第17話「レーナの日記」
儀式まで残り五日となった朝、ポリーがフェリシアの部屋を訪れた。
「フェリシア、これを。」
ポリーは古い革製の本を差し出した。
「これは?」
「母の日記よ。アイテール家の屋敷から持ち出してきたの。」
フェリシアは驚いて本を受け取った。
「母上の日記?」
「ええ。父の書斎の隠し引き出しに、隠されていた。」
ポリーは椅子に座った。
「私、昨日屋敷に戻って探したの。何か、あなたの力になるものがないかと。」
「姉上。」
「読んでみて。母は、あなたのことを愛していた。それが、きっとわかるから。」
フェリシアは、震える手で日記を開いた。
最初のページには、美しい筆跡で日付が記されていた。
『二十年前、春』
―――
フェリシアは、日記を読み始めた。
『今日、クロスと結婚した。家族を失い、財産も失った私に、彼は優しくしてくれた。そして彼には、先妻との間に生まれた愛らしい娘、ポリーがいる。三歳のポリーは、私を母として受け入れてくれた。これから、新しい人生が始まる。』
最初のページは、希望に満ちていた。
『ポリーと過ごす日々は楽しい。この子は本当に可愛い。クロスも優しい夫だ。』
しかし、ページをめくるにつれ、内容は変わっていく。
『最近、クロスの様子がおかしい。夜中に書斎に籠もり、何かを呟いている。結婚前とは、明らかに違う』
『今日、書斎で奇妙な魔術書を見つけた。生贄の呪術?何のために。クロスは魔術師ではないはずなのに…。』
『クロスに問い詰めたが、何でもないと言う。でも、彼の目は嘘をついている。』
『夜中、クロスが誰かと話しているのを聞いた。黒いローブの老人。あの人は誰?』
フェリシアの手が震えた。
「母上、気づいていたのね。」
ポリーが隣に座った。
「ええ。でも、母は誰にも相談できなかった。」
『二度目の妊娠がわかった。ポリーの妹か弟ができる。本来なら喜ばしいはずなのに、不安でいっぱい。』
『クロスの喜び方が、異常だ。まるで、何かを手に入れたかのような。ポリーを妊娠した時とは、明らかに違う。』
『恐ろしい考えが頭をよぎる。彼は、私の魔力を狙っている。この子の魔力を狙っている。確信した。』
フェリシアは涙が溢れそうになった。
母は、すべてを知っていた。
―――
日記は続く。
『出産が近づいている。クロスは、毎晩魔術書を読んでいる。』
『今夜、クロスが誰かと話しているのを聞いた。黒いローブの老人。彼が、クロスを操っているのだと思う。』
『恐ろしい。私は、利用されるために結婚させられたのだ。』
『でも、お腹の子供は守らなければ。この子は、何も悪くない。』
レーナの決意が、文字から伝わってくる。
『首飾りに保護の魔法を込めた。私のすべての魔力を。』
『これで、子供を守れる。たとえ私が死んでも…。』
『クロスは、私から魔力を奪うつもりだ。そして、子供を生贄にするつもりだ。』
『許せない。でも、私にはもう力が残っていない。』
『首飾りに、すべてを託す。』
フェリシアは声を上げて泣いた。
「母上。」
ポリーが、妹を抱きしめた。
「母は、あなたを愛していた。」
「こんなに、こんなに…。」
フェリシアは日記を胸に抱いた。
「母上は、私を守るために。」
―――
しばらくして、フェリシアは涙を拭い、最後のページを開いた。
『もうすぐ、陣痛が始まる。』
『クロスが、部屋の外で待っている。彼の目は、狂気に満ちている。』
『子供よ、ごめんなさい。あなたを守りきれなくて。』
『でも、首飾りがあなたを守る。私の魔力が、あなたと共にある。』
『どうか、強く生きて。いつか、この呪いから解放されて。』
『幸せになって。笑って、愛されて、自由に生きて。』
『母より、愛する娘へ。』
それが、最後の言葉だった。
フェリシアは、首飾りを握りしめた。
これが、母の最後の魔力。
自分を守るために、母が命を賭けて残してくれたもの。
「母上、ありがとうございます。」
フェリシアは呟いた。
「私、あなたの願いを叶えます。幸せになります。」
ポリーも涙を流していた。
「母は、本当に強い人だった。」
「ええ。」
フェリシアは日記を閉じた。
「姉上、この日記を、リオール様に見せてもいいですか?」
「もちろん。きっと、儀式の役に立つわ。」
―――
午後、フェリシアはリオールの研究室を訪れた。
「リオール様、これを。」
日記を見せると、リオールは慎重にページをめくった。
「これは、レーナの?」
「はい。母の日記です。」
リオールは真剣な表情で読み進める。
「なるほど。レーナは、首飾りにすべての魔力を込めた。」
「はい。」
「これは、重要な情報だ。」
リオールは立ち上がった。
「フェリシア、儀式の際、この首飾りが鍵になる。」
「鍵?」
「ああ。レーナの魔力が、お前の呪いを弱めている。その力を利用すれば、儀式の成功率が上がる。」
リオールは、魔法陣の図面を広げた。
「ここに、首飾りを置く。そして、レーナの魔力と俺の魔力を合わせて、呪いを破壊する。」
「母の力と、リオール様の力が。」
「ああ。母の愛と、俺の意志が、お前を救う。」
リオールは、フェリシアを見つめた。
「お前の母は、素晴らしい人だった。」
「はい。」
「そして、お前も素晴らしい。」
リオールは、フェリシアの頭に手を置いた。
「母の愛を受け継ぎ、強く生きている。」
フェリシアは、胸が温かくなった。
「リオール様。」
「あと五日だ。それまで、しっかり準備をする。」
「はい!」
二人は、共に図面を見つめた。
―――
その夜、リオールは一人で魔法陣の準備をしていた。
地下の儀式場。複雑な魔法陣が、床一面に描かれている。
「レーナの魔力を、ここに集中させる。」
リオールは、中心部に特別な印を描いた。
「そして、フェリシアの意志の力を増幅させる。」
作業をしながら、リオールはレーナの日記を思い出していた。
母の愛。娘を守るために、命を賭けた愛。
「俺も、同じだ。」
リオールは呟いた。
「フェリシアを守るためなら、命を賭ける。」
その時、背後から声がした。
「リオール、無理をするな。」
振り返ると、セラフィナが立っていた。
「セラフィナ様。」
「お前、その娘のために死ぬつもりか。」
老魔女は、鋭い目でリオールを見つめた。
「死ぬつもりはありません。でも、彼女を救えないなら、生きている意味がない。」
「ふむ。」
セラフィナは、魔法陣を見た。
「お前、その娘を愛しておるのか?」
リオールは、言葉に詰まった。
「愛?」
「そうじゃ。恋愛の愛じゃ。」
「わかりません。ただ…。」
リオールは魔法陣を見つめた。
「彼女がいない世界は、考えられない。」
「それが、愛じゃよ。」
セラフィナは笑った。
「若いのう。」
―――
「でも、俺には資格がない。」
リオールは首を横に振った。
「俺は、ただの魔法使いだ。」
「ただの魔法使い?」
セラフィナは呆れたように言った。
「お前は、王宮専属の魔法使いじゃ。この国で最も優れた魔法使いの一人じゃ。」
「それでも…。」
「それでも、何じゃ?」
「フェリシアは、もっと良い人生を送るべきだ。」
リオールは拳を握りしめた。
「俺みたいな、暗い過去を持つ人間ではなく。」
「馬鹿者。」
セラフィナが杖で床を叩いた。
「お前ほど、その娘に相応しい者はおらん。」
「セラフィナ様。」
「お前は、彼女の痛みを理解しておる。孤独を知っておる。そして、誰よりも彼女を守ろうとしておる。」
老魔女は、優しく微笑んだ。
「それ以上に大切なものが、あるかね?」
リオールは、言葉が出なかった。
「まあ、今は儀式に集中せい。」
セラフィナは杖をついて歩き出した。
「恋の話は、彼女が自由になってからじゃ。」
一人残されたリオールは、魔法陣を見つめた。
愛、か。
確かに、フェリシアのことを考えると、胸が苦しくなる。
彼女の笑顔を見ると、心が温かくなる。
彼女が傷つくことを想像すると、怒りが湧いてくる。
「これが、愛なのか…?」
リオールは、自分の胸に手を当てた。
「なら、俺は…。」
言葉にはしなかった。
でも、心の中で確信した。
自分は、フェリシア・アイテールを愛している。
「だから、必ず救う。」
リオールは、再び魔法陣の準備に取り掛かった。
あと五日。
そして、すべてが決まる。
フェリシアの部屋では、彼女が母の日記を読み返していた。
「母上、私、強くなります。」
首飾りを握りしめる。
「あなたの愛を、無駄にしません。」
夜空には、星が輝いていた。
母と娘を繋ぐ、愛の光。
そして、新しい愛が芽生えようとしている。
リオールとフェリシアの間に。
まだ言葉にはなっていない。
でも、確かに存在する。
それが、儀式を成功させる、もう一つの力になる。
愛は、すべてを超える。
母の愛も。
そして、二人の愛も。
あと五日で、すべてが明らかになる。




