第8話:Sランク霜降り肉と、覚醒した女神
金曜日の夕方。
サラリーマンにとっては華金と呼ばれる、解放の刻。
だが、今の俺には曜日感覚がない。毎日がエブリデイ・ホリデイだからだ。
俺は自宅の庭に、これまた即日配送させた最高級バーベキューコンロをセットしていた。
「野菜ときたら、次は肉だよな」
俺の足元には、クーラーボックスが置かれている。
中に入っているのは、スーパーの肉ではない。
さきほど、ダンジョンの第二層「深緑の菜園」の奥地で狩ってきた獲物だ。
【バイソン・キングの極上ロース(Sランク食材)】
牛と猪を足して2で割ったようなモンスターだったが、俺のスコップの一撃で肉塊に変わった。
鑑定結果によると、効果は「爆発的な活力向上」と「カリスマ性(覇気)の獲得」。
「炭の火加減もよし……と」
俺がトングをカチカチと鳴らしていると、フェンスの向こうからヒールを鳴らす音が近づいてきた。
一ノ瀬葵さんだ。
「……ただいま戻りました」
「おかえりなさい、一ノ瀬さん。今週もお疲れ様で……おや?」
振り返った俺は、言葉を失った。
そこに立っていたのは、いつもの「清楚で控えめなOL」ではなかった。
いや、服装はいつものオフィスカジュアルだ。
だが、纏っているオーラが違う。
背筋がピンと伸び、歩くたびに風がなびくような堂々たる風格。
ポーションとトマトで磨き上げられた肌は、夕闇の中でも宝石のように輝き、瞳には強い意志の光が宿っている。
美しい。けれど、それ以上に《《強い》》。
「何か、いいことありました?」
「ふふっ、わかりますか?」
一ノ瀬さんは、バッグを置いてフェンスに身を乗り出した。
「今日、クライアントとの全体会議があったんです。無理難題を押し付けてくる厄介な取引先で、いつもなら皆で平謝りするんですけど……」
「けど?」
「私、論破しちゃいました」
彼女は悪戯っぽく舌を出した。
「先方の矛盾点を全部指摘して、『御社の要求はコストに見合っていません』って突き返したら、向こうの部長さんがぐうの音も出なくなっちゃって。そうしたら、うちの上司たちが急に『一ノ瀬さんすごい!』って掌を返してきて」
「ははっ、やりましたね」
俺は手を叩いて笑った。
やはり、トマト(ストレス耐性UP)の効果が出ている。
今の彼女は、ブラック企業の理不尽な圧力に屈しないメンタルを手に入れたのだ。
「最高の金曜日ですね。じゃあ、今日は祝勝会といきましょう」
「わぁ、いい匂い! もしかして、バーベキューですか?」
「ええ。とびきりの肉が手に入ったんで」
俺はクーラーボックスから、サシの入った巨大な肉塊を取り出した。
美しいピンク色の霜降り。
常温に置いただけで脂が溶け出し、甘い香りを漂わせている。
「す、すごいです……! これ、何のお肉ですか?」
「えっと……『キング牛』のロースです。通販限定の」
「キング牛……聞いたことないけど、絶対美味しいやつです!」
一ノ瀬さんがゴクリと喉を鳴らす。
俺は肉を厚切りにし、熱した網の上に置いた。
ジュワァァァァッ!!
暴力的なまでの脂の音。
立ち上る白煙と共に、極上の肉の香りが庭中に充満する。
「レア、いけますか?」
「はいっ!」
表面をサッと炙り、中はまだ赤い状態の肉を皿に乗せて渡す。
彼女はフゥフゥと息を吹きかけ、それを口に運んだ。
「んむっ……!」
一ノ瀬さんの動きが止まった。
そして、カッ! と目を見開く。
「……溶けた」
「でしょうね」
「噛んでないのに、脂がジュワッてなって……お肉の甘みが爆発して……え、何これ!? 美味しいぃぃぃ!!」
彼女は頬を押さえて悶絶している。
その全身から、目に見えないエネルギーが噴き出しているのがわかる。
Sランク肉の効果、「活力向上」が即座に発動したようだ。
「佐藤さん、これヤバいです! なんか体の奥から力が湧いてきます!」
「あはは、精がつきますからね。ほら、どんどん焼きますよ」
「はいっ! ご飯もください!」
そこからは、肉の宴だった。
俺たちは星空の下、最高級の肉を貪り食った。
ビール(俺)とハイボール(彼女)が進む。
一ノ瀬さんは酔いが回ってきたのか、上機嫌で会社の愚痴……ではなく武勇伝を語り始めた。
無能な上司をどうあしらったか。
セクハラおやじをどう黙らせたか。
その姿は、かつての「守ってあげたい薄幸美女」ではなく、戦場を支配する女帝そのものだった。
「……ねえ、佐藤さん」
ひとしきり食べて飲んで、落ち着いた頃。
一ノ瀬さんが、とろんとした目で俺を見つめてきた。
フェンス越し、至近距離。
「私、決めちゃいました」
「何をですか?」
「会社、辞めようと思います」
夜風が、彼女の髪を揺らした。
「今の私なら、どこでもやっていける気がするんです。佐藤さんのおかげで、自分に自信が持てたから。……だから、あんな泥舟にこれ以上乗っている理由がないなって」
俺はグラスを傾け、満足げに頷いた。
「いい判断だと思いますよ。一ノ瀬さんの能力なら、もっと良い環境があります」
「ふふ、ありがとうございます。……佐藤さんが背中を押してくれたおかげです」
彼女はフェンス越しに手を伸ばし、俺の手の甲にそっと触れた。
熱い。
体温が高い。
Sランク肉の効果か、それとも――。
「責任、取ってくださいね?」
彼女は悪戯っぽく微笑むと、「なんて、冗談です。おやすみなさい」と言って、千鳥足で部屋に戻っていった。
「……責任、か」
俺は残されたコンロの火を見つめながら、苦笑した。
とんでもない怪物を育ててしまったかもしれない。
まあ、今の俺の経済力なら、彼女一人くらい一生養ってもお釣りが来るが。
宴の後片付けを終え、俺も家に入ろうとした時だった。
ふと、視線を感じた。
一ノ瀬さんのアパートではない。
道路の方だ。
街灯の少ない暗がりに、一台の車が停まっていた。
エンジンは切っているが、中に人が乗っている気配がする。
近所の車ではない。あんな高級車、この辺りには俺の車以外に存在しないはずだ。
「……なんだ?」
俺は目を凝らす。
車のドア部分に、目立たない色のステッカーが貼られているのが見えた。
剣と盾を交差させたマーク。
見覚えがある。
魔石買取アプリの運営元――いや、もっと上位の組織。
『内閣府直轄・日本探索者協会(JSA)』
「……おいおい」
俺の酔いが一瞬で冷めた。
ドローン取引で目立ちすぎたか?
それとも、ありえない品質の魔石を連発したせいで、目をつけられたか?
黒い車は、俺が気づいたのを察したのか、静かにエンジンを始動させ、音もなく走り去っていった。
「……楽隠居生活、そう簡単にはいかないってことか」
俺は冷え切った手で門扉の鍵を閉め、家の中へと滑り込んだ。
玄関にある、Sランク魔石の山を見る。
今の俺には金はある。だが、権力や武力はない。
もし、国や協会がこのダンジョンを接収しに来たら?
「……対策が必要だな」
俺はスマホを取り出し、新たな検索ワードを打ち込んだ。
『探索者 個人 権利』『ダンジョン 防衛 アイテム』
スローライフを守るための、第二の戦いが始まろうとしていた。




