第9話:庭の番犬と、招かれざる客
一夜明けて、土曜日。
俺は朝からスマホと睨めっこをしていた。
「……防犯カメラ……」
昨晩見かけた、探索者協会の黒い車。
あれが俺の警戒心を最大レベルまで引き上げていた。
今の俺は、歩く国家予算みたいなものだ。強盗や誘拐のリスクは常に付きまとう。
それに、あの協会が強硬手段に出てこないとも限らない。
「機械警備じゃ限界があるな。かといって、人間の警備員を雇えばダンジョンの秘密がバレる」
詰んでいる。
ボロ家のセキュリティは、ザルどころか枠しかない。
「……ま、困った時のダンジョン頼みか」
俺は思考を切り替え、スコップと高級肉(昨日の残り)を持って庭に出た。
ダンジョンには、武器や防具だけでなく、従魔という概念があるはずだ。
俺の言うことを聞き、24時間不眠不休で家を守ってくれる、忠実で強力な番犬。
そんな都合のいい存在がいれば解決だ。
俺は意を決して、まだ足を踏み入れていない「第三層」へと潜った。
◇
【第三層:遠吠えの荒野】
そこは、荒涼とした岩場だった。
空には赤い月が浮かんでいる。
第一層のスライム、第二層の野菜とは違い、明らかに殺気が漂うエリアだ。
グルルルル……。
岩陰から、低い唸り声が聞こえた。
現れたのは、体長2メートルはあろうかという巨大な狼。
銀色の毛並みが月光を反射して輝いている。
【シルバー・ウルフ(Aランク)】
Aランク。
プロの探索者でもパーティーで挑むレベルの猛獣だ。
鋭い牙を剥き出しにして、こちらに飛びかかろうとしている。
「おっと、待て待て」
俺はクーラーボックスから、昨日のバーベキューで余った極上ロース(焼く前)を取り出した。
Sランク食材の生肉だ。
ピクッ。
狼の動きが止まった。
鼻をヒクヒクさせている。
殺気が消え、代わりに「え、何それ美味そう」という困惑の感情が伝わってくる。
「食うか?」
俺が肉を放り投げると、狼は空中でそれをキャッチし、一瞬で飲み込んだ。
パァァァン!
その瞬間、狼の体が光に包まれた。
攻撃エフェクトではない。これは――進化の光?
光が収まると、そこにはさっきまでの凶暴な猛獣はいなかった。
代わりにいたのは、一回り小さくなり、つぶらな瞳で尻尾をブンブン振っている、モフモフの大型犬だった。
「……ワンッ!」
「えぇ……」
俺は『ダンジョンGO』をかざした。
【名称】フェンリル(幼体)
【ランク】S(神獣級)
【状態】テイム済み(忠誠度MAX)
【スキル】
・影移動(影の中に潜む)
・絶対防御(主人の危機を感知)
・捕食(あらゆる敵を噛み砕く)
フェンリル。
神話に出てくる神喰らいの狼だ。
どうやらSランク肉の美味さに屈服し、俺を「餌をくれる神」として認識したらしい。
「よし、お前の名前は『ポチ』だ」
「ワフッ!」
こうして俺は、最強のホームセキュリティを手に入れた。
◇
ポチを連れて地上に戻ると、ちょうど一ノ瀬葵さんがゴミ出しに出てきているところだった。
「あ、佐藤さん! えっ、わんちゃん!?」
一ノ瀬さんの目がハートになった。
ポチの銀色の毛並みは、シルクのように滑らかで美しい。
見た目は完全に「品の良い大型ハスキー犬」だ。
「可愛い~!! どうしたんですかこの子!?」
「いやぁ、実家の山で迷子になってたのを保護しまして」
「モフモフですね……! すごい、毛並みがキラキラしてる……」
一ノ瀬さんが手を伸ばすと、ポチは心得たようにお腹を見せて甘えた。
Sランク魔獣のプライドはないのか。
まあ、一ノ瀬さんもSランク並みの美貌を持っているので、波長が合うのかもしれない。
「名前はポチって言います。普段は庭で放し飼いにするんで、仲良くしてあげてください」
「はいっ! ポチくん、よろしくね~」
美少女と銀色の狼が戯れる光景。
絵になりすぎる。
これだけで動画チャンネルが開設できそうだ。
平和な週末の昼下がり。
この穏やかな時間がずっと続くと思っていた。
――その日の夕方までは。
◇
日が落ち、辺りが暗くなり始めた頃。
俺はリビングで、ポチの犬小屋を組み立てていた。
ピンポーン! ピンポーン!
突然、インターホンが乱暴に鳴らされた。
モニターを見る。
そこに映っていたのは、泥酔して赤ら顔になった男。
見間違えるはずもない。
元上司、権田部長だ。
『おい佐藤! いるんだろ! 出てこいオラァ!!』
ダンダンダン!!
門扉を蹴る音。
近所迷惑極まりない。
「……来たか」
着信拒否され、会社も追い詰められ、ついに直接乗り込んできたか。
俺はため息をつき、玄関へと向かった。
足元には、ポチが静かに寄り添っている。
その瞳から甘えの色は消え、冷徹な狩人の光が宿っていた。
玄関を開け、庭に出る。
門扉の向こうで、権田がフェンスにしがみついていた。
スーツはヨレヨレ、ネクタイは曲がっている。かつての威圧感など見る影もない、落ちぶれた姿だ。
「何の用ですか、不法侵入ですよ」
「う、うるせぇ! 佐藤、てめぇのせいで会社はどうなってんだかわかってんのか!」
権田が呂律の回らない口調で喚く。
「システムが直らねぇんだよ! 損害賠償だ! 違約金だ! 社長からは俺の責任だって責められて……俺の人生めちゃくちゃだ! 全部てめぇが悪いんだよ!!」
逆恨みもいいところだ。
俺は冷ややかに見下ろした。
「それは御社のマネジメントの問題でしょう。俺には関係ありません」
「関係あるんだよぉ! 今すぐ戻って直せ! 土下座して頼めば許してやる! 戻ってこねぇなら……この家、燃やしてやるからな!!」
権田が懐からライターを取り出し、カチカチと鳴らした。
脅迫。
いや、放火未遂だ。
完全に一線を超えた。
「……やれやれ」
俺は小さく首を振った。
「ポチ」
俺が短く名を呼ぶと、俺の影の中から、銀色の巨体が音もなく滲み出た。
「ひっ……!?」
権田が悲鳴を上げた。
彼の目の前に、体長2メートルの巨大な狼が出現したのだ。
ポチは本来のSランク形態に戻り、青白い炎のようなオーラを纏っている。
グルルルルル……ッ!!
地響きのような唸り声。
それは生物としての格の違いを、本能に直接叩き込む「死の宣告」だった。
「あ、あ、ああ……」
権田の顔から血の気が失せる。
持っていたライターを取り落とす。
膝が笑い、その場にへたり込む。
ポチが、ガチン! と牙を鳴らして一歩踏み出した。
「う、うわあああああああ!!!」
権田は情けない悲鳴を上げ、四つん這いになって逃げ出した。
転がり、泥だらけになりながら、夜の闇へと消えていく。
二度とこの家の敷居を跨ごうとは思わないだろう。
「よし、いい子だ」
俺が指を鳴らすと、ポチは瞬時に可愛いハスキー犬モードに戻り、「ワフン♪」と尻尾を振った。
これで、過去(ブラック企業)との因縁は完全に断たれた。
俺にはもう、彼らを恐れる必要も、恨む必要すらない。
ただの哀れな敗北者として、記憶から消去するだけだ。
「さて、晩飯にするか」
俺はポチの頭を撫でながら、家に戻った。
フェンスの向こう、一ノ瀬さんの部屋の窓に明かりが灯っているのが見えた。
平和な夜が戻ってきた。
だが、俺は知っている。
権田のような小物は追い払えたが、あの黒い車の主たちは、そう簡単にはいかないことを。
ポチがいれば大丈夫だとは思うが、そろそろ次の一手を打つべきかもしれない。
俺はスマホで、ある検索ワードを打ち込んだ。
『ダンジョン 所有権 法律』




