第二章 巻物
昼下がり、電話の着信が鳴った。
「岩瀬さん、ちょっと来てもらえます? 天井裏から古い巻物みたいなものが出てきまして」
監督の声の向こうで、木槌の音が遠くに響いている。
岩瀬は車を出した。山道を抜け、坂を上るにつれ、道の両脇に立つ杉の影が長く重なり合っていく。昼なのに、空気の層が薄暗く変わってゆくようだった。古民家の屋根が見えた瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
足場の隙間を抜けて玄関を入ると、天井板が外されており、脚立の上に監督が立っていた。
「これですよ。壊す前に一応見てもらった方がいいと思って」
受け取った巻物は油紙で何重にも包まれ、埃と乾いた木の匂いをまとっていた。
表面には、朱で押された家紋のような印。慎重に解くと、薄い和紙が蛇腹に折り畳まれて現れた。
そこには、見覚えのない地図のような図が描かれていた。
山の稜線、川筋、そして一点、丸印に重ねるように黒い墨の渦。
傍らに古い筆文字があった。
――願いの座、白き珠を封ず。
岩瀬は指でなぞった。墨は乾いて久しいのに、紙の表面にはわずかにざらつきが残り、まるで誰かがつい昨日書いたような生々しさを感じた。
「どこかで見覚えありません?」と監督が言う。
「いや……たぶん、裏山だと思います。あの大岩の辺りです」
そう口にした途端、胸の奥のざわめきが、音を立てて強まった。
祖父が生前、何度も言っていた言葉がある。
――あの岩の下には、うちの宝が眠ってる。
子どものころは笑い話だと思っていたが、いま思えば、その語り口には不思議な確信があった。
夕方、作業が終わるころ、監督たちは早々に山を下りていった。
残された岩瀬は、巻物を抱えたまま縁側に腰を下ろした。
夕陽が梁の間から射し込み、巻物の紙の上に線を引く。
その金色の帯の中で、黒い墨がゆっくりと光を吸っていくように見えた。
外では風が鳴っていた。道向かいの家のカーテンが、わずかに揺れた。
その隙間に、また“影”が見えた。
立っている。こちらを向いている。
だが逆光のせいか、顔の輪郭がはっきりしない。
まるで、光そのものが彼の存在を拒んでいるかのように。
岩瀬は立ち上がった。
しかしその瞬間、影はすっとカーテンの奥に引っ込んだ。
静寂。風が止まり、山が呼吸をやめる。
耳の奥で、自分の鼓動だけが濁った音を立てていた。
「……誰なんだ?」
声に出した自分の声が、驚くほど冷たく響いた。
そのとき、巻物の端がふわりと持ち上がった。
風は吹いていない。
けれど紙が震え、そこに描かれた“黒い渦”が、かすかに脈動した。
岩瀬は慌ててそれを閉じ、油紙に包み直した。
外へ出て車に乗り込む。エンジンをかけたが、バックミラーに映る家の窓がどうしても気になった。
さっき影が立っていた窓。
そこには、もう誰もいない。
だが、確かに“見られている”という感覚だけが、皮膚の裏に残っていた。
坂を下る途中、夕暮れの光がミラーの中で跳ねた。
その光の粒の中に、一瞬、誰かの輪郭が映った気がした。
顔のない、黒い影。
次の瞬間、ミラーの中の影は、運転席の自分の肩口のあたりに重なっていた。




