になるまでは3.4回お見合いの経験もある…こんな私でも人並みに結婚願望はあった
だが…今は違う、私の年齢は34、来年の2月には35才になる…現実を知る女は夢見る少女には戻れない、考えも心も…戻ろうとは思わないのだ
目を細め、写真に映っている人物を見つめている“素振り”をしていると注文した物がテーブルに運ばれて来た
天ぷらと天つゆの独特な香りが食欲を誘う…手にしていた写真をテーブルの上に置くと、私は自分の食欲を誘う物に手を伸ばし、私が丼ぶりの蓋を開けるのを見計らったかのように社長は言った
「その気がないのは百も承知だが、君にとってもあちら様にとっても・・・かなり良い条件だと私は思ってるよ・・・じゃないと、君に進めたりしないよ」
と、苦笑いを浮かべている社長に私は苦笑いで返事をした後
「あちら様にとって・・・良い条件・・・て?」
と、問うと
「実はね・・・……
…と、いう事なんだよ
君は結婚する気が無さげだったし、君はよく働いてくれて優秀だから・・・私も手放したくないのだけど・・・この条件に当てはまる・・・女性とすれば、何百人何万人の女性がこの世にいても君しかいないと思ってね」
と、言いながら“「会うだけ会ってほしいんだ」”と、言う社長に
「分かりました・・・……」
と、一言言った後、直ぐ食べかけの穴子天丼を食べ始めた私に
「頼んだよ・・・相川君
結果がどうなっても・・・私は文句を言わないからね」
安心しきった表情を社長は浮かべ“「お見合いの日時等は後日連絡するから、予定空けといてね」”と、ニコニコと満面な笑顔を浮かべている社長に私は苦笑いで返事をした
確かに…社長が言ったとおりとても良い条件だと私も思う…だけど、この男性が社長の言ったとおりの人であれば…の事
社長から手渡された写真を手に苦笑いを浮かべるしか…なかった