第7話:ブラック企業、炎上中
月曜日の朝。
世間一般の社会人にとっては、憂鬱の極みである週の始まり。
だが、無職である俺にとっては、優雅な休日の続きに過ぎない。
俺はリビングのソファに深く沈み込み、淹れたてのコーヒーを啜りながらテレビをつけた。
『――次のニュースです。大手システム開発会社で発生している大規模なシステム障害は、発生から3日が経過した現在も復旧の目処が立っていません』
画面には、見慣れたオフィスのビルが映し出されていた。
ビルの前にはマスコミが詰めかけ、謝罪会見を行う役員たちの姿が大写しになる。
『この障害により、提携先のネット銀行や通販サイトがダウンしており、損害総額は数百億円規模に登ると見られています。同社の株価は……』
「……うわぁ」
俺はトーストを齧りながら、他人事のように感想を漏らした。
俺のスマホには、未だに権田や元同僚からの着信が嵐のように来ている。
留守電を聞いてみる気にもなれないが、おそらく「戻ってきてくれ」「助けてくれ」という悲鳴だろう。
もしくは「お前のせいだ」という呪詛か。
どちらにせよ、俺には関係ない。
彼らは俺を「代わりの利く歯車」として扱った。
だから、歯車が一つ抜けただけで崩壊するようなシステムを作った彼らの自業自得だ。
「さて、と」
俺はテレビを消した。
炎上騒ぎは対岸の火事だ。
俺には、もっと重要なミッションがある。
一ノ瀬さんに約束した、「美容に効くトマト」の収穫だ。
◇
スコップを片手に、俺は庭の穴へと潜った。
いつもスライムを狩っている「第一層」を通り過ぎ、さらに奥へと進む。
少し進むと、空気の匂いが変わった。
湿った土の匂いと、濃厚な緑の香り。
【第二層:深緑の菜園】
勝手にそう名付けたエリアだ。
そこは、洞窟の中だというのに、太陽のような光が降り注ぐ不思議な空間だった。
地面には青々とした草が生い茂り、見たこともない植物が自生している。
ガサガサッ。
茂みが揺れた。
現れたのは、赤い果実を頭に乗せた、二足歩行の植物モンスター。
キラー・トマト(Lv.5)。
ファンタジー映画なら人間を丸呑みにする凶悪な敵だが、うちのダンジョンでは違う。
ヨチヨチと歩いてきて、俺の足元でつまずいて転んだ。
弱すぎる。
「すまんな、サラダのために犠牲になってくれ」
俺は慈悲の心でスコップを振り下ろした。
パァン!
軽い破裂音と共にモンスターが消滅し、その場には真っ赤に熟したトマトが2個、転がっていた。
「ゲット」
拾い上げてみる。
スーパーで売っているトマトよりも一回り大きく、皮は宝石のルビーのように輝いている。
ずっしりと重い。
俺は『ダンジョンGO』でスキャンした。
【名称】ルビー・トマト(Sランク食材)
【効果】
・超高濃度のビタミン・ミネラル
・デトックス効果(体内毒素の排出)
・ストレス耐性向上
【味覚評価】
・天上の甘み
「デトックスに、ストレス耐性か……」
まさに、俺の元同僚たちに必要なアイテムだ。
まあ、あげる義理はないが。
俺はその場で一つ、服で拭って齧りついた。
ジュワッ!
「んんっ!?」
口の中に爆発的な甘みが広がった。
酸味はほとんどなく、まるで高級なフルーツのようだ。
噛むたびに溢れ出す果汁が、喉を潤していく。
美味い。美味すぎる。
これを食べたら、もうスーパーのトマトには戻れない。
「よし、乱獲だ」
俺は持ってきた収穫カゴがいっぱいになるまで、トマト狩りに勤しんだ。
ついでに、レタスのようなモンスター「グリーン・リーフ」も狩り尽くした。
◇
その日の夜。
俺は再び、フェンス越しのお隣さん会を開催していた。
「……はぁ、美味しい……」
一ノ瀬葵さんが、恍惚の表情でトマトを頬張っている。
今日のメニューは、ダンジョン産トマトとレタスの特製サラダだ。
仕事帰りだというのに、彼女の肌は発光しているかのように美しい。
ポーションの効果に加え、このトマトのデトックス効果が即座に効いているらしい。
もはや「疲れたOL」の面影はない。
今の彼女は、夜の闇の中でも輝く女神のようだ。
「どうですか、仕事の方は?」
「それが、すごく順調なんです」
一ノ瀬さんはフォークを置き、不思議そうに自分の手を見つめた。
「今まで3時間かかってた資料作成が、30分で終わるんです。頭の中がクリアで、疲れを全く感じなくて。今日なんて、部長が溜め込んでた案件まで片付けちゃいました」
「それはすごい。出世コースですね」
「同僚たちには『何かの魔法?』って怖がられましたけど……ふふっ」
彼女は悪戯っぽく笑った。
その笑顔には、以前のような媚びや諦めが含まれていない。
自信に満ちた、強者の余裕が生まれ始めている。
(……育成成功だな)
俺は確信した。
俺が与えているのは、単なる栄養じゃない。
ブラックな環境でも磨り減らない「圧倒的な個体性能」だ。
今の彼女なら、あの激務の海も優雅に泳ぎ切るだろう。
「あ、そうだ佐藤さん」
一ノ瀬さんが、スマホの画面を俺に見せてきた。
ニュースアプリの画面だ。
「佐藤さんがいた会社、大変なことになってますね。倒産の噂もあるとか……」
「みたいですね」
俺はトマトを齧りながら、他人事のように答えた。
「心配じゃないんですか?」
「全然。俺が辞める時、あの人たちは『お前がいなくても代わりはいる』って言いましたから。代わりが見つからなかったのは、俺のせいじゃありません」
俺がきっぱりと言うと、一ノ瀬さんは少しだけ目を見張り、それから優しく微笑んだ。
「……そうですよね。佐藤さんは、もう自由なんですから」
彼女の言葉が、夜風に乗って心に染みた。
そうだ。
俺たちはもう、搾取される側の人間じゃない。
「食べましょう、一ノ瀬さん。トマト、まだ山ほどありますから」
「はいっ!!」
フェンス越しの晩餐会は続く。
遠くの空では、元職場のビルが炎上しているのが見える気がした。
だが、この美味しいトマトの前では、それすらも良いスパイスに過ぎなかった。




