第30話「町の感謝」
船が港に近づくにつれ、岸壁に集まる人々の姿が見えてきた。
松明の明かりが、夜の港を照らしている。
町の人々が、総出で待っていた。魔物との戦いの光と音を見て、結果を心配していたのだ。
「あれを見ろ。」
レオナルドが指差した。岸壁には、ガレス町長をはじめ、町民たちがびっしりと並んでいる。
「魔物は!」
「どうなったんだ!」
人々の不安そうな声が、波に乗って聞こえてくる。
レオナルドは船首に立ち、剣を高々と掲げた。
「魔物は討伐された!もう二度と、この海を脅かすことはない!」
一瞬の沈黙。
そして次の瞬間、岸壁から爆発的な歓声が上がった。
「勝ったのか!」
「本当に魔物を倒したんだ!」
「助かった!私たちは助かったんだ!」
人々は抱き合い、泣き、笑い、喜びを爆発させた。これまで、恐怖に怯えながら暮らしてきた日々。
愛する者を失った悲しみ。海に出ることができず、生活に困窮した苦しみ。
それらすべてから、ようやく解放されたのだ。
―――
リオールは船室で、意識を失ったフェリシアを抱きかかえていた。
彼女の顔は蒼白だが、呼吸は安定している。
魔力を使い果たしただけだ。
しかし、リオールは心配でならなかった。
「フェリシア。」
彼は静かに彼女の名を呼んだ。
フェリシアのまぶたが、わずかに動いた。
「リオール、様...。」
「無理に起きなくていい。港に着いたら、すぐに休ませる。」
「でも...皆さんは...?」
「皆、無事だ。お前のおかげでな。」
リオールは優しく微笑んだ。フェリシアの治癒魔法が、どれだけ役に立ったことか。
彼自身も、あの時確実に致命傷を負っていた。しかしフェリシアの力が、傷を完全に癒したのだ。
船が岸壁に横付けされると、ガレス町長が真っ先に駆け寄ってきた。
「リオール様!本当に...本当に魔物を!」
「ああ。」
リオールは頷いた。
「魔物は討伐した。もう恐れることはない。」
町長の目から、大粒の涙が溢れた。
「ありがとうございます!心から、心から感謝いたします!」
彼は深く、深く頭を下げた。その後ろで、町民たちも一斉に頭を下げる。
「どうか顔を上げてください。」
リオールは困ったように言った。
「私たちは、ただ務めを果たしただけです。」
「いいえ!」
町長は顔を上げた。
「皆様は私たちの命の恩人です!どうかこの感謝を、受け取ってください!」
その時、船室からレオナルドがフェリシアを抱きかかえて出てきた。
「フェリシア様!」
町長が驚いて駆け寄る。
「どうされたのですか!」
「魔力を使い果たして、気を失われています」
レオナルドが説明した。
「休めば回復しますが、今はとにかく休息が必要です」
「それは大変だ!すぐに宿へ!」
町長が指示を出すと、町の人々が慌ただしく動き始めた。
「私が運ぶ。」
リオールはレオナルドからフェリシアを受け取った。
彼女は軽く、そして温かかった。リオールは彼女を抱きしめ、そっと額にキスをした。
「よく頑張ったな。」
―――
町で一番良い宿に案内され、リオールはフェリシアを寝室のベッドに寝かせた。
町の医者も駆けつけてきたが、診察の結果、やはり魔力の消耗だけだということが確認された。
「明日の朝には目を覚ますでしょう。」
医者は言った。
「それまで、ゆっくり休ませてあげてください。」
リオールは椅子を引き寄せ、フェリシアのベッドの傍らに座った。
彼女の手を取り、その手の甲に自分の額を押し当てる。
「ありがとう、フェリシア。」
彼は囁いた。
「君が私を救ってくれた。君の力で、多くの人が救われた。」
―――
翌朝、フェリシアがゆっくりと目を開けると、朝日が窓から差し込んでいた。
「ん...。」
体が重い。まるで何日も眠り続けていたような感覚。しかし頭ははっきりしている。
「気がついたか?」
傍らから、リオールの声がした。
フェリシアは顔を向けた。リオールが椅子に座り、疲れた顔で微笑んでいた。
「リオール様...ずっと、傍にいてくださったのですか/」
「当然だろう。」
「でも...。」
フェリシアは起き上がろうとして、リオールに止められた。
「まだ無理をするな。魔力の回復には時間がかかる。」
「私...魔物は...。」
「討伐した。」
リオールは優しく言った。
「君のおかげでな。」
フェリシアの記憶が蘇ってきた。魔物との激しい戦い。リオールが負傷したこと。そして、自分の中から溢れ出た光。
「あれは...私の力だったのでしょうか。」
「間違いない。」
リオールは頷いた。
「君は治癒魔法を発動させた。それも、極めて強力なものだ。私の致命傷を完全に癒し、他の騎士たちの傷も癒した。さらには、損傷した船まで修復した。」
「そんな...。」
フェリシアは信じられなかった。自分にそんな力があったなんて。
「君の母上も、優れた治癒魔法使いだったと聞いている。」
リオールは続けた。
「君はその才能を受け継いだんだ。呪いに抑圧されていた力が、ついに目覚めたんだ。」
フェリシアの目に涙が浮かんだ。
「母上が...私に力を...。」
「ああ。母上は君を守っただけでなく、君に未来も与えてくれたんだ。」
その時、ドアがノックされた。
「リオール様、フェリシア様、ご気分はいかがでしょうか?」
ガレス町長の声だった。
「どうぞ。」
町長が入ってきた。その後ろには、何人もの町民たちが続いている。皆、手に花や果物、パンなどを持っている。
「フェリシア様!お目覚めになられたのですね!」
町長は安堵の表情を浮かべた。
「良かった。本当に良かった。町中が、フェリシア様のことを心配しておりました。」
「私のことを...?」
フェリシアは驚いた。
「当然です!」
若い漁師が前に出てきた。
「フェリシア様が私の命を救ってくださったんです。魔物に襲われて、船から海に投げ出された時、もうダメだと思いました。でも、フェリシア様の光が私を包んで、傷が全部治ったんです!」
「私の夫も!」
一人の女性が言った。
「頭を強く打って、意識がなくなっていたのに、フェリシア様の魔法で目を覚ましたんです!」
次々と、町の人々が感謝の言葉を述べた。
フェリシアは圧倒された。こんなにも多くの人々を、自分が救ったのだろうか。
「皆様...ありがとうございます。」
彼女は涙声で言った。
「でも私は、ただ無我夢中で...。」
「それでいいんです。」
町長が優しく言った。
「フェリシア様は、私たちの命の恩人です。どうか、この町の感謝を受け取ってください。」
町民たちが、持ってきた贈り物をベッドの周りに置いていく。
色とりどりの花、新鮮な果物、焼きたてのパン。どれも心のこもった贈り物だった。
「今夜、町を挙げて祝宴を開きます!」
町長が宣言した。
「魔物の討伐を祝い、そして我らが英雄を讃えるために!」
町民たちから歓声が上がった。
リオールは笑って言った。
「ありがたく受けさせていただきます。ただし、フェリシアの体調が戻ってからにしてください。」
「もちろんです!夕方までゆっくりお休みください!」
町長たちが去った後、部屋には再び静寂が戻った。
フェリシアは周囲を見回した。花に囲まれた部屋。窓からは青い海が見える。穏やかな波が、静かに寄せては返している。
「信じられません。」
彼女は囁いた。
「こんなにも多くの人々に、感謝されるなんて。」
「信じるんだ。」
リオールは彼女の手を握った。
「君は人々を救う力を持っている。そしてその力で、これから多くの人を助けることができる。」
「でも私は...。」
「『不幸な令嬢』だったのは、もう過去のことだ。」
リオールは真剣な目で言った。
「今の君は、フェリシア・ルミナス。人々に光をもたらす者だ。」
フェリシアの目から、涙が溢れた。それは悲しみの涙ではなく、喜びと感謝の涙だった。
「ありがとうございます、リオール様。」
「リオールでいい。」
彼は微笑んだ。
「もうすぐ、君は私の妻になるのだから。」
フェリシアは頬を染めて頷いた。
―――
夕方になり、フェリシアの体調もかなり回復した。
彼女はリオールに支えられながら、町役場の広間へと向かった。
広間は、すでに町の人々で埋め尽くされていた。
テーブルには料理が並び、酒樽が用意され、楽団が楽器を調弦している。
二人が現れると、会場が静まり返った。
そして次の瞬間、爆発的な拍手と歓声が起こった。
「フェリシア様!」
「リオール様!」
「英雄万歳!」
人々は立ち上がり、二人に拍手を送る。
ガレス町長が前に出て、杯を掲げた。
「皆さん!今夜、私たちは自由を祝います!私たちを苦しめてきた魔物は、王宮から派遣されたリオール・ルミナス様とフェリシア・ルミナス様、そして勇敢な騎士たちによって討伐されました!」
会場から拍手と歓声。
「リオール様は王国最高の魔法使いとして、その力を余すことなく発揮されました!そしてフェリシア様!」
町長は感極まった様子で続けた。
「フェリシア様の治癒魔法は、まさに奇跡でした!戦いで負傷した騎士たちを、お一人で全員治療されたのです!致命傷を負った方々が、今こうして元気に立っているのは、すべてフェリシア様のおかげです!」
会場の視線がフェリシアに集まった。彼女は恥ずかしそうに俯いたが、リオールが優しく肩を抱いた。
「フェリシア様!」
救助された若い騎士が叫んだ。
「あなたは戦場の天使です!」
「天使!天使!」
他の騎士たちも唱和する。
町民たちもそれに続いた。
「戦場の天使!」
「光の癒し手!」
フェリシアは涙ぐんだ。かつて「不幸をもたらす者」と呼ばれた自分が、今は「天使」と呼ばれている。
「では、乾杯しましょう!」
町長が杯を高く掲げた。
「エルドマールの自由に!そして我らが英雄たちに!」
「乾杯!」
全員が杯を掲げ、一気に飲み干した。そして宴が始まった。
音楽が流れ、人々が踊り始める。料理が運ばれ、笑い声が響く。
フェリシアとリオールは上座に座り、次々と訪れる町の人々の感謝の言葉を受けた。
「私の父を救ってくださって、本当にありがとうございます。」
「息子が無事に帰ってこれたのは、お二人のおかげです。」
「この町の未来を取り戻してくださいました。」
一人一人と言葉を交わし、握手を交わし、笑顔を交わす。
フェリシアは実感していた。
自分は人の役に立てる。
自分にも価値がある。
自分も、誰かに必要とされている。
宴は深夜まで続いた。やがて疲れた人々が帰り始め、会場も静かになっていった。
リオールとフェリシアは宿に戻り、部屋のバルコニーに立った。
海を見下ろすと、月光が水面を照らし、銀色の道を作っている。穏やかな波の音だけが聞こえる。
「美しいですね。」
フェリシアが囁いた。
「ああ。」
リオールは彼女の肩を抱いた。
「もう恐ろしい魔物はいない。この海は、再び人々のものになった。」
フェリシアはリオールに寄りかかった。
「リオール様...いえ、リオール。」
「ん?」
「ありがとう。」
「何が?」
「私を見つけてくれて。私を救ってくれて。そして、私の力を信じてくれて。」
リオールは彼女を抱きしめた。
「こちらこそ、ありがとう。君がいてくれて、私は本当に幸せだ。」
二人は静かに抱き合い、この日の勝利と、互いへの愛を噛み締めた。
窓の外では、月が高く昇っている。
明日からも、まだやるべきことは多い。海の安全確認、町の復興支援、そして王宮への報告。
しかし今夜は、ただ喜びと安らぎを感じていたい。
エルドマールの町に、ようやく平和が戻ってきた。
そしてフェリシアは、自分の新しい人生が本当に始まったことを実感していた。
かつて不幸な令嬢と呼ばれた少女は、今や人々に希望をもたらす存在となっていた。




