第14話 適応②
昨日と同じ第四トレーニングルームへ入ると、中央にはリングが変わらず鎮座していた。
「それじゃあ、早速リングに上がりましょう」
「はい、よろしくお願いします!」
裸足になり、緩んだままのロープをまたいでリングへ上がる。
「アカネはマナについて、どのくらい理解してる?」
「……正直、何もわかんない」
本当に、何もわかっていない。
私にマナを全く感じないと言われても、その自覚すら持てないのだ。
「マナはすべてのエネルギーの源よ。火が燃えるのも、水が流れるのも」
淡々と説明を続けるカノン。
「でも、意識しないと使えないし、そもそもマナを扱えない人も多い。まずは実際に感じてもらうわね」
カノンが私の右手を取り、両手で包む。
「目を閉じて」
言われるがまま目を閉じる。
右手を包むカノンの両手から、体温以上の熱を感じた気がした。
カノンの手が離れると、その熱はふっと消えた。
「わかった?」
「うん……なんか熱いというか、ほわほわしてた気がする」
「そう。それがマナ。アカネの中にも、ちゃんとあるはずよ」
そう言われても、まだ実感が湧かない。
本当に自分の中にもそんな力があるのだろうか。
「今はゲートが閉じられている状態。それを解放するイメージね。その感覚を掴まないと何も始まらない。まずは一番リラックス出来る体勢になりましょう」
「座っても平気?」
「もちろん」
その場であぐらをかき、座禅のポーズを取った。
向かいでカノンも、同じ姿勢で座る。
「次に、目を閉じて手先に意識を集中。体中に流れている血液を、すべて指先へ集めるイメージ」
言われた通りに瞼を閉じる。
――集中。
………………………………。
………………何も感じない。
「ごめん、カノン……。全然わからないや……」
「まだ始めたばかりだから。しばらくそのままで」
「うん、続けてみる」
鼻からゆっくりと息を吸いこみ、口から吐き出す。
「集中、集中……」
十分ほどその状態で集中する。
……意識し過ぎて、意識が邪魔をする。
うっすら目を開けて、カノンを盗み見る。
同じ姿勢、微動だにしない背筋。整った顔立ちに、思わず見惚れた。
……いや、見惚れてる場合じゃない。
もう一度目を閉じ、五分――。
だめだ。雑念が湧く。
再び瞼を開けると、目の前にカノンの顔があった。
「わっ! ど、どうしたのカノン……」
「アカネ。集中してないわね」
うっ……。さすがカノン先生。お見通しか。
「……集中しようとすればするほど、変に意識しちゃって……」
「その調子だと、スペルはまだまだ先ね」
返す言葉がない。
「少し一人になってみましょうか。私は外で用事を済ませてくるわ」
「……わかった。頑張る」
「部屋の出入りはできないようにしておくから、いろいろ試してみて」
「はいっ、先生!」
……ん?
今、さらっと恐ろしいことを言わなかったか?
部屋の出入りはできない――それは軟禁というのでは……。
私はミトラの言葉を思い出した。
――『カノンは厳しいですよ』。
「じゃあ、頑張ってね」
丁寧に閉められた扉の音だけが、冷たく残った。
……気を取り直す。
理屈はわかる。
だが、マナの気配は掴めない。
立ってみたり、寝そべってみたり、歩き回ってみたり。
それでも、何も変わらない。
このまま何も感じられなかったら?
テストはやるまでもなく不合格。
行き着く先は、捕虜か追放か。
奴隷なんて可能性も……。
不安が増えれば増えるほど、集中は遠のく。
時間だけが過ぎていく。
――何も感じないまま一時間ほど経過した時、扉が開いた。
「……その様子だと、まだ掴めていないようね」
「うぅ……。頑張ってるんだけど……」
「焦らないことが大事よ」
カノンがリングに上がり、持ってきた小箱を置く。
中には数足の靴。
「それって……」
「アカネ用の靴を持ってきたわ。いつまでも裸足というわけにもいかないでしょう」
「わぁ、ありがとう! 履いてもいい?」
「もちろんよ。合うのがあるといいんだけど」
一つずつ質感とサイズを確かめていく。
そのうちの一つ、足首まで覆うショートブーツを手に取った。
革のような素材だが、見た目に反して柔軟性がある。
紐をきつめに結ぶと、足と靴が一体になる感覚がした。
「……うん。これ、かなりしっくりくる!」
「気に入ってもらえて良かった」
「……ありがとう、カノン」
これが、この世界での初めてのリングシューズだ。
なら、やることは決まってる。
「カノン、ロープが緩んだままなんだけど……これって張れる?」
「ロープを?」
唐突な願いに、カノンが訝しげに首を傾げた。
「いや、ダメならいいんだけど……! ロープが張ってた方が気合も入るかなー、って」
「いえ、問題ないわ。ちょっと待ってね」
カノンはリングから下り、コーナーポールの一角に手をかざした。
すると、ロープが軋むような音を出し、自動的に張られていった。
「わっ、すご! 今のもマナの力で?」
「ええ。同時に防御壁も起動するようになっているの」
カノンが再びリングに上がり、手のひらをロープに向けた。
その手のひらから、青い魔法陣が発動し――。
「――『水弾』」
複数の細かい水弾が放たれた。
それは場外に向けて真っ直ぐ進み、ロープにぶつかって弾けて消えた。
「おおーっ!」
突如放たれたスペルに私は目を見開いた。
「見ての通り、外への被害を防ぐようになっているわ」
「すごいすごい! 何いまの!?」
「今のは『水弾』。水の初級攻撃スペルよ」
「めちゃくちゃカッコいい!」
カノンのスペルを見て、改めて自らを奮い立たせる。
と同時に、ロープを張った本来の目的を思い出した。
「あっ、そうだ。ちょっとだけロープワークしても……いいですか?」
「ロープワーク?」
「なんていうのかな、リング内を走り回るの。体を慣らすやつ」
「……? よくわからないけど、ケガはしないようにね。私は下にいるわね」
「うん! ありがとう!」
プロレスラーとしてまず身につける基礎のひとつ――それがロープワーク。
ロープの反動を攻撃に利用する。
または、相手の攻撃を回避したり、カウンター技を仕掛けたり。
試合にスピード感を加え、技の駆け引きやメリハリを演出する重要な技術だ。
トップロープに両手をかけ、軽く引く。
硬さ、太さ、弾力――。
指先が、その感覚を思い出す。
次に背中からもたれ、ゆっくりと体重を預けた。
ロープが押し返す力は、私が知っているものに限りなく近い。
その確かな手応えが、走り出す合図になる。
一歩、二歩、三歩……まだ遠い。
四歩、五歩。
体をひねって向きを変え、反対側のロープを背中で押す。
「……広いな」
日本のリングは、直径約六メートル。
ロープワークをする時は、それを三歩で走り切る。
しかしこのリングは三歩では届かなかった。
歩幅を調整して、五歩。
まずはその歩幅に慣れるため、ゆっくりと何往復かした。
慣れてきたら、ロープの勢いを殺さず、一気に前へ。
足音が一定のテンポを刻み、呼吸もそれに重なる。
ロープに触れる背の熱さが、昨日までの自分を呼び起こす。
リングでしか感じられなかった闘魂が燃え上がる。
「……やっぱりこれだ。ここにいると、血が熱くなる」
深く息を吸い、もう一度ロープへ深く腰掛けた。
その瞬間、違和感が走った。
体が熱い。
単なる運動の熱じゃない。
筋肉のさらに奥、骨の芯。
そこに、火が宿ったみたいだった。
その熱を確かめるように、もう数往復。
心臓の鼓動が、その熱を運び続ける。
――何かが目を覚まそうとしていた。
最後は前転から、前回り受け身だ――。
走り、踏み込み、跳ねる。
体が空を切り、視界が裏返る。
肩がマットに触れる刹那――世界が、呼吸を止めた。
音が聞こえない。
その沈黙の奥で、何かが心臓から体中に流れた。
心臓から肩。肩から腕。腕から指先へ。
血液ではない。
ただ感じる、流れ。
受け身の瞬間、腕でマットを叩く。破裂音が再び世界を動かす。
右の手のひらが熱い。
物理的な熱さではない、もっと内側から――命の奥底から湧く熱。
手のひらの真ん中で、見えない呼吸が脈動する。
言葉にならない。
けれど今……私の中で何かが目を覚ました。
【プロレス余談】
プロレスラーがまず身に付ける基礎の一つである、ロープワーク。
試合にスピード感を足すだけではなく、攻撃への転換や回避、カウンターにも利用されます。
ロープに振られた選手がそのまま返ってくるのか、フェイントをかけてロープにもたれかかるのか、、
実際にどういう動きをしているのか…というのはこちらがとねもわかりやすいです!
https://www.youtube.com/watch?v=OwEQPYY-79w
ここまでお読みいただきありがとうございます。
作品はもちろんですが、プロレスに少しでも興味を持っていただけたら最高です。
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