第16話 適応④
腹が膨れると眠気がやってくる。
だが、もちろん昼寝なんてしている時間は無い。
「私はこっちで調べものをしているから、困ったことがあれば言ってね」
カノンはそう言うと、リング脇にある椅子に腰掛け、用意していた本の山に向き合った。
私は早速リングに上がり、午前中と同じ基礎のマナトレーニング。
ロープワークを挟みつつ、ひたすらマナの発動と休憩を繰り返した。
「……これ、転生前とやってること変わらないな……」
そう。
プロレスの練習とは、結局のところ基礎トレーニングの積み重ねだ。
ロープワーク、受け身などの基本的な動き。
可動域を広げ、柔軟な筋肉を作るためのストレッチ。
ランニングや筋トレによる体力の向上やスタミナの維持。
技の練度を上げるスパーリング。
そして、バランスの良い食事。
スパーリングが無いことを除けば、本当にやっていることは変わらない。
一時間ほど経った頃、カノンがエプロンに上がり、ロープ越しに話しかけてきた。
「アカネ、良く集中できているわね」
「いつもやっているトレーニングと意外と変わらないから、環境にさえ慣れちゃえば、って感じかな!」
「そうなのね。……そのことでちょっと聞いてもいいかしら」
カノンは改まった表情でそう言った。
今までに無く、真剣な眼差しだ。
なんだろう。
「あの……『プロレスラー』について詳しく教えてくれる?」
その言葉を聞いて、心臓が跳ねる。
昨日から『プロレスラー』という単語を出す度に返ってくる、なんとも言えない反応。
もしかしたら、この世界での『プロレスラー』は、良くない意味があるのではないか、という不安。
反対に、自分のことについて聞いてきてくれた嬉しさ。
その不安と嬉しさが入り混じり、どう言葉にすればいいのか迷う。
「えっとー……」
「別に責めるつもりはないわ。それに、話しづらいことなら無理に話さなくても大丈夫よ」
責めてるわけじゃない。優しさは伝わる。
だからこそ、隠し事をしたくない。
でも、どう説明したらいいのかわからない。
「カノン、その前に……一つだけ聞いてもいい?」
「うん」
「なんで私のこと、そんなに信用したり、色々してくれるのかな、って」
「そうね……」
カノンは一瞬だけ目を伏せたが、優しい眼差しでゆっくりと私を見た。
「なんだか……昔の私に似ているのよね」
「えっ、カノンが私に?」
「私もね、最初はここに居場所が無かったから」
「そう、なんだ」
居場所が無かった――。
初対面だと、カノンは凛としていて、隙が無い印象を受ける。
それに、美人で高嶺の花のような近寄りがたさもある。
だから、ちょっと孤立してたのかな。
「それに、ロイスさんも珍しく気にかけてるし」
「ロイスさんが?」
「ええ。普段からあんな感じだけど、人を見る目は確かよ」
ロイスさん。
ぶっきらぼうだが、内なる情熱と優しさは感じている。
今こうしていられるのは、彼のおかげだ。
「無理に聞く気はないわ。話したくなったら――」
「そういうわけじゃないの。どうやって説明すればいいのかなと思って」
実際どう説明すればいいものか。
転生したことは事実なのだが、どういう原理なのかはもちろん、ここがどういう世界なのか、私自身まだ理解が出来ていない。
息を整え、私はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「昨日言ったように、私は日本という国でプロレスラーとして暮らしていたの。プロレスラーの仕事は、鍛え上げた体と技を試合で魅せて、観客を楽しませること。そういうエンターテイメント、っていうのかな」
カノンは少しの間考え込むと、意を決したように口を開いた。
「言いにくいのだけど……今の時代に、プロレスラーはいないの。昔は存在していたわ。はるか昔。千年以上前の話よ」
言っている意味がすぐには理解できなかった。
プロレスラーはいない。それは当然そうだと思っていた。
だが、千年以上前には存在していた……!?
「どういうこと……!?」
「伝承によると、プロレスというものが存在していた時代があるの」
「プロレスが!?」
この世界にプロレスが存在していた。
その事実に驚きを隠せない。
「ええ。プロレスにスペルが加わって、マナレスとして親しまれていたけれど、そのマナレスも今では過去の遺産。今ではそれすら知っている人はごくわずかよ」
「ちょ、ちょっとよくわからない……」
素直な感想だった。
「マナレスも、エンターテイメントとして行われていたと記述があるわ。今はもう残っていない。でも、その技術は戦いの手段として使われているわ。昨日のアカネのヘッドシザースみたいにね」
「……そっか」
短く返した声が、やけに乾いていた。
侍が現代の日本にタイムスリップしてきたら、こんな感情になるのだろうか。
タイムスリップしてきた侍に「拙者、侍でござる」と言われたら……そりゃ反応に困るよな。
そう思ったら、つい笑ってしまった。
「どうしたの、急に笑って」
「あはは、ごめん。なんか、自分でもおかしくて! ……ねえカノン、千年以上前はこの世界はどうなっていたの?」
「歴史書によれば、神々の加護の元、平和に暮らしていたそうよ」
「フォティアも当時からあったの?」
「ええ。ここまでの大国ではなかったけど、ずっとこの地に存在していたとされているわ」
なるほど……。
うーん、やっぱりよくわからないや。
神様たちがいたってことは……その神様たちがプロレスを作ったのかな?
プロレスを知ってる私が、プロレスが無くなったこの世界に来たのは、神様に呼ばれたとか?
私がここに来たのは偶然じゃなくて何か意味があるのかな……。
「……まあいいや! 考えてもしょうがない!」
自分の頬を叩き、思考の渦を断ち切った。
「ア、アカネ……!?」
「うん! 今はマナトレ! 動いてた方が性に合ってるし!」
考えるより、先に進むしかない。
目の前にある課題――マナのトレーニングに専念することにした。
【プロレス余談】
日本においては、力道山がデビューした1951年が『プロレス元年』と言われています。
彼が『日本プロレス』を立ち上げ、その人気は全国に広がりました。
彼の死後、日本プロレスに所属していた、
ジャイアント馬場が『全日本プロレス』を、
アントニオ猪木が『新日本プロレス』を立ち上げました。
その後は様々なインディーズ団体が立ち上がりったり、海外の団体とも繋がりができたり、
ワールドワイドなエンターテイメントとして進化してきました。
2025年には女子プロレス団体『STARDOM』が地上波で試合を配信したり、
選手たちがバラエティ番組に出演したりと、
プロレスブームの兆しをひしひしと感じています。
2026年、プロレスが熱い!!




