第32話「帰還」
エルドマールを出発する朝、町中の人々が見送りに集まった。
港の岸壁には、ガレス町長をはじめ、漁師たち、商人たち、そして魔物討伐の際に救われた人々が並んでいる。
子供たちは花束を持ち、女性たちはハンカチで目を拭っている。
「リオール様、フェリシア様。」
ガレス町長が前に進み出て、深く頭を下げた。
「この町の恩人である皆様が去られることは、本当に寂しい。しかし、皆様のおかげで、私たちは未来を取り戻しました。この恩は、決して忘れません。」
「町長。」
リオールが手を差し伸べた。
「顔を上げてください。私たちはただ、自分たちの務めを果たしただけです。」
「いいえ。」
町長は涙声で言った。
「皆様は私たちに希望を与えてくださった。この町の子供たちは、皆様のことを語り継ぐでしょう。光をもたらした英雄として。」
フェリシアも前に出た。
「私も、この町のことを忘れません。ここで、私は本当の自分を見つけることができました。」
彼女は町の人々を見回した。
「皆様の感謝の言葉が、私に力をくれました。ありがとうございます。」
町民たちから、暖かい拍手が起こった。
子供たちが駆け寄ってきて、花束を渡した。
「フェリシアお姉ちゃん、また来てね!」
「必ず。」
フェリシアは子供の頭を撫でた。
「元気でいてね。」
別れを惜しみながらも、一行は馬に乗った。レオナルドと騎士たちも、整列して出発の準備を整えている。
「では、行こう。」
リオールの合図で、一行は動き出した。
町の人々が、いつまでも手を振っている。フェリシアも何度も振り返り、手を振り返した。
やがて町が見えなくなると、フェリシアは前を向いた。
王宮への道が、続いている。
―――
帰路は、往路よりも心が軽かった。
危険な任務を成功させたという達成感。
そして、フェリシアが新しい力に目覚めたという喜び。騎士たちの表情も明るく、道中は和やかな雰囲気に包まれていた。
「フェリシア様。」
レオナルドが馬を寄せてきた。
「あの戦いで見せられた治癒魔法、本当に驚きました。あれほどの力を持つ治癒魔法使いは、王国でも数えるほどしかいません。」
「そんな…。」
フェリシアは謙遜した。
「私はまだまだ未熟です。」
「いいや。」
リオールが口を挟んだ。
「レオナルドの言う通りだ。君の才能は本物だ。これから適切な訓練を受ければ、王国随一の治癒魔法使いになれる。」
「王国随一...。」
フェリシアは信じられないという顔をした。
つい数ヶ月前まで、屋敷に閉じ込められ、何の希望もなく生きていた自分が、今そんな評価を受けている。
「信じられません。」
リオールは微笑んだ。
「でも事実だ。君はこれから、多くの人を救うことになる。」
フェリシアは胸の首飾りに触れた。母レーナの首飾り。
「母上、私は正しい道を歩いているのでしょうか。」
心の中で問いかけると、首飾りが優しく温かくなった気がした。
まるで「その通りよ。」と言っているかのように。
―――
旅の二日目、一行は森の中の街道を進んでいた。
深い緑に囲まれた道。鳥のさえずりが響き、木漏れ日が美しい模様を作っている。
「この森は平和ですね。」
フェリシアが言った。
「ああ、この辺りは魔物も少ない。」
リオールが答えた。
「安全な場所だ。」
しかしその時、レオナルドが手を上げた。
「待て。何か...。」
騎士たちが剣に手をかける。
森の奥から、人の声が聞こえてきた。子供の泣き声だ。
「助けて!誰か!」
「子供だ!」
リオールは即座に馬を走らせた。フェリシアとレオナルドたちも後に続く。
声のする方へ向かうと、小さな少年が木の下で泣いていた。その近くには、倒れた男性がいる。
「どうした!」
リオールが馬から飛び降りた。
「お父さんが!お父さんが倒れて!」
少年は泣きじゃくっている。
フェリシアも駆け寄り、倒れた男性を診た。中年の男性で、商人のような服装をしている。顔色が悪く、額に大量の汗をかいている。
「これは...。」
フェリシアは男性の脈を取った。
「毒だ。」
リオールが鋭く言った。
「森の毒蛇に噛まれたようだ。」
男性の足首に、確かに蛇の噛み跡があった。周囲が腫れ上がり、紫色に変色している。
「このままでは...。」
レオナルドが険しい顔をした。
「助けられるか、フェリシア。」
リオールがフェリシアを見た。
フェリシアは一瞬躊躇した。毒の治療は、普通の傷の治癒よりもはるかに難しい。体内から毒を除去しなければならない。
でも、エルドマールで学んだ。自分には力がある。そして、その力は人を救うためにある。
「やります。」
フェリシアは決意を込めて答えた。
彼女は両手を男性の足首の上にかざした。目を閉じ、精神を集中させる。
治癒魔法の基本を思い出す。生命の流れを感じ取り、その乱れを正す。そして、異物を見つけ出し、排除する。
フェリシアの手が淡く光り始めた。
その光は、男性の傷口に吸い込まれていく。
「頑張れ、フェリシア。」
リオールの声が聞こえた。
フェリシアは集中を深めた。男性の体内に意識を向ける。血管を流れる毒を感じ取る。
「見えた...。」
彼女は呟いた。
そして、治癒魔法を毒に向けて集中させた。
光が強くなる。男性の体が一瞬痙攣し、そして静かになった。
やがて、傷口から黒い液体が滲み出してきた。毒だ。
フェリシアはそれを拭い、さらに魔法を続けた。傷を癒し、腫れを引かせ、毒を完全に排出する。
数分後、男性の顔色が戻り始めた。呼吸も安定してきた。
「成功だ。」
リオールが安堵の声を上げた。
フェリシアは魔法を解き、深く息をついた。額に汗が浮かんでいる。
「お父さん!」
少年が父親に駆け寄った。
男性がゆっくりと目を開けた。
「わ、私は...。」
「大丈夫です。」
フェリシアが優しく言った。
「毒は除去しました。もう危険はありません。」
男性は少年を見て、安堵の涙を流した。
「息子...無事か...。」
「うん!お父さん、この人たちが助けてくれたんだよ!」
男性はフェリシアとリオールを見上げた。
「ありがとうございます...命の恩人です...。」
「どういたしまして。」
フェリシアは微笑んだ。
「お大事になさってください。」
レオナルドたちが、男性を安全な場所まで運んだ。近くの村まで送り届けることになった。
村人たちが感謝し、食事を振る舞ってくれた。
「まさか王宮専属魔法使い様と、あの噂の治癒魔法使い様が通りかかるとは。」
村長が感激していた。
「噂?」
フェリシアが首を傾げた。
「ええ、エルドマールで魔物を倒した英雄のお話は、もうこの辺りまで広まっています。特にフェリシア様の治癒魔法の話は有名ですよ。」
フェリシアは驚いた。もうそんなに話が広まっているのか。
「噂は早いな。」
リオールが笑った。
―――
村を出て、さらに一日。
ついに王都の城壁が見えてきた。
「着いた...。」
フェリシアは感慨深く呟いた。
わずか二週間の旅だったが、まるで何ヶ月も経ったような気がする。それほど、濃密な時間だった。
城門をくぐると、すでに歓迎の準備がされていた。
「お帰りなさいませ!」
衛兵たちが整列し、敬礼している。
「噂は王宮にも届いていたようだな。」
レオナルドが呟いた。
王宮の中庭に入ると、そこにはライオスが待っていた。
「よく帰った、リオール、フェリシア!」
ライオスは笑顔で駆け寄ってきた。
「任務、見事成功だな!魔物討伐の報告は、早馬で届いていた。素晴らしい働きだったと、父上も大変喜んでおられる。」
「ライオス。」
リオールは馬から降りた。
「報告したいことが山ほどある。」
「全て聞こう。」
ライオスは頷いた。
「だが、まずは休め。長旅で疲れただろう。正式な報告は明日でいい。」
「ありがとう。」
フェリシアも馬から降りた。ライオスは彼女に向かって笑顔を見せた。
「フェリシア、君の活躍も聞いている。見事だったな。」
「いえ、私は...。」
「謙遜するな。」
ライオスは言った。
「君は英雄だ。王国中が、君の名を知ることになるだろう。」
フェリシアは照れくさそうに俯いた。
その時、エミリアが駆けてきた。
「フェリシア様!お帰りなさい!」
「エミリア!」
二人は抱き合った。
「心配しましたよ!魔物と戦ったって聞いて!」
「大丈夫よ。リオール様が守ってくださったから。」
「でもフェリシア様も戦ったんでしょう?治癒魔法のこと聞きました。」
エミリアは目を輝かせている。
「それで.本当なのですか?」
フェリシアは頷いた。
「本当よ。私、力に目覚めたの。」
エミリアは嬉しそうに笑った。
―――
その夜、フェリシアは久しぶりに自分の部屋で休んだ。
清潔なベッド、静かな部屋。王宮の快適さを改めて実感した。
しかし同時に、エルドマールの海の音が恋しくもあった。あの町で過ごした日々。人々の温かさ。リオールとの二人だけの時間。
窓を開けると、王宮の庭園が月光に照らされている。
明日からは、新しい段階が始まる。
国王に正式に報告し、リオールは家名を授かる。そして、二人の婚約が正式に発表される。
結婚式の準備も始まる。
そして、治癒魔法の本格的な修行も。
忙しい日々になるだろう。でも、それは幸せな忙しさだ。
ドアがノックされた。
「フェリシア、起きているか?」
リオールの声だった。
「はい。」
フェリシアがドアを開けると、リオールが立っていた。
「邪魔をしてすまない。少し話がしたくて。」
「どうぞ。」
二人はバルコニーに出た。
「明日、国王陛下に会う。」
リオールが言った。
「そして正式に、私は家名を授かる。ルミナスの名を。」
「ルミナス...光をもたらす者。」
「ああ。そして君も、同じ名を名乗ることになる。フェリシア・ルミナス。」
フェリシアは名前を心の中で繰り返した。
フェリシア・ルミナス。
もう、アイテールではない。新しい名前。新しい人生。
「素敵な名前です。」
「気に入ってくれて嬉しい。」
リオールは彼女の手を取った。
「これから、私たちは共に歩んでいく。リオール・ルミナスとフェリシア・ルミナスとして。」
「はい。」
フェリシアは微笑んだ。
「楽しみです。あなたと共に歩む未来が。」
リオールは彼女を抱きしめた。
「私もだ。君と出会えて、本当に良かった。」
二人は静かに抱き合った。
月が二人を照らし、優しく見守っていた。
明日から、新しい章が始まる。
フェリシア・ルミナスの物語。
光をもたらす者の物語が。




