第8話「禁書庫の扉」
翌朝、フェリシアは鳥のさえずりで目を覚ました。
窓から差し込む朝日が、部屋を明るく照らしている。一瞬、どこにいるのかわからなかった。天蓋付きのベッド、美しい家具、広い部屋。
そうだ。王宮にいるのだ。
ドアがノックされた。
「お嬢様、朝食の準備ができております。」
若い女性の声だった。
「はい、今行きます。」
フェリシアは急いで身支度を整えた。灰色のドレスを着て、髪を簡単にまとめる。
部屋を出ると、廊下に一人の侍女が待っていた。二十代前半くらいの、明るい表情の女性だ。
「おはようございます、お嬢様。私はエミリアと申します。今日から、お嬢様のお世話をさせていただきます。」
「エミリア、よろしくお願いします。」
フェリシアは頭を下げた。
エミリアは少し驚いた表情を浮かべた。
「お嬢様が、私に頭を?」
「いけませんでしたか?」
「いえ、そのようなことは。ただ、貴族の方が使用人に頭を下げるのは珍しいので。」
エミリアは微笑んだ。
「お優しい方なのですね。」
その言葉に、フェリシアは少し戸惑った。優しい、と言われたのは初めてだった。
「朝食の場所にご案内します。」
二人は廊下を歩いた。
―――
朝食の部屋には、ライオスとリオールがすでに待っていた。
「おはよう、フェリシア。」
ライオスが手を振る。
「よく眠れたか?」
「はい、おかげさまで。」
三人でテーブルに着く。運ばれてきた朝食は、フェリシアがこれまで食べてきたものとは比べ物にならないほど豪華だった。
「今日から、本格的に調査を始める。」
リオールが紅茶を飲みながら言った。
「王宮には、禁書庫がある。そこに、古代魔術に関する資料が保管されている。」
「禁書庫?」
「ああ。通常は、王族と特別な許可を得た者しか入れない場所だ。」
ライオスが続ける。
「俺の権限で、今日はそこに入る許可を取った。」
「三人で行くのか?」
フェリシアが尋ねた。
「ああ。フェリシアにも来てほしい。」
リオールが真剣な表情で言った。
「母親のレーナについて、何か手がかりが見つかるかもしれない。君の目で見て、何か感じるという可能性もある。」
「わかりました。」
フェリシアは頷いた。
朝食を終えると、三人は王宮の奥深くへと向かった。
―――
禁書庫への道は、人気のない廊下を通っていた。
石造りの壁、松明の明かり、ひんやりとした空気。まるで地下へと降りていくような感覚だった。
やがて、巨大な扉の前に辿り着いた。
黒い鉄で作られた扉には、複雑な魔法陣が刻まれている。
「ここが、禁書庫だ。」
ライオスが扉に手を触れた。
魔法陣が光り、扉がゆっくりと開いていく。
「入ろう。」
三人は中に入った。
禁書庫は、想像以上に広大だった。天井まで続く本棚、無数の書物、巻物、古文書。埃っぽい空気と、古い紙の匂い。
「すごい。」
フェリシアは息を呑んだ。
「ここには、何百年も前からの資料が保管されている。」
リオールが説明する。
「危険な魔術、禁じられた儀式、失われた知識。すべてがここにある。」
「何から調べればいい?」
ライオスが尋ねた。
「まず、生贄の呪術に関する資料を探そう。」
リオールは書棚の前に立った。
「それから、アイテール家の記録も。特にレーナ・アイテールに関するもの。」
三人は、それぞれ調査を始めた。
―――
数時間が経過した。
フェリシアは古い家系図を広げていた。アイテール家の歴史を辿っていくと、母レーナの名前が見つかった。
「レーナ・ルシェール。」
旧姓が記されている。
「ルシェール家…。」
その名前に、フェリシアは何か引っかかるものを感じた。
「リオール様、ルシェール家について、何かご存知ですか」
リオールが振り返った。
「ルシェール?たしか魔法使いの名家だ。いや、名家だった…と言うべきか。」
「どういうことですか?」
「ルシェール家は、二十年ほど前に滅んだ。当主が謎の死を遂げ、家族も次々と不幸に見舞われた。」
リオールは考え込む表情を浮かべた。
「そういえば、その一族に最後の生き残りがいると聞いたことがある。」
「もしかして母が…。」
「ああ。彼女は強力な魔力を持つ一族の、最後の血筋だったということなのだろう。」
ライオスが近づいてきた。
「それで、クロスは彼女を狙ったのか。」
「おそらく。ルシェール家の魔力は、伝説的だったからな。」
リオールは別の書棚に向かった。
「ルシェール家の資料を探そう。何か重要な情報があるかもしれない。」
フェリシアは、家系図を見つめた。
母は、魔法使いの名家の出身だった。
そして、その一族は滅んだ。
まるで、呪われているように。
―――
さらに時間が経ち、リオールが一冊の古書を見つけた。
「これだ。」
彼は本を開いた。
「『生贄の呪術と血の契約』」
タイトルを読み上げる。
「これには、生贄の呪術の詳細が記されている。」
三人は本の周りに集まった。
リオールがページをめくる。古代の言葉で書かれた文章、不気味な図解。
「術者は、対象者の血縁者でなければならない。」
リオールが読み上げる。
「対象者が生まれた瞬間、あるいは極めて幼い時期に呪いをかける。呪いは対象者の魂に刻まれ、生涯にわたって効力を持つ。」
「それで、フェリシアは…。」
ライオスが眉をひそめた。
「ああ。生まれた瞬間から、呪われていた。」
リオールは続きを読む。
「対象者に関わる人間の生命力は、術者に吸収される。術者は若さ、健康、場合によっては富や権力も得る。」
「クロスが得ていたものだな。」
「そして、ここが重要だ。」
リオールが指で一文を示した。
「呪いを解くには、三つの条件が必要。一つ、術者と対象者の血の絆を断つこと。二つ、対象者の意志による拒絶。三つ、強力な浄化の魔法。」
「どれも簡単ではないな。」
ライオスが言った。
「ああ。特に血の絆を断つのは、命の危険を伴う。」
リオールは深刻な表情だった。
「対象者の生命力と呪いは、深く結びついている。無理に引き離せば、対象者が死ぬ可能性がある。」
フェリシアは、黙って聞いていた。
死ぬ可能性。
それでも。
「私は、やります。」
フェリシアが言った。
「え?」
「呪いを解きます。どんなに危険でも。」
フェリシアは二人を見つめた。
「このままでは、また誰かを傷つけてしまう。それは耐えられません。」
「フェリシア。」
ライオスが肩に手を置いた。
「無理をするな。俺たちが、もっと安全な方法を探す。」
「でも…。」
「時間をかければ、きっと見つかる。」
リオールも頷いた。
「俺は魔法使いだ。必ず、君を守れる方法を見つける。」
その言葉に、フェリシアは涙が出そうになった。
守る、と言ってくれる。
自分を。
―――
禁書庫を出たのは、昼を過ぎた頃だった。
三人は疲れた様子で、廊下を歩いていた。
「今日の調査で、かなり重要な情報が得られた。」
リオールが言う。
「ルシェール家のこと、生贄の呪術の詳細。これを元に、解呪の方法を研究する。」
「どれくらい時間がかかる?」
ライオスが尋ねた。
「わからない。数週間、あるいは数ヶ月かもしれない。」
「そんなに…。」
フェリシアが不安そうに言った。
「その間、父は?」
「心配するな。」
ライオスが言った。
「父上が、クロスを監視下に置いている。彼は、もう何もできない。」
「それに…。」
リオールが続ける。
「君は王宮にいる。ここは安全だ。」
フェリシアは頷いた。
そうだ。今は、安全な場所にいる。
焦る必要はない。
「フェリシア、午後は休んでくれ。」
ライオスが言った。
「昨日から、色々ありすぎた。体を休めないと。」
「でも、私も何か…。」
「今は、休むことが仕事だ。」
リオールが笑った。
「俺たちが調査を続ける。君は、力を蓄えておいてくれ。」
フェリシアは、二人の優しさに感謝した。
「わかりました。」
部屋に戻ると、エミリアが待っていた。
「お嬢様、お疲れのようですね。お茶をお持ちしました。」
「ありがとう、エミリア。」
フェリシアは椅子に座った。
エミリアが淹れてくれた紅茶は、温かくて香り高かった。
「エミリア。」
「はい?」
「王宮の人たちは、私のことをどう思っているのでしょうか。」
エミリアは少し考えてから答えた。
「正直に申し上げますと、最初は皆戸惑っていました。」
「やはり…。」
「でも、お嬢様にお会いして、皆考えが変わりました。」
「え?」
「お嬢様は、とても優しい方です。使用人にも丁寧に接してくださる。そんな方が、不幸をもたらすはずがないと。」
エミリアは微笑んだ。
「それに、ライオス様とリオール様が、お嬢様を友人だとおっしゃっています。お二人が認めた方なら、信頼できると。」
フェリシアは、胸が温かくなった。
認められている。
受け入れられている。
「ありがとう、エミリア。」
「いえ。これからも、どうぞよろしくお願いします。」
エミリアが部屋を出た後、フェリシアは窓辺に立った。
庭園では、騎士たちが訓練をしている。使用人たちが働いている。
皆、それぞれの人生を生きている。
そして自分も、ここにいる。
これから、呪いを解くための戦いが始まる。
危険で、困難な戦い。
でも、もう一人じゃない。
ライオスとリオールがいる。エミリアもいる。
仲間がいる。
フェリシアは、母の首飾りを握りしめた。
「母上、私は戦います。」
小さく呟く。
「あなたの娘として、恥ずかしくないように。」
窓の外では、雲が流れていく。
新しい日々が、始まっている。
そしてフェリシアは、確かに前に進んでいた。
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