第14話「二つの選択」
ポリーの証言から数日後、彼女は修道院に戻ることなく、王宮の近くにある小さな宿に滞在していた。
ライオスの配慮で、証人保護として安全な場所が用意されていたのだ。
その日の朝、フェリシアはポリーを訪ねた。
質素な部屋に案内されると、ポリーは窓辺で聖書を読んでいた。
「姉上。」
「フェリシア。来てくれたの。」
ポリーは本を閉じた。
「はい。お加減はいかがですか。」
「大丈夫よ。ここは静かで、落ち着くわ。」
二人は小さなテーブルに向かい合って座った。
「姉上、あれから眠れていますか?」
「正直に言えば、あまり。」
ポリーは苦笑した。
「証言をしてから、昔の記憶が次々と蘇ってくるの。」
「辛い記憶、ですか?」
「ええ。でも、話さなければならない記憶でもある。」
ポリーは紅茶を一口飲んだ。
「フェリシア、裁判はいつになるか聞いている?」
「来月の初めだそうです。」
「そう。あと三週間。」
ポリーの手が震えた。
「私、父の前で証言できるかしら。」
「姉上。」
「怖いの。父は、私にとって恐怖の対象だった。あの人の前で、真実を語ることが。」
フェリシアは姉の手を握った。
「大丈夫です。私も、ライオス様も、リオール様も、そばにいます。」
ポリーは涙を浮かべた。
「ありがとう。」
―――
その午後、ポリーは突然の来客を受けた。
アイテール家の古い友人だという、老婦人が訪ねてきたのだ。
「ポリー様、お久しぶりです。」
六十代くらいの、上品な女性だった。
「あなたは、確か…。」
「マルグリット・ドゥヴォーと申します。かつて、あなたのお母様と親しくさせていただいておりました。」
「母の友人?」
ポリーは驚いた。母の友人など、父が遠ざけていたはずだ。
「はい。レーナ様が亡くなられてから、クロス様が私たちを遠ざけられましたが。」
マルグリットは悲しそうに微笑んだ。
「あなたが証言をされると聞いて、どうしてもお会いしたくて。」
「私の証言を、どこで?」
「噂はすぐに広まります。あなたが勇気を出されたこと、私は誇りに思います。」
マルグリットは、ポリーの手を取った。
「でも、ポリー様。よくお考えになってください。」
「え?」
「証言をすれば、あなたは社交界から完全に追放されます。アイテール家の名も地に落ちる。」
マルグリットの声は真剣だった。
「それでも、証言をされるのですか?」
ポリーは沈黙した。
―――
「私には、選択肢があるということですか?」
ポリーが静かに尋ねた。
「はい。証言を撤回することもできます。」
マルグリットは続けた。
「あなたは父親に強要されていた。それを主張すれば、罪には問われないでしょう。」
「でも、それでは…。」
「フェリシア様を見捨てることになる、とお思いですか。」
マルグリットは首を横に振った。
「いいえ。フェリシア様は王子様と魔法使い様が守っておられる。あなたの証言がなくても、クロス様は裁かれます。」
「では、なぜ?」
「あなたの人生を考えてのことです。」
マルグリットは真剣な目をしていた。
「証言をすれば、あなたは社会から爪弾きにされる。結婚の機会も失う。これからの人生が、とても厳しいものになります。」
ポリーは窓の外を見た。
「私、考えてみます。」
「賢明な判断を。」
マルグリットは立ち上がった。
「レーナ様は、優しい方でした。きっと、あなたが幸せになることを望んでおられるはずです。」
そう言って、彼女は去っていった。
一人残されたポリーは、深く考え込んだ。
証言をするか、しないか。
二つの選択肢。
―――
その夜、ポリーはフェリシアを宿に呼んだ。
「姉上、どうかされましたか?」
フェリシアは心配そうに尋ねた。
「フェリシア、座って。」
二人は向かい合った。
「今日、母の友人が訪ねてきたの。」
ポリーは、マルグリットとの会話を話した。
証言を撤回する選択肢があること。そうすれば、自分の未来は守られること。
フェリシアは黙って聞いていた。
「私、迷っているの。」
ポリーは顔を伏せた。
「証言をすれば、私の人生は終わる。でも、証言をしなければ、あなたを裏切ることになる。」
「姉上。」
「どうすればいいのかわからない。」
ポリーの声は震えていた。
「私は、弱い人間だから。また、自分を守ろうとしてしまう。」
フェリシアは、姉の手を取った。
「姉上、私はあなたに証言を強制しません。」
「え?」
「あなたが証言をしなくても、私はあなたを責めません。」
フェリシアは優しく微笑んだ。
「あなたは、あなたの人生を生きるべきです。」
「でも…。」
「ライオス様がおっしゃったように、父は証言がなくても裁かれます。姉上の人生を犠牲にする必要はありません。」
ポリーは涙を流した。
「あなた、本当に優しいのね。」
「いいえ、ただ…。」
フェリシアは続けた。
「姉上には、幸せになってほしいのです。」
―――
「フェリシア、でも私は…。」
ポリーは涙を拭った。
「私は、十八年間あなたを苦しめた。その罪を償いたい。」
「償い、ですか。」
「ええ。証言をすることが、私にできる唯一の償いだと思っていた。」
ポリーは立ち上がり、窓の外を見た。
「でも、マルグリット様の言葉を聞いて、怖くなったの。」
「怖い?」
「社会から追放される恐怖。一人で生きていく恐怖。」
ポリーは振り返った。
「私は、まだ社会的な地位や評判を気にしている。その弱さが、恥ずかしい。」
フェリシアは姉のそばに立った。
「姉上、それは弱さではありません。」
「え?」
「それは、人間らしさです。」
フェリシアは姉を見つめた。
「誰だって、自分の未来を心配します。それは当然のことです。」
「でも、あなたは…。」
「私は、もう失うものがありませんでした。だから、恐れなかった。」
フェリシアは微笑んだ。
「でも姉上には、まだ未来があります。選択肢があります。」
ポリーは妹を抱きしめた。
「ありがとう、フェリシア。」
「姉上、よく考えてください。そして、自分の心に従ってください。」
二人は、しばらく抱き合っていた。
―――
翌日、ポリーは一人で街を歩いていた。
修道院に戻るべきか。証言をするべきか。
考えは堂々巡りをしていた。
ふと、小さな教会に足を踏み入れた。
静かな空間。祭壇の前に跪き、祈る。
「神様、私に教えてください。」
ポリーは目を閉じた。
「私は、どうすればいいのでしょうか?」
その時、後ろから声がかけられた。
「悩んでおられるようですね。」
振り返ると、老いた神父が立っていた。
「はい、神父様。」
「話してみなさい。神は、すべてを聞いておられる。」
ポリーは、すべてを話した。
自分の罪、妹への裏切り、証言の選択、そして恐怖。
神父は黙って聞いていた。
「なるほど。二つの道があるのですね。」
「はい。」
「では、あなたに問います。」
神父は穏やかに言った。
「どちらの道を選んだ時、あなたは眠れますか?」
「眠れる?」
「はい。夜、床につく時。どちらの選択をした自分なら、安らかに眠れますか?」
ポリーは考えた。
証言をしない道を選んだ場合。社会的な地位は守られる。でも、妹を見捨てたという罪悪感が残る。
証言をする道を選んだ場合。社会からは追放される。でも、償いをしたという安心感がある。
「私は…。」
ポリーは顔を上げた。
「証言をした方が、眠れると思います。」
「ならば、答えは出ているのではありませんか?」
神父は微笑んだ。
「人は、外からの評価より、内なる良心と共に生きるべきです。」
ポリーは涙を流した。
「ありがとうございます、神父様。」
「行きなさい。そして、あなたの心に従いなさい。」
―――
その夜、ポリーはフェリシアとライオス、リオールを呼んだ。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます。」
ポリーは三人の前に立った。
「私、決めました。」
「姉上。」
「私は、証言をします。」
ポリーの声は、決意に満ちていた。
「どんな結果になろうとも、私は真実を語ります。」
ライオスは頷いた。
「よく決断した。」
「はい。私は、弱い人間です。怖いです。」
ポリーは涙を拭った。
「でも、これが私にできる唯一の償いです。」
リオールも頷いた。
「勇気ある選択だ。」
「リオール様、お願いがあります。」
「何だ?」
「私にかけられた呪いの痕跡も、取り除いていただけませんか?」
ポリーは真剣な表情だった。
「父の呪いから、完全に自由になりたいのです。」
「わかった。フェリシアの呪いを解く際に、お前の分も一緒に解除しよう。」
「ありがとうございます。」
フェリシアは姉を抱きしめた。
「姉上、ありがとうございます。」
「私こそ、ありがとう。」
ポリーは妹の髪を撫でた。
「あなたが、私に勇気をくれた。」
二人は涙を流しながら、抱き合っていた。
ライオスとリオールは、その姿を優しく見守っていた。
「姉妹の絆、か。」
ライオスが呟いた。
「ああ。時間はかかったが、二人は本当の姉妹になった。」
リオールも微笑んだ。
月明かりが、四人を照らしていた。
ポリーは選択をした。
困難な道を。でも、正しい道を。
そして、その選択が彼女を強くする。
償いの道は、決して楽ではない。
でも、その先には真の自由がある。
ポリー・アイテールの、新しい人生が始まろうとしていた。




