第12話 未練④
「ここが脱衣所。その扉を開けたらお風呂だから、先に入っていて。私は着替えを持ってきます」
「わかった、ありがとう。ってことは、二人で入るってこと……だよね?」
「うん、その……一人にするわけにはいかなくて」
監視、ということだろう。
でもなんだか、見張られるっていうよりは……保護者つき、みたいな。
「全然気にしないで! 私もカノンと一緒だと安心できるし!」
そう言うとカノンは嬉しそうに微笑んで、脱衣所を出た。
それを見届け、衣服を脱ぎ、風呂の扉を開けた。
「わぁー!」
石造りの大きな浴槽から立ちのぼる湯気。
暖色の柔らかい灯りが湯面に反射し煌めいている。
「すごい……温泉みたい」
はやる気持ちを抑えつつ、湯を肩に浴び、全身を流す。
湯船に浸かると、ぬるめのお湯が筋肉の強張りを解いた。
「はー……生き返る……」
天井を仰ぐ。
目を閉じ、深く息を吐く。
やはり風呂は良い。
命の洗濯とはよく言ったものだ。
柔らかい灯りが安らぎを誘う。
その時、扉を叩く音が聞こえた。
「入るわね」
湯気を押し分けて入ってきたカノンの筋肉美に、プロレスラーとしてつい目がいってしまう。
程よく鍛えられた筋肉。特に大腿四頭筋は素晴らしい。
そして、女性的なラインや膨らみもちゃんとあって……羨ましい。
「湯加減はどうかしら?」
「熱すぎなくてちょうどいいよ。こうやって湯船に浸かれて幸せー」
「それならよかった」
カノンも体を流し、湯船に入ってきた。
肩まで浸かると、波が立って湯があふれた。
「フォティアの人はみんなお風呂が好きなのよ。火山の国だから温泉が湧いていて、足湯や公衆浴場もあるわ」
「火山に温泉まであるの!?」
城の後ろにそびえていた、赤茶けた山は火山だったのか。
そのふもとに湧く温泉や公衆浴場……つまり銭湯。
いつか行ってみたいものだ。
「――そうだ。まだちゃんと自己紹介をしていなかったわね。カノン・レクティオよ。改めてよろしくね……アカネ」
「私は、アカネ・マツモト。プロレスラーです。こちらこそよろしくね、カノン」
「その、プロレスラーって、昼間も言ってたわよね。どういうことをしていたの?」
「うーん……。ファイター? 兵士? 戦ってみんなを楽しませる仕事、かな」
「楽しませる、か。アカネの国は平和なのね」
「……そう、なのかも」
短い沈黙。
温かい蒸気が天井に結露し、水滴の落ちる音がした。
「じゃあ、あのスキルもそこで?」
「そう! プロレスラーは三年くらいかな。その前も十年近く色々やって鍛えてたよ」
「十年!? すごいわね」
「カノンは、リベラブレイズに入って長いの?」
「私も三年くらいよ。その前にリトルファイヤーで一年」
「そっか。ちょっと似てるね」
私は湯面に指先で小さく円を描いた。
「……クララさんもブルーノさんもほんとに優しいね。エルダくんにチーちゃんもとっても可愛い」
「ええ、自慢の家族よ」
カノンも同じ動きで円を描く。
螺旋が重なる。
「小さい頃からずっと支えてくれているの」
カノンは湯面に視線を落とした。
「いい家族だね。ちょっと懐かしいな」
「懐かしい?」
「私の家族も仲はいいんだけど、今は一人暮らしだから……。だから今日はノクティオ家で過ごせて、すごく楽しかった」
「……そうだったのね」
揺れた水紋が、やがて静かに消えた。
「でも、リトルファイヤーになれば寮生活よ」
「あっ、そうだった! じゃあ、ここで過ごせるのは今だけかぁ」
「まあ、また来てくれたらみんなも喜ぶわ」
「やったー! そのまま泊まっちゃおうかなー」
「まずは合格してからね。私がみっちり鍛えるわ」
「ひえっ、スパルタだ……! けど、頼りにしてる。絶対受かってみせるよ」
私は両手を胸の前で握りしめた。
「のぼせる前に、上がりましょうか」
「うん、そうだね」
風呂から出ると、カノンが寝間着を渡してくれた。
シンプルな白地のワンピースだ。
「わぁ……これ、ふわふわだ」
「私のだからちょっと大きいかもしれないわ」
袖を通すと柔らかな布地が肌を撫でる。
確かに大きめだが、ゆったりしていてちょうどいい。
「ううん、いい感じ! どう? 似合うかな?」
「ええ、似合ってる」
二人で階段を上がり、再びカノンの部屋に向かった。
部屋の床には、夕食前には無かった布団が敷かれている。
「わっ! お布団!」
「ママが用意してくれたのね。アカネはベッドを使って」
「いやいや、私はこっちの布団でいいよ」
「明日からのトレーニングに備えるなら、ちゃんと休まないと。だからベッドを使って」
「……そっか。じゃあ、お言葉に甘えます」
ベッドの端に腰を下ろす。
……ふう。
まったく、息つく暇も無かった。
事故にあって、戦って、縛られて、尋問されて、技をかけて、未来を問われて――。
前世でも一日にこんな濃いイベントを詰め込んだことはない。
「とりあえず髪、乾かすわね」
「あっ、うん。ありがとう」
乾かす? ドライヤー?
振り返ると、私の頭にカノンがすっと手をかざした。
次の瞬間、掌からふわりと温風が吹き出す。
「えっ……!」
髪がふわりと持ち上がり、温風が通り抜ける。
「すごっ! これもスペル!?」
「簡単なスペルよ。トレーニングすれば、アカネもできるようになる」
「ほんと? やりたいやりたい!」
「ええ、そのためにも明日から頑張りましょう」
温風は一定の強さで吹き続け、濡れた黒髪を優しく乾かしていく。
カノンの指先が髪をすくい、温風がそこを通るたび水気がさらわれていった。
熱と風。ゆるやかな指の感触が私の頭を撫でる。
気持ち良さと安心感に目を細めた瞬間、頬に雫が伝った。
視界がじんわり滲み、体の中心に小さな震えが走る。
目の奥が、涙腺が崩壊する前触れのように揺れる。
「あれ……」
気付いた時には、もう一粒が頬を伝って落ちていた。
それを皮切りに、雫は次々とあとを追い、頬を濡らし、寝間着へとしみ込んでいく。
しまいこんだ感情が、温風に溶かされるように崩れていった。
カノンは一言も発さず、ただその肩を抱き寄せる。
声を上げて泣いた。
嗚咽が喉を震わせ、呼吸が乱れる。
子どものように、ただ泣きじゃくった。
次第に泣き疲れ、カノンの胸に顔を埋めたまま震えが落ち着いていく。
カノンは最後まで何も言わず、ただ包み込んでいた。
部屋には、温風の余熱と静けさだけが残っていた。
【プロレス余談】
アカネはプロレスデビューをする前に色々やっていました。
実際のプロレスラーも、レスリングや柔道などの格闘技経験者が多いです。
いま話題のウルフ・アロン選手は柔道のオリンピック金メダリストですし、
他にも全日本レスリング大会で優勝しているなど、実力のある選手がたくさんいます。
ちなみに、最近よくメディアで見る上谷沙弥選手は・・・実は元『バイトAKB』のメンバーでした!
168cmの長身と、ダンスで培った運動神経に目を留めたプロレスラーがスカウトしたそうです。
作品はもちろんですが、プロレスに少しでも興味を持っていただけたら最高です。
また、ブックマークや評価、誤字報告、なんでも反応をいただけたら嬉しいです…!
ここまでお読みいただきありがとうございました。




