第38話「最初の嫌がらせ」
ロザリンドと出会ってから一週間が過ぎた。
表面上、ロザリンドは友好的に振る舞っていた。茶会でフェリシアに話しかけ、結婚式のことを尋ね、祝福の言葉をかける。
しかし、フェリシアの胸の不安は消えなかった。
ロザリンドの笑顔は完璧だが、その目は決して笑っていない。時折、フェリシアを見る視線には、冷たいものが宿っていた。
「気にしすぎかしら。」
フェリシアはエミリアに相談した。
「ロザリンド様は親切にしてくださるのに、どうしても心が落ち着かないの。」
「それは、女性の直感というものですよ。」
エミリアは真剣な顔で言った。
「フェリシア様が感じる不安には、理由があるはずです。」
「でも、証拠もないのに疑うのは...。」
「気をつけるに越したことはありません。」
エミリアの言葉は、正しかった。
―――
この日、フェリシアはマダム・クラリスの店で、ウェディングドレスの仮縫いを予定していた。
エミリアとポリーが同行する。
「楽しみですね。」
エミリアが馬車の中で言った。
「ドレスがどれだけ進んでいるか。」
「ええ。」
フェリシアは微笑んだ。
「早く見たいわ。」
店に到着すると、マダム・クラリスが出迎えた。
しかし、その表情は困惑していた。
「フェリシア様...実は、お話があります。」
「どうされたのですか?」
マダム・クラリスは奥の部屋に案内した。
「実は...昨日、あなたの代理人だという方が来られまして。」
「代理人?」
フェリシアは首を傾げた。
「はい。ロザリンド・ヴァンフォール様という方が。」
フェリシアの顔が強ばった。
「彼女が、フェリシア様の親しい友人で、ドレスのデザインを変更したいと仰いました。」
「変更...?」
「はい。もっと豪華に、装飾を増やしてほしいと。そして、色も純白ではなく、アイボリーにしてほしいと。」
フェリシアは信じられない思いだった。
「でも、私はそんなこと頼んでいません。」
「やはり...。」
マダム・クラリスは安堵した様子だった。
「実は、私も不審に思ったのです。フェリシア様は最初、シンプルで上品なドレスを望まれていたのに、急に方針を変えるのはおかしいと。」
「それで、どうされたのですか?」
「変更は保留にしました。」
マダム・クラリスは言った。
「正式な確認を取るまでは、元のデザインで進めると。」
「ありがとうございます。」
フェリシアは心から感謝した。
もしマダム・クラリスが疑わずにロザリンドの言葉を信じていたら、ドレスは台無しになっていたかもしれない。
「ロザリンド様は、なぜそのようなことを...。」
ポリーが憤慨した。
「わかりませんが…。」
フェリシアは冷静に答えた。
「おそらく、私を困らせるためでしょう。」
「なんとひどいことを。」
エミリアが怒りを露わにする。
「でも、証拠がありません。」
フェリシアは言った。
「ロザリンド様は『親切心で』やったと主張するでしょう。」
マダム・クラリスは頷いた。
「確かに、彼女はそう言っていました。『フェリシア様のために、もっと良いドレスにしたい』と。」
「巧妙ですね。」
ポリーが言った。
フェリシアは深く息をついた。
「とにかく、元のデザインで進めてください。今後、私以外の誰かが変更を申し出ても、必ず私に確認してください。」
「承知いたしました。」
ドレスの仮縫いは無事に終わった。
美しいドレスは、ほぼ完成に近づいていた。
しかし、フェリシアの心には暗い影が落ちていた。
―――
王宮に戻ると、リオールに報告した。
「ロザリンドが...?」
リオールの表情が険しくなった。
「それは許せないな。」
「でも、証拠がありません。」
フェリシアは言った。「彼女は『親切心だった』と言い訳できます。」
「しかし...。」
「今は、静観しましょう。」
フェリシアは落ち着いて言った。
「もし彼女が何か企んでいるなら、またボロを出すはずです。」
リオールは納得していない様子だったが、頷いた。
「わかった。しかし、君に何かあったらすぐに言ってくれ。」
「はい。」
その夜、フェリシアは一人で考え込んでいた。
ロザリンドは、確実に自分を狙っている。
しかし、なぜこんな回りくどい方法を取るのだろう。
直接リオールに「私を選んでください」と言えばいいのに。
答えは明白だった。
リオールの心は、既にフェリシアにある。
だから、ロザリンドはフェリシアを貶めることで、二人の関係を壊そうとしているのだ。
「負けない。」
フェリシアは拳を握りしめた。
「私は、もう弱い自分ではない。」
―――
数日後、王宮で小さな茶会が開かれた。
フェリシアも出席していた。
そこに、ロザリンドも現れた。
「皆様、ごきげんよう。」
彼女は優雅に微笑みながら、席に着いた。
そして、フェリシアの隣に座った。
「フェリシア様、ドレスの仮縫いはいかがでしたか?」
「おかげさまで、順調です。」
フェリシアは平静を装って答えた。
「それは良かったですわ。」
ロザリンドは微笑んだ。
「実は、私も少し心配していましたの。」
「心配?」
「ええ。」
ロザリンドは他の令嬢たちにも聞こえるように言った。
「先日、マダム・クラリスの店に行った時、フェリシア様のドレスについて相談されたんですの。」
周囲の令嬢たちが興味深そうに耳を傾けた。
「マダムが『デザインが地味すぎないか』と心配されていて。それで、私も『もう少し華やかにしてはどうか』と提案したのですが。」
ロザリンドは残念そうに首を振った。
「フェリシア様は、シンプルなものがお好きなのですね。私の余計な口出しでしたわ。」
巧妙だった。
ロザリンドは、自分の妨害工作を「親切な提案」として語り、同時にフェリシアのセンスを暗に批判している。
「まあ、でも確かに。」
一人の令嬢が言った。
「王宮での結婚式なら、もう少し華やかな方が...。」
「いいえ。」
フェリシアははっきりと言った。
「私は、シンプルで上品なドレスが良いと思っています。それが、母の好みでもありましたから。」
彼女はロザリンドを真っ直ぐ見つめた。
「ロザリンド様のご提案はありがたいですが、私は自分の選択に自信を持っています。」
ロザリンドの目が、一瞬冷たく光った。
しかしすぐに笑顔に戻った。
「もちろんですわ。フェリシア様のお考えが一番大切ですもの。」
「それに…。」
フェリシアは続けた。
「今後、ドレスのことは私が直接マダム・クラリスと相談します。他の方に代理をお願いすることはありません。」
これは、明確な牽制だった。
周囲の令嬢たちは、二人の間に流れる緊張を感じ取った。
ロザリンドは完璧な笑顔を保ちながら、紅茶を飲んだ。
「賢明な判断ですわ。」
彼女の声は、蜂蜜のように甘かった。
しかし、その目は氷のように冷たかった。
―――
茶会が終わり、フェリシアは部屋に戻った。
エミリアが心配そうに尋ねた。
「大丈夫でしたか?」
「ええ。」
フェリシアは頷いた。
「ロザリンド様に、はっきりと伝えることができました。」
「それは良かったです。」
しかし、フェリシアは知っていた。
これで終わりではない。
ロザリンドは、さらに巧妙な手段を使ってくるだろう。
その予感は、正しかった。
―――
翌日、フェリシアが王宮の廊下を歩いていると、数人の貴族たちがひそひそと話している声が聞こえた。
「本当なのかしら。」
「ええ、聞いた話では...。」
「あの方が、実は...。」
フェリシアが近づくと、彼らは慌てて口を閉じ、不自然に立ち去った。
不審に思ったフェリシアは、エミリアに調査を頼んだ。
夕方、エミリアが深刻な顔で戻ってきた。
「フェリシア様...良くない噂が広まっています。」
「噂?」
「はい。」
エミリアは躊躇いながら言った。
「フェリシア様が、リオール様の地位と財産目当てで近づいたという噂です。」
フェリシアは息を呑んだ。
「そんな...。」
「それだけではありません。」
エミリアは続けた。
「かつて『不幸をもたらす令嬢』だったフェリシア様が、今度はリオール様に不幸をもたらすのではないか、という声もあります。」
フェリシアの顔から血の気が引いた。
古い傷が、再び開かれた。
「誰が...誰がそんな噂を...。」
答えは明白だった。
ロザリンドだ。
彼女は、フェリシアの最も痛いところを突いてきた。
「くっ...。」
フェリシアは唇を噛んだ。
かつての自分なら、この噂に押し潰されていただろう。
でも、今は違う。
「エミリア。」
フェリシアは顔を上げた。
「噂の出所を調べてください。必ず、証拠を掴みます。」
「はい!」
フェリシアは窓の外を見た。
夕日が沈んでいく。
嵐は、まだ始まったばかりだった。
―――
その夜、リオールがフェリシアの部屋を訪れた。
「噂のことは聞いた。」
彼の声には怒りが滲んでいた。
「誰がそんな馬鹿げたことを...。」
「おそらく、ロザリンド様でしょう。」
フェリシアは冷静に答えた。
「しかし、証拠がない。」
「証拠がなくても、私は彼女に直接抗議する。」
「待ってください。」
フェリシアはリオールの手を取った。
「今、感情的に動いてはいけません。」
「しかし、君が傷つけられているんだぞ。」
「わかっています。」
フェリシアは微笑んだ。
「でも、私は大丈夫です。」
彼女はリオールの目を見つめた。
「私はもう、弱くありません。噂に負けたりしません。」
「フェリシア...。」
「それに…。」
フェリシアは続けた。
「ロザリンド様は必ずボロを出します。焦れば焦るほど、ミスをするはずです。」
「君は...強くなったな。」
リオールは感心したように言った。
「あなたがいてくれるからです。」
フェリシアは彼の胸に顔を埋めた。
「あなたが信じてくれる限り、私はどんな噂にも負けません。」
リオールは彼女を抱きしめた。
「当然だ。私は、君だけを信じている。」
二人は静かに抱き合った。
外では風が強くなっていた。
嵐の前触れのように。
しかし、フェリシアの心は決まっていた。
この試練を、必ず乗り越える。
リオールと共に。
そして、ロザリンドの企みを暴く。
夜は深まり、静かな決意が、フェリシアの心に宿っていた。
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