第24話 成長⑤
カノンとタニアがトレーニングルームを出ていく。
扉が閉まり、足音が遠ざかった。
静かな室内に聞こえるのは、私自身の呼吸だけ。
……いや、違う。
もうひとつ、はっきりと感じる気配がある。
扉の前に立つ、やけに元気な存在。
嫌な予感が、じわじわと迫ってきた。
「アカネー、ちょっと見てやるよ!」
やっぱり。
予感、的中。
「え、えっとー……ペトラが? ちょっとそれはまだ――」
「大丈夫だって! 今だってリトルファイヤーと実戦演習してきたところだから!」
……そのリトルファイヤー、無事?
喉まで出かかった言葉を、ぐっと飲み込んだ。
「そ、そっか……。でも、こういうのはカノンに――」
言い終わる前に、ペトラが床を蹴った。
衝撃音と同時に、視界から姿が消える。
次の瞬間、ペトラはもうリングにいた。
中央のマナリアクターを軽々と抱え上げ、まるで邪魔な荷物でも片付けるみたいに、隅へ移動させる。
「よーっし! 準備完了! いつでもこい!」
まじか……。
この流れ、止められる気がしない。
私、入隊テストするまでもなく死ぬかも。
……そうだ、何か条件を。
「あ、じゃあ! ペトラは攻撃しないっていうのはどう?」
「えー、そうだなー……寸止めならいいよ!」
その言葉に、逆に不安が増した。
寸止めをする技術がペトラにあるのだろうか……?
「どうした? 来ないならこっちから行くぜー!」
返事を待たず、低い姿勢から一気に距離を詰めてくる。
しかも、手をマットにつけて四足で駆けてくる。
その姿は、まさに狩猟犬。
「えっ、ちょっ……!」
体当たりを、ぎりぎりで横にかわす。
突風のような勢いが、耳元をかすめた。
「いい反応じゃん! さっすがー!」
「ちょっと待って、ほんとに!」
聞く耳持たず。
ペトラは舌なめずりし、再び突っ込んでくる。
狭いリングの中でなんとか回避し続けるが、このままでは埒が明かない。
――仕方ない。こっちからも!
「やあぁぁぁっ!」
突進に合わせ、低空ドロップキック。
だが、手応えは軽い。
ペトラの勢いは止まらず、逆に弾き飛ばされる。
反射的に、なんとか後ろ回り受け身を取る。
「悪くないけど……まだまだだな!」
ペトラは犬がお座りをしたような格好で、にかっと笑っている。
「アカネ、スキルも少し使えるようになったんだろー? ちょっとやってみてよ!」
「う、うん……! いいけど、スぺル発現する前に攻撃してこないでよ!?」
「もっちろんだぜー! はやくはやく!」
私は胸に手を当て、気持ちを落ち着かせた。
その手を拳に変え、ペトラに向かって突き出し――。
「『火炎』!」
魔法陣が弾け、拳に炎が宿った。
「おおーっ! 炎か! アカネっぽくていいじゃんかー!」
「でしょ!」
「じゃあ、あたしも!」
「え!? ペトラは――」
私が言い切る前に、ペトラの四肢に緑色の魔法陣が浮かぶ。
「『疾風!」
緑色の風をまとったペトラが、再び戦闘態勢を取る。
「よーっし、行くぜー!」
一発目と同様、低い姿勢からのタックル。
だが、さっきより速度が上がっている。
「うわっ! ちょ、ちょっと待ってよ、ペトラ!」
聞こえているのかいないのか、ペトラはリング内を縦横無尽に駆け回る。
私はというと、炎を維持しながら躱すのが精一杯。
ペトラの動きを気にしながら、右手の炎を切らさぬよう、集中――。
やはり、練習と実戦は全然違う。
スキルを打とうにも、その隙を与えてくれない。
なんとか避け続けるものの、炎は少しずつ小さくなっていく。
やばい、このままじゃ――!
一か八か、当てるしかない!
ロープを背にして、ペトラのタックルをあえて受け止める。
衝撃が体を走り、片膝をつく。
右手の炎が消えた。
だが、まだ耐えられる威力だ。
これくらいのタックルなら、今まで何度も受けてきた。
「おっ、そう来るか!」
驚きと喜びが混じったような声を上げるペトラ。
攻撃をするなら今しかない。
「『火炎』! やあぁぁぁっ!」
私は膝立ちのまま、右手に炎を発現させ、勢いのままにペトラの肩口に叩きつける――。
だが、ペトラはそれを左腕で防いだ。
「やるじゃん、アカネ!」
ペトラはそう言うと、私の頭に腕を回した。
――まずい、投げられる!
ペトラの腕を剥がす間もなく、私の体は垂直に持ち上げられた。
世界が反転する。
これはたぶん、垂直落下式ブレーンバスター。
そう思った瞬間、目の前に見えていたマットが、急に遠ざかった。
「……は?」
天井が迫る。
内臓が浮く感覚。
遅れて、ペトラが高く跳んだことに気が付いた。
「ちょ、ちょちょちょちょっとペトラァァァ!?」
「ウオオオオオッ! 『狂犬牙』!」
遠ざかる天井。
近づくマット。
この高さから落とされたら――!
だが――。
ペトラはそのまま着地し、私をふわりとマットに落とした。
……あれ?
い、生きてる……。
止まっていた時間が、まとめて流れ込んでくる。
遅れて胃の奥がひっくり返るような感覚が追いつき、内臓が元の位置に戻るまで数秒かかった。
「しっ……死ぬかと、思った……」
「あはははは! アカネは大げさだなー!」
「だ、だって……ペトラは手加減ができないって聞いてたから……」
「むっ! 失礼な! あたしだって、やる時はやるぞ!」
ペトラは腕を組み、ぷいっとそっぽを向く。
「ちゃんと寸止めしただろー?」
「寸止めっていうか……ほぼ事故寸前だったような……」
仰向けのまま大きく呼吸をする。
心臓が早鐘を打ち続けている。
「でもさ、アカネの動き、悪くなかったぞ!」
「ほ、ほんと?」
「おー! 判断も早くて、受け身もばっちり! スキルもものになってたぞ! ま、防いだけどなー!」
ペトラが八重歯を見せて笑う。
「あ、ありがとう! くそー、せめて一撃はぶつけたかったー!」
素直に嬉しかったが、もっとやれると思っていた分、悔しさも大きい。
「じゃあ、もう一回――」
「そこまでよ」
低く、通る声。
入口を見ると、カノンが立っていた。
「ペトラ」
名前を呼ばれただけで、ペトラの体がびくっと反応した。
「な、なんだよカノン……」
「ついてこないと思ったら……。アカネはまだリトルファイヤーじゃないのよ。後で覚えておきなさい」
「う……」
「ペトラも知ってるでしょう? ロイスさんだけじゃなく、エレンさんも関わっているのよ。アカネに何かあったらどうするの?」
ペトラは、ばつが悪そうにこちらを見た。
「ご、ごめん、アカネ」
ペトラは、しゅんと肩を落とす。
さっきまでの勢いはどこへやら。
狂犬が子犬になってしまった。
「い、いや……生きてるから大丈夫……たぶん」
そう言うと、ペトラは少し安心したように笑った。
「でもでも、さっきのはマジで良かったぞ! 『火炎』のやつ! 発現速度が上がれば、もっと良くなると思うぞ!」
「ほんと!?」
「おー! この調子ならリトルファイヤーでもやっていけるだろー!」
必死だったが、少しでも力を出せていたんだ。
口元が緩んでしまいそうだ。
「さて」
カノンが手を叩く。
「アカネはトレーニングに戻って。ペトラは私と来なさい」
「はい!」
「うっ……」
カノンの言葉に、ペトラは怯えたように身を縮めながら、リングを下りていく。
きっとまだ続けたかったのだろう。
名残惜しそうに振り返って、私を見る。
「アカネ! リトルファイヤーになったらまたやろうなー!」
「……うん。その時は、ほどほどにお願いします」
「任せろ! たぶん!」
たぶんかよ。
心の中で突っ込んだ。
「アカネ、本当にいい動きだったわよ」
「ほんと? っていうか見てたんだ。止めてよ、もー!」
「最後のブレーンバスターは、止めようとすれば止められたんだけど……。叩きつける気が無いのは見えてたから、下手に手を出すと危ないと思って」
「……それは、そうかも」
「あとは今ペトラが言っていたように、スペルの発現速度ね」
確かに。
ペトラくらい速い相手だと、スペルを使う準備すらさせてくれない。
頭ではわかっていたつもりだったが、練習と実戦では全く違うことを、身を以て知ることができた。
ペトラと手合わせできて良かった。
試合は明日だ。
残りの時間、スペルの発動速度を課題にして、最後の追い込みをかけよう。
ラストスパートだ――!
【プロレス余談】
垂直落下式ブレーンバスターとは…?
まずは『ブレーンバスター』について説明します。
英名はBrainbuster。
Brainの名の通り、脳天をマットに叩きつける投げ技です。
まずは、前屈みになった相手の頭部を自分の脇に抱え込みます。
もう片方の手で、相手の腰あたりを持ち、地面と垂直になるように真上に持ち上げます。
その状態から、後ろに倒れ込むようにして、相手の背中~首あたりを地面に叩きつけます。
(本当は脳天なんですが、それは危険すぎるので・・・)
次に『垂直落下式』について。
通常ですと、後ろに倒れ込むように投げるブレーンバスターですが、
垂直落下式の場合は、その名前の通り真下に垂直に落とします。
自分自身は尻餅をつくような形です。
通常と違い、脳天から落ちるような形になるので、かなり危険です。
絶対に素人にはやらないようにしましょう。




