第19話「クロスの過去」
儀式まで残り二日。
リオールは、レーナの記憶から得た情報を整理していた。グレゴールがクロスに接触したのは、レーナとの結婚後。では、その経緯は?
「クロスの過去を、もっと詳しく調べる必要がある」
リオールは、古い貴族の記録を漁り始めた。
アイテール家の歴史、クロスの生い立ち、そして最初の妻について。
数時間後、リオールは一つの記事を見つけた。
「二十二年前、クロス・アイテールの妻、エレノア・アイテール死去。出産により。」
ポリーの母だ。
「エレノアは、魔力を持たない普通の貴族の娘だった。」
リオールは記録を読み進める。
「そして、エレノアの死後、アイテール家は急速に衰退。財産を失い、社交界での地位も失った。」
つまり、クロスがレーナと結婚したのは、財産目当てだけではなかったのかもしれない。
「没落した男が、魔術師に出会った。」
リオールは、クロスに会う必要があると判断した。
―――
地下牢に降りると、クロスは壁にもたれて座っていた。
以前よりさらに老け込んでいる。もはや、七十代の老人のようだ。
「クロス・アイテール、話がある。」
リオールの声に、クロスはゆっくりと顔を上げた。
「魔法使いか。また尋問か?」
「いや、今日は別の話だ。」
リオールは牢の前に椅子を置き、座った。
「お前の過去について聞きたい。」
「過去?」
「ああ。お前がグレゴールに出会った経緯を。」
クロスは、深いため息をついた。
「なぜ、今更?」
「フェリシアを救うために、すべてを知る必要がある。」
その名前を聞いて、クロスの表情が変わった。
「フェリシア、か。」
「ああ。お前の娘だ。」
「娘。」
クロスは自嘲的に笑った。
「私に、娘と呼ぶ資格があるのか。」
「それは、お前が決めることだ。」
リオールは真っ直ぐにクロスを見つめた。
「話せ。すべてを。」
―――
クロスは、ゆっくりと話し始めた。
「私には、妻がいた。エレノアという、優しい女性だった。」
「ポリーの母だな。」
「ああ。彼女は、没落しかけたアイテール家に嫁いでくれた。」
クロスの目に、懐かしむような光が浮かんだ。
「ポリーが生まれた時、私は心から幸せだった。」
「しかし、エレノアは死んだ。」
「ああ。出産の際に、命を落とした。」
クロスは拳を握りしめた。
「私は、絶望した。愛する妻を失い、幼い娘を抱えて。」
「それから?」
「アイテール家は、さらに衰退した。金がなく、ポリーを育てることさえ困難だった。」
クロスは壁を見つめた。
「私は、必死だった。娘のために、何としても家を立て直さなければと。」
「それで、レーナと出会った。」
「いや、その前だ。」
クロスは首を横に振った。
「レーナと出会う前に、私はグレゴールに出会った。」
―――
「それは、ポリーが三歳の時だった。」
クロスは遠い目をした。
「私は、金策に走り回っていた。ある夜、酒場で一人の老人に声をかけられた。」
「グレゴールか。」
「ああ。彼は言った。『力が欲しいか?』と。」
クロスは苦々しく笑った。
「私は、藁にもすがる思いだった。だから、彼の話を聞いた。」
「グレゴールは、何と?」
「彼は言った。『ルシェール家の令嬢と結婚しろ。彼女は強力な魔力を持っている。その力を手に入れれば、お前は富と地位を取り戻せる。』と。」
リオールは眉をひそめた。
「つまり、最初から計画されていた?」
「ああ。グレゴールは、ルシェール家を滅ぼす計画を立てていた。」
クロスは顔を覆った。
「そして、私を駒として使うつもりだった。」
「お前は、それを承知で。」
「最初は、単なる政略結婚だと思っていた。」
クロスは顔を上げた。
「グレゴールは、ルシェール家の財産を奪う方法を教えてくれた。投資詐欺を仕組み、彼らを破産に追い込む方法を。」
「そして、身寄りのなくなったレーナを、お前に嫁がせた。」
「ああ。」
クロスは深く頷いた。
「私は、悪魔と契約してしまった。」
―――
「だが、レーナと結婚して、私は変わった。」
クロスの声が震えた。
「彼女は、本当に優しい人だった。ポリーにも優しくしてくれた。」
「お前は、レーナを愛したのか?」
「愛した。心から。」
クロスは涙を流した。
「だからこそ、苦しかった。グレゴールは、私に生贄の呪術を教えた。」
「レーナの魔力を奪う呪術を。」
「ああ。最初は、拒否した。」
クロスは拳を握りしめた。
「しかし、グレゴールは言った。『お前は、もう私の計画に組み込まれている。逃げることはできない。』と。」
「脅迫か。」
「ああ。そして、彼は私に呪いをかけた。」
クロスは自分の胸を指した。
「心を蝕む呪い。欲望を増幅させ、良心を麻痺させる呪いを。」
リオールは驚いた。
「お前も、呪われていた?」
「ああ。だから、レーナを愛しながらも、彼女を利用した。」
クロスは声を絞り出した。
「呪いが、私を操っていた。」
―――
「レーナが二度目の妊娠をした時、グレゴールは大喜びだった。」
クロスは続けた。
「彼は言った。『ルシェール家の血を引く子供が生まれる。完璧な生贄だ。』と。」
「それで、お前は。」
「私は、抵抗しようとした。」
クロスは顔を覆った。
「でも、呪いが強くなった。私の心は、どんどん歪んでいった。」
「そして、フェリシアが生まれた。」
「ああ。レーナは、最期まで娘を守ろうとした。」
クロスの涙が止まらない。
「私は、妻を殺し、娘を生贄にした。」
「しかし、レーナの魔力が、フェリシアを守っていた。」
「ああ。だから、呪いは完全には成功しなかった。」
クロスは顔を上げた。
「グレゴールは怒った。でも、部分的には成功していた。だから、彼は私に言った。『このまま続けろ。いずれ、完全に魔力を奪える。』と。」
リオールは立ち上がった。
「つまり、グレゴールはまだフェリシアを狙っている。」
「ああ。彼の目的は、ルシェール家のすべての魔力を集めること。」
クロスは必死に訴えた。
「頼む。フェリシアを守ってくれ。私ができなかったことを。」
リオールは、冷たく答えた。
「言われなくても、守る。」
―――
牢を出ようとしたリオールに、クロスが叫んだ。
「待ってくれ!」
「何だ?」
「フェリシアに、伝えてくれ。」
クロスは床に額をつけた。
「すまなかった、と。」
リオールは振り返らなかった。
「それは、お前が直接言うべきことだ。」
「でも、私には資格が…。」
「資格がないと思うなら、なおさら自分で言え。」
リオールは歩き出した。
「償いたいなら、グレゴールについて、すべて話せ。」
「わかった。」
クロスは顔を上げた。
「グレゴールの目的を、話す。」
リオールは足を止めた。
「彼は、『永遠の命』を手に入れようとしている。」
「永遠の命?」
「ああ。そのために、膨大な魔力が必要だ。」
クロスは震える声で続けた。
「ルシェール家の魔力は、特別だ。治癒と再生の力を持つ。」
「なるほど。」
リオールは理解した。
「その力を使えば、不老不死になれる。」
「ああ。グレゴールは、五十年以上も魔力を集め続けてきた。」
「そして、フェリシアが最後のピースか。」
「おそらく。だから、彼は必ず襲ってくる。」
リオールは拳を握りしめた。
「させない。絶対に。」
地下牢を出たリオールは、ライオスの元へと急いだ。
―――
「グレゴールの目的は、不老不死か。」
ライオスは驚いた表情を浮かべた。
「ああ。そして、フェリシアの魔力が必要だ。」
「なら、儀式の際に襲ってくる可能性が高い。」
「ああ。警備を、最大限に強化してくれ。」
ライオスは頷いた。
「わかった。騎士団を総動員する。」
「頼む。」
リオールは窓の外を見た。
「あと二日。それまでに、すべての準備を整える。」
「リオール。」
ライオスが声をかけた。
「お前、大丈夫か?」
「何が?」
「お前、かなり無理をしている。」
ライオスは心配そうに言った。
「儀式は、お前に大きな負担がかかる。」
「わかっている。」
リオールは微笑んだ。
「でも、やるしかない。」
「リオール。」
「俺は、フェリシアを救いたい。」
リオールの目は、決意に満ちていた。
「たとえ、自分が倒れても。」
ライオスは、友の肩を叩いた。
「なら、俺も全力で支える。」
「ありがとう。」
二人は、固く手を握り合った。
夜、フェリシアは自室で祈っていた。
「母上、あと二日です。」
首飾りを握りしめる。
「私、頑張ります。」
窓の外では、月が輝いていた。
あと二日で、すべてが決まる。
フェリシアの運命が。
そして、彼女を守ろうとする者たちの運命も。
クロスは牢の中で、娘のことを想っていた。
「フェリシア、すまない。」
初めて、心からの謝罪の言葉を口にした。
「私は、父親失格だった。」
涙が止まらない。
「でも、せめて…。」
クロスは決意した。
「せめて、最後に役に立とう。」
彼にできることは、情報を提供することだけ。
でも、それが娘を救う助けになるなら。
それが、彼にできる唯一の償いだった。
運命の儀式まで、残り二日。
すべての者が、その時に向けて動いていた。




