第一話 巡れ
拍手が鳴り止まない。
「新副マスター、ガイラス殿に祝福を!」
ギルド本部大広間は、祝宴の熱気に包まれていた。
若くして副マスターに昇格。
史上最速。
魔力量至上主義を掲げ、成果を出し続けた男。
ガイラスは、誇らしげに杯を掲げる。
「我がギルドは、即戦力を育てる。結果こそ全てだ」
歓声。
その喧騒の端に、ひとりの男が立っていた。
エルド。
元S級冒険者。
今は育成担当の指導者。
静かな目で、祝宴を見つめている。
やがて視線に気づいたガイラスが、薄く笑った。
「……来たか」
エルドは歩み寄る。
手には、一本の酒瓶。
「昇格おめでとう。祝いだ」
それは、かつて二人がS級任務の帰還後に飲んだ銘酒だった。
一瞬だけ、空気が止まる。
だが次の瞬間。
ガイラスは大きく笑った。
「ははは……そうだな。お前には一番に会いたかった」
周囲が静まる。
ガイラスは杯を置き、エルドに近づいた。
声を落とす。
「お前はクビだ。もう来なくていい」
ざわめき。
エルドの表情は動かない。
「理由は?」
「成果が出ていない。三年だぞ? 落ちこぼれ四人に時間をかけて何も変わらん」
ギルド幹部たちも目を逸らす。
ガイラスは続ける。
「時代は変わった。地味な理論など要らん。魔力量のある者を伸ばせばいい」
そして、エルドの手から酒瓶を奪い取る。
「祝い? 結構だ」
床へ、叩きつけた。
甲高い音。
酒が飛び散り、広間に静寂が落ちる。
「無能の酒など、口に合わん」
誰も笑わない。
誰も止めない。
エルドは割れた瓶を一瞥した。
そして、ただ一言。
「……そうか」
怒りも、弁明もない。
背を向け、歩き出す。
出口の手前で、四人の若者と目が合った。
落ちこぼれと呼ばれる弟子たち。
不安と悔しさで震えている。
エルドは短く告げる。
「第一段階は終わっている」
困惑。
続けて。
「巡れ。それだけでいい」
雨だった。
ギルド裏の訓練場。
屋根もない。
四人は立ち尽くしていた。
剣士リオ。
魔術師ミア。
拳闘士ザック。
治癒士セラ。
「……先生、本当にクビなんですか」
エルドは濡れた地面を見つめている。
「そうだ」
あまりにもあっさり。
リオが拳を握る。
「俺たちのせいですよね」
「違う」
即答。
「お前たちは、もう第一段階を終えている」
沈黙。
ミアが震え声で言う。
「でも……私たち、C級任務も失敗続きで……」
エルドは四人を見る。
「お前たちは“出力”が低いだけだ」
ザックが顔を上げる。
「それ、才能がないって意味ですか?」
「違う。巡っていない」
四人が困惑する。
エルドは地面に指で円を描いた。
「魔力は溜めるな。巡らせろ」
「巡らせる?」
「血と同じだ。止まれば腐る。流れれば力になる」
ガイラス式は“爆発”。
エルド式は“循環”。
「今日から変える。撃つな。溜めるな。流せ」
意味がわからない。
だが、四人はうなずいた。
その夜。
リオの剣が、初めて空気を裂いた。
“軽い”。
今までより、明らかに。
本人だけが気づく違い。
エルドは何も言わない。
ただ、静かに見ている。
――ギルド本部。
ガイラスは報告を受けていた。
「落ちこぼれ四人、まだ辞めていません」
「放っておけ」
ワインを回す。
「半年も持たん」
任務は失敗。
岩猪一体に押し切られた。
帰還。
ギルド受付前。
視線。
笑い声。
「またかよ」
「エルドの落ちこぼれ講座の成果だな」
「巡れ〜ってやつ? 笑わせんな」
リオは黙る。
拳を握る。
耐えろ。
俺たちは弱い。
それは事実だ。
「副マスターは正しかったな」
「無能は切るべきだ」
その一言。
胸の奥で何かがひっくり返る。
止めろ。
溜めるな。
――巡れ。
エルドの声が蘇る。
だが。
次の言葉が、境界を越えた。
「エルドってさ、昔S級だったって嘘だろ?」
「いや、寄生してただけらしいぞ」
笑い声。
視界が赤く染まる。
気づいたとき。
リオはもう動いていた。
「……取り消せ」
低い声。
相手の肩を掴む。
「なんだ?」
拳が振り抜かれる。
ドンッ。
相手が吹き飛ぶ。
止まらない。
もう一撃。
拳に、何かが乗る。
怒り。
悔しさ。
屈辱。
全部。
――バキィッ!!!
衝撃。
殴った男ではない。
その背後。
ギルドの石壁が、ひび割れた。
静寂。
誰も動けない。
壁が崩れ、石片が落ちる。
リオ自身が一番、凍りついていた。
(……今の、俺か?)
ただ殴っただけだ。
だが。
拳の中で、何かが“流れていた”。
止まっていない。
爆発していない。
怒りが、散っていない。
拳から、壁へ。
通り抜けた。
「……お前、今何をした?」
震える声。
リオは自分の拳を見る。
痛みがない。
むしろ、静かだ。
頭の奥で、言葉が浮かぶ。
怒りは止めれば毒。爆発させれば散る。
流せ。
流れた。
確かに。
今。
流れた。
ギルド警備が駆けつける。
「暴力行為だ! 拘束しろ!」
腕を掴まれる。
だがリオは抵抗しない。
ただ一言。
「先生は、間違ってない」
ざわめき。
その夜。
独房。
拳を握る。
もう一度思い出す。
怒り。
屈辱。
それを胸で固めない。
足へ落とす。
背へ。
肩へ。
腕へ。
拳へ。
ゆっくり、流す。
空気を殴る。
――ドッ。
石壁が、微かに震える。
ヒビは入らない。
だが確かに、重い。
入口。
第二段階の、入口。
リオは笑う。
初めてだ。
負けた日の夜に、笑ったのは。
「……巡れ、か」
その頃。
副マスター・ガイラスは報告を受ける。
「例の剣士、ギルド壁を破壊」
沈黙の後。
薄く笑う。
「面白い」
謁見室。
石造りの高い天井。
重苦しい空気。
中央に立つのはリオひとり。
両脇に幹部。
そして正面。
副マスター・ガイラス。
「ギルド内暴力。器物損壊」
淡々と読み上げる。
「通常であれば資格停止三ヶ月」
ざわめき。
リオは黙っている。
視線は逸らさない。
ガイラスは椅子に深く座り、足を組む。
「だが」
間。
「壁を壊した拳。あれはC級の出力ではない」
静まる。
「偶然か、才能か」
ゆっくり笑う。
「試してやろう」
リオの眉がわずかに動く。
「次の任務を単独で受けろ」
「……単独?」
「D級緊急指定。魔獣“灰鎧狼”の討伐」
ざわつき。
灰鎧狼は群れで動く魔獣だ。
単独討伐など通常ありえない。
ガイラスは続ける。
「三日以内に達成」
「未達成なら?」
目を細める。
「冒険者資格、剥奪だ」
空気が凍る。
逃げ道はない。
リオは数秒、沈黙する。
恐怖はある。
だがそれ以上に。
燃えている。
「受けます」
即答。
幹部が顔を見合わせる。
ガイラスは満足げに頷く。
「いい目だ。あの男よりは面白い」
エルドの名は出さない。
だが、明確な対比。
「三日後、結果を持って来い」
謁見終了。
夜。
装備を整えるリオ。
仲間たちは何も言えない。
励ましも、止める言葉も。
リオは笑う。
「大丈夫だ」
根拠はない。
だが拳に、あの感覚が残っている。
流れ。
怒りの循環。
第二段階の入口。
森へ向かう途中。
頭の中で反芻する。
怒りを溜めるな。
爆発させるな。
流せ。
でも――
今回必要なのは怒りじゃない。
恐怖だ。
不安だ。
孤独だ。
それも、流せるのか?
森の奥。
遠吠え。
森の奥。
灰鎧狼が低く唸る。
灰色の鎧のような毛皮。
鋭い牙。
一匹が飛ぶ。
速い。
リオは恐怖を感じる。
だが――止めない。
胸で固めない。
足へ落とす。
地面を踏む。
背へ流す。
肩の力を抜く。
狼の爪が空を裂く。
リオは半歩ずれる。
剣を振る。
――ヒュン。
軽い。
今までと違う。
刃が滑り込む。
毛皮を断ち、肉を裂く。
狼が地に落ちる。
すぐに二匹目。
今度は低い。
恐怖が強まる。
(怖い)
だが流す。
震えを止めない。
腕に乗せる。
斬る。
血が舞う。
三匹目。
跳躍。
リオは踏み込む。
怒りも恐怖も、全部。
巡らせる。
――ズドン。
最後の一匹が崩れる。
静寂。
森に風が通る。
リオは膝をつく。
息が荒い。
だが。
立てる。
単独で。
灰鎧狼三匹。
討伐完了。
拳を握る。
確かな手応え。
「……いける」
第二段階。
入口ではあるが。
確実に触れた。
その時。
背後で――
バキッ。
枝が折れる音。
振り向く。
重い足音。
地面が震える。
木々の間から現れた影。
黒い甲殻。
鈍い光。
巨大な牙。
リオの喉が凍る。
岩猪。
前回の任務で、撤退を余儀なくされた個体。
しかも――
一回り大きい。
体表に魔力の紋様が走っている。
強化個体。
目が合う。
鼻息が白く煙る。
リオの手が、わずかに震える。
恐怖が込み上げる。
(逃げろ)
本能が叫ぶ。
だが。
逃げれば――
資格剥奪。
仲間の未来も消える。
胸が激しく脈打つ。
止めるな。
止めるな。
恐怖を溜めるな。
流せ。
足へ。
背へ。
肩へ。
剣へ。
だが――
岩猪が地面を蹴る。
突進。
速い。
前回より、明らかに。
リオの瞳が見開かれる。
(まだ――足りない)
衝撃が迫る。




