赤鬼の旅行日誌~世を揺蕩う五指の鬼と死を語る死神~
よう、お前さん。
そうさ、目の前にいるお前さんに言っているのさ。
あんたも酔狂だね、あたしの事を覗きに来たのかい?
いいけどあたしの事なんざ、覗いてもいい事なんてない。
所詮、覗けるのは人の死に様だけだ。
それでもいいなら、このまま読み進めるといい。
精々後悔しなさんなよ、読み手さん。
では、語り部のあたしはそろそろお暇致しましょうか。
いや、ここは演目らしく退散する事にいたしましょう。
アジャマカモクレン テケレッツのパー
【パン・パン】
死神
「君は、落語の『死神』を知っていますか?」
〝過去世の書〟を読む私が不意に声を上げ、私の声に反応して対面で本を読んでいた彼女が顔を上げる。
とある日、学校が休みとゆう事で静夜殿が私の元を訪れている。
ここは、今や訪れる者のなど殆どいない寂れた神社である。
けれど、静夜殿の亡き祖母の紗代殿と一時を過ごした思い出の地であり今の私にとって離れがたい場所になってしまった。
そんな場所に紗代殿の孫が私の話を聞きに来る日が訪れようとは、何とも洒落が利いていると彼女に笑われてしまうだろう。
「それって、おかしな呪文を唱えて手を叩くあれですか?」
「そうですその『死神』です」
「それが、どうしたんですか?」
彼女は、私の瞳を覗き込んできた。
その仕草、その目の輝きはいつかの紗代殿を思い出させた。
少し気圧された動揺を隠すべく、視線を外に流しながら思い出を語る。
「私はね、その死神に会った事があるのですよ」
死神に出会う。
字面からしたら、危険な場面を想像するだろう。
「セキさんは、大丈夫だったんですか?」
ましてや、身近な人の死を体験したばかりの静夜殿からしたら輝いていた瞳が曇ってしまうのも無理はない。
しかし、私は静夜殿に暗い顔をさせたくてこの話をしたわけではない。
紗代殿の生と死が、良きものだったからこそ話せる話なのだ。
「その死神はね、少し変わっていました」
思い出の中の死神(彼女)は、死を看取るだけの存在ではなかった。
人に共感しに寄り添い、涙を流す。
「これはね、人間の様な死神との思い出の話なのです」
そして〝過去世の書〟邂逅の思い出を映し出した。
『枕』
その日も、別段変わったことはなかった。
いつもの様に人間様たちが彷徨している自分の職場を徘徊し、死を控えた魂や死んだことに気付かない魂を探しに駆けずり回る。
死に溢れた都会で、死神らしく人間様の魂を看取る仕事をこなしていた。
今はようやく落ち着いたとこであり、これを人間様風に言うなら一息付けたというやつなのだろう。
今は、上司の目を盗んで休憩中だ。
「最近の伊邪那美様は、大層盛んに仕事をしているね」
今の時間は早朝であり朝日も草木も活動を始める時間のはずなのに、魂の数や死期の近い者の数は一向に減らない。
この分だと、人間様的にゆうなら死神が食うに困る事はなさそうだ。
まぁ私達は文字通りに、食うに困る事はないんだがね。
「だって私達、腹は減らないから」
うまい事を言ってやったぜとゆう満足感が、胸を満たす。
だがそれは、溜息と共に胸から抜け落ちて私の胸中を空にしてしまった。
今の季節は梅雨明け、これから太陽の労働開始なのに薄ら寒い風が身を震わせた。
「いや~これは、一本取られた!」
しらけた空気に負けずに、明るく振舞って見せる。
いや認めよう、これは人間様風に言うとスベったとゆうやつなのだろう。
「おしゃべりに、沈黙が一番の薬さね」
自分の醜態に静かに悶えながら、ポケットに入れていた端末を確認する。
現代の人間様の殆どが持っている便利な板を親指で擦りながら、次の死者の情報を頭に入れていく。
「どうやら、ここからそんなに遠くないね」
情報を確認し終えて端末をしまい、大きく背筋を伸ばした。
さて、休憩は終わりのようだ。
これからまた、人間様と私の通常業務が始まる。
「いやはや、人間様は働き過ぎだね」
目の前の人間様に、敬意を零す。
そして、列をなす人間様に紛れ人波に急かされながら目的の場所を目指す。
目指すと言っても、もう目と鼻の先だ。
歩き出して三分も経っていないが、目の前の人だかりですぐに其処だと分かった。
同時に、風に乗って流れてきたのは鉄錆の臭い。
嗅ぎ慣れた臭いにつられて、死体の傍に立つ。
見下ろした先には、人間様の死体が一つ。
これは人間様が直視するには、あまりにも凄惨な光景だ。
「そりゃ、頭の割れた死体なんて見慣れるものじゃないさね」
軽口を一つ、言ってみる。
人間様なら顰蹙を買うが、目に映らない私に批難が来ることはない。
だが、死体を取り囲む何人かの人間様がカメラを向ける行為が非難されないのだから軽口くらい許してほしい。
「さて、と」
人間様が各々の反応をする中、私は静かに手を合わせる。
これだけが、死神が死者に対して出来る唯一の礼儀である。
死んだ人間様に、意味はない。
自ら命を絶ったものに、何かを成すことはもう出来ない。
無念もあるだろう。
恩讐もあるだろう。
けど、死んでしまったら何も出来ない。
理不尽な事に声を上げる事も、見返すための努力をする事も何も出来なくなってしまうんだ。
死んだ者から怨嗟も未来も全てを奪う、死とはそれ程に理不尽だ。
だからこそ、死ぬ誘惑に抗えなかった人間様の為に死を悼む死神がいたっていいじゃないか。
死んで何もかも失った人間様の為に、一握りの同情だけでも握り締めてこの先の旅路を歩いてほしい。
そんな事を想う、変わり者がいてもいいと思うのだ。
私の中の秒針が時を刻む。
そして、黙祷を始めて時計の秒針が一周を過ぎた頃に私の隣に気配が現れた。
私は隣に並んだそいつに、視線を送った。
(何だ、こいつ)
それが、最初に出てきた言葉だった。
その男は服装を除けば、何処にでもいる普通の人間様に見えるだろ。
色白の肌もやや赤みがかった目の色も、まぁいないことはないと思うがその服のセンスだけはごまかせない。
(所々すり切れた着物をいつまでも着ているとは、何とも貧乏くさい)
その装いやセンスは、現代の基準から大きく逸れている。
それにも関わらず周囲の人間様が何も言わない事や、何かを隠したさそうに頭に巻いた布切が何者なのか如実に物語っていた。
「お前さんは、鬼かい?」
私は思わず、話し掛けた。
男は、赤い双眸を私に向けた。
「そう言う貴女は、死神ですか?」
私の視線と声に気付いたそいつが、柔らかい笑みを浮かべながら私の声に応える。
「鬼がこんな所で、野次馬かい?」
私は鬼に、皮肉を言った。
鬼は、その皮肉に事実で答えた。
「そうゆう貴女は、これからお仕事ですか?」
「ああ、人間様は不満に声を上げる事よりも死ぬ事の方がいいらしい」
「皮肉ですか? そう言う割に冥福を祈っていましたね」
「いけないか?」
私は軽く、目を細める。
「いえ、私も同じ事をしようとしていましたから」
そう言いながら鬼は、静かに手を合わせる。
死を悼む、そのあまりに鬼から逸脱した行為に瞠目で彼を見る。
その視線の先に、綺麗に整った五本の指が見えた。
「お前、変わり者だな」
またも、私から皮肉が零れる。
「そういう貴女も、ですよね」
しかし今度は男が皮肉で返してくるが、目を閉じたまま冥福を祈っている。
その行為に、当てられて心を吐露してしまう。
「それは私が一番よく分かっているさ、死神が死に対して祈るなんて間違っているなんて事はね」
何故なら、死神は死に対して平等でなければならないからだ。
「それに、祈るだけで涙も流さない私なんて人間様も嫌いだろうさ」
それ故に涙を流さないし、流せない。
泣くとゆう行為は、特別な事であり死とゆうシステムの一部である私が行っていい行為ではない。
「別に死に涙する死神がいても、いいと思いますよ?」
「そういうわけにはいかない、死神とはそう言うものさ」
鬼との会話が終わり顔を上げる頃には、既に時間が経ち過ぎすぎてしまい段々と周囲が騒々しくなっていく。
「場所を変えますか?」
「そうさね、ここに仏さんの魂はいないみたいさね」
鬼の提案に乗り、場所を移動することになった。
鬼と並んで歩きながらも、魂の気配を探りながら周囲に目を光らせる。
私の仕事は死んだ人間様の魂を探し、魂を地獄に送り届ける事だがたまにその場から離れてしまう魂がいる。
向かう先は色々で、恨みのある人物や生前いけなかった所など様々だ。
しかし、それは魂の罪を重くするだけの行為だ。
死ねば助かるなんて思ってはいけない、自由があるはずがない。
死した後に残る物なんて、何もない。
肉は焼かれ骨は埋められ魂は裁きの地に送られるだ、だからこれ以上現世に留まる事はしてはいけない。
「何処に行ったのさ?」
私の独り言に、鬼が答える。
「早く見つけてあげましょう、これ以上現世に居て魂が穢れてしまえば最悪の場合は罰を受ける事になってしまう」
私の焦りを、鬼が言葉にしてくれた。
そうなのだ、魂は穢れなないうちに送られなければならず現世に留まる時間が長くなるほど閻魔の裁定が不利になる可能性がある。
「そんなのあんまりじゃないか、死んで更に罰を受けるなんてあまりに理不尽さね」
私は、憤りを静かに口にする。
「でも仕方ないのかもしれません、人の子は死とゆうものを美化しすぎている節があるのでね」
「全くだ、人間様は死に対して幻想を抱きすぎているさ」
魂となったものは人間ではない、だからこそ死んだ者はいるべき所に帰らなければならないのだ。
「死神さん、死んだ人間の名前は分かりますか?」
死神らしからぬ感傷に浸っていた私に、鬼が問いかける。
「何故さね?」
私の疑問に答える様に、着物の懐から一冊の古い書物を取り出す。
鬼は、その書物に目を落としながら説明を始めた。
「この書物を私は〝過去世の書〟と呼んでいます」
「過去世? 確か、三世の一つだったか?」
三世とは仏教の用語であり現在世と未来世、そして過去世の三つの世があると言われている。
「でも、何故この書のを〝過去世の書〟と呼ぶのさ?」
私の怪訝な眼差しに、鬼は書物に目を落としながら答える。
「これは天女にもらった書物で、人や妖の過去を映す事の出来る書物なのですよ」
「天女にもらった? それはまた、眉唾ものさね」
「言いたいことは分かりますが今はこれしか手立てがありません、これで彷徨っている魂の過去を見ましょう」
鬼の真摯な眼差しに、不信感を胸の内にしまう。
「分かった、ちょっと待つさ」
私はポケットから端末を取り出し、死者の情報を引き出していく。
「それは、閻魔帳ですか?」
目線を端末に落としたまま驚く。
こいつは一目見ただけで、これが何なのか見抜いてみせた。
「そうさ、まぁ正確には閻魔帳の情報を受け取る端末さね」
今時、あんな古臭い書物を持ち歩くなんて流行らない。
「それに死神はそこら辺の妖と違って、正体がばれるとまずいのさ」
死神とは死に寄り添うもの、みだりに正体がばれるのは好ましくない。
「成程、あなたのその恰好は現代に溶け込む為だったのですね」
「これもあるが、これは単なる趣味さね」
昔話に出てくる、ボロボロの着物なんて着たくもない。
それに人間様の生活を見て来た私なら、この程度の服を用意する事なんて朝飯前である。
「それは、怒られないのですか?」
「問題ないさ、現代に溶け込む為ってゆうのが主な目的だしね」
確かに、今の私の服装はとても死神には見えない。
薄手のジャケットに肩の露出したシャツを着て、両太ももの出たミニデニムを黒のショートブーツと合わせている。
はっきり言って、そこら辺に居るギャルと大差はない。
「個性は出ていていいですが、見た目が若いのですから気を付けてくださいね」
まるで、お父さんみたいなことを言う。
「分かった、死神に声を掛ける胆力がある奴が現れたら気を付ける事にするさ」
端末から顔を上げずに答える。
それから程なくして、目的の人物を見つけた。
「こいつだ」
名前 緒方 俊樹
・性別 男
・死亡時刻 午前6時43分
・死亡状況 自殺
「これでいいのか?」
顔写真付きの情報を鬼に見せる。
「十分です」
鬼はそれだけ言うと〝過去世の書〟を開くと一言、囁いた。
「さぁ、貴方の未練を見せてください」
『本題』
嫌だ。
死ぬのは嫌だ。
助けてくれよ。
もう一度、おいらを助けてくれ死神さん。
おいらは、あんたが嫌いだから呪文を言ったわけじゃねぇ。
仕方がなかった、銭がなかった。
もう一度、いい生活がしたかった。
それだけ、なんだ。
だから、おいらを見下ろしていないで助けてくれよ。
あぁ消える――蠟燭が、消える。
あぁ、消えてしま――
蝋燭の消える、夢を見た。
その悪夢が、死にかけの私の身体を起こした。
だが頭は働いていなかったが、鼻が雨の匂いを感じて健診が来るよりも早く私の意識は起きてしまった。
真っ白な病室、刺激を感じられなくなった体の筈なのに何故かそう思った。
そう思ったから、外を見た。
「雨が、降っている」
窓越しの雨は蕭々(しょうしょう)と降っている。
物寂しさを現したその言葉は、漂白された病室に相応しい言の葉だ。
「今日も、面白いものは見えないな」
窓から見える木々の葉を揺らす白雨は、水滴となって葉から零れ落ちる。
雨が葉を弾く音は同じリズムを奏でているようで、柔らかい葉と硬い葉では弾く音が違う。
柔らかい葉が鋭く雨を弾いたかと思えば、硬い葉が下にある葉を柔らかく揺らす事もある。
そんな些細な変化を見つけるとしか、今の私には許されていない。
「私は、何をしているのだろうな」
いくら雨粒を見ていても、変化なんて起こるはずもない。
ここは何処とも知れない森の中の病院、ここは青々とした樹木に囲まれた白い監獄であり木々たちは私を監視する看守なのだ。
動けなくなった私、四肢に力の入らなくなった私にできる事は僅かに動く首を動かし外を眺める事と定時に健診をする医者が脈を測り点滴を変えて去っていくのを見送る事だけだ。
老いて、死ぬ。
それは、人間にとっては素晴らしい生涯なのだろう。
私も、そう思っていた。
だが、今の私がその理想の姿だ。
何もできない私は、果たして生きていると言えるのだろうか?
「私は生きているだけ、命を持て余しているのだけだ」
それは、分かっている。
でも、この空虚を埋める術を今の私は持っていない。
そう、思っていた。
それは残された視界が森の入り口辺りを捉えた時、人影を見た。
それは、私の退屈が見せた気のせいではなかった。
女だ、白雨が女の全身を濡らしている。
その女の服はこの白雨の色に似た白いワンピース、雨で濡れたせいで体に張り付いて体のラインが少しだけ見えてしまっている。
それにも関わらず恥じらう事なく柔和に笑い、両手を広げ雨粒と天を一緒に抱きしめるみたいに大きく広げている。
しかし彼女の衣服は一刻と経つに連れて、水を吸い重くしなやかになっていく。
「美しい」
その独り言で、空になった胸中が少し満たされる。
この空になった胸中を埋めるためには、更なる刺激がなければこの穴を埋めることは出来ない。
それが、死へ近づく事だとしても。
「もっと傍で見たい」
その欲望を口にした時、視界がぼやける。
どうやら薬が効いてきた様だ、それに抗うように手を伸ばす。
「い、いやだ」
私は――まだ、彼女に触れていない。
でも、視界が黒に変わっていくのを私は見つめていく事しか出来なかった。
そして、目を閉じる瞬間。
蝋燭の火が、消えた。
緒方俊樹 起床
「なんだ、この夢は……」
微睡みから目覚めて、呟く。
時間は、アラームの設定時間の一時間前を差していた。
目覚ましよりも早く起きてしまい、見慣れた白い天井を見つめている。
「もう、早く起きる必要はないんだけどな」
習慣とは恐ろしいものだ。
ようやく地獄の様な会社から解放されたのに、未だに体はあの労働を求めているようだ。
「仕方ない、起きるか」
二度寝も考えたが、わざわざ生活習慣を崩す必要はない。
早く起きられるなら、それに越したことはない。
「早く起きるんだから、三文くらいの徳は欲しいものだがな」
文句を言いつつ、ベッドから立ち上がる。
立ち上がった所で、ふと思い至った。
「ベッドから起き上がったって、やる事ないじゃん」
朝から深夜まで仕事をする必要はないのだ。
だから、ベッドに戻って惰眠を貪ればいい。
それを咎める人間はいない、そうだいないのだ。
その筈なのに、体は睡眠を求めてはない。
俺は立ち尽くして絶望した――俺は、あの企業で働く以外にやる事を失った哀れな男。
趣味も友人も大切な人でさえ仕事と引き換えにしてきた、その結果が会社の景気悪化に伴う解雇通告だった。
加えて、誰とも知れない男の夢で安眠すらまともに出来ない。
「俺に、残ったものはなんだ?」
自分の呟いた一言でベッドに倒れ込む、見上げる先は変わらない白い天井。
それを、どれ程見上げていたかのか。
それを教えてくれたのは、早朝六時に設定したスマートフォンのアラーム音。
眠気は来なくても、体は空腹を訴えている。
寝ぼけた頭で、冷蔵庫の中身を思い出す。
最後に買い物をした日は覚えてないのに、冷蔵の中身が水しか入っていないことは憶えている。
つまり、この腹の音を黙らせるには外に出るしかない。
「仕方ない、か」
生きていくとは、面倒である。
生きるだけ、金が掛かる。
「着替えるのも面倒だ」
部屋着のズボンに財布を突っ込み、部屋を出る。
早朝の空気を肺に取り込みながら、スーツ姿で歩いていく群衆を見つける。
その集団とすれ違う時、そいつらの目や溜息や会社への悪態が俺の目に映る。
それを見て、口元が笑みの形を作った。
俺は、あの群衆から抜けられたのだ。
そうだ喜ばしいはずだ、喜ばしいはずなのに何故か俺は彼らから目が離せない。
自らの意思で死地に赴く彼らを俺は軽蔑したかったのに、その背中に憧憬すら感じてしまった。
何故なのかと思考して、思案して――思い至った。
そうか、俺はあの群衆を羨んでいるのか。
「彼らは、社会に必要とされているんだな」
たかが中小企業の一つに要らないと言われた俺からしたら、彼らの姿は眩しくて妬ましい。
(俺が一体、何をしたとゆうのだ)
心が問うが、答えは俺を解雇した奴らしか分からない。
だが、これだけは言える。
今の俺に、価値はない。
少なくとも俺は、働いているからこそ社会に参加できていると思っている。
だから、例え過酷な労働だったとしても俺はそこでやりがいも生きている実感も社会に参加する機会も得られていたのだ。
だが、何もなくなった俺がここに居ていいはずがない。
そうだ、俺はもうこの空腹を我慢する必要はないのだ。
そう思い至り、空を――見上げた。
見上げた先には、大きなビルが俺を見下ろしていた。
自然と、足がそのビルに向かう。
警備員に止められることもなく、エレベーターで最上階に向かう。
そして、吹き荒ぶ風が俺を出迎えた。
まだ早朝だ、人っ子一人いないのは当然である。
その筈だった。
俺がそこで視界に収めたのは、風で棚引く前髪と朝焼けの空と――。
夢に出てきた、白い服の女だった。
俺の姿を見ても女は何も言わない、ただその美しい顔に笑みを張り付けているだけだ。
「お前は、何なのだ」
俺の問いに、女は応えない。
どいつもこいつも、俺の話を聞かない。
この女の笑みは、あのいけ好かなかった総務部の奴と同じ顔をしている。
こちらの感情を受け止める気のない、貼り付けただけの笑顔。
そう感じた時、こめかみが疼きだす。
頭に青筋が浮き出てくる。
臓腑から湧き上がってくるこの感情は腹から汚物となって口に出てくることはないが、吐き出さなければ毒の様に体と心を蝕んでいく。
この感情の正体を、俺は知っている。
言い方は人それぞれだろうが、俺はこの感情をこう呼んでいる。
憎悪、と。
「お、お前!」
どす黒い感情が、俺の足を進ませる。
五メートル以上離れていたはずの女との距離は、僅か数歩で埋まってしまった。
そして、その美しい顔を支える首に手を掛けようとした時――。
不意に、足元が消える。
浮遊感は一瞬で、体は重力に逆らう事なく落下していく。
どうして消えたかは、言うまでもない。
望んでいた事とはいえ、この女の首に手が届かなかった事が心残りである。
落下していく自分の事を置き去りにして、女の顔を見た。
女の顔は、相変わらず微笑みを讃えている。
その瞳の奥に蝋燭の火を見た、そして――その瞳の奥のその火が消えた。
同時に鼓膜に肉の潰す音が、聞こえた。
暇の夢を、見ていた。
視界は既に、街並みの様子に変わっている。
「死神さん、何か分かりましたか?」
鬼が、私に問いかける。
心臓の高鳴りを悟られない様に、乾いてしまった口を動かす。
「あぁ、少し見えてきたさ」
私の予想が正しければ、自殺した男と男の夢に出てきた病室にいた老人はある共通点があった。
私はそれに、気づいた。
そして、鬼も私の秘め事に気付いている様だ。
「男の前に現れたあの小さな女子、あれは――」
言いかけた鬼の言葉を、引き取って告げた。
「そうさ、あれは私さ」
そう、あの女子はかつての私。
あの時、あの男と出会った私だ。
「私はな、かつてある男に呪文を教えた事がある」
唐突な自分語り、鬼は黙って先を促す。
「それはどうしようもない男でな、女房がいるのに女を連れ込む様な男だったさ」
「詳しいですね、もしやお知合いですか?」
「ああ、古い付き合いさ」
呪文を教えた時のあいつの情けない顔は、今でも思い出せる。
本当に、死に際の相をしていた。
「しかし、死神を退散させるほどの呪文なんてそうそうありませんよ?」
鬼の低く通る声、顎に手を当てて考え込む鬼の様に少しだけ顔が綻ぶ。
「いいや、お前さんも知っている呪文さ」
「私も知っている呪文、ですか?」
「そうさ」
そして唐突に私は、【パン・パン】と柏手を打った。
その柏手を聞いた鬼は、優美な笑みを少しだけ崩して目を丸くする。
「まさか、落語の?」
鬼の回答に、私は満足げに頷く。
「そう私はあの落語の死神さ、まさか自分の半生がしゃべりの世界で語られているとは夢にも思わなかったがな」
「では、呪文を教えた男というのは――」
「ああ、金の勘定もできないダメ男だったさ」
本当に、情けない男だった。
だからだろうか、私はあの男を見捨てる事が出来なかった。
――いや、あの人間様だけを下げるのは止めよ。
言い訳とは他者に対して行うものだ、私は私にだけには正直になろうと決めている。
それが、胸中の回想だったとしてもだ。
「でも、駄目だったのは私も一緒さ」
小さく呟く。
鬼は、何も言わずに聞いている。
「私がきちんとしていれば、この人間様たちは死に様を選べたはずさ」
「では、あなたはこの者達に何があったのか知っているのですね?」
「ああ……あの私に似た幻影はな、死神との契約を破った罰さね」
死神が人に手を貸すお話は、意外と多いのだ。
西洋しかり東洋しかり、死神とは存外に世話焼きなのだ。
だからこそ、死神との契約を破った者の末路は悲惨なのもなのだ。
「死神との契約を破ったんだ、その罪は魂に刻まれているのさ」
その罰とは。
「死に様を選べない、どれだけ裕福になろうとも本人の望まない死を迎える事になる」
人間様はどう生きてきたかどう死にたいかという事を語りたがるが、死神から言わせればその議論に意味はない。
何故なら、生き様がその人の死に様なのだ。
だから――この死神の呪いは、解いてあげなければならない。
この呪いは、人が平等に持っている権利をはく奪してしまう。
「だけど、どうするのですか?」
鬼の疑問はもっともだ。
魂の転生は地獄の裁判によって決まるが、死神の呪いを受けている魂は次の転生先が現れるまで現世を彷徨う事になる。
「大丈夫――今は僥倖と言えるさ、死んで間もないうちに魂を捕まえられれば呪いを解く事が出来る」
それが出来るのは、私だけだ。
駆け出そうとする私の背中に、鬼は問いかける。
鬼からすれば、当然の疑問。
けど、私にはその問いは足を止めるには十分な威力がある。
「ですが、呪いを解いてしまってよいのですか? その呪いは貴方を裏切った罰なのでしょう?」
確かに――。
「そうさね、あの男は私を裏切った」
死神は、恩と怨は忘れない。
「なら――」
よいのではないか、そう続けようとした鬼を遮る。
「でも、私は人間様には死に様くらいは選んでほしいさ」
でないと、私だって笑顔で見送れない。
「死神さん、私は――」
「あはっ、お前さんは本当に鬼らしくないさ」
どうやらこの鬼は、私の心配をしているようだ。
その懸念は理解できる。
この人間様の呪いは、私が掛けた地獄の呪いであるから地獄の眷属である私が介入していい代物ではない。
「いいのさ――あの男だっていい加減、楽になるべきさ」
「結果、貴方が罰を受けるとしても?」
「そうさね、お前さんの懸念通り罰は受けるが――いつもの事さ」
「いつもの事? どうゆう事なのですか?」
鬼の問いに、私は笑顔を向けた。
鬼はその笑顔を、怒りとも戸惑いともとれる表情で受け取った。
「私は元人間さ、死神との契約を破った罪で罰を受け続ける哀れな女さ」
鬼は、私の告白を黙って聞いていた。
「鬼がそんな顔をするな、私に同情は不要さ」
鬼は、複雑な顔をしている。
怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
「同情、なのでしょうか?」
その感情の正体を、鬼自身も分かっていないようだ。
「お前は、まだ感情が何なのか分かっていない様さね」
だが、それを素直に教えるのは粋ではない。
「まぁ精々探すがいいさ、それとな――」
言葉を切り、鬼に向き直る。
鬼も、真っ直ぐ私を見つめる。
鬼に似つかわしくない、澄んだ瞳で私の目を見据えている。
「死別とは突然起こるモノさ、精々――後悔するなよ」
怪異に時間という概念はない、だからこそ私は永遠の責め苦を背っているのだ。
けれど、人間様は儚い――だからこそ一期一会が価値を持つ。
「しゃべり過ぎたさ、そろそろあの男を迎えに行さ」
踵を返し歩みだす、鬼も私の隣に並び歩調を合わせる。
「男がいる所は、分かっているのですか?」
「ああ、奴ならきっとあそこさ」
それは落語で語られる――男が最後を迎えた場所、人生の集約地であり蝋燭と炎の匂いが支配するその場所を私はこう呼ぶ。
〝辺獄〟と。
「辺獄ですか、確か――神の洗礼を受けなかったものが流れつく場所でしたっけ?」
「まぁその名称は正確じゃないさ、なにせ私が勝手にそう呼んでいるだけさ」
歩く歩調は変えずに、私はとある所に連絡を入れる。
数コールの後、聞こえてきた愛想のない声を耳が受け取る。
『こちら、移送科』
平坦な声、声を作り着飾れば誰もが振り向く美少女なのに勿体ない。
「私だ、至急〝船〟を用意してくれ」
『その前に、お名前か所属をお答えください』
「いや、分かるだろう――お前の相棒さ」
『規則なので、お答えください』
め、面倒くせ~。
「移送科、NO・300――」
『たった今、所属ナンバーが使えなくなりました――お名前を教えてください』
「お前、わざとか?」
『そうです、相棒に相談もせず勝手に罰の追加と始末書を書かせるあなたに対する嫌がらせです――』
「本当にすみません! 私、移送科の臘梅と申します!」
彼女の言葉を遮って土下座する勢いで頭を下げる。
そんな私を見て、鬼が少し引いている。
『もう今更ですから、何も言わないですけど――説明と始末書だけはお願いしますね』
「はい! 本件が片付き次第、速やかに取り掛かります!」
『それで〝船〟の手配ですね、今の座標に送ればいいのですか?』
「はい! よろしくお願いいたします!」
『分かりました、それと――』
相棒が、言葉を遮った。
『頑張ってね』
私の相棒が、デレた。
「ありがとう、愛しているよ」
『……ばか』
それだけ言って、通話は切れた。
「楽しそうな職場ですね」
鬼の呆れた声色に、思わず顔が綻ぶ。
「その通りさ、この後の始末書は怖い――」
私が軽口を叩こうとした時、静寂が私の言葉を遮った。
音が、消えた。
ここは都心である。
人間様の生活の中心であり、静寂の入る隙間などない。
だが、車の音も人間様の話し声も聞こえない。
いや――生きた音がしないのだ。
そんな空間に霧の影――次いで、波の音が現れた。
私と鬼の足首を濡らすのは、存在せざる水面。
水よりも儚く、透き通った水面はもはや陽炎の如き不確かさだ。
そして、水の爆ぜる音と木々の擦れる音とおもに現れたのは――一隻の船。
それに乗る事を許されたのは、死んだ者か生きてはいないモノだけ。
「これは?」
鬼の問いに応えず、古臭い木船に跨りながら語り口で語る。
「お前なら、この舟の意味が分かるだろう?」
「……死者を運ぶ、船ですか?」
そう死神は応えながら、船に跨り進行方向を見据えた。
「ああ――あの〝死神〟に出てくる、どうしようもない男を運んだ船さ」
皮肉めいてはいるが、あの話に出てくるのが本人なのだから仕方がない。
「では、行くとするさ――」
言葉と共に、舟を漕ぎだす。
恐らく数分もすれば、巨大な洞窟が見えてくるはずだ。
目指すは〝辺獄〟の最奥、〝蝋燭の間〟である。
そこで、物語の『落ち』をつよう。
『落ち』
ギコォ――ギ
舟を漕ぐ。
木の擦れる音が、洞窟に響く。
洞窟に入ること数分、真っ暗な道を頼りない提灯の明かりを頼りに突き進む。
既に人間様の生活の痕跡はない、あるのはただの暗闇。
いや、暗闇という概念ですらない。
ここは、無だ。何もない所だ。
仮初の水面を私達は進んでいる。
私が舟を漕ぐ度に、鬼と私の身体が揺れる。
水面を進む感触は不思議と手に馴染み、船頭である私と招かれざる客である鬼をあの場所へと導いている。
「始めて来ました、ここが〝辺獄〟なのですね」
鬼の感嘆が、何の明かりもない空間に響く。
「始めて来たって――それはそうさ、ここに来る物好きなんて死神と魂魄くらいさ」
何せここは現世ではあるのだが、人間様が入ってくることはないし入ることは出来ない。
だが――何事にも例外はある。
その一つが、死神が自ら人間様を招いた場合である。
けど、それは人間様に自らの運命を見せつける事に他ならない。
「だから、あの男に蝋燭を見せた後はひどく怒られた」
「誰にですか?」
「そりゃあ地獄の管理人にさ、中間管理職を怒らせるものじゃないさ」
あの優男が怒ったところを見たのは、あれが初めてである。
あの怒りの正体は、私の優しさに対する怒り。
「私の人間様に対する甘さに、あの男は大いに怒ったのだろうさ」
「――多分、違うと思います」
私の皮肉に、鬼が応える。
「あなたを怒ったお方は、貴女を心配したのだと思います」
「私を、心配? あの冷徹優男が?」
あの男が私を心配とは、信じ難い。
だが、私はこの鬼がどんな感情を抱いたか興味が湧いた
「あなたは人間に対して肩入れし過ぎています、きっとそれは人間であった頃からなのでしょう」
死を悼むことを、鬼は肩入れと表現した。
その表現に違和感をもった私は、まだ人間でありたのだろうか?
「死というモノを理解しながら、死に対して嫌悪を抱いている――その死神らしからぬ生き様はあなたの心に少なからず蝕んでいる」
歪な生き方は歪な心を生み出す、鬼はそう言っている。
だから、私の様な死を憎む死神を生み出すことになっていそう言いたいのだろう。
「過去に何があってあなたがそうなってしまったのかは分からない――でも、その善意こそがあなたを苦しめている」
「いやぁまさか、鬼に同情される日かやってくるとは――思わなかったさ」
私にしては、キレのない軽口だ。
それ程に、鬼の言葉には力があった。
「はぁ――全く」
何も知らないくせに、偉そうに。
「いや――」
でも、何も分からない彼だからだろう。
私の気持ちを聞いてもらいたい、同情や共感ではなくただ私の話を聞いてほしい。
「なぁ、鬼よ」
私は問う。
「何でしょうか?」
鬼が答える。
「語っても、いいか?」
「あなたが、それを望むのなら」
鬼の同意も得られたので、語っていこうと思う。
「さぁさぁ、今より語りますのは死を憎む死神の半生でございます」
舟を漕ぐ腕と声に力を入れながら、私は私語りを始める。
これは、私が私の愛するのも(人間様)だった時のお話。
「昔々あるところに、貧しい男の元に生まれた可愛い女の子がおったさ」
語りを始める、聞き手に相槌は求めていない。
これは、死神(私)が〝死神〟の原点を語っているだけだ。
「男は可愛い女の子の名前を決めるために奔走した、結果――死神が可愛い女の子の名付け親になったさ」
鬼は、黙って聞いている。
「更に死神は代父となり、可愛い女の子が将来的に医療によって成功する事を約束した」
私は、静かに語る。
「そして、大きくなった可愛い女の子に死神特製の薬の調合法を授けた」
語りながら振り返り、この後訪れる散々な落ちに思わず嘲笑が漏れた。
「その時、死神はこう付け加えた」
〝もしも、我が病人の枕元に立っていたのならその薬を飲ませよ〟
〝だが、病人の足元に立っていたのならそいつは助からない――冥界に連れていく〟
「そうゆう契約で、私の家は裕福になった――父も病弱だった母も元気になった」
あの笑顔を見て、私は間違っていないと思えた。
「そして、可愛い女の子は噂を聞き付けた王族に呼ばれて王様を治せと言われた」
私は、二つ返事で了承した。
けど、病室に入った私の目に飛び込んできたのは――。
足元に立つ、死神の姿。
「治してやりたかったが、その王はもう死神に連れていかれる事が決定していた」
私がそう言うと、王様の配下は悲嘆にくれました。
その顔を見た瞬間、私の中で見捨てるという選択肢は消えた。
「そして、どうしても助けたかった可愛い女の子は死神を騙し王に薬を飲ませた」
結果、王は助かり私の生活はますます豊かになった。
「だが当然、可愛い女の子は死神に激怒されたさ」
あの時の怒り狂った死神の顔は、今でも鮮明に思い出すことができる。
「けど――可愛い女の子は何故か見逃されたが、次はないと釘を刺されたさ」
それから何年か経ち、次は王妃が病に伏せた。
「そして――王様と民に王妃を助けてくれと懇願されたけれど、王妃も王様と同じく死ぬ運命にあった」
そして、私は――またも死神を騙して王妃に薬を飲ませた。
死神は――何も言わなかった
「代わりに、可愛い女の子を木の船に乗せてある場所に向かった」
それは、これから向かう場所――私があのダメな男を笑えない理由。
「そこで死神によって、殺され――罰を科された」
それは、愛する者(人間様)の死を見届け続ける罰。
「お前は私に言ったな、私が人間に肩入れしていると――その通りさ」
語り終え、鬼の目を見る。
鬼の表情には微笑みがあるだけで、そこから何かを読み取ることは出来ない。
「認めよう……私はさ、人間様が好きさ」
語り始めの勢いは鳴りを潜め、零す様に私は語る。
「人間様は儚い、だからこそ人間様なのだと今なら理解できる」
人間様の定めに、同族でさえ口を出してはいけない。
「でも、あの時の私にはその儚さが我慢ならなかったのさ」
生きている以上に、喜ばしいことがあるのだろうかと思っていた。
長生き、生への執着こそ人間の本質だと信じていた。
「でも、その考えは正しくもあり間違いでもあった」
私は知っている。
死ぬ運命を捻じ曲げられたものが、どういう末路をたどるのかを見届けているからだ。
「その後、王様と王妃どうなったのですか?」
黙っていた鬼が、口を開く。
「ああ、死神にされた私に死神(代父)は言ったさ」
〝お前が助けたあの二人がどうなったかを見てこい、それがお前への最初の罰だ〟
そう言われた。
「私はすぐに、様子を見に行った」
そして、目に飛び込んできたのは――。
破壊され、炎に包まれる平和だった国の哀れな姿だった。
「どうも私がいない間に王様への謀反があったみたいで、王様と王妃とそれを支持する国民を皆殺しにしたみたいさ」
あの二人が病に倒れたのも、生きていることをよく思わない者の手によって毒殺されそうだった事をその時知った。
「私は幸福になってはいけないさ、私のせいでまともな死を迎えられなくなった人間様がいる」
優しかったあの人間様は、あんな最期を迎えるべきじゃなかった。
「自分の願いで、誰かの運命を捻じ曲げてしまった私は――」
絶望と共に、二人の魂を冥界に連れて行ったのだ。
それが死神としての最初の仕事であり、長い贖罪の始まりだった。
「それから、死神として流れ流されあの男に出会った」
語りは続き、舞台は日本に移る。
そこで初めて死神(代父)の気持ちを知った、あぁ――信じた者に裏切られるとはこういう気持ちなのだと。
「あの男は、私の教えた退散の呪文を私に使った」
一時の、金欲しさのために。
「代父は一度見逃したが、私はあの男が許せなかったさ」
あんなに尽くした人間様に、あっさりと裏切られた事がショックだったのだ。
だから、より苦しませるために呪いを与えるという形であの男を生かした。
結果、何百年とあの男と無関係な人間様の運命を捻じ曲げてしまった。
「私は国一つを燃やしたのに、まだ学べなかったというわけさ」
自虐的に肩を竦めてみた、鬼は先程から何かを考えているようで反応がない。
「おい、鬼よ――」
先を語ろうとした時、暗かった洞窟の先に僅かな明かりが見えた。
暗かった空間に燈ったそれは、見上げんばかりの蝋燭の塊。
それらが、幾百の山に分かれて私達を見下ろす。
燃え盛る炎から、下火になった炎まで大小様々な炎が私と鬼の顔を焼いている。
ここが、人の運命が決まる場所〝蝋燭の間〟である。
「どうやら、着いたようさ」
櫂を杖に船を降りる。
足首を濡らしながら迷うことなく、とある蝋の山に近づく。
その蝋の山の根本、幾重にも重なった蝋の死骸の上にそれは浮かんでいる。
蝋燭の暖色の炎とは違う、冷たい寒色の炎が一際大きく揺らめいていた。
「やっと見つけたさ」
赤子を抱くように優しく、青い炎を抱く。
無意識に、炎を撫でる。
この熱を持たぬ炎こそ、人間様が持つ儚い輝きなのだ。
今なら、この輝きが美しいと感じることができる。
だから、もう終わりにしてやろう。
「長い間、すまなかったな」
まるで子に言い聞かせるように囁き、顔のない青い炎に私はそっと口づけをした。
その瞬間、青色の炎が揺らめき炎の中心に仄かなオレンジ色の炎が灯る。
それはまるで、ここにある幾千の蝋燭の火のような暖かい色。
それこそ、幾百年続いた呪いの終わりを意味していた。
「さぁて、連れて行くとするさ」
櫂を杖に小脇に炎を抱え船に戻ろうとした時、鬼が弱々しく燈る蝋燭を見つめている。
ここにある蝋燭達は上のほうにある蝋燭は死期から遠く、根元に近いほど死期に近い。
だから――地面に横たわる夥しい蝋燭達は、死期を迎えた哀れな骸。
なので、その蝋燭の主は――。
「鬼よ、気になるのか?」
静かに、声をかけた。
「……死神さん、この蝋燭の人物は分かりますか?」
気のせいかもしれないが、鬼にはこの人物が誰なのか察しているのかもしれない。
蝋燭の判別は死神にしか出来ない、それは死を管理する死神だけに許された特権であり――。
死神だけが持つべき、業なのだ。
けど――この鬼は何かが違う、そう感じた。
だから、私は鬼に問う。
「それが、気になるのか?」
「……この小さな灯を見ていたら、思い出しました」
鬼は、よく通る声で語りだす。
「私には人間の友人が一人います、女の子なんですがもう何十年と会っていません」
「何故だ?」
「……傷つけて、しまいました」
「……後悔しているのか?」
「私の選択は間違っていません、今でもそれははっきりと言えます」
鬼の言いたいことは分かる、人間と妖は……共には歩めない。
それはそうだ、そう言いたかった。
でも、愁いを帯びる鬼の顔を見てしまった。
そして、口をついて出てきた言葉は――。
「人間も妖も、後悔は軽いほうがいいに決まっているさ」
後悔した、私だから出た言葉。
「お前の言いたいことは分かっているさ、お前の決断は正しいさ……だがな、私たちは後悔をずっと引きずらなきゃいけない」
私たちが、罪や後悔を清算させる事はとても難しいのだ。
「引き摺っても引き摺っても後悔は重いままだ、ならせめて引きずる後悔を軽くするべきだ」
例え……共に歩めなかったとしても、最後を見届けることくらい許されるはずだ。
「ですが――」
「ああ、もう!」
煮え切らない鬼の態度が、私の行動に拍車をかけた。
端末を取り出し、検索をかける。
数秒と経たずに、顛末はその名前を表示した。
「その蝋燭の、主が分かった」
名前は――。
鬼は、その名前を聞いた。
そして鬼は、自分でも理解しがたい感情に押されるように立ち上る。
「……ありがとうございます」
鬼はそれだけ言って、去ろうとする。
「待て待て途中まで乗っていけ、私をここまで連れてくれた礼だ」
急く背中に、私は声をかけた。
「……どうも」
鬼は、以外にも私の提案を受け入れて船に乗った。
船に篝火と鬼を乗せて、船は旅立つ。
「何処に行く?」
鬼に行き先を問う。
「私を、彼女の元に」
鬼の返答を聞き、舵をそちらに向ける。
時間にして数分か数日か定かではないが、突然に真っ暗だった洞窟に目が眩むほどの光が入り込んだ。
光と川のせせらぎと人間様の営みの音に出迎えられたそこは、どこかも分からないどこかの川だった。
「ここまでで、大丈夫です」
岸に止まったところで、鬼が陸に降り立つ。
そのまま立ち去ろうとする。
「餞別だ、持っていくさ」
船を降りる鬼に向けて、私はそれを放った。
「これは?」
それは、年季を感じるが手入れの行き届いた番傘だった。
「私が使っていた傘だ、いい男が泣き顔を見せるわけにはいかないだろ?」
悪戯ぽく笑って、私は舟を漕ぎだした。
鬼は、急く気持ちを抑えて私を見送ってくれるようだ。
「間に合うといいな、鬼よ」
「ありがとうございました、蝋梅殿」
名前を呼ばれて、少し照れ臭くなる。
「鬼よ、お前に名前に名はあるのか?」
私はそこで、鬼の名を聞いていないことに気が付いた。
「私は、セキと申します」
鬼は、
「セキ、か」
名を噛みしめるようにつぶやく。
「セキよ、また会おう」
返答か聞かず、力強く漕ぎ出す。
そして……陽炎の様に、いや――陽炎と共に静かに消えた。
そんな私の後姿を、鬼はただ見送ってくれたのだった。
「いかがでしたか?」
〝過去世の書〟の映像を見終わり、一息ついた私は静夜殿に静かに語りかける。
時間が過ぎるのは早いもので、廃神社には既に夕日が差し込んできていた。
「その死神さんは、今どこにいるのですか?」
数秒間、私から視線を外していた静夜殿が不意に口を開いた。
「分かりませんが、どうしてですか?」
「会ってみたいんです」
「死神に、会ってみたいのですか?」
「……聞いてみたいのです、おばあちゃんが行ったところがどんな所なのか」
それは、先日亡くなった紗代殿を思っての言葉。
「残念ですが、彼女が何処にいるかは分かりません」
「……そうですか」
それだけ言って、静夜殿は夕日に視線を送る。
その眼差しに含まれた感情を読み取るには、私は人間の事をまだ知らない。
もうすぐ暗くなるという事で、静夜殿は帰宅した。
その背を見送り私は鳥居に背を預け、ふと何を思ったか廃神社に視線を送る、
一人欠けた廃神社は元の寂れた風景に戻ってしまった。
「これを人間的に言うならば、味気ないと言うのでしょうか」
返答など期待していない、私の独り言に――。
「いいや、そこは素直に寂しいと言うべきさ」
この場にそぐわない、明るい返答が私の背後から耳に届いた。
「お久しぶりです、蝋梅殿」
「なんだそのリアクションは、もっと驚け」
私の静かな反応がお気に召さなかった死神は、私の背にしている鳥居の反対側にしゃがみ込む。
「……間に合ったんだな」
短い、彼女の問。
「はい、ありがとうございました」
「愁いは、晴れたか?」
「……分かりません」
「……そうか」
「ですが、あなたに出会わなければ私はきっとここには居なかった」
ここに来なければ、静夜殿にも出会えなかった。
「だから、背中を押してくれてありがとうございました蝋梅殿」
「…………そうか」
噛みしめるように、死神は答えた。
「そういえば、どうしてこちらに来たのですか?」
「観光ならどれだけよかったか、残念な事に仕事さ」
その軽い口調とは裏腹に、場の空気が止まる。
死神が来た。
つまり、誰かの死を意味する。
「そうですか」
「すまない……こんな空気にするつもりはなかったさ、こっちで仕事をする前に顔を出したかったのさ」
「ありがとうございます、私もあなたに会いたかった」
止まった空気が少しだけ弛緩した。
「さて、挨拶も済んだしいくとするさ」
それを見届けた蝋梅殿は、鳥居に預けていた背中を離し階段を下りていく。
だが階段を二段降りたところで、蝋梅殿が足を止めた。
「そういえばお前さ、船に乗っていた時やたらと考え込んでいたけどなんだったんだ?」
「……あぁあの時ですか、蝋梅殿は随分と愛されているなと思ったんです」
「どういうことだ?」
訝しむ顔で、死神が私と目を合わせる。
「名前ですよ」
「名前? 私のか?」
「そうです、あなたはご自分の名前の由来を知っていますか?」
「名前の由来?」
「花ですよ、前に紗代殿に教えてもらったんです」
それは、淡い黄色をした可愛らしい花。
「厳しい冬に咲く、蝋梅の花言葉は――慈愛」
息を呑む、可愛らしい死神さん。
「代父はあなたを罰したのではなく、殺せなかったのだと思います」
誰も娘を手に掛けたくはない。
例えそれが、死に寄り添う死神だったとしても。
「きっと代父も苦難な道だと分かっていても、蝋梅殿には最後までそうあって欲しかったのだと思います」
……私は代父ではないが、きっと彼女の代父はこう言いたかったんだと思う。
「蝋梅殿、その優しさを誇りなさい」
「……はっ! 人間でもないお前が私に説教か?」
震え声の虚勢。
親の愛を知るのに時間は関係ないと、私は改めて知ることができた。
数刻の後、嗚咽は消えたが視線は高いまま蝋梅殿は声を上げた。
「また会おう、セキ」
短い言葉を残し階段を下りていく、視線を下げずに胸を張って降りて行った。
夕日に消えるその後ろ姿を、私は代父に代わり見届けた。
さて、いかがだったかな?
死神に涙なんて似合わないと思うが、これが私なんだと胸を張るさ。
さて、宴もたけなわさ。
辛気臭い死神は、ここでお暇しましょうか。
さぁて演目の締めとまいりましょう、読者様またどこかでお会いしましょう。
アジャマカモクレン テケレッツラのパー【パン・パン】
お後が、よろしい様で。




