第9話 未練①
ブーツを履き、パーカーを羽織った。
その瞬間。
静まり返った部屋に、腹の虫が鳴いた。
よりによって今ー!? 恥ずかしさで耳が熱くなる。
「あはは……恥ずかしっ!」
「お腹、空きましたよね。私たちも行きましょうか」
カノンがクスッと笑いながら言った。
初めて見せた笑顔に気持ちがほぐれ、私も自然と笑みがこぼれた。
「そのままでは目立ちますので、まずは私たち、リベラブレイズのユニットベースに寄りましょう。私の外套をお貸しします」
言われて改めて自分の服装を見た。
例のラブデビルズ黒ティーシャツ。
ジップアップパーカーも、ティーシャツほど派手ではないが背中にマギレンジャーのロゴがプリントされている。
日本なら普通でも、この世界では浮くのだろう。
二人でトレーニングルームを出た。
リングの構造をもう少し見ておきたかったが、それはまたの機会だ。
カノンの後ろに隠れるように十分ほど歩いた。
「ここがリベラブレイズのユニットベースです」
カノンはある建物の前で止まった。
見た目は、ただの木造二階建ての一軒家だ。
カノンに続いて中に入った。
「お、戻ったか」
「ティガさん、お疲れ様です」
ティガと呼ばれた男は私に気付くと、怪訝な顔をした。
「ん? 誰だそいつは」
「本日の任務先で保護したアカネさんです。リトルファイヤーの入隊テストを受けるので、それまで私が預かることになりました」
「どういう風の吹き回しだ、そりゃ。ロイスさんも知ってるのか?」
「……むしろ、ロイスさんの推薦が強いです」
「まじかよ。こいつが?」
ティガの三白眼が探るように上から下へと動く。
歓迎でも拒絶でもない。
ただ、疑うような視線だ。
「は、はじめまして。アカネといいます。よろしくお願いします!」
カノンより低い背丈の男。
だが、粘りつくような視線とオールバックにした黒髪が、奇妙な雰囲気を漂わせている。
「……ティガだ」
名乗りは短く、それ以上の説明もない。
私も余計なことを言わないよう口をつぐんだ。
「アカネさん、羽織るものを取ってきますね」
「あ、はい! お願いします」
「ティガさん、キッチンにあるパンをもらってもいいでしょうか?」
「ああ。全部は食べるなよ」
「ありがとうございます」
カノンはキッチンから紙に包まれたパンを持ってきてくれた。
「これを食べて待っていてください。すぐに戻ります」
カノンは二階へ通じる階段を上る途中、思い出したかのように振り向いた。
「ティガさん! アカネさんには、今は何も聞かないであげてください。詳しくはロイスさんから話があると思うので」
そう言うとさっさと階段を上っていった。
「なんだなんだ、ワケありか?」
「まあ、その、色々ありまして……」
「マナ感じねえのと何か関係があんのか?」
「…………」
なんと返したらいいのかわからず押し黙ってしまった。
「……まあいい」
「すみません……」
ティガはそう言ってキッチンに入っていった。
腹の虫がもう一度鳴く前にパンを食べてしまおう。
拳ほどの大きさの丸パン。
冷めてはいるが、ほんのりと小麦の香ばしい香りが空腹を刺激する。
「いただきます」
手を合わせて呟いてから、一口。
見た目よりずっと柔らかい。
素朴な甘みが口の中に広がった。
「美味しい!」
思わず声が漏れる。
異世界での食事に対しての不安が吹き飛んだ。
空腹も手伝って、すぐに食べ終えてしまった。
「はーっ、ごちそうさまでした!」
手を合わせ、異世界での初めての食事に感謝する。
思えば朝に食べたっきりだった。
昼食を食べなかったのは久しぶりだ。
「もう食ったのか。まだいるか?」
「え、えっとー……」
「そこにあるから好きに食え」
「あっ、ありがとうございます!」
キッチンへ行くと、同じパンが五つ積まれていた。
とりあえずもう一つ。
これもあっという間に食べてしまった。
もう一つくらい食べちゃおうかな……?
「お前……けっこう遠慮ねえな」
三つ目に手を伸ばしかけた時、ティガが面白いものを見るように笑った。
それを聞いて慌てて手を引っ込めた。
「あっ! 好きにって言われたからつい……」
「それは構わんが、よく食うなと思ってな」
「あはは……お昼食べてなかったんで……」
「お口に合ったようで良かったです」
振り向くと、外套を羽織ったカノンが立っていた。
森で会った時のものより短い丈で、ケープに近い。
深いワインレッドがカノンの薄紫色の髪と対照的で、上品な印象を受けた。
「はい! このパンすごく美味しいです! もう一つ食べていってもいいですか?」
「もちろんです。私も一ついただこうかしら」
カノンがクスッと微笑みながら、パンを取って渡してくれた。
少し気まずい沈黙の中、二人でパンを頬張った。
食べ終えると、カノンは持ってきた外套を私に差し出した。
それは彼女が羽織っているものと同じものだった。
「私の予備です。少し大きいかもしれませんが、衣服を隠すにはちょうどいいと思います」
「カノンさん、ありがとうございます!」
外套を羽織ると、ひざ下まですっぽりと覆われる。
ティーシャツの悪魔も、背中のロゴも完全に見えなくなり、安心感に包まれた。
ぐっと異世界らしい姿になり、少し気持ちが浮き立つ。
「似合っていますよ。では私の家に行きましょうか」
「はい! ティガさん、パンありがとうございました!」
「まあ、いいってことよ」
「ティガさん、アカネさんのことでお願いすることがあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」
「めんどくせえなぁ。俺こう見えて忙しいんだよ」
「……きっと、ロイスさんから頼まれると思います」
「……そりゃしょうがねえか」
ティガが諦めたように溜め息を吐いた。
ロイスには頭が上がらないのだろう。
さすがはユニットリーダー。
「では、お先に失礼します」
「ああ、また明日な」
扉を開けた瞬間、オレンジ色の西陽が視界を満たし、思わず目を細めた。
一歩を踏み出すと、夕方の心地良い風に吹かれ、外套の裾がひらりと舞った。
【プロレス余談】
8話の余談で書いた、練習生になってからの話と前後してしまいますが、入門テストについて。
作品内の「入隊テスト」は試合形式で行われていますが、実際の入門テストは…
・書類選考
・面接
・体力テスト
などが行われているようです。
書類選考では年齢、身長、体重、スポーツ歴などが見られます。
体力テストはかなり厳しく「スクワット1000回!」っていうのは結構有名な話ですね。
(これが今も行われてるかどうかはわかりません)
ここまでお読みいただきありがとうございます。
作品はもちろんですが、プロレスに少しでも興味を持っていただけたら最高です。
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