第17話 適応⑤
答えの出ない問いはひとまず頭から追い出し、基礎のマナトレを繰り返す。
この世界のリングに身体を馴染ませるため、今日はとにかく受け身とロープワークを中心に取り組んだ。
一通りこなしたところで、仕上げのストレッチに移る。
深呼吸をしながら、酷使した筋肉をひとつずつ伸ばしていく。
もちろん、意識はマナにも向けている。
さっきまでが『動のマナ』なら、今は『静のマナ』。
身体を動かすためじゃなく、守るため、整えるためのマナ――。
……たぶん、そんな感じだ。
呼吸に合わせて、マナが体の奥からゆるやかに巡る感覚がある。
血流に寄り添うように、見えない気配が動いている。
目を閉じ、暗闇の中でその感覚を追いかける。
――その時だった。
ノックの音が、トレーニングルームに響いた。
「俺だ」
短い声に、机に向かっていたカノンが顔を上げる。
「……ロイスさん?」
カノンが扉を開けると、ロイスがポケットに手を突っ込み、気だるそうに立っていた。
「ちょっと邪魔するぜ」
ロイスの視線が、リング上の私に向く。
「アカネ、調子はどうだ?」
「はい! なんとかマナを感じることができました!」
「そうか」
ロイスは表情を変えずに続けた。
「ちょっとやってみろ」
「えっ、今ですか?」
「今だ」
「……わかりました!」
軽く息を吸い、走る。
一歩一歩、マットを踏みしめる感触を確かめながら。
ロープの反動を背で受け、向きを変える。
徐々にスピードを上げ、反対側のロープへ。
先ほどより深く背を預け、大きく一歩踏み出し、前受け身。
肩から背へと体重を流し、最後に力強くマットを叩いた。
マナを呼び起こすためのロープワーク。
ゆっくりと立ち上がりながら、マナを両手に流す感覚。
目を閉じ、手のひらに熱を注ぐ。でも気持ちはあくまでリラックス……。
「ふーっ……」
大きく息を吐き、落ち着いたところで目を開ける。
「……ふむ」
ロイスは顎に手をやった。
「悪くねえ」
「ほ、本当ですか!?」
「初日にしては、な」
「マナを発現できただけで十分凄いです。今はマナを発現させる感覚を掴んだところなので、コントロールなどはさらにトレーニングが必要ですけれど」
カノンがわかりやすく、ロイスに説明をする。
「なるほどな」
ロイスは小さく頷いた。
「まあ、試合を楽しみにしてるぜ」
楽しみにしてる。その言葉が、胸の奥にずしりとのしかかった。
前世でも、何度も向けられた言葉。
期待とプレッシャーが、同時に来るやつだ。
「ところで」
不意に話題が変わる。
「カノン、この後の予定は?」
「はい。ジ・オーダーのユニットベースでアカネの滞在証を登録します。今日はそれで終わりです」
「終わったら帰るだけか?」
「はい、そのつもりですが、何かありますか?」
「ちょっとばかしカノンの家に顔を出そうと思ってな」
「えっ? うちにですか?」
「アカネは半ば俺の一存で滞在させているからな。ブルーノさん達に挨拶しておくのは当然だろ」
ロイスは当たり前のようにそう言った。
「うちは全然……。そんなに気を遣っていただかなくても……」
「いや、そういうわけにはいかん。本来なら昨日行くべきだったんだが……色々とやることがあってな」
色々――。
私のことで動いてくれていたのだろうか。
「ま、そういうわけだ。トレーニングが終わるまでここにいさせてもらうぜ」
「わかりました」
二人は机に向かい、本を片手に話し始めた。
神妙な顔つきだが、話の内容までは耳に届かない。
……なんだか急にやりづらくなってしまった。
本来なら仕上げに千回のスクワットをするところなのだが……。
でもこの空気でやるか……?
いや! この空気だからこそ、だ。
二人を横目に、私はスクワットを始めた。
一、二、三、四、五……九九八、九九九、一千!
千回のスクワットを終わらせ、マットに大の字になる。
息が切れる。大腿筋がパンパンに張っている。
でも、これを毎日やることで、体もハートも鍛えられるのだ。
一息ついてからリングを下り、二人の元へ――。
「お待たせしました!」
「おつかれさま、アカネ。明日も頑張りましょう」
そう言うとカノンはコーナーポストに手をかざした。
途端にロープは張力を失う。
おおっ。緩めるのもマナの力なのか。
マナは日常生活を送るうえで、切っても切れないものなんだな。
「では、ミトラのところへ行きましょう」
まだ熱のこもるリングを背に、三人でトレーニングルームを出た。
再び訪れたジ・オーダーのユニットベース。
中に入ると、ペトラが銀髪を跳ねさせながら迎えてくれた。
「おー、遅かったなー! 待ちくたびれたぞ! ってロイスも一緒か!」
「よっ、ペトラ。相変わらずうるさいやつだな」
「なんだなんだ! ケンカ売りにきたのか!」
「ケンカねえ……。買ってもいいが、勝負になるのか?」
「なにをーっ! ……あっ、てか聞いたぞ! アカネってロイスがスカウトしてきたって本当か!?」
「ああ、まあな。いずれはお前より強くなるだろうな」
「まじかよ! そりゃ負けてらんねーなー!」
「ちょ、ちょっとロイスさん……そんなハードル上げないでくださいよー!」
二人の騒がしい掛け合いに、慌てて割って入る。
同じタイミングで、奥からミトラが顔を出した。
「お疲れ様です。お待ちしていました」
「よう、ミトラ。色々ありがとな」
「いえ、問題ありません。それより、ロイスさんも来るなんて珍しいですね。そんなにアカネさんのことが気になりますか?」
「たまたまだ、たまたま」
「ふふふ、冗談ですよ。……でも、ロイスさんがスカウトするなんてよっぽどなんですね」
「……ま、年も近いだろうし、仲良くしてやってくれ」
「はい、もちろんです」
ミトラの視線が私に向く。
「さて、アカネさん。改めて滞在証の登録をしましょう」
「は、はい……!」
「これでダメだったら滞在資格無しだなー、あはは!」
「ペトラ」
ミトラが視線で釘を刺す。
だがペトラは気にも留めず笑っている。
「では、こちらに手を」
「はい……!」
朝と同じように、例の装置に手をかざした。
すると、上部に設置されたプレートが光り出す。
白かったプレートは鮮やかな赤に変わり、やがて光が消えた。
「無事に終わりましたね。こちらがアカネさんの滞在証となります」
ミトラがプレートを取り、確認しながら言った。
「え、終わり? ってことは、私からマナ感じるんですか?」
「微量ですが、ちゃんと感じますよ」
「そうだな。昨日と比べれば大きな進歩だ」
ロイスも付け加える。
カノンが言っていた『ゲートを解放した状態』になった、いうことだろうか。
一度解放できれば、微量なりとも全身にマナが巡っている、と。
「なんにせよ、これで一人でいても大丈夫です。衛兵に声をかけられることもあると思いますが、その時はこれを見せてください」
「わかりました! ミトラさん、ありがとうございます!」
「けどアカネ、基本的には一人で行動しないようにね。気になることがあったら私かロイスさんに言って」
「いや、俺よりカノンかミトラに言ってくれ」
「ロイスさん、そこは力になってあげてください……」
ロイスのそっけない態度に、ミトラが困った表情を見せた。
「そうですよ、ロイスさん。私はともかく、ミトラを変に巻き込まないでください」
カノンも困りつつ、ロイスを咎めた。
「そうは言っても俺はそういうの苦手だからな……。戦闘のことなら喜んで力になるぞ」
「今はマナのトレーニングが最優先ですから、ロイスさんの出番は当分先ですね」
「そりゃ残念」
全然残念ではなさそうな様子で軽く肩をすくめるロイス。
この人はきっと、戦場で百パーセントの力を発揮するタイプなんだろうな。
普段が適当な分、そのギャップが強そうだ。
なんて考えつつ、滞在証を大事にしまった。
「では登録も終わったし帰りましょうか。ミトラ、ありがとうね」
「いえ、また何かあればいつでも」
「おう、ありがとな、ミトラ。エレンにも礼を伝えておいてくれ」
「はい。みなさん、お疲れさまでした」
ジ・オーダーのユニットベースを出ると、陽が暮れ始めていた。
日中に響いていた剣戟の音は消え、代わりに帰路につく兵士たちの談笑が聞こえる。
「そういえばエレンさんはどういう方なんですか?」
「あいつはジ・オーダーのユニットリーダーだ。俺とはユニットリーダー同士で、同期でもある……まあ、腐れ縁ってやつだな」
「そうなんですね。真面目で厳格そうな人だな、って思いました」
「ただ単に頭がかてぇだけだよ、あいつは」
仲は良く……はなさそうだ。
ライバルってことなのかな。
年齢も近そうだし、数年では済まない付き合いがありそうだ。
二人の話は掘れば掘るほど出てきそうだけど、今はこれ以上突っ込まないでおこう……。
夕陽を浴びてオレンジ色に染まる城を背に、三人で家路についた。
【プロレス余談】
アカネがトレーニングの最後に行ったスクワット1000回・・・
これ、実際に毎日やっている選手がたくさんいます。
まあ筋トレというよりは、精神を鍛える意味合いが大きいようですが。
1000回やるのにだいたい40分~1時間くらいはかかるみたいなので、
ロイスとカノンの横でそんな長い間スクワットをし続けるなんて、
なかなかのハートの強さですね!笑
ちなみに昭和や平成初期の時代には、1000回どころか3000回とも・・・




