第19話 適応⑦
露店通りを抜ける途中、またノクティさんのパン屋に立ち寄り、夕食用のバゲットを包んでもらった。
昨日から数えて、もう三回目。すっかり常連の気分だ。
三人で他愛のない会話をしているうちに、カノンの家へ到着した。
扉を開けるなり、奥からぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。
「ねえちゃん、おかえりー!」
「おかえりー!」
勢いそのままに飛び込んできたのは、エルダとチエリだった。
二人まとめて抱きつかれ、カノンの身体がわずかに揺れる。
「二人とも、ただいま」
さっきまで外で見せていた凛とした表情は消え、姉の顔に変わっていた。
エルダはすぐに、後ろにいるロイスに気付いた。
「おー! ひさしぶりだな、ロイス!」
「おう、エルダ。元気だったか?」
「あたりまえだ! おれも強くなったぞー!」
叫ぶなり、エルダは勢いよくロイスに飛びかかった。
太い脚にしがみつき、全力で引き倒そうとするが、ロイスは微動だにしない。
「チーもー!」
今度はチエリが反対側の脚にしがみつく。
小さな手で一所懸命に掴む様子が、なんとも微笑ましい。
私も小さい頃、ああやって父親に挑んでいたっけ。
「はっはっは。二人とも、ちょっとは強くなったみたいだが……まだまだだな」
ロイスはそう言うと、片手に一人ずつ、いとも簡単に同時に二人を担ぎ上げた。
「うわー! おろせっ、くそー!」
「おろせー!」
言葉は威勢がいいが、二人とも満面の笑みだ。
……ロイスさん、子どもの扱い、かなり慣れてるな。
少し意外だ。
ロイスは二人を担いだままその場で何度か回り、最後はそっと背中から地面に下ろした。
おおっ……!
今のは完全に旋回式サンダーファイヤー・パワーボムだ。
しかもダブル。
あれ、やられる側はけっこう背中にくるんだよな。
二人に怪我をさせないよう、優しくやっているの、さすがロイスさんだ。
「ぎゃははは! もう一回だー!」
「もっかーい!」
二人が再び突撃しようとしたところで、カノンが軽く咳払いをした。
「はいはい、今日はそれくらい。ママのところに行くわよ」
「えー!」
「おしまい?」
「これ以上やったら、カノン姉ちゃんに怒られちまうぜ」
ロイスのその一言で、二人はぴたりと動きを止める。
「……はーい」
即答だった。
お姉ちゃんの立場、強い。
「じゃあ、ちょっとだけ邪魔するぜ」
ロイスはそう言いながら、カノンに続いて一歩中へ進む。
キッチンの奥から、エプロン姿のクララが顔を出した。
「二人ともおかえり。……まあ、ロイスさん! 騒がしいと思ったらそういうことね」
「クララさん、お世話になってます。今回はアカネの件、ありがとうございます」
ロイスは深々と頭を下げた。
「そんな、全然いいわよ! うちも賑やかになって楽しいもの」
「そう言ってもらえると助かります」
「それより聞いたよ。アカネちゃんは、ロイスさんがスカウトしてきたんだって?」
「ええ。なんで、衣食住の都合はこっちで付けたかったんですが……急だったもんで」
クララは気にする様子もなく、にこやかに手を振った。
「いいのいいの! それより、ロイスさんも晩御飯食べて行くかい?」
「いえ、今日はこれで。これ、皆さんでどうぞ」
そう言って、ロイスはクララに小包を差し出した。
「ロックスネークの肉です」
「あら……! わざわざありがとうねえ!」
――ロックスネーク。
き、きた。
フロストボアでだいぶハードルは下がっている。
しかし、これはまた別ジャンルだ。
なんせヘビ肉。さすがに、日本でも食べたことがない。
「ロックスネーク!」
エルダの目が一気に輝く。
「おれの好きなやつだー! ロイス、ありがとー!」
「こら! ロイスさん、でしょう!」
「いいですよ、気にしてません」
「ロイスさん、ありがとうございます」
カノンも、きちんと頭を下げて礼を言った。
「もうちょっと、ちゃんとしたものを用意できればよかったんですが」
「そんな、十分よ!」
「それじゃ、俺はこれで。クララさん、お邪魔しました。ブルーノさんにもよろしくお伝えください」
「ええ、また! 今度はゆっくりご飯食べていってね!」
「はい、ありがとうございます。エルダ、チエリ。またな」
「おー! もっと強くなるから覚悟しとけよー!」
「しとけよー!」
「はは、楽しみにしてるぜ」
手を軽く振り、ロイスはあっさりと帰っていった。
ロイスがいなくなっても、家の中にはまだ賑やかさが残っていた。
エルダとチエリは、跳ね回りながらさっきの出来事を再現している。
「さっきのなー! ぐるんってなって、どーん! って!」
「どーん!」
全く形にはなっていないが、勢いだけは一丁前だ。
その様子を見ながら、私はカノンに小声で話しかけた。
「……ロイスさんって、子ども慣れしてるね。ちょっと意外」
「エルダとチエリのことは、昔から知っているからかな。子どもは苦手だ、って本人は言ってるけど」
「あはは……。さっきの見てると、あんまり信じられないね」
「ふふ。普段はあんな感じだものね。ぶっきらぼうで、愛想もないし」
少し間をおいて、カノンが付け足す。
「でも、優しい人よ。必要なところでは、ちゃんと」
確かにそうだと思う。
武骨で不器用でも、困っている人を放っておくような人じゃない。
筋の通らないことをするタイプでもないだろう。
そんなことを考えていると、エルダが足元から私を見上げてきた。
「なーなー、アカネもさっきの、できる?」
「さっきのって、サンダーファイヤー……じゃなくて、持ち上げてどーん! ってやつ?」
「そう!」
「一人ずつならたぶん……できると思うけど」
「ほんと!? やってー!」
期待に満ちた目を向けられた、その瞬間。
「こら、エルダ」
カノンの低い声が、ぴしっと空気を切った。
「ご飯の準備しないと、お姉ちゃん怒るわよ」
「は、はーい! チー、行くぞー!」
「おー!」
二人はあっという間に向きを変え、キッチンへと走っていく。
切り替えが早い……。
「まったくもう……。さ、アカネ。私たちもご飯の準備をしましょう」
「うん!」
ほどなくしてブルーノも帰宅し、全員そろって食卓を囲んだ。
ロックスネークの肉は明日のお楽しみだそうだ。
今日も食卓は賑やかで、自然と食が進む。
食後は順番に風呂へ入り、身体を温める。
一日の疲れが、ようやくほどけていった。
カノンに髪を乾かしてもらいながら、ふと思い出した。
前の世界では、毎日欠かさず走っていたことを。
「あの、カノン」
「なに?」
「私、こっちに来る前は毎日ランニングしてたんだよね」
「ランニング?」
「うん。練習の前後に三十分くらい。できれば……こっちでも、一日のどこかで走る時間を作りたくて」
カノンは少し考えるように宙を見て、それから小さく頷いた。
「いいと思うわ。明日は、城内を走るところから始めましょうか」
「ありがとう!」
「そういえば今日……」
カノンは少し言い出しづらそうに口を開いた。
「トレーニングの最後に、すごいことをやってたわよね。あれは何?」
「最後っていうと……スクワットかな? こういうやつ?」
そう言って、ヒンズースクワットを何度かやってみせる。
「そう、それ! ずっとやってたわよね。ちょっと怖かったわ……。あれもトレーニングなの……?」
「うん、千回!」
「せ、千回!?」
「そ! トレーニングの最後にやるようにしてるんだ! 明日はカノンも一緒にやる?」
冗談交じりでカノンに聞いてみる。
「い、いえ……私は、いいわ……」
カノンはどこか怯えるように返事をした。
「そっかー。精神も鍛えられるから、やりたくなったらいつでも言ってね!」
「う、うん。ありがとう……」
カノンが目を合わせてくれない。
「それじゃあ、カノン。明日もよろしくね」
「こちらこそ。一緒に頑張りましょう」
布団に潜り込み、天井を見上げた。
今日も、よく動いた。
よく食べて、よく笑って、ちゃんと疲れた。
「おやすみなさい……」
そう呟くと、意識はゆっくりと眠りに沈んでいった。
【プロレス余談】
旋回式サンダーファイヤー・パワーボム!
衆議院議員もやっていた『大仁田厚』選手の必殺技です。
まずは、カナディアン・バックブリーカーという技の体勢をとります。
これは、相手の背骨を反らすように肩の上に担ぎ上げる技。
その状態から、背中から地面に叩きつけるパワーボム。
・背中にダメージが入る
・単純に叩きつける打点が高い
ので、かなり破壊力のある必殺技でしょう・・・。
子どもにやる時は、背中に負担のかからぬよう、
また地面に叩きつけるときも、ソッと下ろしてあげましょうね。




