第39話「社交界での中傷」
噂が広まってから三日が経った。
フェリシアは王宮内を歩くたびに、視線を感じるようになった。
ひそひそ話、避けるような目線、時には露骨な好奇の視線。
「気にしないでください。」
エミリアは励ましてくれた。
「噂なんて、すぐに消えますよ。」
しかし、噂は消えるどころか、さらに広がっていった。
―――
一週間後、王宮では大規模な夜会が開催されることになった。
国王主催の社交界で、王族や主要な貴族が集まる重要な行事だ。
フェリシアとリオールも、当然参加することになっていた。
「緊張する。」
フェリシアはドレスを着ながら、エミリアに言った。
「大丈夫ですよ。」
エミリアは髪を整えながら励ました。
「リオール様が一緒にいてくださいます。」
「そうね。」
フェリシアは鏡の中の自分を見た。
淡い青のドレス。母の首飾り。
「私は、負けない。」
彼女は自分に言い聞かせた。
―――
大広間に入ると、すでに多くの貴族たちが集まっていた。
シャンデリアが煌々と輝き、オーケストラが優雅な音楽を奏でている。
リオールと腕を組んで入場すると、多くの視線が集まった。
「フェリシア・ルミナス様とリオール・ルミナス様のご入場です。」
侍従長が宣言した。
拍手が起こったが、以前よりも控えめだった。
フェリシアは、その微妙な変化を感じ取った。
「気にするな。」
リオールが小さく囁いた。
「はい。」
二人は国王のいる場所へ向かった。
「よく来た。」
オズワルド国王が微笑んだ。
「結婚式の準備は順調か?」
「はい、陛下。おかげさまで。」
フェリシアが答えた。
国王は優しく頷いた。
「楽しみにしているぞ。」
その温かい言葉に、フェリシアは少し救われた気がした。
ライオスも近づいてきた。
「フェリシア、元気そうだな。」
「はい、ライオス様。」
「何か困ったことがあったら、すぐに言ってくれ。」
ライオスは真剣な目で言った。
彼も噂のことを知っているのだろう。
「ありがとうございます。」
―――
しばらくして、社交が始まった。
貴族たちが談笑し、ダンスが始まる。
フェリシアとリオールも、何人かの貴族と挨拶を交わした。
しかし、明らかに以前とは違った。
会話が不自然に短い。
視線が泳ぐ。
中には、露骨に距離を置く者もいた。
「フェリシア様。」
マリアンヌ侯爵夫人が近づいてきた。
「お元気そうで何よりです。」
「マリアンヌ様。」
フェリシアは安堵した。少なくとも、この方は変わらず優しい。
「最近、変な噂が流れているようですが…。」
マリアンヌは小声で言った。
「気になさらないでください。あなたのことを知る者は、そんな噂を信じませんから。」
「ありがとうございます。」
「それに…。」
マリアンヌは続けた。
「噂の出所は、おおよそ見当がついています。」
彼女はちらりと、広間の一角を見た。
そこには、ロザリンドがいた。
紫のドレスに身を包み、何人かの令嬢たちと談笑している。
その視線が、こちらに向けられた。
ロザリンドは優雅に微笑み、手を振った。
まるで親しい友人のように。
フェリシアも、笑顔で手を振り返した。
表面上の友好関係を保つために。
―――
やがて、ダンスの時間になった。
リオールがフェリシアの手を取った。
「踊ろう。」
「はい。」
二人はダンスフロアに出た。
音楽が流れ、ワルツが始まる。
リオールのリードで、フェリシアは優雅に舞った。
周囲の視線を感じながらも、彼女は笑顔を保った。
「よく頑張っている。」
リオールが囁いた。
「あなたがいてくれるから。」
フェリシアは答えた。
しかし、ダンスが終わり、二人が離れた時。
「まあ、あれが噂の...。」
「不幸をもたらす令嬢だったのよね。」
「リオール様、お気の毒に。」
そんな声が、あちこちから聞こえてきた。
フェリシアは、必死で平静を装った。
しかし、心は傷ついていた。
―――
休憩のため、フェリシアは化粧室に向かった。
エミリアが付き添ってくれた。
「フェリシア様...。」
エミリアは心配そうだった。
「大丈夫よ。」
フェリシアは鏡で顔を直しながら言った。
「慣れているから。」
その時、化粧室のドアが開いた。
ロザリンドと、二人の令嬢が入ってきた。
「あら、フェリシア様。」
ロザリンドは驚いたように言った。
「ごきげんよう。」
「ごきげんよう、ロザリンド様。」
フェリシアは冷静に答えた。
ロザリンドは鏡の前に立ち、髪を直し始めた。
「今夜の夜会、素晴らしいですわね。」
「ええ。」
「フェリシア様とリオール様のダンス、拝見しましたわ。」
ロザリンドは鏡越しにフェリシアを見た。
「お似合いでしたわ。表面上は。」
「表面上は?」
フェリシアは眉をひそめた。
「ああ、失礼。」
ロザリンドは手を口元に当てた。
「変な言い方でしたわね。」
彼女は振り向いた。
「でも、お気づきではありませんか?皆様の視線が、以前とは違うことに。」
「それは...。」
「噂のせいですわね。」
ロザリンドは同情するように首を振った。
「可哀想に。あなたは何も悪くないのに。」
「あなたが流した噂でしょう。」
エミリアが堪えきれずに言った。
ロザリンドは驚いたように目を見開いた。
「まあ、私が?そんな、とんでもない。」
彼女は悲しそうな表情を作った。
「私は、フェリシア様のお友達ですのよ。そんなことするわけがありませんわ。」
「では、誰が...。」
「さあ。」
ロザリンドは肩をすくめた。
「社交界には、嫉妬深い方々も多いですから。フェリシア様のような、急に貴族になった方を快く思わない人もいるでしょう。」
彼女は鏡に向き直った。
「でも、心配しないでください。噂なんてすぐに消えますわ。」
ロザリンドは口紅を直しながら続けた。
「ただ...一つだけ忠告させていただくと。」
「何ですか?」
「リオール様は、王国で最も優秀な魔法使いですわ。そして、王族に次ぐ重要な地位にある方。」
ロザリンドはフェリシアを見た。
「そんな方の伴侶には、相応しい品格と知識が求められます。治癒魔法だけできても、それでは不十分かもしれませんわね。」
フェリシアの拳が、ぎゅっと握られた。
「リオール様は、私を選んでくださいました。」
彼女ははっきりと言った。
「それが全てです。」
「もちろん。」
ロザリンドは微笑んだ。
「リオール様のご判断は絶対ですわ。」
しかし、その目は冷たかった。
「では、失礼します。」
ロザリンドは令嬢たちと共に、化粧室を出て行った。
ドアが閉まった瞬間、フェリシアは深く息をついた。
「フェリシア様...。」
エミリアが心配そうに肩に手を置いた。
「大丈夫。」
フェリシアは顔を上げた。
「でも、もう我慢の限界です。証拠を掴まなければ。」
「どうやってですか?」
「わからないわ。」
フェリシアは考え込んだ。
「でも、必ず方法があるはず。」
―――
広間に戻ると、リオールが心配そうに待っていた。
「遅かったな。何かあったか?」
「ロザリンド様と会いました。」
フェリシアは小声で答えた。
「ロザリンド?」
「後で話します。」
その時、国王が立ち上がった。
「皆の者、少し時間をいただきたい。」
広間が静まり返った。
「今夜、嬉しい発表がある。」
国王は微笑んだ。
「リオール・ルミナス卿とフェリシア・ルミナス嬢の結婚式の日取りが、正式に決定した。」
拍手が起こった。
「三ヶ月後の春、この王宮で執り行われる。」
国王はリオールとフェリシアに手を差し伸べた。
「二人とも、前へ。」
フェリシアとリオールは、国王の前に進み出た。
「余は、二人の結婚を心から祝福する。」
国王は温かく言った。
「リオール卿は長年、王国に仕えてきた忠実な臣下だ。そしてフェリシア嬢は、困難を乗り越えた強い女性だ。二人は、まさにお似合いだ。」
会場から、拍手が起こった。
しかし、フェリシアには聞こえた。
拍手の合間に混じる、ひそひそ話。
「本当に相応しいのかしら。」
「不幸をもたらすのでは。」
「リオール様が可哀想。」
フェリシアは、歯を食いしばった。
でも、顔には笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます、陛下。」
リオールも礼を述べた。
「二人の幸せを、王国全体で祝おう。」
国王が杯を掲げると、全員が続いた。
「乾杯!」
しかし、その祝福の声は、どこか空虚だった。
―――
夜会が終わり、フェリシアは部屋に戻った。
疲労困憊だった。
笑顔を保ち続けることが、こんなに辛いとは。
ドアがノックされた。
「フェリシア、入っていいか?」
リオールの声だった。
「どうぞ。」
リオールが入ってきた。彼も疲れた様子だった。
「辛かっただろう。」
「ええ。」
フェリシアは正直に答えた。
「でも、負けません。」
リオールは彼女を抱きしめた。
「君は強い。本当に強い。」
「あなたがいてくれるから。」
二人は静かに抱き合った。
「明日、ライオスと相談する。」
リオールが言った。
「何か対策を立てないと。」
「はい。」
フェリシアは頷いた。
窓の外では、雨が降り始めていた。
冷たい雨が、窓を叩く。
嵐は、まだ続いている。
しかし、フェリシアは諦めなかった。
必ず、この試練を乗り越える。
そして、ロザリンドの企みを暴く。
雨音を聞きながら、フェリシアは決意を新たにした。
夜は深く、長かった。
でも、夜明けは必ず来る。
フェリシアは、それを信じていた。




