第9話「過去の記録」
翌日、リオールは早朝から資料室にこもっていた。
王宮の記録保管室には、貴族家の婚姻記録、財産記録、そして様々な出来事の記録が保管されている。
リオールが探していたのは、クロス・アイテールとレーナ・ルシェールの結婚に関する記録だった。
「あった。」
古い書類の束から、一枚の婚姻証明書を取り出す。
二十年前、クロス・アイテールとレーナ・ルシェールが結婚した記録。
しかし、その内容を読むにつれ、リオールの表情は険しくなっていった。
「これは…。」
書類には、いくつかの不自然な点があった。
結婚の証人の名前が消されている。レーナの実家からの祝福の言葉がない。そして、持参金の額が異常に少ない。
「ルシェール家の最後の姫が結婚するのに、この持参金はおかしい。」
リオールは別の資料を探し始めた。
ルシェール家の財産記録。
そして、驚愕の事実を発見した。
「ルシェール家の財産が、結婚の直前にすべて消えている。」
まるで誰かが、計画的に奪ったかのように。
―――
午後、リオールはライオスとフェリシアを自分の研究室に呼んだ。
壁一面に本棚が並び、机の上には様々な魔法の道具が置かれている。中央には大きなテーブルがあり、そこに資料が広げられていた。
「見てくれ、これを。」
リオールは二人に資料を見せた。
「これは、クロスとレーナの結婚記録だ。そして、これがルシェール家の財産記録。」
ライオスが資料を見て、眉をひそめた。
「財産が、全て消えている?」
「ああ。レーナが結婚する直前に、ルシェール家の財産は謎の投資詐欺により失われている。」
「投資詐欺?」
フェリシアが尋ねた。
「そう記録されている。しかし、詳細は不明。まるで誰かが、意図的に記録を曖昧にしたかのようだ。」
リオールは別の書類を取り出した。
「そして、これが重要だ。その投資詐欺の斡旋者として、一人の名前が記されている。」
「誰だ?」
「クロス・アイテール。」
沈黙が部屋を支配した。
「つまり、父は…。」
フェリシアが震える声で言った。
「ああ。クロスは、ルシェール家の財産を奪い、身寄りのなくなったレーナを結婚に追い込んだ、」
リオールの声は怒りに満ちていた。
「最初から、これは計画されていた。レーナの魔力を手に入れるために。」
―――
「許せない。」
ライオスが拳を握りしめた。
「レーナを騙し、財産を奪い、魔力を奪い、そして殺した。」
「それだけじゃない。」
リオールはさらに資料を広げた。
「ルシェール家が滅んだ経緯も調べた。当主の死、家族の不幸。すべて、不自然だ。」
「まさか…。」
「ああ。クロスが関与していた可能性が高い。」
リオールは深いため息をついた。
「ルシェール家を滅ぼし、レーナを孤立させ、結婚に追い込む。そして彼女の力を奪う。すべてが、クロスの計画だった。」
フェリシアは椅子に座り込んだ。
母は、騙されていた。
愛されていたのではなく、利用されていた。
「母上は、知っていたのでしょうか?」
フェリシアが小さく尋ねた。
「おそらく、途中で気づいたはずだ。」
リオールが答える。
「だから、首飾りに保護の魔法を込めた。娘を守るために。」
「でも、自分は守れなかった。」
「レーナは、自分の命よりも、娘の命を優先した。」
ライオスが静かに言った。
「それが、母親の愛だ。」
フェリシアの目から、涙が溢れた。
会ったこともない母。
でも、その母は自分を愛してくれていた。
命を賭けて、守ろうとしてくれていた。
「母上。」
フェリシアは首飾りを握りしめた。
温かい。いつもより、強く温かい。
まるで母が、娘を抱きしめているように。
―――
しばらく沈黙が続いた後、ライオスが口を開いた。
「リオール、他に何かわかったことはあるか?」
「ああ。クロスの財産の変遷も調べた。」
リオールは帳簿を開いた。
「レーナが死んだ直後、クロスの財産は急激に増えている。そしてその後も、徐々に増え続けている。」
「呪いによる効果か。」
「おそらく。生贄の呪術は、術者に生命力だけでなく、富や運も与える。薬の売買が上手くいったのもそれのおかげだろうな。」
リオールは指で帳簿の数字を辿った。
「しかし、ここ数年、増加率が鈍化している。」
「どういうことだ?」
「わからない。だが、一つ考えられるのは…。」
リオールはフェリシアを見た。
「フェリシアが成長し、自我が芽生えたことで、呪いの効果が弱まっている可能性がある。」
「私が?」
「ああ。呪いは対象者の魂を依り代にしている。その魂が、無意識に抵抗しているのかもしれない。」
ライオスが立ち上がった。
「それなら、希望があるな。」
「ああ。フェリシアの意志の力が、呪いを弱められる。これは、解呪の重要な鍵になる。」
リオールも頷いた。
「だが、それだけでは足りない。完全に解くには、やはり儀式が必要だ。」
「その儀式の準備は、どれくらいかかる?」
「最低でも一ヶ月。できれば二ヶ月は欲しい。」
「わかった。その間、俺は他のことを進める。」
ライオスはフェリシアの方を向いた。
「フェリシア、父上に正式な告発をする準備をしよう。」
「はい。」
フェリシアは涙を拭った。
「私も、できることをします!」
―――
その日の夕方、フェリシアは一人で庭園を歩いていた。
夕日が、花々を赤く染めている。
美しい景色。平和な時間。
でも、心は穏やかではなかった。
母のこと。父のこと。自分のこと。
すべてが、渦巻いている。
「フェリシア様。」
声に振り向くと、エミリアが立っていた。
「どうしました?」
「いえ、少し考え事を。」
「お疲れのようですね。お部屋でお休みになられては?」
「大丈夫です。少し、外の空気を吸いたくて。」
エミリアはフェリシアの隣に立った。
「フェリシア様、私、最初はお嬢様が怖かったんです。」
「え?」
「噂を聞いていましたから、不幸な令嬢だと。でも…。」
エミリアは微笑んだ。
「実際にお会いしたら、とても優しい方で。私、お嬢様のお世話ができて嬉しいです。」
「エミリア。」
「だから、もし何か困ったことがあったら、言ってください。力になりたいです。」
その言葉に、フェリシアは胸が熱くなった。
「ありがとう、エミリア。」
「いえ。フェリシア様は、もっと笑った方がいいです。」
「笑う?」
「はい。お嬢様の笑顔、とても素敵ですから。」
フェリシアは、自分が笑顔を見せたことがあっただろうかと考えた。
おそらく、ほとんどない。
「笑顔、か…。」
「そうです。もっと、幸せになってください。」
エミリアはそう言って、屋敷の方へと戻っていった。
フェリシアは、夕日を見つめた。
幸せ。
自分にも、そんなものが訪れるのだろうか。
―――
夜、フェリシアの部屋にリオールが訪れた。
「調子はどうだ?」
「はい、大丈夫です。」
リオールは窓辺に立った。
「今日、色々な事実がわかった。辛かっただろう。」
「はい。でも、知ることができてよかったです。」
フェリシアも窓辺に立った。
「母が、私を愛してくれていたこと。それを知れただけで。」
「レーナは、強い女性だった。」
リオールが静かに言った。
「騙され、利用され、それでも娘を守ろうとした。」
「はい。」
「フェリシア、君も強い。」
「え?」
「これだけの真実を知っても、君は立っている。前を向いている。」
リオールは、フェリシアを見つめた。
「それは、並大抵の強さじゃない。」
「そんなことは…。」
「ある。俺は、君の強さを尊敬している。」
その言葉に、フェリシアは顔を赤らめた。
「リオール様。」
「明日から、さらに調査を進める。そして、必ず呪いを解く方法を見つける。」
リオールは拳を握った。
「君を、この呪いから解放する。それが俺の使命だ。」
「なぜ、そこまで?」
「なぜ?」
リオールは少し考えてから、答えた。
「君が、放っておけないからだ。」
「え?」
「初めて会った時から、君の目が忘れられなかった。諦めと孤独に満ちていたあの目が。」
リオールは空を見上げた。
「俺も、昔は孤独だった。魔法の才能ゆえに、家族から疎まれ、友人もいなかった。」
「リオール様も…。」
「ああ。だから、君の痛みがわかる。そして、その痛みから救いたいと思う。」
リオールは、フェリシアに向き直った。
「君は、幸せになる権利がある。誰よりも。」
フェリシアは、涙が出そうになるのを必死でこらえた。
「ありがとうございます。」
「礼には及ばない。俺は、友人として当然のことをしているだけだ。」
友人。
またその言葉。
でも今は、その言葉が嬉しかった。
「リオール様、私も頑張ります。」
「ああ、期待している。」
リオールは部屋を出た。
一人残されたフェリシアは、窓の外の星空を見上げた。
母が守ろうとしてくれた命。
それを、無駄にはしない。
強く生きる。前を向いて。
そして、いつか本当の笑顔で笑えるように。
フェリシアは、母の首飾りに誓った。
「母上、見ていてください。私は、強くなります。」
星が、静かに瞬いていた。
まるで母が、娘を見守るように。
そして、新しい朝が近づいていた。
調査は続く。真実は、少しずつ明らかになっていく。
フェリシア・アイテールの戦いは、まだ始まったばかりだった。




