第7話 異質④
プロレスの試合では、序盤はまずロックアップをするのがセオリーだ。
組み合って力と技量、相手のコンディションを探る。
だが当然か、この世界のリング上には、そんな暗黙の了解など存在しなかった。
ロイスは動かない。
仁王立ちのまま、こちらを見下ろしている。
攻めてこない。
まずは私のスキル――プロレス技を見極めるつもりなのだろう。
無抵抗の相手に、どう立ち回ればいいものか決めあぐねる。
その逡巡を見透かしたように、ロイスが口を開いた。
「俺のことなら心配しなくていい。全力で来い」
……上等だ。
全力の許可は降りた。
プロレスラーのプライドにかけて、本気でやらせてもらおう。
「……いきます!」
短く息を吐き、正面から踏み込む。
手のひらは広げた状態のまま。
くの字に曲げた右腕を、薙ぎ払うように振り抜く。
――逆水平チョップ。
乾いた破裂音がリングに響いた。
だが、手応えがない。
うまく言葉にできない。
殴った感触が、どこかおかしい。
ロイスは微動だにせず、余裕の表情を浮かべていた。
「ほう……響くな」
まだだ。
右腕を再びくの字に曲げ、腰の捻りを加えた鋭いエルボーを打ち付ける。
手は止めない。
左に振り抜いた右腕を返すように、もう一度逆水平チョップで胸元を薙ぐ。
さらにエルボーをもう一撃。
打撃は確かに当たっている。
なのに、返ってくるはずの手応えだけがない。
「……なるほどな。すまねえ、フェアじゃなかったな」
ロイスがふっと肩の力を抜く。
空気が変わった。
さっきまでまとわりついていた重圧が、すっと薄れる。
それを見たエレンが一歩前に出る。
「ロイス、それはさすがに危険だ。何かを隠している可能性も――」
「まあまあ、様子を見ようじゃないか」
リング下でエレンとターナーが話している。
やはりロイスに何か変化があったようだ。
マナとか加護とか、この世界独自の力に何かが。
「仕切り直しだ、アカネ。今度はこっちからも行くぜ」
……わからないものを考えてる場合じゃない。
来る――!
ロイスが大きく息を吸いこみ、右足を前にした構えから大きく一歩。
左手を大きく払う逆水平チョップが放たれた。
すんでのどころで、両腕で受けるが、その衝撃でロープまで吹っ飛ばされた。
「い……ったぁ……!」
ウェイトトレーニングで大きくした筋肉とは違う、実戦で鍛えられた筋肉から繰り出される打撃は、今まで味わったことのないものだった。
「どうした? 終わりか?」
挑発にも似た言葉に、奥歯を噛みしめる。
「……まだです!」
ロープを押し下げ、その反動を借りて一気に距離を詰める。
まだ衝撃の残る右ひじを突き出しエルボー……!
だが、それをロイスは余裕の表情で躱す。
それならっ……!
反対側のロープまで走り、背を預け、リング内を二往復。
目にも留まらぬ速さでリング内を駆け抜け、右足を踏み込み、ラリアット……決めるッ!
そう思った瞬間、ロイスが目の前から消えた。
行き場を無くした右腕が宙に放たれる。
気付いた時には、背後から腰に手を回されていた。
やばい、これは、投げられる。
恐らく、ジャーマンスープレックス。
この世界にジャーマンがあるかどうかはわからない。
だが、私の身体が、経験が、この後にくる技を予測する。
ロイスが後ろにのけぞる瞬間、自らリングを蹴り、その勢いを倍増させる。
首から落とされるはずだった私の身体は、宙で一回転をしリングに着地、再びリング中央でロイスと向き合った。
一瞬の静寂。
「うおー! アカネちゃんすげーッス!」
「おいおいおい、なんて反応速度だよ!」
ライノとラギの歓声が耳に届く。
……やばい、楽しい。
これだ。やっぱりプロレスは、これだ。
二人の声を受け、自然と拳に力がこもった。
もう一度、攻める――!
気合の逆水平チョップ、そして今一度エルボースマッシュ!
エルボー、エルボー、さらにエルボー……!
さっきまで弾かれていた打撃が、今度はちゃんと届いている感触に変わった。
ロイスの首元が赤く染まる。
もう一押し……!
右足を軸に体を捻りつつ、低く沈み込む。
一回転。
左足の踏み込みと同時に、全身のばねを解放する。
「――『ハートクラッシュ』!」
下から突き上げるようなローリング・エルボー。
身長の低い私が、ダメージを叩き込むために磨き上げた技だ。
「ぐっ……」
確かな手応え。
ロイスが後ずさる。
――ロープまでは、約一メートル。
この距離なら……いける。
大きく二歩、そして跳躍。
空中で、ロイスの頭に左腕を引っかける。
右脚でトップロープを蹴り、マットと水平に身体を回転させる。
空気が螺旋を描くように渦を巻き、ロイスの巨体もまた不穏な軌道を描いて傾いた。
左脇でヘッドロックを固めたまま、さらにもう一周――。
回転する視界の端で、一瞬だけターナーと目が合う。
見定めるような視線。
技を見ているだけじゃない。
私という存在そのものを、量っている気がした。
その視線を振り切るように、腕に力を込める。
――決める!
身体を叩きつけるように重心を落とす。
ロイスの頭を抱え込んだまま背中からマットへ倒れ込み、遠心力と全体重を一気に解放した。
「やああああっっ!!」
ロイスの脳天を、真下に突き刺すように落とした。
鈍く重い衝撃音が、部屋に響き渡った。
旋回式DDT。
間違いなく、完璧に入った。
だが――。
首を押さえながら立ち上がるロイス。
それを見て、考えるより前に走り出していた。
踵を返し、ロープへと走る。
その反動を借りて一気にトップスピードまで加速した。
振りかぶった右腕に合わせて、同時に大きく右足を踏み込み、右腕をまだ膝立ちのロイスの胸元に打ち付ける……!
次こそ当てる! 全力の、ラリアット!
「っらあああああ! 『ハートブレイク!』」
インパクトの瞬間、右腕にぐっと力を込める。
そのまま、ブレーキをかけずに駆け抜けた。
全体重を乗せたラリアットを受けたロイスの巨体は、その場で一回転し、マットに沈んだ。
これが、今の私に出せる全力のフィニッシャー。
「はあっ、はあ……っ」
息を整えながら、ロイスを見下ろす。
「ははっ!」
ロイスは仰向けのまま、豪快に笑った。
ゆっくりと起き上がり、胸元を払う。
「アカネ、やるじゃねえか」
その一言で、張り詰めていた胸の奥が、ようやくほどけた。
【プロレス余談】
ゴングが鳴ると、まずは組み合って『ロックアップ』という行為をします。
必須というわけではないですが、お互いの調子や実力を見る+序盤を盛り上げるのが定番の流れです。
お互いに左手で相手の後頭部を掴んで引き寄せつつ、右手で相手の左ひじあたりを掴む形がメジャーです。
その状態から関節技を決めたり、投げたり…。
この最序盤の探り合いがあるからこそ、終盤が盛り上がるんですね!
もっとも、ヒールレスラーはゴングが鳴る前に襲い掛かることも多いので、ロックアップがされないこともしばしば。
それはそれで盛り上がるので、全然ヨシです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
作品はもちろんですが、プロレスに少しでも興味を持っていただけたら最高です。
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