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Causal flood   作者: 山羊原 唱
46/50

34話 灰のような記憶

 海底八階。

 昔の地下鉄が水没したような場所だ。

 ここは潜水艇乗り場で、この海底施設から出るならばここにたどり着かなくてはいけない。



 ぽちゃん、とどこからか水滴が落ちる音が不気味に響く。

 薄暗く、特殊な金属の太い柱がいくつも立っている。

 戦闘になって〝ブリッツ〟がその柱に当たればこの建物は――そう考えるとコアは舌打ちしたい気持ちになる。

 でも隣に泣いているルカがいるのでできない。怖がらせてしまうから。


 座らせられているコアは改めて周囲を観察した。

(キヴォトス兵が22人。多いな。それに加えて〝ラダル〟。〝ヴィアンゲルド〟はいないのか?またギフトが怪物した時にだけ姿を現すつもりか…)


 負傷した身体では満足に戦えない。

 ここにたどり着く仲間の戦力によっては自分も参加しなくてはいけないだろう。


(こんな身体で…俺はどこまで戦えるのかな…)


 つい弱い気持ちになってしまうと、その声が聞こえたかのようにルカがぴとりとコアの頬に手を当てた。


「寒い?僕、あったかいよ…」

 罪悪感で小さくなっていたルカはコアの前に入り込み、背負うようにして自分の背中をつけた。

 本当に暖かく、ルカの健気さにコアは小さく笑みをこぼした。


「…ありがとう。な、ルカは〝宝箱のなかみ〟って覚えてる?」


 周辺のキヴォトス兵は各自この海底8階を巡回している。

 近くの柱に背を預けて煙草を吸っているニーナも、特にコアとルカが話していても気にしていない。


 ルカは周りの大人に怒られないか不安に思いながらも、「覚えてない」と悲しそうに呟いた。

 だからコアはコツン、と親しみを込めてルカの頭に自分の額を当てた。



「腐るほど聞かされてたから、一回忘れた方が新鮮で良いかもね」

「…やだもん。思い出したいもん」

「そっか。じゃあ俺がお話してあげるよ」


(こういう、お話を聞かせるなんて、俺あんまり得意じゃないけど…)


 せめてペトラだったら。

 ちょっとアレンジを加えたりして…面白く聞かせただろう。

 と、やはり少しだけ弱気なってみる。


 コアはルカにだけ聞こえるように、〝宝箱のなかみ〟を話した。




昔 黄金の宝箱がありました


幻の島に隠された宝箱の蓋は

伝説のつるぎで切ることも

巨人のつちで壊すことも

魔女のくすりで溶かすことも

できなかったそうです


そんな宝箱を探そうとある青年が海に出ました

風を超え 波を超えていき 旅をしました


幻の島から美しい歌声が聴こえて

歌声に導かれた青年は深い 深い洞窟の中を進みました


リンゴの木 背の高い女性 黄金の宝箱

女性は宝箱を守っていました


傷だらけの女性が

この宝箱が欲しいのかと

尋ねたら


青年は首を振り、

あなたの歌を聴かせて

女性は驚き 笑いました

そして息を吸うと 美しい歌を歌いました


共に日を重ねたある日

カチリと音がして

しかし青年がなかみを見ることはなく


やがて二人のそばで 二つの宝と

みんなで暮らしていきました




 コアの不器用な語り口を、ルカは目を閉じて耳を澄ませた。


(ほんとだ。僕はこれを知ってる。そうだ。これも確か歌だった)


 雪のような白髪をした、森林色の瞳をしたあの人が歌ってくれた。

 強くてかっこよくて、ルカにとって剣であり盾であった。

 自分たち家族に向ける笑顔は明るくて優しい、大好きな――。



「二つの宝はね、ちょうちょなんだよ」


 ルカは無意識にそんなことを呟いた。

 コアの方が驚く。

 どういうことか言葉を失っている間、ルカが記憶をなぞるように話した。


「ちょうちょは一匹なんだけど、羽が二枚あるからそれが〝二つ〟なんだって。でも僕教えてあげたんだよ。前と後で一枚ずつあるから全部で4枚だよって」


 ふふ、と懐かしそうにルカは笑った。明確な記憶が戻ったわけではないけれど、コアが聞かせてくれたおかげで感覚のような思い出が蘇る。


 コアは眉をひそめた。

「ルカ。それってティヤがそう言ったの?」

「ん?多分…?緑の目をした男の人。僕のパパ?」

「うん…。そう、だけど…」

「ふぅん。ふふ。パパかぁ。なんかかっこよかったイメージがある」


 寂しさと愛情がはっきりと心の中で蘇る。ルカは暖かな感覚にほっこりと微笑んだ。


 相変わらず、クールな顔立ちに反してマイペースなルカにコアは優しい苦笑を浮かべるも、内心では訝し気に眉を寄せていた。・・・ティヤに対して。


 ルカの父であるティヤはソーマ曰く「芸術肌だがとにかく馬鹿だった」らしい。

 もしかすると蝶の羽の構造を理解せず「蝶の羽は二枚」と思い込んだのかもしれない。

 が、だとしても。


(蝶が宝?なに言ってんだ、ティヤ。

 二つの宝はティヤとスラ自身のはずだ。

 背の高い女性がミュウ。

 青年がソーマ。

 二人と一緒に最後までいたかったから、歌詞としてそう残したんだと…。

 ラクスアグリ島にいた青い蝶ってワケでもないだろうし…)



 ルカにもっと詳しく聞こうと思った時、それまで黙っていたニーナが静かに歩み寄ってきた。

 ルカがしゅんっ、と怒られた子供のようい小さくなってしまった。

 それを後ろから包むようにして、コアはニーナを睨み上げる。


 彼女は片膝をついてあるものをルカに見せた。


「仕事だよ、ルカ。ペトラとサラをここに連れてきてくれるか」


 ニーナが差し出したそれはルカの両手で持てるくらいの、ガラスの箱。


 コアは息を飲む。

 ほのかに青く光り、反射する光の中に薄紅色が含まれる液体。

 こんな綺麗な状態は初めて見るが、正体は知っている。


 知らない者が見ればミステリアスな光を淡く放つガラスのライトにでも見えるだろう。


 その光がニーナの雫色の瞳を照らした。


「これを持って、〝---------――------――〟と言って連れてくるんだ」


 なんて綺麗なんだろうとのんきに見ていたルカはニーナからの伝言を聞いて絶句する。

 恐る恐るニーナを見上げて――、ぞっと血の気が引いた。


 人間を見ている目ではない。

 彼女の目に、ルカもコアも映っているのに。


 冷たい汗がルカの顎を伝う。

 断れば今ここで殺されるのだと幼いながらに理解した。


 震える手で、そのガラスの箱を手に取った。



―-------------------――


 喉が破裂してしまうくらい口の中に水が入った。


 それは幻だと必死に自分に叫んだ時。


 ハッと息が吸うことができて目が覚めた。


 仰向けになっていたようで、青空がよく見えた。



(…空…空?)


 そんなはずはないと、マナは飛び起きた。


 すぐさまカーアームズK9を構えようとして、――両手にはなにも持っていないことに気が付く。

 銃だけではない。マガジンや腰に下げていたガーバーナイフも消えている。


 隙のない警戒を高める中、マナは腹の底が冷えるくらい焦っていた。


 ――〝ラダル〟が使えないからだ。


「…どこ、ここ」


 呟き、辺りを観察していく。


 一番存在感があるのは風力発電機。

 身体に当たる風は大きく、彼女の髪や服をバタバタと揺らした。


「まさか―――」


 内陸で建物に建築された風力発電は存在しない。

 それがあるのは。


 マナは建物の縁まで行き、手すりに手を置いた。


 随分高い建物に自分はいるようだ。

 15階くらいだろうか。その屋上にいる。


 見下ろす街並みは特徴的で、上に向かうほど狭まる建造物と、水面に浮かぶ歩道、潜水艇の駅などがあった。


「日本の沈没都市(ファルガーン)だよ」



 後ろから少年の声が聞こえた。


 もう二度と、聞くことのできない声。



 マナは表情を制御できず、恐れながら振り向いた。



 凡庸でぼんやりとした外見。

 右目の下には父親に殴られた痣。

 ずっとそのままでいてほしかった優しい笑顔。



「サクタ…」



 幻だと分かっていても。

 隣に来てくれた彼の存在は事実だったから邪見になどできなかった。



 サクタも手すりに手を置いて沈没都市の街並みを一望する。


「沈没都市に地面はない…なんて聞いてたけど本当なんだね。〝沈まない金属〟っていう構造で作られた床なんだって知ってた?」


 サクタは少しはしゃいでいる。目指していた場所に来られた満足感なのか、未知の知識への好奇心なのか。

 どちらであっても彼らしい反応だ。


 マナは切ない気持ちを抱えながら「…知ってるよ」と掠れた声で返事をする。


「マナは物知りだね」

「知ってるだけ。……知ってるだけで、見たことない」


 ふにゃ、と笑う彼の笑顔を見れば、胸の中が切り刻まれるように痛かった。


 サクタは沈没都市の有名なものを指さしていく。


「沈没都市を囲う水路。あれは波力発電もできるんだって。沈没都市の入り込む海水の塩分濃度も調整してて…。あ、沈没都市の地面って半分以上は水だから、歩道のことは船床って呼ぶみたいだよ。あと見て!あそこの建物は医療培養細胞のつくる建物なんだ。医療の範疇だからさ、〝アヌビス〟の管轄になるんだって。まぁ普通に働いていると上位AIと関わりを持つことなんてあり得ないんだけどさ」



 彼の目標であるその建物。

 指していた指を下げて、サクタはぽつりと呟いた。


「あそこに行けたら良かったな」


 誰を責めるわけでもないその切願の一言はあまりにも。

 静かで重かった。



 マナは自分が泣かないように歯を強くかみしめる。

 泣きたいのは自分ではない。

 彼を前にして泣いていいはずがなかった。


「ごめんなさい…。あなたを、守れなくて」


 震える声で謝罪を述べると、街を見ていたサクタの視線がマナへ向けられた。

 彼の瞳も泣きそうなほど潤んでいて、でもくしゃりと笑って首を振った。


「マナが俺を殺したんじゃない」

「でも私は守れたよ。守れたはずなの。君を守るのならもっとはやく、…はやく決断して…ヒヨリたちに君を渡すべきだった」


 言いながら、マナはうつむく。

(…命を守るだけなら、やりようはいくらでもあった。たとえ君がここに来られなくても、命だけは…)


 うつむいていると、彼の手が視界に入った。

 サクタはあの時のようにマナの手を取る。


「生きてさえいれば…お母さんの口癖でさ。

 今なら分かる。

 死んじゃったらなにも叶えられない。

 だから確かに、俺がソーマたちの所に行っていたら違うやり方で俺は自分の夢を叶えたんだと思う。

 だから俺が死んでしまったことはマナにとって失敗なのかもしれない」



 一緒に沈没都市に行こう。

 あの時の彼の声がこの優しい嘘の世界をつくっている。


 理性で理解はしていても。


 幻の彼は本物みたいに優しい。

 決してマナを責めない。

 彼女を苦しめるための幻覚ならばもっと。

 責め立てて、怒って、憎んでくれればいいのに。





 だがハオは考えた。

 マナの実力は自分を軽く超えている。

 それは経験値や精神力、果ては身体に染み付いた本能もそうだろうと。


 幻覚が彼女を殺すような脅威のある世界ではだめだ。

 生きる気力を失っても、その本能が彼女を勝手に動かすかもしれないから。


 だったら。

 本物みたいに優しい空間に捕えて。

 

 〝ラダル〟が反応する必要のない優しい世界で罪悪感の底に溺れさせてやろう。



 吹いていないはずの風が吹き。

 可能性の一つだった場所に立ち。

 二度と逢うことの叶わない人を前に。



 彼女の心に残ったかけらが、彼女を縛り付けている間に、マナの背後でガーバーを手に持ったハオが、それを振り上げた。





――――――--―― 

 リーヴスだったら。


 いや彼だけではない。

 イルファーン、オーウェン、コア、ペトラ…


 前衛として頼もしい彼らがここにいたらどう動くのか。



 偽りの空から大量の水が落ちてきた時、不意にランの方へ視線を移した。


 幻覚は仲間にも作用する。

 あの馬鹿みたいに恐ろしい水の塊は彼すら巻き込むだろう。

 だとして。

 〝エア〟が水を通り抜けられるとしたら?


 ランにとってこの〝水〟という幻覚は脅威にはならないかもしれない。


 万が一、ランに意識が戻れば必ずハオと協力して自分たちを殺そうとするはずだ。



 今。

 さして強くもない自分にできること。



 それは感覚器官を奪われる中、離れ離れにならないようマナの手を握ることではなく。


 人間を通り抜けることができないランを掴んで離さないことだ。




 キースは気絶しているランを押さえつけ、〝エア〟に向けて〝タキオン〟を起動させた。


 マナに声をかけるまでは間に合わず、彼もその巨人が桶をひっくり返したような豪水に一度身を沈めさせた。



 マナが幻覚に囚われている時。

 キースは流れ着いた幻の場所でハオに叫んだ。


「人間を材料にした弾丸がこの青年に効くかどうか試してみようか⁉」



 キースの周囲には彼の両親とイルファーンがいる。

 優しい言葉をかける彼らを一瞥もせず、マナを助けるためにハオに揺さぶりをかける。



 彼の手には内陸で使われる弾丸を込めたスコーピオンがあり、意識を取り戻したランの頭に押し付けていた。


 使いどころを見誤るなと、リーヴスに念押しされていた心強い鉄くずだ。



 キースはランに覆いかぶさり、両ひざで彼をはさんで動けなくしていた。


 力比べをするならランの方が強いがランはキースを振りほどこうとしなかった。

 ランは殺気と悔しさを溢れさせてキースを睨む。


(くそっ。〝エア〟が起動できない‼)


 自分のギフトがなにかの力によって動けない状態にあると感じていた。


(〝タキオン〟はギフトの起動状態を維持できるって聞いてたけど、起動前の状態も維持できんのかよ⁉)


 基本、内陸の〝人間を材料にした武器〟は人間が使われている分だけ〝エア〟の対象外となる。

 だがそもそも〝エア〟を起動できないのであればランの身体は普通の人間と同じ耐久力だ。

 どう転んでもランを撃つことができる状況にされている。


 キースは片手にスコーピオン、片手はランを押さえることに使っているので口をふさがれることはないと思ったランはハオに叫んだ。


「ハオ‼とにかく先輩を殺せ‼それさえ終われば俺達は――‼」




 今さえよければいい。

 ハオだって同じ気持ちだった。

 でも無意識に求めているのは少し先の未来。

 〝これ〟を終わらせてランと二人で過ごしたい。


 でもそれは。

 彼が死んでしまってはできないのでは?




 当たり前なのに今更気づいたみたいな感覚が、ハオの手を止めさせた。



 その一瞬の戸惑いは空気となって伝わり、――マナの回し蹴りによってガーバーナイフが吹っ飛ばされた。


 ハオはふらつくもアセンションを服用した。

 豹の特性が身体にいきわたり、マナへ強靭な爪を振るおうとした、が。


「あれっ?」


 ハオのふらつきは修正されず、カクンと膝を折って床についた。

 それだけで終わらない。

 彼女は震える手で自分の目の周りを触っている。



 構えを取っていたマナはそんな彼女を見て、…警戒を解いた。


「アセンションの使い過ぎだよ。目まで見えなくなるくらい使っていたんだね。…回収される前にここから逃げた方が良い。彼と一緒に」


 いつもであったらこんな危険因子は即殺していた。

 …後ろに幻のサクタがいるというだけでできなくなる自分の脆さに、マナはため息をついた。


(これでも戦意を消失させないならその時は仕方ない)


 マナが譲歩できる線はここまでだ。

 〝イリュジオン〟の出力を上げたらすぐにでも――と思っていたが、ハオは黙って〝イリュジオン〟を停止させた。



 〝イリュジオン〟の幻覚が透けていく。

 消えていくそれらを見ないようにしていると、後ろから声がかかった。



「たとえ失敗に終わったってそれが全てにはならないよ」



 思わず振り返った時にはすでに幻覚は消えていた。

 マナは飲んでいた息を吐きだして、震える唇を噛む。


 改めて場所を見渡す。

 ブロックの表示を見るとここはB。

 もともと降りた場所はAだったので〝イリュジオン〟の幻覚に翻弄されてここまで移動してしまったようだ。



 〝ラダル〟が平常通り機能している。

 両ひざを床につけてしゃがみこんでいるハオを見下ろして、マナはキースのいる気配の方向、Aブロックへ移動した。



 そこでランを取り押さえているキースを見て、マナは「殺される直前だったみたい。ありがとう」と素っ気なく言った。

 愛想よく感情を込めないのはある意味、素で話しているからだろう。

 キースはなんとなくそれが分かるので、特に気にせずマナに尋ねる。


「〝イリュジオン〟の少女は?」


 マナは殺気が乱れているランへ視線を落としながら答えた。

「殺してないよ。…でもアセンションの使い過ぎで目が見えてない。移動するなら〝誰か〟がいないと」


 マナの言葉にランの殺気が緩む。信じられないものを見るような視線でマナを見ていると、彼女は静かに瞬いて無感情な警告に情を忍ばせた。


「これ以上私たちを追いかけるなら殺す。私たちはあなた達を追いかけないから、逃げるなら今だよ」


 マナが軽くキースに手で合図を出し、ランを解放させる。

 マナの精錬された殺気がランに伝わる。一瞬でもささいな敵意を向ければ本当に撃つだろう。


 マナとキースはランに銃口を向けながら、--結局、ランからそんな敵意は向けられなかったから――海底2階Aブロックから出て行った。


 コアとルカを助けるため。

 離れ離れになった仲間と合流するため。

 二人は先を急いだ。




 体中あざだらけのランはゆっくり身体を起こし、ふらつきながらBブロックへ歩く。

 Bブロックの真ん中でハオがうずくまっているのを見つけた。

「…ハオ」

 急に触ったらびっくりさせるだろうと思って声をかけたら、ハオはランのいる方向に身体を急いで向け、必死に手を伸ばしてきた。


「ラ…、ない……ラン」


 不安を言葉にできず、見えない恐怖とギフトの使い過ぎによる疲弊が彼女に圧し掛かり、一歩も動けないようだ。


 ランは初めて、ハオの姿を見て心が痛くなった。


 必死に、コアの言葉を思い出さないように胸の奥を縛り上げる。

 そうすると悔しいくらい苦しかった。


(今更。なんなんだよ)

 自分に幻滅する。

 分かっていた。こうなることくらい。

 だというのに〝今〟、怖いと震える彼女のことが可哀そうでしょうがなかった。

 ランは床に膝をつけ、彼女の小さな手を掴んで引き寄せてしっかりと抱きしめる。


「耳は…聴こえるな?」


 ランはハオの耳元に口を寄せ、優しく尋ねる。

 ランに触れて、縋りつくように身を寄せたハオはコクコクと頷く。嬉しそうに彼の胸に頬擦りをした。


 相変わらず猫のような彼女にランは微笑む。

「…先輩にいっぱいボコられた。少し休んでからここを出-――」



 -――どっ。


 鈍い衝撃がランの身体に伝わり、言葉が切れた。

 ハオの身体が細く鋭い勢いに反り、ランにぶつかったのだ。


 視力を失ったハオの瞳が震えた。

 銃弾によって穴が開いた背中から、彼女の血液が逃げるように流れていく。



 腕の中で崩れ落ちる彼女をなんとか抱き留めて、ランは息を切らせて顔を上げた。


「ゆ、リウ…ス」


 そこには顔を覆っていたマスクを外し、サプレッサーをつけたH&K HK45を向けているユリウスがいた。

 アフリカ系の褐色肌と精悍な顔立ち、色香のある眼差しや唇、首元はやたら人を誘う魅力がある。

 エキゾチックな美しさとは裏腹に、所作は精巧なロボットのように無駄がない。

 ランとハオの上官であることを含めれば、彼らにとってはニーナ以上に畏怖する存在だ。


 ランの手元が小刻みに震える。

 ハオを貫き、弾丸はランの腹部で止まっていた。致命傷になるほど深くはないが、ハオを抱えて海底8階まで降りられるほど浅くもない。

 〝エア〟は人を通り抜けることはできないから、誰かに触れたままでは起動することも叶わなかった。


ユリウスがうっとりとその唇を開く。

「二人とも頑張ったねぇ。ハオは目が見えなくなるほど働いたの?えらいえらい」


 優しい声音で、ユリウスは銃口を下げた。


()()()()()()()()()()()()()()。二人とも頑張ったからこれはご褒美ね。ごゆっくり」


 もしかしたら心からの労いなのかもしれない。

 泥蛇の兵士として二人を逃げられない状態にして、上官の情けとしてとどめを刺さずに猶予を与えた。



 友達と別れるように手を振って、ユリウスは海底2階を後にした。





―-------------‐- 

 精密兵器3騎を相手にしていたペトラは右半身が裂傷だらけだった。

 

 それでもなんとか3騎を倒すことはできた。

 しかしもともと治療が終わったばかりの右肩は途中で筋肉の線維が切れ、心臓を庇うため全体的に右側を盾にしたこともあって精密兵器の斬撃をくらってしまった。


 ペトラとサラはお互いの衣服をちぎってペトラの負傷した傷を縛る。

 サラはえずくように泣いていた。


「ごめっ、全然、私っ…戦えなかった…ぺ、ペトラが死んじゃう…ゆ、遺言とか、あるの?」

「縁起でもないんですけど⁉」


 ゼェゼェと息を荒くさせ、痛みに目をつぶっていたペトラだが、若干錯乱状態のサラの発言にカッ!と両目を開いた。


 そしてぐっと左腕と足に力を込めた。


「…うん。立てるね。右腕は全然使えないけど盾には使えるかな。行くよ、サラ」

「も、もう少し休んだ方が良いよ…ペトラの身体が…」

 サラはすっかり怯え切っていて、ペトラの服をぎゅ、と握った。

 そんな弱気なサラの腕を引っ掴み、ペトラは無理やり立たせた。


「諦める時はね、全部やり切ってから。歩けるよ。戦えるよ。全然、諦める理由になんか足りない。――迎えに行くんでしょ。私たちのきょうだいを」


 厳しく、容赦ない。

 きっとここにコアがいたらもっと優しく元気づけてくれるのだろう。

 でも相手がペトラだから、サラもすぐにいつもの勝気な自分を取り戻した。


「心配してあげたの!もう心配してあげないんだから!」

 泣いていた目元をグシグシと拭い、サラは怒った顔を作る。


 むぅ、と頬を膨らませて睨んでくるサラに、ペトラは精悍に微笑む。


 次いでBブロックに繋がる通路へ近づくと、息を飲むほどの破壊音が聴こえてきた。

 Bブロックで激しい戦闘が行われている。

 音から察するに、〝ブリッツ〟の砲撃が聞こえる。

 キヴォトス兵と仲間の誰かが戦っていた。


 どう助けに行くか思案していると、戦闘が波を引いたように静かになった。

 ペトラはサラに盾を構えておくよう手で合図を出し、ツヴァイハンダーを落とさないよう左手にしっかりと紐で結ぶ。

 いつでも戦闘ができる状態にした、時。



 通路を駆け抜ける突風がペトラたちのもとへやってきた。



「ペトラ‼」


 その声は。

 ペトラは安堵が表情に現れ、「ヒヨリ‼」と叫んだ。



 遅れてカマもやってきた。

 二人はこの海底5階のキヴォトス兵をなんとか倒し切ったようだ。

 多少の傷はあれど、二人もまだ戦える状態だ。


 むしろ右半身がボロボロになっているペトラの姿に、二人は一瞬言葉に詰まっていた。

 ヒヨリはひとまずサラを抱きしめ、ペトラに状況を尋ねる。


「他に敵は?」

「大丈夫。倒した。そっちは?」

「…守備は上々…だけど…」

 ヒヨリが言い淀むと、カマが感情を差し引いて答えた。


「リーヴスはエディたちを助けに行ったワ。ここにはアタシたち二人だけ。あとはこれをあんたに」

「カマ…」


 ついヒヨリがカマを止めるような声を出すが、ペトラがサッと()()を受け取った。


「私は大丈夫だよ。ヒヨリ。まだ戦える。…ありがとう」


 たからもののように、ペトラはそれをズボンのポケットに入れた。

 ――これは切り札だ。敵に見つからないように隠した。


 ペトラ、ヒヤリ、カマが上の階の仲間と合流するか相談していると。

 ハッと、サラが顔を上げた。


「…いる。近くに」


 そう呟いたサラはヒヨリの手を引っ張った。


「ルカ…ルカの気配が…」


 ペトラたちは顔を見合わせ、慎重な足取りでサラの感覚通りに歩いた。


 方向はもともとヒヨリとカマがいたAブロックだ。Bブロックに繋がる通路を渡り、Bブロックに入る。

 そこには〝ブースト〟と"エスタ"に惨敗したキヴォトス兵たちが転がっている。


 ペトラはキヴォトス兵の数を数えた。

 ざっと10人。最速の特攻であるヒヨリと正面攻撃が一切通らないカマ二人だとこの戦力を上回るようだ。


 あまりサラに見せたくない光景だが、当のサラはルカの気配だけに集中していた。



 Aブロックに入る直前、カマが一歩前に出て三人の進行を止めさせる。

「せっかちさんはちょっとお待ちなさいネ」

「私に言ってる?」


 カマの皮肉に、ヒヨリはやり返すように言う。


 大人たちの影に隠れて前方があまり見えなかったサラは――Aブロックの中央に佇むルカを見て叫んだ。


「ルカ‼」


 それこそ駆け出しそうだったサラをヒヨリが背に庇って止めさせる。

 ペトラもサラの肩に手を置き、ルカの様子を窺った。



 プルプルと小鹿のように震えるルカの顔は青く、その小さな両手には綺麗なガラスの箱が抱えられていた。



 ルカは四人の姿が見えると、必死に声を張り上げた。


「だ、だめだよ!それ以上近づいたら!爆発するんだって!これね、た、ただのガラスじゃなくて、これに電子回路が入ってて!だからその、手を離したら爆発しちゃうんだ!」



 怖くてたまらず、ニーナからの伝言がやけに子供っぽくなる。


 でもだからといってルカの言っていることが嘘だとは誰も思わなかった。


 ガラスの箱にほのかに灯りを持つ薄紅と青い液体が入っている。



 オーバークォーツの花の爆弾だ。








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