第1話:手取り18万と、庭の穴
「次は~、横浜~、横浜~」
気怠げなアナウンスと共に、満員電車が吐き出した人の波に揉まれる。
湿った熱気と、他人の汗の匂い。
俺、佐藤健太の鼻腔をくすぐるのは、現代社会の腐臭だ。
時刻は23時半。
システムエンジニアという横文字の職業についたはずが、現実はただのデジタル土方である。
「……あー、死にた」
スマホの画面には、今月の給与明細が表示されている。
基本給、安すぎ。残業代、みなし込み。
控除、控除、控除の雨あられ。
【差引支給額:178,500円】
横浜の片隅で、27歳の男が命を削って手に入れた対価がこれだ。
今の日本じゃ、探索者とかいう一攫千金の職業が流行っているらしいが、運動音痴でビビリの俺には関係のない世界だ。
俺にできるのは、バグだらけのコードを修正し、理不尽な上司に頭を下げることだけ。
「……帰ろ」
駅からバスに揺られること20分。
さらに徒歩で10分。
街灯もまばらな住宅街のどん詰まりに、俺の城はある。
築45年、木造平屋建て。
半年前に亡くなったばあちゃんが、俺に残してくれた唯一の遺産だ。
「ただいまー……っと、暗っ」
玄関灯は先週切れたままだ。買い換える金も惜しい。
正直、この家は俺にとってお荷物でしかなかった。
売ろうにも、駅から遠すぎて買い手がつかない。
建物は古すぎて価値ゼロ。土地代よりも解体費の方が高くつく始末だ。
まさに、人生の《《負動産》》。
ため息をつきながら、錆びついた門扉を開ける。
雑草が伸び放題の庭が、月明かりに照らされている。
週末に草むしりをする予定だったが、休日出勤で潰れたんだった。
「……ん?」
その雑草のジャングルの中に、違和感があった。
物置の裏手あたり。
そこだけ、ぼんやりと青白く発光している。
「なんだあれ……。まさか、不法投棄か?」
この辺りは人通りが少ないから、家電を捨てていく不届き者がたまにいる。
もし冷蔵庫とかだったら、処分費だけで俺の小遣いが吹き飛ぶ。
嫌な予感を抱え、俺は物置から園芸用のスコップを取り出した。
ザッ、ザッ、と雑草を踏みしめて近づく。
「おい、誰だ。そこになに捨て……」
言葉が止まった。
ゴミじゃない。
穴だ。
直径1メートルほどの穴が、地面にぽっかりと空いていた。
そしてその奥から、LEDライトのような青い粒子がふわふわと漂い出ている。
「これ……テレビで見たことあるぞ」
ダンジョンゲート。
十数年前から世界各地に発生し始めた、異空間への入り口。
でも普通、こういうのは山奥とか、廃ビルとかにできるもんじゃないのか?
なんでよりによって、築45年の民家の庭に?
「うわ、めんどくさ……」
俺の口から出たのは、驚きよりも落胆だった。
自宅の敷地内にダンジョンが発生した場合、どうなるんだっけ?
役所に届け出? 自衛隊が来る?
もしかして、退去命令とか出るのか?
「勘弁してくれよ……引っ越し代なんてねえぞ」
その時だった。
ぷるん。
穴の中から、何かが飛び出してきた。
青くて、半透明で、ゼリーのような物体。
「……スライム?」
ダンジョンのマスコットキャラクター。最弱のモンスター。
そいつは俺の足元でポヨンと跳ねると、敵意むき出して体当たりしてきた。
ぽよん。
「……痛くない」
スニーカーのつま先に当たった感触は、ゴムボールをぶつけられた程度だった。
なんだこれ。
テレビじゃ「スライムの酸で溶かされる!」とか言ってたけど、全然そんな気配はない。
「ええい、邪魔だ!」
イライラしていた俺は、手に持っていた園芸用スコップを振り下ろした。
カキン、という硬質な音。
金属製のスコップが、スライムの脳天(?)を捉える。
次の瞬間。
パァァァン!!
「うおっ!?」
スライムが、風船が破裂するように弾け飛んだ。
あまりにも呆気ない最期。
そして、キラキラと光る粒子と共に、地面に「カラン」と何かが落ちた。
「……石?」
拾い上げてみる。
親指ほどの大きさの、透き通った青い結晶だ。
月明かりにかざすと、内部で光が乱反射してギラギラと輝いた。
「魔石……だよな」
モンスターの心臓部であり、エネルギー資源として高値で取引されるアイテム。
俺は震える手でスマホを取り出し、インストールだけはしてあったアプリ『ダンジョンGO』を起動した。
カメラ機能で、この石をスキャンする。
『解析中……』
画面にグルグルとロードマークが回る。
どうせ、数十円とかだろ。
スライムの魔石なんて、駄菓子代になればいい方だってネットで見たし。
『解析完了』
軽快なファンファーレと共に、査定結果が表示された。
【名称】高純度ブルークリスタル(Sランク品質)
【ドロップ元】クリスタル・スライム(希少種)
【推定買取価格】1,000,000 JPY
「…………は?」
俺はスマホの画面を二度見した。
いや、三度見した。
イチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン……。
ゼロが、6つ。
「ひゃくまん……?」
100円の間違いじゃないのか?
いや、アプリのバグか?
俺は慌てて画面をスクロールし、詳細情報を確認する。
『※希少種クリスタル・スライムの核。極めて純度が高く、半導体素材として最高ランクの価値を持つ。市場需要:極大』
ゴクリ、と喉が鳴った。
手の中にある、たった一個の石ころ。
これをスコップで一回叩いただけで手に入れた。所要時間、約5秒。
今日の俺の日給は、残業込みで約9千円。
この石一個で、俺の労働の111日分。
いや、手取り18万の月給に換算すれば……5ヶ月分以上。
「…………」
俺は視線を、足元の穴に戻した。
穴の奥からは、まだ青い光が漏れている。
そしてよく見れば、穴の縁に、さっきと同じ「ぷるん」とした影が、もう一匹顔を出そうとしていた。
俺はスコップを握り直す。
心臓が、早鐘を打っていた。
恐怖じゃない。
これは、興奮だ。
「……明日、会社休みます」
誰に言うでもなく呟いて、俺はスコップを振り上げた。




