32話 海底開戦
海底3階Cブロックに泥蛇の兵士が10人待機していた。
彼らはキヴォトス兵だ。
全員、両手の親指、人差し指、中指に銀の指輪を装着している。
サラやルカの持つ〝フルート〟そっくりなキヴォトスに兵士が口づけ、起動させる。
銀糸の光が解かれるとFN P90に似たサブマシンガンを編み上げた。
現在、海底2階から3階は〝イリュジオン〟が高出力で起動されている。
古びた自動車と土埃に汚れる通行人、劣化のひどい建物が並ぶ幻の中に彼らはいた。
これより〝イリュジオン〟の腹の中にいる〝ソルジャー〟の回収作戦が始まる。
彼らはエディの声が届かないようイヤーマフのような通信機を取り付けていた。
〝ソルジャー〟の効果もこれで働かない。
ニーナと同期の兵士――ユリウスは自身が率いる小部隊に振り返った。
「ウサギはメスとオスの二羽。Aブロックで〝イリュジオン〟にもぐもぐされてる最中かな」
通信機を通してユリウスは部下に言った。
生憎ハンサムな顔はマスクに隠れて見えないが、お茶目な言いぐさや声の柔らかさは人から好かれそうだ。
これから好きな人にでも会いに行くような空気を纏わせて――ユリウスは小部隊にAブロックへの進行を指示した。
―--‐‐‐‐――
冷徹な狩人が近づいていることをエディとカヴェリは知らない。
それどころか〝イリュジオン〟の影響により、二人ははぐれてしまった。
それは本当に。
現実みたいな幻覚だった。
賑わいのある表通りは比較的平穏だ。
でも裏路地に目をやれば、そこは内陸の膿だらけだった。
親近感すら湧く見慣れた風景の中で。
はぐれてしまったカヴェリを探すこともできず、エディは立ち尽くしていた。
「こんにちは。エディ」
幼さの残る声。
あざの多い顔でその少女は笑っていた。
いや。
少女〝たち〟。
道を行き交う人々の中に、〝あの時の〟少女たちがいた。
苦しさに気づいて、知らず止まっていた息をエディは吸った。
そして唇をぐっ、とかたく結ぶ。
(…他の住民は傷なんてないのに。私が知っている人は傷だらけなのね。……私の印象がそのまま幻になっているのかも)
幻だと分かっていても、エディの身体を人が通り過ぎるたびぶつかったような感覚になる。
どんどん、その感覚が鮮明になる気がした。
この感覚はそのうち〝本物〟になるのだろう。
エディはハッと少女たちの奥へ視線を向けた。
骨に刻まれた恐怖が鼓動を締め付ける。
武器を持った…アロンエドゥが近づいてきていた。
明るい賑わいのあった町の雰囲気が少しずつ、少しずつ緊迫したものになる。
(幻でも私の脳が〝殺された〟と判断したら――)
震える足を懸命に動かして、エディは二歩、その場から離れた。
しかしすぐに足を止める。
にこにこと笑ったまま動かない少女たちが気になった。
「…どうして、逃げないの?」
エディに尋ねられると少女たちは顔を見合わせて、困ったように微笑んだ。
そして一人、少女が一歩エディに近寄った。
「エディが助けてくれるって分かってる。
ありがとう。苦しんで死ぬはずだったのに、最期に眠ることを許してくれて」
抱擁を求めるように、あの時の望みを口にして少女は両手をエディへ伸ばした。
エディは苦しそうに顔を歪ませる。
(まだ私は――〝それ〟を救いだとでも思っているの)
ある少女はエディを姉のように。ある少女はエディを母のように。
殺されることは怖いと泣いていたのに、エディの力を恐れた少女は誰もいなかった。
「…同じことなのよ」
アロンエドゥの笑い声が近づいてきても――エディは逃げられなかった。
彼女の目じりから熱くて痛い涙が流れる。
「同じなの。私がやったことは。お願いだからそんな…〝助けてくれる〟なんて言わないで」
耐え切れず、エディはその場に膝をつけた。
少女たちがエディを心配して駆け寄ってきた。
みんながエディを抱きしめるように、その場に座り込む。
「エディ。エディ。泣かないで。大丈夫だよ。
それなら全部終わるまで私たちも一緒にいるから。
今度は私たちがあなたの傍にいるからね」
幼くて優しくて暖かい声がエディの身体を包んだ。
アロンエドゥの接近に周辺の人々が無言で逃げていく。
動かない人のことなんて知らない。弱い人間はそうやって死んでいくことが内陸の常識だ。
そんなところも現実味が強くて憎たらしい。
身を寄せ合い、悲劇を前に座り込んで泣く彼女たちを―ーアロンエドゥの影が覆った。
――――――
カヴェリは人ごみをかき分けてエディを探していた。
「エディ‼どこだ⁉エディー‼」
人ごみ、雑踏、規律のゆるい自動車たち…
そして――ボアアアンンン‼と遠くのビルが突如爆破した。
人々が悲鳴を上げて思い思いに逃げ始める。
ぶつかっていないのに彼らが通り過ぎるたび、カヴェリはふらついた。
爆破だって偽物なはずなのに、音の衝撃は鼓膜と心臓を震わせる。
なけなしの武器であるグロック17を握りしめ、苦い顔になる。
(どうする…〝イリュジオン〟のせいかイングからも全く連絡がない。もたもたしてたら泥蛇の兵士が来ちまうし…‼)
自分の幻覚は本当に物騒で、どうやら内陸でのテロの印象を引き出されているようだった。
爆破は一回だけで終わらず、しまいには陸上を歩く爆弾人間まで出てきた。
幻覚だとしても、カヴェリはその騒動から離れるべく走った。
路地裏に一度逃げ込み、せめてこの階の出口くらい見つけられないか見渡す。
カヴェリの焦りが幻覚に燃料を注いでいるかのように、どんどんと幻覚の〝音〟が激しさを増していった。
気が狂いそうになるくらい騒然とした幻覚に溺れそうになった時。
「明るい方が見えないのか?」
ぞっとするくらい。
その声は〝本物〟だった。
ちょっとからかうような、でも仲間想いに溢れた――
親友の声。
カヴェリは幻覚の音が遠くになる感覚を覚えた。息を飲み、そして振り返ってグロック17を向けた。
…逃げ惑う人々が通りに見えるだけで、その声の人物はいなかった。
「こっちだよ」
また。
思えばこんな激しい騒音の中、どうしてこんなにはっきり聞こえるのだろう。
カヴェリは脇道気づいた。
こんな道、あっただろうか。
慎重に脇道へ顔を出し、敵がいないか確認する。
暗くて、何があるのか分からない道だった。
気づけばグロック17を下げて、カヴェリは泣きそうに目元を歪ませた。
「…俺んとこに化けて出て来るくらいなら、エレナの方に行ってやれよな…」
そして乾いた笑みを浮かべて首を振る。
「いや…エレナにはソーマがいるから大丈夫か…。分かってる。俺なら暗くたって大丈夫。得意だかんな。暗い道を歩くのは」
〝イリュジオン〟や泥蛇の罠に思えないのは、カヴェリの願望か勘か。
彼はその暗がりへ踏み出した。
―----------――
ソーマとエレナのいる階は海底四階Cブロック。
Cブロック全体に数えきれないほどサンクミーを飼育する水槽が床から天井まで柱のように伸びている。
本来であれば青い光をほのかに纏わせその水槽にはサンクミーがふよふよと泳いでいるはすだが。
非常灯となったCブロックは赤い照明に切り替わり、視界の悪い中…、
精密兵器のイングはたった1騎で10騎の精密兵器と戦っていた。
重機ですら傷のつかないサンクミーの水槽がイングの容赦ない破壊行為によりいくつも破壊され、中から大量の水が床を濡らす。
精密兵器同士の戦闘が床に溜まる水面を激しく波立たせる。
水槽の一つに身を隠しながら移動し、ソーマはエレナの手を引きながらCブロックの出口付近までやってきた。
しかし通常時のように人を感知して自動ドアが開くことはなかった。
無論電子施錠をかけられており、ソーマはドアの隣に備わっているパネルを起動させた。
サンクミー飼育フロアは海底4階から6階にかけて備わっている。
サンクミー飼育フロア最上階であるここには水槽の稼働状況を海底施設の制御室に送る通信パネルがあった。
基本はAIが全て行う作業ではあるが〝人間の最終チェック〟を義務付けられているため手作業ができる数少ない機械だ。
だが制御する権限を獲得するにはまず操作者が沈没都市住民であることを承認させなくてはいけない。
ソーマは〝ある協力者〟の在籍状況を確認する。
後ろで激しい音が聞こえるので心臓が音を立てるように跳ねているが、それでも幸運を見つけて少し微笑んだ。
「…どこかで会えたらお礼を言いたいな。エレナ、時間は?」
「今3分切ったよ――わっ」
-――ゴオウン‼とイングが戦っている場所で水槽丸々飛んだ。
天井にぶつかると今度はドオォオン‼と水しぶきを上げて床に落ちた。
…みるみる、イングの身体が小さくなっている。
たったの1騎で10騎を押さえられるのは長くて5分だとイングはソーマたちに伝えていた。
エレナが時間を計り、ソーマはその間に自動ドアの開錠を試みる。
開錠するためにはエンドレスシーで使われる信号計算が必要だ。
リアルタイムアップデート解答式パスキーという数式が表示され、ソーマはまた笑った。
「学生の頃は三分で解いたな。あれも自己最高記録なんだが…やってみよう」
沈没都市の住民でもその計算ができる者は限られる。
それこそソーマのように称号を与えられた人材だけだ。
後ろで時間を稼いでくれるイングに背中を預け、ソーマは取り掛かった。
エレナはソーマの背中にぴたりと身体を寄せ、不安げに後方の戦闘を見る。
盾になっているサンクミーの水槽がたちまち破壊され、泥蛇の精密兵器が飛来させる攻撃が徐々にこちらへ届いてきていた。
祈るように腕時計の形をした端末を握りしめる。
(サラ…ルカ…みんな…。どうか、どうか…これ以上誰もいなくならないで)
すでにタイマーは無情にも30秒を切っている。
ついに。
イングの精密兵器の核が破壊されてしまう。
精密兵器の核が破壊されると虹色の光芒がほとばしり、刹那のうちに消えた。
「ソーマ‼イングが‼」
エレナは後ろを確認できないソーマに叫ぶ。
精密兵器はボディの液体を飛ばす遠距離攻撃がある。
エレナはおろか、特異な感覚器官がなければ雫の散弾など人間には避けられない。
間に合わないとエレナはソーマの背中を抱きしめる。
しかし、そんなエレナを逆に抱き込み、ソーマは開いた自動扉の向こうへ飛び込んだ。
「――ッッぐ、‼」
ソーマの低い呻き声が聞こえたが、制御権限が一時的に泥蛇から外れたその自動扉は瞬時に閉まった。
ゴカカカカ‼と精密兵器の大量の液体の棘が扉に叩きつけられる。
「ソーマ…ソーマ‼血…っ、そんな…いや、ソーマ‼」
自分の上からずり落ちたソーマをエレナはしがみつくように支える。
ソーマに触ればべっとりと彼の血が彼女の手につく。
泣き出すエレナの頭にソーマは手を軽く置いた。
「大丈夫…致命傷じゃない。掠っただけだよ」
首に限りなく近い右肩、左上腕、右腰。
確かに貫通ではないがパッカリと裂けている。
エレナとソーマは脱げる範囲で衣服を脱ぎ、彼の傷口を押さえつける。
「すまないがエレナ、肩を貸してくれるか…はやくここから離れないと…この扉もいつ開けられてしまうか分からない」
「うん、うん…支えるよ…」
震える声でエレナは必死にソーマの身体を支え、立ち上がらせる。
足の負傷はなかったことが幸いだ。
通路の照明も非常灯となっていて、薄暗い赤い灯りがヴヴ…と乱れる。
施設の不備が現れるということはエンドレスシーで泥蛇とイングが戦っている証拠でもある。
エレナは高まる不安を思わず零した。
「精密兵器のイング、負けちゃったね…。エンドレスシーの方は大丈夫なのかな…」
「大丈夫。きっと間に合う。…だが俺達は迂闊にこの階から移動ができない状態だ」
「どういうこと?」
「この階に泥蛇の兵士がいないだろ?てっきり数人くらいなら配置されると覚悟していたんだが…。キヴォトスは、もとはギフトだ。ギフトをエンドレスシーで観測できないということはおそらく」
「キヴォトスもエンドレスシーで見えないってこと?あ、つまりキヴォトス兵と精密兵器は共闘ができないかもしれないんだ」
「そう。〝プレリュード〟でシミュレーションできているあたり、ギフトほど見えない状態じゃないとは思ったんだが」
ソーマとイングはキヴォトス兵がいることも想定していたが、実際には10騎という潤沢な数の精密兵器で揃えてきた。
考えていた以上にキヴォトスと精密兵器の相性が悪いのかもしれない。
ソーマの足跡のように垂れる血が気になりながら、エレナはイングの離脱が心細く思った。
「じゃあ今までギフト持ちのみんなと共闘できていたイングって、やっぱりすごいんだね」
「…ふふ。イングには言うなよ。喜びの舞いを精密兵器の姿でやりそうだから」
「音楽をセルフ再生させてね」
エレナは過去に何度も驚かされたことを思い出して笑みを落とした。
不安や多少和らいだエレナを見てソーマは安心する。
次いで負傷に怯えた身体からうるさいくらい鼓動が聞こえてきた。
(ミュウの金糸は傷を癒してはくれない。…イングの手はずが整うまで俺たちはこの階で逃げ回らなくては。他の階にいるキヴォトス兵と鉢合わせてしまえばそこで終わりだ)
申し訳ないくらいエレナに寄りかかってしまうけれど、今は彼女に頼らなければ逃げ切れない。
ソーマは彼女に「ありがとう」とお礼を伝えた。
エレナから少しだけ怒った口調が返ってくる。
「戦力になれなくてもこれくらいできるもの。だから絶対に私、逃げないから。あなたに言われても絶対にだからね」
「言わないよ」
暖かくてやんわりとしたソーマの言葉に、エレナは視線を彼に向ける。
汗を流す彼は真っすぐ薄気味悪い先を見据えていた。
「エレナを無力だと思ったことは一度もない。…でもほら、重いだろ?なんだか悪いと思って」
「…ふふふ、うん。ちょっとね」
本当にただ…そう思っただけのようだ。
ソーマの天然な一面に、エレナの涙はすっかり止まった。
他愛のない会話が風のように体に吹き込むと、エレナもまた前を向いて歩みを進めた。
―-----------――
マナとランは一対一の交戦となっていた。
キースはスコーピオンを構えて建物に控えながら、姿を見せないハオの奇襲に備える。
加勢するには両者のレベルが高い。マナの足を引っ張ると割り切って見守るも、キースは内ポケットに隠しているものに手を当てた。
『いいかぽんこつキース。これは奥の手だ。使い時を見誤るなよ』
リーヴスの少し意地悪で――でも真剣な言葉を思い出す。
たった三日間だけの猶予だったが、この海底施設に来るまでに可能な限り全員が準備を整えた。
キースはアメジスト色の瞳を伏せ、たった一発だけ作ることができた銃弾の存在を確かめながら戦況を冷静に見定める。
一方、単純な肉弾戦となっている中、ランは非常に感心していた。
いや、冷静でいるために〝これは感心だ〟と言い聞かせていた。
「やっぱ先輩は違いますねぇ!こないだの〝ブースト〟より隙がねぇな!」
マナは〝ラダル〟によってランの動きを先読みし、身体の構造上弱い関節や骨のないところを狙って突き技を出していく。
一発一発は大きなダメージにならなくとも、変則的なマナの技にランはついていけず、すでに何発か身体にもらっていた。
徐々に身体がこれ以上のダメージを本能的に危惧し始める。
(こっちの突き技が一発も当たんねぇ!)
それも体格差があるせいで死角を取られる。
洗練された体術と〝ラダル〟の併用によって押されていく。
何手も打ち合い、ようやくランはマナの胸倉を掴めた。
(一発でも俺のが当たれば殺れる‼-――)
それだけ彼の拳の威力は強い。
だからその驕りと積もった焦りがマナの策略に負けた。
相手が絶対に当たると思うくらい寸前の距離でランの拳を避け、マナは彼の顎へ強烈な頭突きを食らわせた。
ゴグッッ‼と顔が天井を向くくらいの勢いはランの意識を一瞬にして飛ばさせた。
マナはその間にランの腕を軸にしてくるっと回り勢いを溜め、彼の顔面に横蹴りを振り切った。
骨まで届く衝撃にランの手が緩み、マナはするんと拘束を抜けた。
意識を失って床に伏した彼を見下ろし、マナは顎に伝った汗を拭う。
「…君はなんというか、敵に対して〝自分よりも弱いところ〟ばかり見ている感じがしたよ。生憎だけど、私は自分の不利を利用して戦う術を叩きこまれてるから、君みたいな相手は割と得意だよ」
マナは片手を上げてキースを呼びつける。
スコーピオンを持ちながら、キースはマナのもとへ走った。
依然として〝イリュジオン〟は起動中だ。
マナとランの戦闘に幻覚の人々は逃げ出し、今は閑散としている。
大きな声で、マナはハオに呼びかけた。
「素直に出て来るならランは殺さない‼5秒以内出てきなさい!でないとランの首をへし折るよ‼…キースがね」
「俺⁉」
最後にぼそっと呟いたマナにキースがギョッと振り向く。
マナは小さな声で「私がやってもいいけど、首を折る時は両手を使わないとできないから。〝ラダル〟で感知した時、私がすぐに動ける状態の方がいいでしょ」と普通に合理的な理由を述べる。
反論はないものの、首をへし折った経験がないキースは「……」となんとも享受できない顔を黙って浮かべた。
5秒はあっという間だった。
しかしなんの音沙汰もない。
〝イリュジオン〟の幻覚に乱れもなく、あまりの変化のなさにマナは眉を寄せた。
「まさか、この階にいないの?」
「〝ラダル〟で分からないか?」
「無理。〝イリュジオン〟の出力が高すぎて〝ラダル〟じゃ感知しきれない。…でもこの階にいないにしてもここの状況はなにかしらの方法で見ているはず。ランが殺されそうな状況でどうして」
マナから見てもこの二人は特別な関係だとすぐに分かる。
なにより以前ハオを倒した時のランの行動が印象的だ。
ハオは。
捕えられたランをタブレット越しで見た後。
そっとタブレットを置いて立ち上がった。
〝笛持ち〟やマナが分散される間、海底1階の階段にひっそりと座っていた。
アセンションによる負荷で彼女の身体はすでにボロボロだ。
だからランの隣で一緒に戦うより、〝イリュジオン〟を高出力で起動させることにした。
…けれど。
ランが倒されるのなら話は別だ。
(…もっと、もっと)
〝本物と同じものが見える〟。
本来の〝イリュジオン〟に近い限界へ。
彼女はゆっくりと階段を降りていく。
この戦闘が終わったらまたランと二人きりで過ごすのだ。
怪我をしている彼を手当して、身体を拭いてあげよう。その後は一緒のベッドでゆっくりと眠って…。
そんな未来を想像しながら、邪魔な障害へ冷徹な判決を下す。
(あなたたちは這い上がってこられないほど深い、奈落に落としてあげる)
声を出すことは困難だから。
思いのたけをめいっぱい、ギフトとして送り出した。
マナは思わず声を失う。
感知した脅威の内容があまりにもばかげていて。
天井を見上げる。
偽りの青空から――街一つ飲み込むほどの大量の水が落ちてきた。




