第五編「神域穢(かみつにわけがし)」
■粗筋>
伯父・泰造の死により美晴は一人暮らしになってしまう。そんな常川稲荷に、猫が住みついた。美晴も猫との関係にぬくもりを憶え始める。そんなところへ、別の伯父が美晴の後見人として名乗り出た。
■人物>
美晴:更科美晴、冷たく無気力な感じの美少女。
浄雲:旅の仏僧。20歳くらいの青年。
華村:華村冴子、古文の教師。
中里:岩神達義。中里の伯父さん。泰造の兄。
谷原:谷原の伯父さん。退蔵の兄(長兄?)。
温子:岩神温子。中里の妻。
洋樹:岩神洋樹。中里の息子。
猫:雑種で、大きめの野良猫。可愛い猫ではなく、ちょっと恐い感じ。
(でも実は鈍い)
[1]
□
シャッ!
御幣を振る美晴。
□ 美晴、稲荷祠に祝詞を上げてる。
美晴「神ながら魂ち栄えませ、神ながら魂ち栄えませ~…」
□
パン! パン!!
神社の森。木々の隙間から、丘の上に高校が見えてる。
□ 薮から美晴を見ている猫。
[2]
□
T「神域穢」
□ (場面転換)どこかの家の応接間。
谷原(扇子をパタパタさせながら)「とにかく死んだ泰造の土地のことを
はっきりさせよう」「住宅地の真ん中にあんな雑木林をほっとく手はない。
マンションにでもすれば収益が出る」
[3]
□
中里「常川稲荷のことか?」
谷原「美晴だってその方がいいに決まってる」「常川稲荷は宗教法人に
登録してないんだぞ? あんな土地の相続税をどうやって払うんだ」
□
谷原「収益の無い土地を受け継いでしまい税金が払えなくて一家心中
なんてのは、バブル時代だけの話じゃないからな……」
中里「だけど宗教法人ではないにしても、あそこにあるのは一応
神社だろ」
□
谷原「屋上か屋内に祠を移せばすむことだ、都内ではどこでもやってる」
□
谷原「あとは美晴のやつをどう説得するかだが…」
中里(もったいつけて)「それだけは大丈夫だよ。泰造の最後の遺言書は
私があずかっている」
□
谷原(驚愕)「なに!?」
[4]
□
ニヤッ
中里「死ぬ直前に会った。それは美晴も知ってる。そのときの遺言だ」
□
谷原(驚いて)「しかし泰造はもう意識がなかったんじゃあ…」
□
中里「死ぬ直前に意識が戻るなんてことはよくあるはなしさ」「そこで遺言が
変更され、俺がそれを口述した。公証人も一緒だったから法的にも効力が
ある」
谷原(汗)「お、おまえ…まさか……」
□
中里、ニヤリ。
中里「さあねえ。死人に口はないし」「兄貴はどんな遺言がほしい?」
□ (場面転換)教室
プリントが配られてる。
華村「これは『耳袋』といって江戸時代に根岸鎮衛という人が聞き書きを記した
書物の一部です」「この文章の要旨を現代語に訳してもらいます」
え~~~~……(生徒達の溜息)
[5]
□
華村「はい 次の部分…更科さん」
□
立ってノートを読んでる美晴。
美晴「牛込山伏町の寺院で、猫が鳩を狙うのを見た。和尚が追い逃がすと
猫が『残念だ』と言った」「怪しんだ和尚が猫を捕まえ問いただすと
『猫は十年も生きていれば物を申します……』 …(中略)…
猫は三拝して出ていったがそれきり帰ってこなかった……(*)」
誰か(書き文字)「あるわけねえよ そんなこと」
華村の声「静かに! では次の部分…」
(*欄外注:参考文献「日本怪談集妖怪編」今野円輔 教養文庫)
□ (場面転換)常川稲荷。
鳥居と、半壊した狐の石像がある。
[6]
□
稲荷祠の前を通る美晴。
□
白い狐の人形が並んだ稲荷祠。
□
美晴、稲荷祠を横目で見ている。
(回想)
浄雲「…この祠には霊も神もいませんよ」「ようやく結界らしきものがあるに
すぎません」
□
はっとする美晴。
□
ぶるぶる
美晴、目をつぶって顔を左右に振る。
□
パン! パン!
雑木林にひびくかしわ手の音。
ザワザワ…
雑木林に風。
□ (場面転換)おふろ。
かぽーん…
[7]
□
内置きのガス窯式で古い形式。胸まで風呂桶に漬かってる美晴。
(惜しいところで見えない(笑))
無気力な表情。
□
美晴、風呂桶に沈みつつボーッとしてる。
(回想)
浄雲の声「今は思い切り泣いた方がいい」
□
美晴、顎まで沈んだところで、
(回想)
美晴、泣きながら浄雲にしがみつく。
(現実)
ボッ!
美晴、顔が赤くなる。
□
ザブッ!
怒って勢いよく立ち上る美晴の後ろ姿。
(もうちょっとなのに波でお尻が見えない(笑))
[8]
□
和室に布団を敷いて寝てる美晴。
□
ボーッと目を開けてる美晴。
□
ボーッと目を開けてる美晴。
(回想)
浄雲「力を貸してくれないか、美晴さん?」
□
がばっ!
美晴「…もうっ!!」
不快そうな表情で起き上がる美晴。(パジャマ姿)
□
じゃーーーー
排水溝に流れ込む水。
[9]
□
キュッ
蛇口を閉じる手。
□
洗面所に立つ美晴。頭がびしょ濡れ。
美晴「一体なんなのよ…」
□
水滴を垂らしながらふと横を見る美晴。
□
暗い天井。
□
消えた白熱球。
□
継ぎ当てされた障子。
□
廊下の隅の物入れの扉。
[10]
□
暗い廊下と、開け放たれた障子の向こうに和室。
□
タオルで頭を包んだ美晴。
美晴(心の声)「そっか……この家……いま、私一人なんだ…」
□
かたん…
美晴「!」
□
美晴、部屋の中に入って
美晴 「押し入れ?」
□
ガラッ
押し入れが開かれる。
□
布団の上でうずくまってる猫がこっちを見る。
(さっき見た猫)
[11]
□
目が点になってる美晴。
□
猫「……にゃあ」
□
美晴「一体どこから……」
□ 場面転換
がつがつがつがつ
煮干しかけねこまんまを食べてる猫。
□
布団の中から見つめてる美晴。
□
美晴、煮干しの袋を見て気づく。
美晴「あ そうか……猫に人間用の煮干しを続けて与えてると塩分が強すぎるっ
て何かで……」
[12]
□
夜の道。
美晴、ジャージ姿でコンビニの袋を下げてる。(猫餌を買ってきた)
□
そよ風が出てる。
美晴「いい風……」「ちょっとだけ河川敷を歩いてから帰ろうかな…」
□(場面転換)橋の近くの土手道。
美晴、コンビニの袋を下げて歩いてる。
□
ふと気がつく美晴。
□
美晴の声(驚き)「浄雲っ!」
橋の下の草っぱらにビニールシートを敷いて寝ていた浄雲も、美晴に
気がつく。 側に置かれてるのは頭陀袋と笠と杖。枕元には線香立て。
□
浄雲、身を起こしながら。
浄雲「美晴さん……? こんな時間に一人で買い物ですか?」
[13]
□
浄雲「日本はたしかに外国よりは安全だけれど、夜中に女の子が一人で
歩くのはあんまり…」
美晴「そんなことよりなんであなたがこんなところにいるの!?」
□
浄雲「…………結界がどんどん壊れて、この辺りは悪鬼魍魎が溢れて
います」「少しづつでもそれを抑えられればと思って」
□
美晴(激しく)「いや、そんなことじゃなくてっ!」「なんで橋の下で寝てるわけ?」
□
浄雲「これはしたり! 流れに漱ぎ石に枕す、古来それが修行の
旅というもの……」「……というのは建前。正直言えば 今どき見ず知らずの
流れ沙門を泊めてくれるような寺はなかなか(汗)」
□
美晴(目を逸らしながら)「じゃ……じゃあ……うちへ来る?」「布団くらい
あるわよ」
□
浄雲(困惑)「……」「大変有難いお話ですけど、女性の一人暮らしの家に
出家が泊まるわけには」
[14]
□
美晴(赤面)「バっ……部屋が別々なのは当たり前でしょう!」
浄雲(落ち着いたまま)「世間はそう見ない。それに私だって異性への煩悩が
完全に無くなってるわけではありません」
□
ドキッ!
美晴、たじっとする。
(回想)
美晴、泣きながら浄雲にしがみつく。
□
浄雲「ここで美晴さんとお話できたのも きっと何かのご縁でしょう」「ですが
私のことなら心配しないでくだい。野宿は慣れていますし、さいわい冬では
ありませんから」
□
ガサガサ
美晴、溜息をつきながら袋の中を探る。
□
トン
美晴、草に置く、お茶のペットボトル。(500mlの烏龍茶)
浄雲「?」
□
美晴(体をかがめたまま)「ウーロン茶なら、戒律には触れないわよね?」
□
浄雲(ペットボトルを持ち)「私に?」
美晴、肯く。
[15]
□ 美晴、きびすを返して立ち去る。
美晴「じゃ 風邪をひかないように気をつけて」
浄雲(合掌して見送る)「ありがとうございます。
南無観世音菩薩、御仏の恵みが美晴さんにもありますように」
□
去って行く美晴の後ろ姿。
美晴(心の声)「ただの同情よ」「それだけなんだから……」
ぶつぶつ……
□
浄雲、手にしたペットボトルを見つめてる。
浄雲(心の声)「……野宿に烏龍茶は、お小水がやたら近くなって困る…
なんてこと知らないんだろうな、やっぱ(汗)」
□ (場面転換)稲荷祠前。
チュン チュン…
ジャージ姿で竹箒で掃除してる美晴。
□
狐の置物が並ぶ稲荷祠。
□
隅でうずくまってる猫。
首にリボンが結ばれてる。
[16]
□
チュン チュン
地面に降りてくる雀。
□
それを見ている猫。
□
シャーッ!
雀に飛びつこうとする猫。
おどろく雀。
□
バシッ!
猫をたたく竹箒。
□
美晴「こらっ! 神域で殺生しちゃ駄目でしょ」「あとで猫缶あげる
からがまんしなさい」
□
猫(去りながらつぶやき)「本能なんだからしょうがないじゃん……」
□
ハッ!
驚く美晴。
□
擬音でつなぐ。
猫「!」
しまった、という猫の横顔。
[17]
□
猫、おそるおそる振り向く。
□
美晴「待ちなさい!」
逃げる猫と追う美晴。
□ (場面転換)縁側。
首輪をつけられ柱に繋がれてる
猫。皿に入れられた餌を食べてる。
□
美晴(汗)「つまり……」
[18]
□
美晴「十年間生きた猫は人間の言葉を喋れるようになるって……本当だった
の?」
猫「うん。本猫の才能にもよるけどたいていは」
□
猫(皿を舐めながら)「猫は十七・八年も生きればちょっとした神通力も持てる
よ。もっともそこまで生られる猫はあまりいないけどね」
□
美晴「あなたも 十年も生きたようには見えないわよ?」
□
猫(ニヤリ)「人間の言葉は狐に習った」「神社の裏に森があるだろ
狐の巣穴の跡があるんだ」「そこにいた狐の霊に」
□
美晴(驚く)「和御霊…がいたの? お狐様の森に!」
[19]
□
猫(くつろぎながら)「昔はどこにでもいたらしいねえ」「人間の間にも
猿かなんかの姿の御霊に武術を習ったなんて話があるんでしょ?」
驚いて聞いてる美晴。
□
ピピピピピ……
アラームの声「8時20分です」
アラームに気がつく美晴。
□ 美晴、急いで上着を着ながら
美晴「ごめん……学校の時間」「帰って来てから詳しい話を聞かせてね!」
□
バタバタバタ……
見送る猫。
□
猫、あくび。
[20]
□
ブブゥー……バタン!
眠りかかってたところで音に気がつく猫。
□
緊張する猫。
□ 外。
車を降りてくる、中里。そして温子と洋樹。
洋樹「ほんとにボロい家」
温子「こんな陰気なところに住まなきゃいけないの?」
中里「遺産の土地を手に入れるまでの我慢だよ。」
□
ガチャガチャ
中里、鍵を開けてる
中里「いいか」「遺言書をたてに名義書替え請求を裁判所に提出する。
出頭命令は郵便で美晴に届く」「それを握り潰し、美晴の実印を盗んで
兄貴への委任状をでっちあげる。兄貴とはすでに話がついてる」
[21]
□
繋がれたまま下から観察してる猫。
□
きょろきょろしながら家の廊下を歩く三人。
中里「執行も同じだ。美晴が知らないうちに、土地の名義は変更できる」
「美晴が相続税を払い終わるころにはすべてウチのものだ」
□
中里の足元で怒ってる猫。
猫(怒る)「フーッ!!」
中里の声「な なんだ!?」
□ 家の外観
声「うわっ噛み付いたぞ」「何この猫! 飼ってるの?」「こんな汚えの
ノラに決ってるよ」「逃がすな!」
□ (時間経過)下校してきた美晴。
[22]
□
パン パン!
美晴、祠の前で柏手を打つ。
□
ふと気がつく美晴。
□
祠の近くの地面に血の滴れた跡。
□
美晴「…血?」
□
美晴、ふと気がつく
中里の声「おかえり美晴ちゃん」
[23]
□
座敷で向かい合って座ってる二人。
美晴「中里の伯父さんが後見人…ですか」
中里「そう。伯父さんたちみんなで話し合って、それがいいってことに
なったんだ」「だから美晴ちゃんは安心して学校に通っていればいいんだ
よ」
□ フキダシでつなぐ。
美晴、視線を逸らして
美晴「…………」「わかりました。よろしくお願いします」
中里の声「じゃあ今日から一緒に住むからねもう淋しくないよ」
□
美晴「ところで…猫がいませんでしたか?」
中里の声「猫? 飼ってたのかい?」
□
美晴の声「いえ…野良だったんですが昨日から住み着きまして」
中里「野良猫はきまぐれだどこか行っちゃった
んじゃないか?」
□
美晴、柱の方を冷ややかに見てる
□
紐とお皿がそのまま残ってる。
[24]
□ 夜。一室で寝ている中里。寝苦しそう。
中里「ううん…」
□
ふと目を開ける。
中里「う…」
ピチャ… ピチャ…
□
起き上がる中里。
中里「なんだよ…水道の栓、閉まってないのか?」「ボロ家だからなあ
まったく」
隣の布団は空。
□
中里、廊下を歩いている。障子の中から音が聞こえる。
中里「?」
ピチャ… ピチャ…
□
ガラッ!
障子を開ける中里。
中里「おい 洋樹! 夜中に何やって……」
[25]
□
部屋の中。
「!!」
人間のように正坐した巨大な猫が、バラバラになった洋樹と温子の
死骸を食っていた。その猫がこちらを向いたところ。
□
巨大猫、口から血を垂らし、血走った
目で睨みつけながら…
巨大猫(ニタリ)「…ニャ~~~」
ピチャッ(血の音)
□
恐怖に顔を歪める中里
中里「う……う……」
[26]
□
だだだっ
中里「うわあぁぁっ!」
走り出す中里。
□ 玄関。
がちゃっ がちゃっ
美晴の声「どうしたんですか、中里の伯父さん?」
□
暗い廊下をやってきた美晴。
中里「み 美晴ちゃん!」
□
中里「い 今でかい猫が!」
美晴「猫?」
[27]
□
中里「なんなんだあれは! なんで神社にあんなものが出るんだ!!」
□
美晴「伯父さん……殺生して神域を血で汚しましたね」
「…猫を殺したでしょう!?」
□
中里「え…いや…だって…」
□
中里「しかたなかったんだ! 噛み付いてきたから…」
□
美晴「あの猫は無念の思いを残して死に、荒御霊となりました。
かわいそうですけれど奥さんと息子さんは贄になりました」
□
ガチャッ
中里「わけわからん!」「俺は警察へ行くぞ! 殺人事件だ!」
□
美晴(ひややかに)「どうぞ」
ガラッ(扉を開けた音)
[28]
□
玄関を開けたところに、大口を開けて
待ち構えていた巨大猫。
猫「シャーーーッ!!」
□
断末魔の表情
中里「ぎゃあああああっ」
□
美晴、冷ややかに溜息をつきながら、
お札を顔の前に掲げる。
ピチャッ ピチャッ…(猫が血を舐めてる音)
美晴「やれやれ…下劣な人はこうやっていつも荒御霊を増やしちゃう」
「……生け贄を三人もお供えしたのだからおとなしく鎮まってね、
猫の荒御霊さん……」
(祝詞)
「……祓戸の大神たち
諸々の曲事罪穢れを
祓い給え清め給えと
申すことの由を……」
<つづく>