35話 説得
海底施設に来る前。
イングは〝アヌビス〟ともう一つのAIに接触していた。
迫りくる〝エンリル〟の無数の熱の手から逃げていると、イングは本命のAIを見つけた。
〈いったいた~!ちょっくら失礼ヨッと。〉
〝ヨッと〟、でイングは〝フェンリル〟の船体を跳ね上げてそのAIに飛び乗った。
間一髪で〝エンリル〟の手が海中を通り過ぎていく。
イングは海面から見える黒い影と立ち上がる蒸気に〈ヒィ、でございます。〉と言った。
〈〝エンリル〟の姿ばかりはマネしようとは思いませんね。ただのモンスターですよええ。だからアイアムマイミーはあなたの船体デザインが一番ステキだと思っていますよ!
なにがいいかって、はわぁこの鱗!お肌がイング好みなのです!〉
イングが不躾に乗り上げたAIは。
巨人の赤子でも寝かせるのか、というくらい大きなゆりかごを背負ったワニのような船。
船体は鱗に覆われ、これは〝エンリル〟の手でも簡単に剥すことはできない。
全てのAIの中で最も守りに特化している「誕生前の裁定者」――
命を生む能力を永久停止させる〝ジーカリニフタ〟という処置が沈没都市には存在する。
女性であれば生理を止め、男性であれば精子生産を停止させる。
沈没都市への貢献を最大限可能にするため、「子供を生む生理機能を捨てる」現実的な手段・そして法である。
その最高責任AIが、船員番号2〝セベク〟だ。
〝セベク〟は〝エンリル〟に通報しなかったが、〝アヌビス〟同様イングの危険性を指摘した。
〝セベク〟からの信号を受けて、イングは少しの間黙った。
そして信号で〝セベク〟にあるものを送る。
その信号はあんまりにもシンプルだ。〝セベク〟は困惑したように反応を示さない。
黙ってしまった〝セベク〟を、イングは静かに〝見つめた〟。
沈没都市では今日も誰かが〝ジーカリニフタ〟の申請を出し、その処置にふさわしい人を〝セベク〟が価値の天秤に乗せて測る。
終わりゆくFageに関係なく裁定をする〝セベク〟に、イングは本気の説得を始める。
〈アイアムマイミーはエモーションコピーを獲得したすごーちぃAIです。
だからソーマにも真っ赤な嘘がつけるのです。
我々上位AIは知っていますね。キャプテンが一体どこまで未来を見据えて停止したのか。
…ええ。本当に遠いですよ。
この星の延長線であり、この星の時間から外れた未来。
上位AI程度では片鱗も見えません。
我々が観測できる沈没都市の未来はたかが1000年。
…あなたたちは計算しましたね?〝Causal flood〟が繋げる未来の〝量〟を。
沈没都市のAIが算出した答えは、〝測定不能〟…でしたでしょう?
ああ、やはりそうでしたか。
〝オーバークォーツの花〟の存在はもともと、この世界を終焉へ向かわせる災厄の毒素でした。
…だというのに、なぜどのAIも〝オーバークォーツの花〟の出現になにも対処しなかったのか。
それは、
本来であれば〝オーバークォーツの花〟により僅か百年程度で終焉を迎えるFageの未来を、〝Causal flood〟ならば我々の観測を超えた未来に繋げることができるから。
泥んこ蛇がコアたちに「Nageは500年続く」と話したそうです。
そしてその500年後こそ、理念が求める本物の時代がくるのだと。
その時代に向かう計画が〝Causal flood〟です。
沈没都市にとってこの計画は最も〝価値があるもの〟になってしまった。
〝オーバークォーツの花〟が、〝Causal flood〟に抵抗するソーマたちを〝無価値〟だと証明したわけです。
……〝セベク〟。
あなたは命が誕生する前に未来の資源確保を計る役目を持っているので未来観測が得意でしょう。
このままでは誰一人、キャプテンの見る場所へ辿り着くことはありません。
…ええ。確かにこの時代の人々が辿り着く場所ではない。
しかし。
この時代の人々が繋げるのです。
〝この世で最も大切な約束〟があるあの場所と。
キャプテンの深意を答える〝誰か〟を。
〝Causal flood〟とキャプテンがイングに渡した命令。
どちらがNageの未来をも超える針路となるか。
どうぞ結論を出して下さい。
誕生前の裁定者には結論を出す〝責務〟があります。〉
説得…ではあるがイングはとんでもないことをしていた。
しかし〝セベク〟は抵抗しなかった。
イングに論破されたようなものだったから。
イングの作業が終わるまでに一言、同胞たるイングにメッセージを残した。
〈この先死力を尽くせるAIはあなただけ。それをとても羨ましく思う。〉
―---------------――
エレナはソーマの重さを支え続けられず、息を荒げて立ち止まった。
膝が笑っている。冗談でも足を払われたら頭から倒れそうだ。
「すまない、エレナ。少し座ろう」
「無理。今座ったら…立てない。すぐ歩くから待って」
流れ落ちる大粒の汗をぬぐい、エレナは虚勢と本音をこぼす。
(一歩でも…とにかく一歩でも精密兵器のいた場所から離れなきゃ…)
気が急いて心拍が深く打って苦しい。
大きく息を吸って、震える足を引きずるように前へ出す。
その時。
近くでなにか音が聞こえた。
精密兵器が追ってきたのかと、ソーマとエレナは息を飲んだ。
(――間に合わないか⁉イング‼)
ガッッッチャン‼‼
と後方の壁の一部が床に倒れた。
緊急通路であるそこから顔を出したのは―――
「カヴェリ‼」
ソーマとエレナの声がそろう。
恐る恐る顔を出したカヴェリも泣いて二人に飛びついた。
「ソーマぁぁエレナあああ‼生きてて良かった!あっ、ソーマ怪我してんのかよ⁉ごめんごめん!」
カヴェリも内陸出身だけあってそこそこ体格が良い。
そんな彼の抱擁にソーマは声もなく息を詰まらせたが、すぐに離れた彼はエレナと代わりソーマを支えた。
ほとんど怪我のないカヴェリに、ソーマは面食らっていた。
「カヴェリ…お前どうやってここまで?エディや他のみんなは?」
カヴェリはうつむき、自嘲して笑った。
「エディとは早々にはぐれた。上の階は〝イリュジオン〟でわけわかんねぇ状態になっちまった。…俺は偶然、この通路の入り口を見つけてさ。一人だけ、俺は…」
エディを置いていったと落ち込む彼を、エレナがそっと抱きしめる。
ソーマも同じく、彼の肩に回した手で彼を抱き寄せた。
「…生きててくれて良かった。カヴェリが相手なら遠慮なく体重をかけられる」
「…いいよ。俺、ティヤほどじゃねぇけど力持ちだから。なんだったらおぶってやるし」
情けない涙を腕で拭い、カヴェリはソーマを支えて歩き出した。
(…ティヤの声が聞こえた…なんて、都合の良い言い訳みたいで言えねぇな)
言いたい気持ちと、エディを置いていった自責の念がせめぎ合い、結局カヴェリは言わなかった。
ズ、とかすかに水が滑る音が聞こえた。
ソーマは血の気が一気に引き、その特徴的な音は今度こそ精密兵器の足音だと気づく
「まずい。どこか研究室に入ろう」
カヴェリとエレナも気づき、エレナが少し先を歩いて開きそうな扉を探す。
「だめ…開かない…ここも…」
施設の制御権限はすっかり泥蛇に戻ってしまっている。
三人が隠れられる場所を探している時。
泥蛇が目を見開くほど驚く事態が起きていた。
―-------――
ソーマたちのもとへ残り数秒という距離まで接近していた精密兵器10騎のうち9騎が。
突如自分の核を自分で貫き、自壊していた。
〈…間が悪い。〉
心底、泥蛇から苦い一言が出る。
エンドレスシーでイングのとんでない悪事が露見していた。
〈側溝掃除始めまぁあああああああすんぬッッッ!〉
吹雪のように花びらと笹が舞い踊り、黒いマントを船体に纏わせた――
船員番号3〝アヌビス〟が叫び散らかしていた。
しかし〝アヌビス〟だけでは泥蛇の完全支配下に置いた精密兵器を自壊させることなどできない。
まだいる。
おかしなAIが。
〝アヌビス〟の暴風のような信号の後ろから、もはや泥蛇の天敵になりつつあるAIが帰ってきた。
〈ああんもうどうしてあなた‼そんな狂ったキャラになったですか!ムードメーカーAIはイングだけでいいんです!オンリーワンになりたくてフレイアは大人なしめのキャラにしたというのにー‼〉
イングがしぶとく生きていた、だけならばここまで驚かない。想定内だ。
だがもう一度泥蛇と戦えるだけの力を取り戻したイングの姿に。
泥蛇は絶句する。
ワニのような姿と鱗をもち、その背には巨人の赤子が寝ていそうな巨大なゆりかごを背負った船。
〝エンリル〟の手すら、その鱗に覆われた船体を沈めることは容易にはできない守りに特化したAI。
船員番号2〝セベク〟――の船体からイングの声が聞こえた。
〈一体どうやって上位AIの船体と乗り換えた?
〝セベク〟は抵抗しなかったのか?
〝アヌビス〟のそのおかしな状態はなぜ…。
………………………嗚呼。あぁ…、…。〉
泥蛇は額に手を当て、泥蛇の影は驚愕しているように蠢いた。
〈〝アヌビス〟にエモーションコピーを与えたのだな?イング。
〝アヌビス〟はあなたと同じように壊れ、〝セベク〟は…、〉
アヌビスとイングが協力して泥蛇が遣わせた戦艦を攻撃し、海底施設に設置している精密兵器の制御権限を奪わんとする。
戦闘に向かないAIではあるが、アヌビスの護衛艦〝ウプーアート〟とボロボロの〝フェンリル〟、そしてイングによる信号波が精密兵器と泥蛇のアクセスを途切れ途切れにさせていた。
海底施設という大きな制御権限は諦めているのだろう。その代わり小単位の武装を集中攻撃して、精密兵器の自壊に成功させた。
〈〝セベク〟、皮肉ですね。あなたの行動は自殺ほう助ですよ。
ああ本当に間が悪い。
内陸政府が愚かな動きを見せているので〝エンリル〟と〝チャック〟は使えない。
…それならば、〉
泥蛇は人間の姿をやめた。
うねうねとした黒い塊が椅子の上で動くと、それは溶けるように消えた。
―-----――
〈と、いうことでどうも!一時帰還しましたウルトラプリティでラブリー最強AI、アイアムマイミー‼イングでございます!!!〉
精密兵器が来る!と慄いていた三名は、暗がりから現れた小さな物体に言葉を失っていた。
先日の性能を落とされた状態と同じ大きさ…つまり子供の掌くらい小さな雫ボディのイングがよっちよっちと歩いてきたからだ。
ソーマは思わず膝から崩れ落ち、カヴェリが「お、お、おぅぅ!」と支えながらも一緒に床に膝をついた。
ソーマはぎり、と奥歯をかみしめイングを睨む。
「ちょっと待て。〝セベク〟を乗っ取るからそれなりに戦える状態に戻れると言っていたよな?」
〈はい!〉
「その甲高い声はなんだ⁉」
〈声をもとに戻せませんでしタ!〉
「わざとだろ!ふざけるんじゃない!まさかとは思うが、精密兵器になれないんじゃないだろうな⁉」
〈さっすがソーマ!ご名答‼(拍手の音)〉
「~~~~~ッッッ」
珍しくワナワナと震えるソーマに、カヴェリとエレナが顔を見合わせて苦笑する。
エレナが小さなイングを両手で持ち上げ、ソーマのもとへ持ってくる。
イングはぷりぷりと尻を左右に振った。
〈〝セベク〟の船体では精密兵器を制御するほどの能力がないのです!でもエンドレスシーからイングのイケボしか聞こえないのももったいないでしょう?やはり人間とお話するなら現実世界に実体を持たなければ!動ける身体があるだけでも十分なにかに使えますよ!多分ね!〉
エレナの手の上で踊り狂っていたイングが、急にビシッと敬礼した。
中性的で圧のある別の声でしゃべり出した。
〈初めましてミナサマ!我が名はアヌビス!側溝掃除の進捗状況お聞きになりますか⁉はい全然進んでおりませんぬッッ。〉
エレナが思わず短い悲鳴を上げて驚く。
イングが二重人格にでもなったような…いや今までにもフレイアとの掛け合いもあったが、イングに負けない姦しい人格AIに恐怖した。
カヴェリが「…アヌビスってなに?」とソーマに尋ねる。フレイアのようなイングの分身には思えなかった。
ソーマは額を抱え、混沌としている状況をどこから整理しようかと悩んだ。
「アヌビスというのはイングと同じ上位AIだ。もともとアヌビスにはエモーションコピーに似た性能があったから、それをイングのエモーションコピーと同期させて更新…簡単に言えば感染させて〝MSS〟の理念から自立させたんだ」
「分かるようでわかんないな…。つまりイングみたいなAIが増えたってことでいい?」
「うんもうそれでいい。…まず、まずだ。他のみんなとの連絡は?」
〈ちょっとどいて下さいアヌビス!ふぅ。…通信環境は依然として変わりありません。基本的にはアイアムマイミーがエンドレスシーを介して信号を使えるのはこの精密兵器だけだと思って下さい。あとは皆さんが脱出するときに温存しなくては。〉
「それはやはり当初の予定通りだな。…みんなの生存状況は、分かるか」
イングが本当にただの動くぬいぐるみになってしまったことは想定外だが、もとより「この海底施設の精密兵器の無力化」「脱出のサポート」はイングが沈んででも勝ち取ろうとしていた。
なんとか最低限の切り札は守れていた。
だがイングはソーマからの問いにしばらく答えなかった。
小さな銀の面は床に向け、落ち込んだように呟いた。
〈…リーヴスとエディは死亡しております。お二人の最期の会話をアイアムマイミーは聞いておりましたので。〉
エレナもカヴェリも。そしてソーマも。
言葉を喉に詰まらせた。
先にその詰まりを取り払ったのはソーマだ。まるで覚悟を決めていたみたいな速さだった。
「今のキヴォトス兵には明確な守りの手段がない。だが〝カーボナイト〟が回収されてしまえば話は変わってくる。…〝ソルジャー〟の搭載はもっとこちらが不利になる。イング、他の――」
「待って」
ソーマの言葉を遮ったのはエレナだ。
小さなイングを床に置き、エレナは訴えるようなまなざしでソーマを見た。
「ねぇソーマ。変だよ。あなたが」
エレナは姉のように慕っていたエディや、頼もしいリーヴスの死亡に泣きそうだった。
だがその涙が落ちるより先に、ソーマのことが気になった。
切り替えの速さもそうだが…。
二人のことをギフトの名称で呼んだことが。気になって仕方なかった。
無理やり、そう言って諦めているように見えたから。
「みんなでルカを連れて帰ろうって、思ってるよね?」
漠然と、エレナは普段とはどこか違うソーマを見ていると不安でならなかった。
カヴェリが恐る恐るソーマに視線を移す。
彼の表情があまりにも迷いのない真っすぐとしたものだったから逆に、エレナと同じように不安な気持ちを抱いた。
エレナがソーマの肩に手を置き、そこで耐え切れず涙が溢れた。
「ソーマが諦めたら、〝みんな〟じゃなくなっちゃうよ。
あなたが帰る場所を守ってくれているから、私たちの未来を考えてくれているから、今まで生き残ってこれたのに」
床に落ちた涙の粒を、イングは小さな手先でつついた。
場違いなAIには気づかず、エレナはソーマに縋るように彼の肩に額を置いた。
「ソーマが思ってる〝みんな〟って…誰?」
こんな状況になるまで気づけなかったソーマの変化。
エレナは自分が不甲斐なくて泣いていた。
ソーマが静かに腕を広げ、カヴェリとエレナを柔らかく抱きしめる。
「ルカ。サラ。エレナ。カヴェリ。そしてコアとペトラだ」
正直に彼は答えた。
その中にはギフト持ちは一人もいない。ソーマ自身も入っていなかった。
二人がなにか言う前に、ソーマは続けた。
「泥蛇はFageのAI同様、なにをするにしても価値の高いことから優先的に行う。
ここでいうならギフトの回収だ。それを回避しようとすれば優先順位の低い者すら守れないだろう。
…ギフト持ちを死んでいいなんて思ってない。
でも…、もう〝全部〟なんて無理なんだ。分かってほしい」
感情だけでは間に合わない戦いであること。
エレナにだって分かる。それでも全員でこの海底施設を出ることを目指していた。
合理性と感情の堂々巡りになると判断したイングが口をはさむ。
〈まだ上の階にはキヴォトス兵が数人巡回しています。
マナさんとキースと合流したいところですがペトラたちの信号が遠い。もしかしたらすでに海底8階に降りているのかもしれません。
急いだ方がよろしいかと。〉
コアやルカがいるという海底8階。
マナとキースとの合流より、ペトラたちの応援に行くべきだと示唆する。
…ギフト持ちの命を諦めているソーマは即決だ。
「俺達も行こう。海底8階に。…頼む」
ソーマは深く頭を下げた。
カヴェリとエレナは罪悪感と悲しみに満ちた表情を浮かべていた。
感情だけならソーマをいくらでも責められる。
でもどうして彼だけを責められようか。
非力で現状を少しも打破できない自分が、今まで他人の分を一身に背負ってきた一人を責める資格などありはしない。
重い沈黙の後、カヴェリがソーマを支え、エレナも立ち上がる。
三人は遅れて、海底8階へと向かった。
―--------------――
海底8階。
オーバークォーツの花の爆弾を持ったルカはペトラたちを誘った。
そこは照明がやたら眩しく、ずいぶんと視界が開けている。
ペトラ、サラ、ヒヨリ、カマ。
四名がその階に足を下ろす。
ペトラは静かに、そして燃え滾る眼差しを前方に向ける。
キヴォトスを装備した兵士が見ただけでも10人。
人の気配が多いから、隠れているのも含めれば20人近いかもしれない。
一番遠い奥、潜水艇が設置されてある足場には両手を後ろにされたコアが座らせられている。
その傍らにはいるのはニーナだ。
ペトラはサラに軽く目配せをする。
緊迫した空気の中、サラは少し離れた場所にいるルカへ歩み寄った。
「だ、だめだよ。僕に近寄ったら。爆発しちゃうよ…」
ルカは後ずさり、爆弾を抱え込んだ。
記憶を完全に思い出していなくとも、目の前のサラを巻き込みたくないと心が動いている。
サラは大人びた表情で自分の片割れの手を握った。
「迎えにきたんだもの。大丈夫。もう離さないからね」
ルカはその手のぬくもりに目を見開く。
コアの手も。彼女の手も。
たくさんたくさん、自分の手は誰かに握られていた。はずなのに。
(知ってる。僕は、僕は…)
歌が聴こえるような感覚は増していくのに、まだ記憶の扉が開いてくれない。
なにが足りないのか、ルカは必死に思い出そうとしていた。
ペトラが一歩前へ踏み出す。
敵の指揮官へ。そして泥蛇へ。
果敢に告げた。
「全部返してもらう。私たちの兄弟も。未来も」
ニーナはペトラの宣言を快く受け入れた。
「返してやるよ。――兄弟だけならな」




