第26話 挑戦②
ランニングを終えて、トレーニングルームに戻る。
あと数時間もすれば、ここで試合が行われる。
試合とはいうが、勝つことが目的ではない。
自らの力を証明すること。
――気のせいか、今日はマットが硬く感じる。
少し身体が緊張でこわばっているのかもしれない。
いつも通り全身のストレッチから始める。
まずは首をゆっくり回す。
腕を振り、手首を曲げ伸ばす。
肩を寄せて開いて、肩甲骨を動かす。
腰をひねり、骨盤の位置を確かめる。
股関節を開き、太ももを伸ばし、足首を回す。
軽くジャンプし、マットの感覚を確かめる。
ロープに手をかける。
見た目よりずっと硬いロープ。
その張りのある感触を背中で受け、一歩、二歩……。
逆サイドも同じ。
ロープの軋む音が、マットを蹴る音に重なる。
一定のリズム。
息が乱れない範囲で、身体のギアを上げていく。
前世でも、試合の日だろうが同じことをしていた。
会場入りの前に走る。リングに上がり、ロープワークや受け身をこなす。
一通りのウォーミングアップを終わらせ、コーナーにかけてあったタオルで汗を拭った。
「緊張してる?」
静か見守っていたカノンと目が合った。
リトルファイヤーとなれば立場が変わる。
友人ではあるが、上司と部下の関係にもなる。
カノンとこの距離感でいられるのも、今日でいったん終わり。
「ちょっとね」
「この五日間で身に付けたことをぶつければ大丈夫よ。私が保証する」
カノンにそう言われると、自信が湧いてくる。
多少の贔屓目はあるだろうが、それでもカノンは公正な判断を下すタイプの人間だ。
「うん……全力でやるだけ、だね」
「そう。全力で、ね」
ロープ越しに拳を突き出すと、カノンも同様に拳を突き出した。
触れてはいない。
だが、熱い想いは確かに通じ合った。
「それじゃあ、ちょっと早いけど食堂へ行きましょうか。試合前だけど……食べるわよね?」
「もっちろん! むしろ、食べないと全力出せないよ!」
「それでこそアカネね」
「食いしん坊だからね!」
「ふふ、そうだったわ」
外へ出ると、空はすっかり青さを取り戻していた。
澄んだ風が肌をなで、遠くには山々がくっきりと浮かんでいる。
昼食を食べたら、そのままゆっくり昼寝でもしたい。
そんなことを考えてしまうくらい、気持ちのいい昼前だった。
食堂の扉を開けると、まだ人はまばらだった。
ミトラとペトラの姿はまだ無い。
パイを温め、食事をよそい、窓際のいつもの席に座る。
「……カノン。この五日間、ありがとうね。カノンのおかげでここまで来れたよ」
私は静かにそう言った。
「アカネ、どうしたのよ急に」
「いやー、こうして過ごせるのも最後かもと思ってさ」
「私の方こそ、楽しかったわ。ありがとうね、アカネ」
カノンはどこか寂しげで、それでも嬉しそうに柔らかく笑った。
「よー、ふたりとも!」
遠くからペトラの声が届いた。
ミトラとペトラも食事を持ってやってきた。
「ふたりとも今日は早いじゃん! アカネ、この後いよいよ試合だな! あたしも見に行っていいか!?」
「残念だけど、それは難しいわ」
カノンが即答した。
「え、なんでよ!」
「大事な入隊テストよ。エレンさんが許可しないでしょう。見に来たかったら、エレンさんの許可を取ってきなさい」
「う……それならいいや……」
カノンがエレンの名前を出すと、ペトラはすぐに諦めた。
「アカネさん、昨日のペトラとの手合わせ、聞きましたよ。これならロイスさんに一撃与えられるだろうって、ペトラが」
驚いてペトラを見ると、柄にもなく照れているではないか。
「……いや、まあさー! アカネなら本当にできると思うんだよ! ちゃんと強かったぞ!」
嘘がつけないペトラの言葉に、胸が熱くなる。
「……ありがとう、ペトラ、ミトラ。入隊テストの結果、楽しみにしててね!」
仲間、と呼んでいいのだろうか。
二人のおかげで、この五日間楽しく過ごせた。
感謝している。
「アカネ、そろそろ行きましょうか」
「うん!」
「アカネ、頑張れよー!」
「アカネさん、頑張ってくださいね!」
私とカノンは、二人に見送られて食堂を後にした。
トレーニングルームの扉を開けると、中に人影が見えた。
ターナー、エレン、そしてロイスだ。
ロイスはすでにリングに上がっている。
改めて見るとこの三人、とんでもない存在感だ。
マナを感じるようになって、それがより一層わかる。
特にエレンの視線は鋭い。
私の呼吸から全身、マナにかけての全てをチェックされているようで緊張する。
そんな中、ターナーが一歩前に出る。
「やあ、アカネ。久しぶりだね。この五日間、どうだったかな?」
安心感のある優しい声。
加えて穏やかな笑顔。
全て受け入れてくれるような抱擁感に包まれた。
「は、はい……! おかげさまで、たくさん学ばせていただきました! みんな優しくて、色々良くしてくれて……」
「それは何よりだ。前に会った時とはずいぶん違うね。ちゃんと積み上げてきた顔だ。……では、早速だが」
「はい!」
リングに上がろうとした、その時だった。
「良かったー! 間に合ったッス!」
「おう! 俺たちも見させてもらうぜ!」
見ると、ライノとラギが入ってきた。
「ダメだ。ここは私たちだけで見届ける」
エレンが二人を制止する。
「そこをなんとか! 大人しくしてますから!」
「アカネがどう強くなったのか見守るだけだ! それにライノがどうしてもって言うからよお!」
「いやいや、どっちかというとラギさんの方が来たがってたじゃないッスか!」
早速うるさくしている。
見に来てくれたのは嬉しいが、これではエレンが許可しないだろう。
「頼みますよ! 邪魔はしないんで!」
エレンがターナーを見る。
「やれやれ……。エレン、静かに見るだけならいいんじゃないかい?」
「……ターナー様がよろしければ」
「ありがとう。二人とも、くれぐれも邪魔しないように」
ラギとライノは声をこらえながら、嬉しそうに何度も頷いた。
「アカネ。上がってこい」
私はゆっくりとロープをくぐり、ロイスと対峙する。
マナを身に付けたからこそわかる。
この人は、とてつもなく強い。
以前立ち会った時にはわからなかったロイスのマナを、今でははっきりと感じられる。
本気を出されたら、一撃すら耐えられないだろう。
一瞬、体が震えた。
だが――これは恐怖からくる震えじゃない。
武者震いだ。
鼓動が速くなるのを感じる。
体温が上がる。
「形式は立ち合い。実戦に近い状況で行う。勝敗は問わない。アカネ、この五日間の成果を発揮してみせろ」
エレンが言った。
勝てばいいわけじゃない。
派手な技を決めればいいわけでもない。
自分の成果を魅せる、それだけ。
「多少は強くなったみたいだな」
「はい。カノンにみっちり鍛えられました」
「そうか。それは楽しみだ」
ロイスは不敵に笑った。
視界の端にいるカノンに視線を向けると、目が合った。
アカネなら大丈夫。いつも通り、全力で。
その目は、そう言ってくれていた。




