第23話 成長④
特訓五日目。
雨音で目が覚めた。
窓越しに外を見ると雨が降っている。
空は白く、重たい雲が街を覆っている。
身体を起こすと、体がやけに重かった。
気圧のせいでも、筋肉痛でもない。
マナを消費しきった時に似た、体の奥に残る疲労感だ。
回復が、少し追いついていないのかもしれない。
身支度を済ませてリビングへ行くと、カノンが朝食の用意をしていた。
「おはよう、カノン」
「おはよう、アカネ。ちょっと待ってて、今お茶を淹れるわ」
「うん、ありがとう」
まだ半分眠ったままの目をこすり、あくびをひとつ。
差し出された温かいお茶を飲むと、ようやく目が覚めてきた。
「はぁ……あったまる……」
「今日は少し冷えるわね。体調を崩さないよう、気を付けてね」
「ありがとう。……あれ、クララさんたちは?」
「エルダとチエリを連れて市場へ出かけたわ」
「市場かぁ。いいな、楽しそう!」
「屋台も多いし、食いしん坊のアカネにはぴったりかもね」
「えっ、私そんなキャラ?」
「あら、自覚なし?」
確かに、食堂で昼食をとる際は、必ずおかわりはしているが……。
でも、プロレスラーとしては普通――むしろ食べる量は少ない方だと思う。
食い意地が張っていると見られているとしたら、なんとも複雑だ。
「たくさん食べることは悪いことじゃないわ、むしろ健全よ」
「そ、そうだよね! たくさんトレーニングして、たくさん食べる! 大事!」
そう自分に言い聞かせながら朝食を済ませた。
外に出ると、湿った空気が一気に体を包む。
土と石と、街の匂い。
雨の日の匂いは、嫌いじゃない。
外套のフードを被り、石畳に足を出す。
水たまりが小さく揺れた。
雨は一定の強さで降り続いている。
いつもは賑やかな通りも今日は控えめで、落ち着いた静けさがある。
カノンの背中を見ながら、深く息を吸い込む。
「もう明日か……」
「アカネなら大丈夫よ。ちゃんと成長してるもの」
「……うん」
ノクティさんの店でパイを買う。
これも、もうすっかり日課となった。
城の正門を通り、トレーニングルームへ。
軽くストレッチをしてから、外に出てランニング。
雨は降っているが、ランニングに支障が出るほどではない。
いつもと同じ、城壁沿いを一周してから、再びトレーニングルームへ戻った。
「アカネ。私は少し用事があるから、一人でトレーニングをしていてくれる?」
汗と雨で濡れた体を拭いていると、カノンが言った。
「うん、わかった。長くなる?」
「お昼までには戻るわ。扉にはスペルをかけて開かないようにしておくから」
「わかった! いってらっしゃい!」
「ええ、また」
一人になると、静けさがゆっくりと広がっていく。
リングのマットに大の字に寝っ転がる。
天井の、十字に組まれた梁が目に入った。
「そういえば……」
宙を見つめながら、ぽつりと呟く。
「こっちに来てから、ちゃんと一人になるの……初めてだな」
転生して、まだ数日しか経っていない。
だが、すでに多くの人に助けられてきた。
教えてくれる人がいて、見守ってくれる人がいて、応援してくれる人がいる。
一人になって、ようやくそれを噛みしめる。
「リトルファイヤー……絶対なるから……!」
自分に言い聞かせるように、拳を静かに握る。
思考を切り上げるように身体を伸ばし、気持ちを切り替えた。
「……っし。今日もやりますか!」
ネックスプリングで勢いよく跳ね起きた。
早速スキルのトレーニングを始める。
ラリアットの他に、逆水平チョップ、エルボーバット、パンチ、掌底。
持続力を意識しながら、一定のリズムで様々なスキルを当て続ける。
段々と腕が重くなる。
呼吸が浅くなり、肺が小さく悲鳴をあげる。
苦しいが、自分を追い込んでいく感覚は嫌いじゃない。
インターバルを挟みながら数セット終え、休憩を取っていると、ふと疑問が浮かんだ。
「そういえば……ラギさん、『ドラゴンスケイル』をオリジナルの必殺技って言ってたな……」
必殺技に名前を付ける。
それだけで、ただのスキルから、自分だけのものになる気がする。
「……ああいうの、勝手に名付けていいのかな」
オリジナルの必殺技であり、フィニッシャー。
プロレスラーとしても、特撮オタクとしても、胸が高鳴らないはずがない。
「誰も見てないし……ちょっとだけ……」
一度だけ、扉へ視線をやる。
誰もいない。よし!
ロープにもたれかかり、形になりつつあるラリアット――『ハートブレイク』の構えをとる。
拳に炎をまとわせる。
目を閉じ、息を整え、ロープの反動を利用して前傾姿勢で走り出す。
「『ハートブレイク――」
右腕を思い切り振りかぶり、マナリアクターに叩きつけ――。
「――バースト』!」
爆ぜるような衝撃と同時に、音が一気に弾けた。
今までで、一番はっきりした手応え。
腕に残る反動が、それを教えてくれる。
炎も崩れていない。
ちゃんと維持できている。
「よっ……しゃー! やっぱり必殺技ってテンションあがるー!」
思わず声が大きくなる。
「『ハートブレイク・バースト』……。悪くないかも。さすが私」
自分のネーミングセンスを自画自賛し、もう一発――。
そう思ったところで、トレーニングルームの扉が開いた。
「あ、カノン! 用事は終わり?」
「ええ、大体ね。アカネの調子はどう?」
カノンは少し疲れた様子だが、いつも通りの落ち着いた表情。
「かなりいい感じ!」
「それは何よりだわ。キリが良ければ、昼食へ行きましょうか」
「……あ、もうそんな時間か」
「そう思えるくらい、集中できてたってことね」
言われて初めて時間の感覚を取り戻す。
同時に、空腹も襲ってきた。
汗を拭い、軽くストレッチをしてから外へ出る。
雨はまだ止んでおらず、冷えた空気が火照った身体を少しずつ落ち着かせてくれた。
食堂に入ると、すでにミトラたちが席を取ってくれていた。
これももう、すっかり見慣れた光景だ。
二人に挨拶し、席についた。
「よー、二人とも! 今日は遅かったなー!」
「ええ、私が少し用事があってね」
「ふーん。そういえば昨日ミトラがさー……」
ペトラは特に興味も無い感じで、すぐに自分の話を始める。
双子の姉妹の他愛ないやり取り。
これもまた、いつも通りの光景だ。
「では、私たちは先に行きますね」
「そんじゃなー。午後は何しよっかなー」
「ペトラ。朝、予定を伝えたでしょう。午後はリトルファイヤーとの実戦演習よ」
「あ、そうだった! 楽しみだなー!」
ペトラによる、手加減無用……正確には手加減の仕方を知らない実戦演習か。
考えるだけで恐ろしい。
「リトルファイヤーともトレーニングがあるんだね。カノンもやることあるの?」
「ええ。リトルファイヤーは色々な相手と実戦をして、経験を積んでいくの」
「なるほどね。……それにしても、ペトラ相手は良い経験になりそう」
「間違いないわね。モンスターを相手にしてるようなものだもの」
「あはは……」
ますます恐ろしい。
さすがは狂犬ペトラと呼ばれるだけある。
私たちも食器を片付け、食堂を出た。
昼のざわめきが背後に遠ざかり、再び雨音が地面を叩く。
午後のトレーニングをしながら、ふと食堂で話したことを思い出した。
リング上で指導してくれているカノンに聞いてみる。
「ねえ、カノン。ペトラって、やっぱり強いの?」
「そうね。単純な戦闘力だけで言えば、私やミトラより上よ」
カノンよりも強い――。
「ただ……」
「ただ?」
「単純だから……」
それだけで察した。
見た目や性格通りの戦闘スタイルってことだろう。
力押しが主体で、小細工は少ない。
立ち回り次第では完封できるが、先手を取られれば一気にやられる。
そんなところだろう。
「強いのは確かよ。判断も早いしね。油断すると、簡単に持っていかれるわ」
その時、勢いよく扉が開いた。
「カノン、アカネ! 来てやったぜー!」
ペトラがぶんぶんと手を振っていた。
噂をすればなんとやらだ。
その後ろに、見知らぬ少女が立っていた。
「失礼します」
力のこもった、よく通る声。
年は私と大差なさそうだが、立ち姿がやけに堂々としている。
城内でよく見かける服装。
フォティア兵とはまた違う。
あれは確か……リトルファイヤーの制服だ。
少女の視線は真っ直ぐにこちら、正確には、カノンに向いていた。
「カノンさん、午前中は不在にしていてすみませんでした」
「こちらこそ、急にごめんね。アカネ、少しだけ外に行くわ」
「うん。行ってらっしゃい」
「あ、その前に。タニア」
カノンが少女をリングに呼び寄せた。
「はい」
少女は迷いなくロープをくぐり、リングに上がった。
身長はカノンより高く、筋肉質ですらっと長い手足。
威嚇されているわけではないのに、揺るがぬ視線に気が張る。
「タニア。この子はアカネ。もうすぐリトルファイヤーになる子よ」
「え、ちょっとカノン! まだ合格したわけじゃ――」
「アカネならなれるでしょう」
タニアと呼ばれた少女の眉がわずかに動き、私を測るように視線を巡らせる。
「強そうに見えないよなー! でも、ロイスにスカウトされてきたんだぜー!」
ペトラの声に、少女の表情がはっきりと変わった。
驚きと、そして何か別の感情。
「スカウト? ロイスさんが?」
もう一度、私を見る。
さっきとは違う、対等な相手を見る目だった。
「リトルファイヤーのタニア・アレキローザだ。よろしく」
短く、はっきりとした自己紹介。
「あ、えっと……アカネです。よろしくお願いします、タニアさん」
タニアは首を横に振る。
「タニアでいい。リトルファイヤーになるんだろう?」
「えっと、合格したら、ですが……」
「なら、敬語もいらない」
「う、うん。じゃあ……よろしく、タニア」
タニアは無言で頷き、右手を差し出してきた。
私も手を差し出し、その手を握った。
想像以上の力だ。
握った瞬間、はっきりと伝わってくる圧。
痛いわけじゃない。
だが、譲らないという意思がそのまま伝わってきた。
――これが。
後に、生涯を通して切磋琢磨することになる最大のライバル、タニアとの出会いだった。
作品はもちろんですが、プロレスに少しでも興味を持っていただけたら最高です。
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ここまでお読みいただきありがとうございました!




