第16話:ライフライン停止? どうぞご自由に
翌日の火曜日。
正午。
予告通り、その時はやってきた。
プンッ。
リビングの照明が消えた。
冷蔵庫のモーター音が止まった。
キッチンで洗い物をしていた一ノ瀬社長が、「あ、水も出ません」と蛇口をひねりながら冷静に告げる。
電気、水道、ガス。
現代生活を支える全てのライフラインが、同時に切断されたのだ。
さすがは国家権力。仕事が早い。
だが、俺たちが恐れていたのは、そんな物理的なインフラの停止ではなかった。
もっと恐ろしい、この世の終わりのような絶叫が、リビングに響き渡った。
「繋がらぬぅぅぅぅぅ!!!」
ソファでタブレットを操作していたシルフィが、獣のような咆哮を上げた。
「なぜじゃ! 推しの配信が止まったぞ! ガチャの演出画面でフリーズしたぞ! Wi-Fiが死んでおる!!」
インターネット回線の遮断。
現代っ子エルフにとって、それは酸素を奪われるに等しい苦痛だ。
彼女は血走った目で俺に詰め寄った。
「オーナー! なんとかせよ! このままではログボ(ログインボーナス)が受け取れん!」
「落ち着けシルフィ。想定内だ」
俺は優雅にコーヒー(作り置き)を飲み干し、一ノ瀬社長に目配せをした。
彼女はニヤリと笑い、手元のリストをチェックした。
「兵糧攻め、開始ですね。……では、対抗策を発動します」
◇
10分後。
ボロ家のリビングは、以前よりも明るく、快適になっていた。
「ふん、人間ごときの嫌がらせなど、精霊魔法の前では児戯に等しいわ」
シルフィがドヤ顔で胸を張る。
部屋の隅には、黄色く輝く雷鳴の魔石(Aランク)が置かれている。
そこから伸びた魔力ケーブルが、配電盤に直結されていた。
ダンジョン第三層で狩れる電気ウナギ型モンスターの魔石だ。
これ一個で、一般家庭の1年分の電力を賄える。しかも電圧は安定しており、電気代はゼロ。
最強のエコエネルギーだ。
「水はどうですか?」
「第五層の湧き水をタンクに直結しました。浄水器を通す必要もないくらいピュアな軟水です」
一ノ瀬さんがコップに注いだ水を飲む。
蛇口から出るのは、市販のミネラルウォーターよりも遥かに美味い精霊水だ。
肌にも良い。
「で、問題のネットだが……」
「それも解決済みじゃ」
シルフィがタブレットを得意げに見せる。
アンテナピクトは5本立っていた。
しかも、通信速度テストの結果は、光回線すら凌駕する爆速スコア。
「風の精霊に命じて、上空を飛んでおる『人工衛星』とやらの電波を直接引っ張ってきた。セキュリティ? そんなもの、魔力干渉で素通りじゃ」
軍事衛星ハッキングである。
もはやサイバー犯罪の域を超えているが、協会がネットを止めたのが悪い。
俺たちは何も困っていない。
むしろ、インフラ代が全部タダになり、ネットは高速化した。
「……ざまぁみろ、氷室」
俺は心の中で中指を立てた。
あいつは今頃、「苦しんでいるだろう」と高笑いしているに違いない。
残念だったな。ここは魔王城だ。下界の常識は通用しない。
◇
守りは完璧だ。
次は攻めの時間だ。
「一ノ瀬社長、準備は?」
「万端です。……演技の時間ですね」
一ノ瀬さんは髪をわざと乱し、少し声のトーンを落として、悲劇のヒロインモードに入った。
そして、手元のスマホ(衛星回線接続)から、とある番号に電話をかけた。
相手は、現職の厚生労働大臣の妻、西園寺夫人。
ルビー・トマトの熱烈な愛好家であり、トマトのおかげで夫との仲が改善したと感謝してくれている太客だ。
「……あ、もしもし? 西園寺様でしょうか? 株式会社ニワサキの一ノ瀬ですぅ……」
一ノ瀬さんの声が震えている。
上手い。アカデミー賞ものだ。
『あら、一ノ瀬さん? どうしたの、そんな弱々しい声で』
「はい……実は、大変申し上げにくいのですが……明日のトマトの出荷が、できなくなってしまいまして……」
『えっ!? どういうこと!? 私、明日のパーティーでお肌をプルプルにしなきゃいけないのよ!?』
夫人の金切り声が聞こえる。
一ノ瀬さんはすすり泣くような演技を挟みつつ、告げ口を開始した。
「実は……日本探索者協会の方々が、うちに圧力をかけてきまして……。『ここのトマトは違法だ』って、電気も水道も止められてしまったんです。このままだと、冷蔵庫のトマトが全部腐ってしまいますぅ……!」
『はぁぁぁ!? 探索者協会ぃ!?』
電話の向こうで、何かが破壊される音がした。
『あいつら、私のトマトを腐らせる気!? 何様のつもりよ! 違法だろうが何だろうが、私が良いって言ってるんだから良いのよ!!』
「そ、そう言っていただけると嬉しいです。でも、私たちのような弱小企業では、国には逆らえなくて……」
『任せなさい! 今すぐ主人に電話させるわ! 協会の理事長だか何だか知らないけど、私の美容を邪魔する奴は全員クビにしてやるわ!!』
ブチッ。
通話が切れた。
激怒した夫人は、今ごろ旦那の尻を蹴り上げていることだろう。
一ノ瀬さんはケロッとした顔でスマホを置き、ニヤリと笑った。
「一丁あがりです。次は、大女優の峰岸レイカさんにかけますね。『協会に嫌がらせを受けて、美容ポーションが作れない』って」
「……おっかないなぁ」
「ビジネスは戦争ですから。使える武器は全部使います」
こうして、一ノ瀬社長による涙の告げ口電話が、政財界・芸能界のVIPたちに向けて次々と発信された。
◇
一方その頃。
日本探索者協会、関東支部。
理事長室にて。
氷室理事は、優雅に紅茶を飲んでいた。
「ふん……そろそろ泣きが入る頃か?」
電気も水も止めてから3時間。
現代人なら発狂している頃合いだ。
あの生意気な元SEと小娘が、土下座して「許してください」と懇願してくる姿を想像し、彼は薄い笑みを浮かべた。
プルルルルッ!!
デスクの電話が鳴った。
氷室は余裕たっぷりに受話器を取った。
「はい、氷室です」
『貴様ァ!! 一体何をやっているんだ!!』
耳をつんざくような怒声。
本部の会長からだ。
「か、会長? いきなり何を……」
『今、厚労大臣から直々にクレームが入ったぞ! お前のところが、ある農家に不当な圧力をかけているとな! 「うちの妻を怒らせたらどうなるかわかってるのか」とカンカンだぞ!!』
「は? の、農家……?」
『それだけじゃない! 経団連の理事、それに有名芸能事務所からも抗議電話が殺到している! 「ニワサキへの妨害をやめろ」「トマトを出荷させろ」の大合唱だ! お前、一体どこに喧嘩を売ったんだ!?』
「な……っ!?」
氷室の手から受話器が滑り落ちた。
ニワサキ。
あのボロ家に住む、ドブネズミのような男と女。
彼らが、大臣や財界人を動かしている?
「ありえない……! あいつらはただの無職だろう!?」
その時、彼のスマホが鳴った。
見知らぬ番号。
震える手で応答する。
『あ、もしもし? 氷室さんですか?』
聞こえてきたのは、憎たらしいほど能天気な、佐藤健太の声だった。
『いやぁ、なんか電気が止まっちゃったんですけど、おかげで自家発電に切り替えられました。電気代浮いて助かります。あ、それと……』
佐藤健太の声が、冷徹なものに変わる。
『うちの「お得意様」たちが、そっちに挨拶に行ってると思いますけど。……兵糧攻め、もう終わりですか?』
氷室は理解した。
自分が手を出したのはドブネズミではない。
国家権力すら食い破る、正体不明の怪物だったのだと。




