第11話 未練③
リビングへ下りると、エルダとチエリの他にもう一人、さっきはいなかった男性がいた。
三人はソファに座りくつろいでいる。
「あっ、おかえりなさい、パパ」
「ただいま、カノン。その子がアカネちゃんだね」
「はい! アカネといいます。急にお邪魔してすみません。しばらくの間よろしくお願いします」
「私はブルーノだよ。ゆっくりしていきなさい」
ブルーノは目尻を下げ、落ち着いた声で言った。
眼鏡の奥に見える穏やかな瞳と相まって、知的な印象を受ける。
「アカネ、おそいよ! もうごはんできるってよ!」
エルダが待ってましたとばかりに、こちらに駆け寄ってきた。
「ごめんごめん、お腹空いちゃったよね」
言いつつ、横目でソファに視線を向けると、チエリと目が合った。
「チエリちゃんもお腹空いた?」
小首を傾げて、笑顔でチエリに尋ねる。
「ん……」
それだけ言って、チエリはブルーノの後ろに隠れてしまった。
隠れながらも私を盗み見るチエリが可愛らしい。
人見知りなのだろう。
「もうちょっとでごはんだからね。エルダ、チエリ! こっちに来て手伝って!」
キッチンにいたクララが忙しそうに二人に言った。
「はーい! アカネ、一緒にやろ!」
エルダが小さな手で私を引っ張る。
後ろからチエリも付いてきた。
キッチンには大鍋に入ったスープ、キッシュのような卵料理、切り分けられたバゲットが並んでいる。
「アカネちゃんまでありがとうね。じゃあスープをよそってくれる?」
「はい! このボウルでいいですか?」
「うん、小さいのが子どもたちのね。エルダとチエリはパンをお願い!」
「はーい!」
「わかった!」
エルダとチエリは元気よく返事をし、パンの乗った平皿を食卓に運ぶ。
大鍋の中のスープからはローリエのような爽やかな香りがただよい、美味しそうな湯気を立てている。
エルダとチエリが、よそったスープも食卓へ運んでいく。
こぼさないよう慎重に歩く姿が可愛くて癒される。
「クララさん、他にはお手伝いありますか?」
「もう大丈夫よ! 先にリビングに行っててちょうだい」
「はーい!」
リビングへ戻ると、既にみんな食卓についていた。
「アカネさん、こちらにどうぞ」
カノンに呼ばれ、隣の席に座る。
最後に、エプロンを取ったクララが合流した。
「それじゃあいただきましょう。……フォティア様の恵みに感謝を」
私以外のみんなが目を閉じて胸の前で両手を組み合わせた。
「アカネさん、同じようにお祈りをしてください」
耳元でカノンが囁く。
「あっ、はい。……フォティア様の恵みに感謝を」
見よう見まねで、目を閉じ同じポーズを取った。
これがこの世界での『いただきます』になるのだろうか。
……あれ? 『フォティア』は国の名前だと思ってたけど『フォティア様』? 人の名前でもあるのかな?
不思議に思ったが、みんなが食べ始めるのを見て、今はその疑問は置いておくことにした。
スープを木のスプーンで掬い、一口。
「……美味しい!」
思わず目を見開く。
野菜の甘みとハーブの爽やかさが合わさった、あっさりとしたスープ。
柔らかく煮込まれた肉は、噛むとほろほろと崩れ、口いっぱいに旨みが広がった。
「そうでしょ、我が家自慢のスープなのよ!」
クララが嬉しそうに胸を張った。
「ほんとに美味しいです! このパイ? はなんですか?」
キッシュのような卵料理を手で示しながらクララに尋ねた。
「これはパティネア。卵や野菜、チーズが入ったパイよ」
パティネアと呼ばれた料理にフォークを入れて口に運ぶ。
焼けたチーズの芳ばしい香り。パイのサクサクとした食感。
「これも美味しいです! クララさん、料理上手なんですね!」
「ママの料理は世界一だぞ!」
口いっぱいに頬張りながら、エルダが自慢げに言った。
「嬉しいこと言ってくれるね! どんどんおかわりしてね! ほらバゲットも。スープに浸すと美味しいわよ!」
クララに言われた通り、バゲットをスープに浸す。
これもまた美味しい。
あっという間にスープのボウルは空になった。
「ふふっ……アカネさん、本当に美味しそうに食べますね。おかわりいかがですか?」
その様子を見ていたカノンが微笑んだ。
「あ……もらってもいいですか? えへへ」
「もちろんです、ちょっと待っててくださいね」
そう言うとカノンは私のボウルを取りキッチンへ向かった。
結局その後ももう一度おかわり。
「ごちそうさまでした!」
たくさん食べて、たくさん話して、お腹も心も満たされた。
「それじゃあエルダ、チエリ。お風呂へ行こうか」
「「はーい!」」
食器を片付けたブルーノは子どもたちを連れてリビングを後にした。
――風呂。
この世界にも風呂があるのか。
バスタブに浸かれるのかな? それともシャワーだけ?
私も食器を片付けながらそんなことを考える。
「アカネさん、明日からの流れを確認しましょう」
「あ、はいっ!」
再び食卓に戻り、カノンと向き合って座った。
「まず、朝と夜はこの家で過ごしていただきます。朝食を済ませたら城へ移動して、トレーニングルームで特訓です。明日は初日なので、まずはエレンさんの所属するユニットベースへ行きましょう。そこはトレーニングルームの管理を担っているので、使用許可を申請します」
「わかりました! トレーニングルームって、今日みたいなリングがあった部屋ですか?」
「全てのトレーニングルームにリングがあるわけではないですが……あった方がいいでしょうか?」
「出来たらお願いします!」
「では、そのように申請します。アカネさんの指導は私が担当します。マナの基礎とスペルの発動の体得を目指して頑張っていきましょう」
マナの基礎とスペルの発動――。
一体どんなトレーニングになるのだろうか。
体得できるか不安もあるが……ロイスのように手から火を出したり、ありきたりだけど空を飛んだり……。
そんなマギレンジャーみたいなことが、もし自分にも出来たら……!
想像するだけで不安が吹き飛ぶ。
「アカネさんは普段からトレーニングをしていると言っていましたね。どのようなトレーニングを?」
「えっと……ストレッチ、筋トレ、受け身とか技の練習……スパーリングもやっていました!」
「なるほど。でしたらそのトレーニングも織り交ぜつつ出来たらいいですね」
「はい、頑張ります! よろしくお願いします!」
明日からの流れを聞いて、気持ちが引き締まった。
全力でやっていくぞ……!
「他に何か気になることはありますか?」
気になること……。
「あのー……昼食は……?」
「ふふっ、昼食はこちらで用意するので大丈夫ですよ、アカネさん」
カノンがそう言った時――。
「ちょっとカノン! 『アカネちゃん』でいいじゃない! さん付けで呼んでるの、カノンだけよ」
私たちのやりとりを聞いていたクララが、お茶を持ってきながら勢いよく口を挟んだ。
「えっ、でも……」
「先輩のあなたが堅苦しいと、アカネちゃんも肩の力が抜けないじゃない!」
クララにそう言われたカノンは、落ち着きなくお茶の入ったマグカップを指でなぞる。
「カノンさん、気楽に呼んでください! 私の方が年下だし……」
「アカネちゃん若いわよねえ。いくつなの?」
「二十二歳になったところです!」
「「……えっ!?」」
「えっ?」
二人は驚いてその場で固まった。
「あらやだ、アカネちゃん! カノンはね、二十一よ!」
「え! カノンさん、しっかりしてるし大人っぽいのでてっきり……」
「ごめんなさい、私もアカネさんのこと年下だとばかり……」
「そんな、気にしないでください! 童顔なのでよくあることです! 好きに呼んでください」
申し訳なさそうにするカノンに、慌てて両手を振った。
「そしたらお互いに呼び捨て、敬語も無しでいいんじゃない? せっかく同じ家にいるんだもの!」
「う……でも……」
「ほら、カノン。試しに呼んでみなさいよ」
「ア、ア……アカ……」
カノンがロボットみたいになってしまった。
なんて可愛い人なんだろう。
「あっはっは! ごめんねえアカネちゃん。この子、こういうのに慣れてないから。良かったらアカネちゃんから呼んであげてよ」
「あ、はい! えっとー……カノン?」
「あ、うん……アカネ……」
カノンを見ると耳まで真っ赤にして俯いている。
「……カノン。明日からもよろしく、ね」
そう言うとカノンがようやく目を合わせた。
「こちらこそ……。よろしく、ね。アカネ」
カノンは照れくさそうに顔を綻ばせた。
気を許してくれた気がして、私も思わず笑みがこぼれた。
「お風呂空いたぞー!」
その時、エルダが戻ってきた。
「先にいただいたよ。二人も入ってしまいなさい」
遅れて、チエリを連れたブルーノも顔を出した。
「うん、わかった。ありがとう」
「……ねえちゃん、なんか顔赤くない?」
「ほらほら、いいから! もう寝なさい!」
クララはにやけながらエルダの背中を押して、寝るよう促した。
「はーい。ねえちゃんおやすみー! アカネもまた明日な!」
「ふぁーあ……おやすみなさーぃ……」
「二人ともまた明日。おやすみ」
そう言うとブルーノはエルダとチエリを連れて階段を上がっていった。
「じゃあ……アカネ。私たちも行こうか」
「うん!」
私とカノンは肩を並べてリビングを出た。
【プロレス余談】
トレーニングについて。
団体が所有している道場内には、プロレスリングが当然あります。
ここではたくさんの選手たちがロープワーク、受け身、技の練習などをほぼ毎日練習しています。
また、ウェイトマシンも置かれており、選手が自由に使うことが出来ます。
しかし、常に道場にいるわけではないので、それぞれ自分の好きなジムと契約しているようです。
『ゴー〇ドジム』や『エニ〇イム』でウェイトトレーニングしている姿をSNSに投稿している選手もよく見ますね!
こういった毎日のハードなトレーニングが、あの強靭な肉体と精神を作り上げているのです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
作品はもちろんですが、プロレスに少しでも興味を持っていただけたら最高です。
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