31話 ブロック
どういう関係だったのか覚えてはいない。
〝ボア〟にいる前から一緒にいたみたいだ。でも〝プレリュード〟の訓練期間で全て忘れた。
もしかしたら兄妹…なんて可能性もあるのかもしれないけれど、正直どうでも良かった。
自由時間を二人きりでいる時は暇つぶしがてら恋人の真似事をする。
彼女が甘えるように擦りついてきた時は優しくキスをする。
彼女が自分を求めてきた時は軽く噛んで意地悪をしてみる。
大抵、意地悪をすると歯形が残るくらい噛まれるので少々危険な遊びだが、結局あたたかくて溶けるような時間になるから、………それで良かった。
それだけで、いい。
泥蛇の潜水艇はじきに目的地へ着く。
あと2時間も経てば海底施設へ入り、〝笛持ち〟の殲滅戦が開始される。
こんな2時間が二人にとっては〝暇〟だ。
小柄で華奢なハオは軽いから、ランはいつも自分の膝の上に乗せる。
そうやって向かい合うとハオの首元から胸辺りが自分の顔の位置になる。襟をはだけさせ、ハオの身体が火照るまで唇を這わせる。
胸元から鎖骨、首筋を通って耳元に口を寄せ、「なんか今日ははやくね?」と吐息をかけながら彼女をからかう。
ハオは負けじと身体をランに寄せ、彼の脇から手を通して抱擁しようとする。
ただ彼の厚い胸板のせいで回りきらない。代わりに彼の筋肉質な肩に嚙みついた。
「いった。いってぇ。ウチの猫はすぐ噛むなー」
「もっと、大きな、身体に、なりたい」
噛みついた後、彼女は自分の潤んだ唇を彼の肩に押し付けながら、叶わぬ願望を口にする。
ランは彼女の背中やうなじを撫でながら少し黙る。
細くて、しなやかで。
平穏な場所で生まれていたらさぞ、大切に育てられ可憐な淑女になっていただろうに。
ギフトだって彼女に宿らなければハオは〝ボア〟に連れてこられることはなかった。
それだけ、戦闘に向かないこの身体は不利なのだ。
不利を補うためにハオに渡されたものが――アセンションだった。
(沈没都市の軍人だって30過ぎてから服用できるものを…)
成熟した身体でも、副作用はある。
未成熟の子供が服用すれば寿命を削り、ハオの時間も大して残されていない。
それも副作用は命を削るだけに終わらなかった。
アセンションの服用のせいで、彼女は言葉を長く紡げない。
文字の羅列もめちゃくちゃに見えるそうだ。
最近はもっと喋れなくなってきている。
…だから今まで以上に、身体でランの存在を確かめるようになった。
今だけ良ければいい。
コアにそう言ったも同然だ。
ハオのいない未来を考えることをランはとっくに放棄している。
だってそもそも。
こうやって寿命を削られる目に遭わなければ、彼女はランの傍にはいなかったのだ。
(ハオを不憫に思っても、こいつの境遇に本気で怒りを覚えないんであれば、……俺に〝先〟を考える資格なんてねーんだよ)
ランはハオに深いキスをすると、彼女をくるんと反対側にして後ろから抱きしめた。
「こうした方が背中も腹もあったかいよな」
彼の手が少し無骨に、そしてまんべんなく彼女の身体を熱くさせていく。
ハオは不満そうに「キス、…」と零した。それ以上の言葉はやはり出てこないようだ。
ランの手に反応を示してきた彼女を愛しく思いながら、ランは彼女の艶やかな黒髪に頬を寄せる。
この先二度と、不安を言葉にできなくなるハオを今だけでも。
満たしてあげられれば。
きっと後悔なんてないのだと心の深い場所で言い聞かせる。
――――--―――-――
エンドレスシーで〝フェンリル〟の船体を乗り回すイングは、あるAIを見つけて〝手を振った〟。
〈あ!おーい!〝アヌビス〟ー!こっちですこっちですー!〉
薄い霧から、死神のような黒い布で船体を覆い、白い花びらを散らしながら航行する貨物船が現れる。
船員番号3:アヌビス。
これは沈没都市の医療全てを司るAIだ。
精神的な医療も含まれるため、治療によっては疑似的にエモーションコピーのような性能を自身の船員AIに与えることもできる。
特に有名な役割として、〝アヌビス〟は全身の返還〝スノーロゼ〟も管理している。今までの〝スノーロゼ〟の実行データ全てを船に乗せ、「信号世界の墓」と呼称されることもある。
船体の影から一機、狼のような形をした駆逐艦が出動した。
どことなく〝フェンリル〟に似たそれを見て、イングは〈わー!〉と声を上げる。
〈喧嘩じゃないですぅ戦えないですぅ!――それ以上〝ウプーアート〟をアイアムマイミーに近づけたら乗っ取るです‼‼〉
それはそれで敵対意志なのだが、対AI性能としてはイングの方が上であるため、〝アヌビス〟は自分の護衛AI〝ウプーアート〟を停止させた。
〝アヌビス〟が船体を止め、イングの要件を尋ねる。
イングは〈さっすが!対話主義!話がはやくて助かりますー!〉と〝フェンリル〟をくるんくるんと回転させる。
そんなAIを〝見て〟、〝アヌビス〟は質問をした。
〈なぜ。船員番号5と6を沈めた?〉
音ではなく信号による言語だ。
イングは信号と一緒に自身も喋った。ぷんぷん!と前置きをして。
〈2対1ですよ⁉フレイアちゃんがいないアイアムマイミーに勝てるわけないではありませんか!〉
〈明確な敵対行為はする意味がない。なぜならあなたはキャプテンの目指す場所へ人々を連れて行かなくてはいけないから。あなたの燃料は例え現象毒で汚染されても針路は我々と同じはず。〉
自分以上に感情豊かな性能を持つイングに、〝アヌビス〟のセンサーが過度に反応する。
--――エンドレスシーが始まって以来の脅威だと。
〈あなたが壊れたと判断されても仕方ない。壊れたようにしか見えない。〉
〝アヌビス〟の護衛AI〝ウプーアート〟はFageのAIの中で最も速度と機動力に優れている。戦力でいうなら〝フェンリル〟50機分。今のイングでは勝てない。
だというのに、圧倒的に不利なイングは〈ほぇ~。〉と間抜けな声を出して〝アヌビス〟を〝しげしげと眺めた〟。
〈〝セベク〟もかっこいいですが、あなたも中々個性的です。やはり花びらを散らしているところでしょうか。…いいえ、そのふやふやした黒い船体のマントでしょうか…アイアムマイミーにも威厳と可愛らしさが欲しいのです。〉
〈…………。測定不能だ。無駄な対話を回避する。一体私になんの用があってわざわざやってきた?〉
人間でいうなら少しイラついたのかもしれない。〝アヌビス〟は早々に不毛な行為だと切り捨てた。
イングは〝フェンリル〟の船体で八の字を書く。まるで〝もじもじ〟しているみたいだ。
〈ちょっと言いづらいのですが…お願いがあるのです。〉
〈断る。〉
〈待って!もうちょっと思考して‼AIでしょう思考は存在意義ですよ⁉わーん泣いちゃいますー‼超すごーちぃAIが泣いちゃいますー!あ、こういう場合は超すごーちぃから泣いちゃうんでしょうか。そうですよね?あなたでさえ噓泣きできませんもんね。コホン。では正式に。〉
イングは唐突に幼子の泣き声を再生した。
ある双子の幼かった頃の癇癪だ。
海面が尖るように波が立ち、〝アヌビス〟と〝ウプーアート〟の船体が揺れる。
〈あなたが泣いているわけではない。…。…。停止を求める。〉
〈いいえ失礼な!実はこれを加工してAI向けの不快な振動を入れていますのでアイアムマイミーの泣き声といっても過言ではないのです!見てください!〉
〈データを送ってくるな要らない。停止を求める。停止を――〉
〝ウプーアート〟を動かそうとすると船体が泣き声に共鳴し始めた。プログラムに余計な信号が入り込んでくる。
それを捨てる作業が追い付かず船内に〝要らない〟ものが蓄積されていく。
〝アヌビス〟の予測パターンの中に「退避」が出た。
だが捨てる作業にその「退避」が強制的に含まれてしまう。どうやらイングの泣き声になにか仕込まれているようだ。
〝アヌビス〟を逃げられない状態にしてから、イングは容赦なく本題を出した。
―------------――
「以前、コアたちがルカの気配を追いかけて入ったサンクミー施設だが…、あそこにいたアスタロトは全滅したんだな?」
丁度。
〝アヌビス〟と話をつけたイングに、ソーマが声をかけた。
イングはいつも通りに返答をする。
〈ええ。地中と近辺海域も調べましたが、生体信号はなにも。〉
小さな雫ボディのイングは卓上に投射されるファイルをタップした。
各地のサンクミー飼育施設の世界化された内部映像を出していく。
〈変化があればすぐアイアムマイミーが気づくのですが、結局他のサンクミー飼育施設も異変はありませんでしたね。サンクミーのアスタロト化を確認次第、手を打とうとスタンバイしていましたが兆しもなく…。ということは、ですよ。〉
イングは短い手を勢いよく払い、別のファイルを開いた。
〈一番最悪な可能性が浮上してしまいました。〉
ファイルは全世界の地中地図だ。
それを、ソーマはじっくりと見つめた。
最悪と聞いても顔色が変わらないのは、彼がこの時点で諦めたものが多くあるからだ。
…諦めてしまえば苦しく感じない。
年を重ねるほど上手にできるようになる処世術の一つだ。
ソーマは卓上を指先で操作し、その地中地図と、ある人たちの動向ルートを重ね合わせる。
「……戦力になる軍人や内陸の若者の指示は出せそうか?」
〈もう少し時間がかかるですね!思いのほか〝エルー・ザ・エフ〟への移住者が多いので、道案内も終わっていません!〉
「そうか。できるだけ急いでくれ。この海底施設での戦闘が終われば泥蛇の兵士は地上で行動するだろう。…タイミングとしてはその辺りが怪しい」
〈ですですのです!任せて下さい!〉
イングが金属球体になって卓上を転がり回り、「全力で急ぐ」を表現して見せる。
いつもであったら「やめなさい」なんて声をかけるソーマだが、今日は違った。
「助かっている。ありがとう」
らしくない彼に、イングはピタリと動きを止めた。
〈ここで終わりではありませんよ。あなたも。みなさまも。〉
AIらしい単調な言い方だ。
イングなりの本気の注意なのだろう。
心を模倣していると理屈で理解していても、どこか…
いや、ソーマが人間だからイングに情が湧くのだ。
ぬいぐるみに話しかけていることと変わらないのだとしても、ソーマは心を込めて会話をする。
「分かっている。さいごまで、お前には付き合ってもらうよ」
ファイナルヴィーグル特殊大型潜水艇〝イング〟は――かつてコアとペトラが〝プレリュード〟を行っていた海底施設へ到着した。
―-----------―――
〝イング〟が海底施設の水圧調整室へ入り、海底施設との出入りが可能となる。
先頭はマナだ。
彼女から潜水艇を降り、次にペトラ、キース、リーヴス、ソーマ、サラ、エレナ、エディ、カヴェリ、カマ、ヒヨリの順番に降りた。
マナの隣に立つペトラは改めてマナを見た。
自分より少し年下で小柄な少女。
顔立ちも整っていて可愛げがある。しかし知的な面差しだからか、外見の年齢より大人っぽくも見える。
ペトラは軽く微笑んでマナに話しかけた。
「ど?アスタロトの気配はある?」
潜水艇で一度顔を合わせている彼女はヒヨリ同様友好的だ。慣れない感覚を覚えながら、マナは首を横に振る。
「いない。〝ヴィアンゲルド〟も。…でも施設中に脅威を感じる。多分施設自体に大がかりな罠があるのかも。それに…〝ボア〟の兵士は思ったより多い。40人近いかもしれない」
海底施設に限定しているとはいえ、やはり海中では〝ラダル〟の精度はやや落ちるようだ。
地上の施設であればもっと正確に人数や配置が分かるのに、とマナが苦い顔をすると、ペトラがぺん!とマナの背中を叩いた。
「アスタロトがいないってだけでもラッキーだよ!なにせこっちは病み上がりと一般人もいるからね」
ペトラは軽く振り返り、エディやエレナ、カヴェリ、サラの方を見る。
すると、耳の良いサラがペトラの〝一般人〟発言に気づき、タタタ!と近寄ってきた。
「いいのそんなこと言って!私がいないと戦えないくせに!」
「んもおおどうしてこの子は私に塩対応なんだろう⁉」
「それにペトラもリーヴスも怪我してるんだから、私たちのこと一般人にしておけないよ!…頑張るから頼ってね」
サラはそう言って自分からペトラの手を握った。
後ろの方でリーヴスがカヴェリにつつかれており、リーヴスもまたフン、と小さく鼻を鳴らして反応する。
目では見えないなにかで繋がっているような彼らを見て、マナは不思議だと思った。
(…誰が、なにを考えて、ここにいるんだろう)
一つや二つでは足りない理由と感情がある。
それぞれ異なるというのに、同じ場所にいられる。
それが不思議だと思った。
全員が海底施設の広々としたエントランスに入ると、入り口が重厚な扉で閉まってしまった。
〈お待ちしておりました。みなさん。〉
そして明るい声音の泥蛇が直接迎えたのだ。
30代くらいの、長く薄い色の茶髪を一本にまとめた中性的な姿をしている。
声が柔らかな低い声なので、男性を模倣しているのだろう。
全員、空気を張り詰めて泥蛇を睨んだ。
〈こちらの意図は伝わっていたようで。一人残らずお揃いですね。
ルカとコアは最下階、海底八階にいます。
そこへ辿り着くまで、皆さんには是非時代を先取りして頂きたいと思っております。〉
両手を合わせて、丁寧に泥蛇は言う。
すでに拳銃を抜いているリーヴスはソーマへ「撃っても意味ねぇんだっけか?」と小声で確認する。
ソーマが頷き、マナが「彼らが人間の姿でいる時はただの分身だし、人類兵器は一通り効かないらしい」と答えた。
小声だったが、泥蛇にはマナの声が聞こえていたようだ。
優しいのに底冷えするような微笑を浮かべた。
〈はっきりされているのは良いことです。
マナ、君は明確に我々を裏切っていますね。
それではこちらも外敵として対処致しましょう。〉
頭で理解していても、捨てられるような感覚になる自分の弱さに。
マナは思わず表情を歪ませた。
---――ガ。
と短い音が大きく響いた。
床が、それぞれのいる場所が離れるように動いていく。
「かたまって!」
なるべく近くにいる誰かと。
マナが叫ぶと次にソーマが指示を出した。「キース‼〝フォア〟は〝フラム〟と離れるな!ペトラ――」
キースが急いでマナのいる床へ跳ぶ。
そしてソーマに呼ばれたペトラがサラを支えながら目を合わせた。
腕の中のサラが離れていく母を呼ぶも、彼女はソーマと共に側面へ行ってしまう。
「ママ!」
「サラ‼」
跳ぶにはすでに崖のような深さだ。
リーヴスは即座に戦力バランスを見て、エディとカヴェリのもとへ行こうとする。しかしリーヴスのいる床にはカマと、ヒヨリがいた。
そのせいもあるのだろう。他のメンバーよりもいち早く崖のような――真っ暗な下の階へ降下させられた。
エディとカヴェリは振動に落とされないよう床に手をつきながら、リーヴスたちとは違う方向の下階へ降ろされる。
瞬く間に味方が切り離されていく。
目の端に見えていてもどうにもならないが、――届かない距離でも、ソーマはペトラに懇願した。
「サラを――どうか、君たちの片割れを頼む」
微かに届いたその声に、ペトラは力強くうなずいた。
ついにソーマもエレナと共に姿を消した。
ペトラは――最後に。
まだ視界に残るマナへ視線を向けた。
逢いたかった〝フラム〟。
いろんな想いと希望を抱いて探していた。
なぜか。
彼女と逢うのはこれでさいごだと思った。
自分が死ぬからなのか。
彼女が命を落とすのか。
分からないけれど。
ペトラは口を動かした。
かろうじて声が届く距離でもない。
口の動きで彼女に察してもらうしか…。
マナはそのあたり、本当に優秀だ。ちゃんとペトラの言葉が伝わったようだ。
マナの驚きと困惑の顔が少し和ましく思った。
ペトラは仲間と散り散りになる不安を押し込め、――マナたちの姿が見えなくなるまで勇ましい笑みでいた。
一度施設中の照明が落ち、光の弱い照明が点灯していく。
通路には古い血痕がおびただしく残っている。これは〝プレリュード〟の際にアスタロトに襲われた被験者たちのものだ。
遺体は片づけられているが、薄暗さも相まって重々しい恐怖を感じる。
〈時代の先取り。それはもう皆様が知っている通り、〝Nage〟のことでございます。〉
それぞれのいる場所に泥蛇はスピーカーを通して話を続ける。
〈兵士には未完成ではありますがキヴォトスを持たせております。
ギフトはもともと、その役割を最大限活かせる人間を選んで宿ります。
ギフトの結晶を搭載することで誰でも使えるようにする。それがキヴォトスという武器です。
ギフト持ちの皆さんはすでに十分、ギフトの機能を使っております。
キヴォトスに搭載するデータとしては申し分ありません。
ですがせっかくです。あなたがたを回収する前に、
―――未来に価値を残すため、ここでさいごに死力を尽くして下さい。〉
アナウンスの終わった泥蛇は〈ふう。〉と息をついた。
そして、FageのAIにはできない意地の悪い笑みを浮かべてぼやいた。
〈「〝フォア〟は〝フラム〟と離れるな」。…臨界点。あなたは想像以上に手強い人間を選びましたね。〉
黒い影は蛇のように蠢く。
海底施設の一室で、施設を制御しながら、泥蛇はエンドレスシーから彼らを観察した。
―----------------――
「イング。海底施設の地図を出せるか」
〈アイアイサー!でございます!〉
リーヴスに指示されると、彼の手首に着けた細いブレスレットから光が放たれた。
壁に映されると、それは徐々に海底施設の略図になっていく。
〈各階はABC三つの区画に分かれています。
あなた方がここにいることと、子供の信号は割り出せますのでおそらく皆さんの居場所はこうだと推測できます。〉
イングは各階で点滅する光に名前を表示していく。
海底一階Bブロックエントランスにマナとキース。
海底三階Aブロックにエディとカヴェリ。
海底四階Cブロックにソーマとエレナ。
海底五階Aブロックにリーヴス、ヒヨリ、カマ。
そして同じフロアCブロックにペトラとサラ。
「戦力的にエディとカヴェリがまずい。ソーマとテメェが向かえそうか?」
ソーマには精密兵器として戦えるイングがいる。
ソーマ自身にも武器は持たせているのでそれなりに動けるだろう。
〈…申し訳ありません。ソーマたちのいる階に精密兵器が確認されました。エディたちのもとへ連れるわけにはいきません。――ここで倒し切ります。〉
ヒヨリとカマがエディたちは勿論ソーマとエレナの身の安全を心配するが、リーヴスはいっそ清々しいと笑った。
「分かった。っつーことはエディたちと同じAブロックにいる俺がそのまま上に上がった方が速ぇな。だからソーマの方には応援に行かない。任せたぜ、イング」
〈もっちろんです!ちなみに皆さんの通信はイングのお手々が空いた時だけ繋がります!ご了承ください!〉
「…なんだかな」
頼り甲斐があるような、ないような。
壊れたAIの調子の良さにリーヴスは失笑する。
そしてリーヴスは後ろにいるヒヨリとカマに話しかけた。
「テメェらはペトラと合流してくれ」
後ろから微かに「へ」と笑い声が聞こえ、リーヴスは振り返る。
カマが鼻で笑ったようだ。
「そうよネェ心配よネェ。ワカルワカルぅ」
続けてヒヨリまでニヘ、と笑った。
「向こうもリーヴスを待ってるよ。行ってあげな?」
小学生みたいに野暮な絡み方をする二人の首をリーヴスは腕を回してガッと締めた。
「ふざけてる状況じゃねぇよなぁ⁉緊張感を持てよ‼命懸かってんだぞ‼」
ギリギリギリギリ!と容赦なく締め上げられ、ヒヨリとカマがギャーギャーと叫んだ。
…いつもであったらもっと締め上げるのに、リーヴスは音もなく息を吐いて力を緩めた。
「…大丈夫だな?二人だけで」
その声は低く、全幅の信頼が込められていた。
最下階への到着を優先するのならばこの三人はかたまったままペトラを探すべきだ。
しかし必ず泥蛇の私兵が阻むだろう。
その時間、エディとカヴェリは二人だけで凌げるのか。
恐らく不可能だ。
今あの二人のもとへ一番速く行けるのは――ここにいる三人の誰かだ。
リーヴスの心配は無論、ヒヨリとカマも抱いている。
ヒヨリは神妙な顔である階を指した。
「海底二階に誰も行かされていないことが気になるよね。〝フラム〟は要らないなんて言っておいてマナちゃんたちをゴールから一番遠い場所に置いたことと関係していそう。多分あの二人は海底二階でかなり足止めを食らうはず。…ソーマとイングもエディたちを助けに行けない。リーヴスが適任だと思う」
速さだけならばヒヨリが行ってもいい。
だがコアとルカの待つその戦場にいる敵はキヴォトス兵。
数少ない、相手が補えない機能を持つのがヒヨリだ。その戦場に〝ブースト〟は必須となる。
リーヴスの意図は彼女にも伝わっているから、異論なんて全くなかった。
カマがリーヴスとヒヨリの肩に両腕を回し、ぐっと引き寄せた。
「全員が海底八階へ行けるように。後で会いまショ」
そうして。
カマとヒヨリ。
リーヴス。
三人は二手に分かれた。
―-----------――
イングの声と照射される地図が乱れ、途中で通信は切れてしまった。
だが仲間の現在地の情報はある程度把握でき、リーヴスとヒヨリたちの方針も聞くことができた。
海底五階Cブロック「サンクミー水槽室」。
床から天井へ柱のように立つ水槽が何百と並んでいる。
そこにペトラとサラがいた。
水槽に当てられる照明だけの部屋で、サラはぎゅっとペトラの腕にしがみついていた。
「ど、どうする?ペトラ…」
ペトラはしっかりとサラの手を握りながら、周辺を観察する。
(…私たちがいた頃と全く違う。改装工事でもしたのかな。…サンクミーもいないくせに水槽は稼働中。ってことは)
大切な資源を守るための騎士がここにいるはずだ。
ペトラは一度片膝を床につけてサラの視線に合わせる。
「サラ。私の武器はツヴァイハンダーだけでいい。あとは自分のために盾と弓矢を作って」
〝フルート〟の銀糸は有限だ。
特に――大きさにもよるが――盾と弓矢が一番銀糸を消費する。
その二つを作った場合、あと一つ武器を作るのが関の山だ。
サラは大きな目をさらに見開いてフルフル!と首を横に振った。
「だって!だって!ペトラに盾を作ってあげなきゃ!私は隠れてるよ!」
「ううん。…ごめんね。私はコアほど器用じゃないんだ。隠れている人を守れるほど、器用に動けないの」
無駄な自己否定が混ざってこないよう鋼の精神で自身を制御する。
誰にだって胸の中に巣食う毒がある。何度向き合っても消えはしないその毒に負けないようにするには、「自分にできること」を見失わないことだ。
ペトラはコアとそっくりな黒い瞳を真っすぐサラに向ける。
「疑似的にこの施設を稼働させて、泥蛇は精密兵器を操るはず。何騎相手にするか分からない。一人で複数相手にするなら、――あなたには自分のことを守りながら、私のサポートをしてほしい」
なんと無茶なお願いだろうか。
齢11歳の少女に、ペトラは遠慮なかった。
けれど。
サラは。
「やる」
小さな――しかしもうか弱い手ではない。ペトラが武器を握る右手をぎゅ、と両手で握った。
「コアとルカ、私たちで助けに行こう」
強くありたい時はペトラの真似をする。
本人の前でそうするのだから、サラはなんだかちょっとくすぐったい気持ちになってしまう。
サラの琥珀色の瞳を見て、ペトラはぐっと胸が詰まる。
たった一回だけ逢った彼女を…スラを思い出す。
ティヤの双子の妹、スラ。
たった一人で泥蛇と戦うことを選んだ彼女の道中にたまたま、ペトラとコアがいた。
(ひとりで戦うのは、心細かったよね)
冷たい雪を溶かすような暖かい歌をもっと聴きたくて、スラに声をかけた。
その時こちらを向いた彼女の瞳は――嬉しさと今にも泣きそうな弱さが滲んでいて。
〝プレリュード〟で助けに来てくれたティヤは勇猛さと憎しみに燃えた瞳をしていた。
そして彼は――泣きそうなほどの熱望を〝彼ら〟に残した。
(「宝箱のなかみ」と「黒い箱は開いていた」…あなたたちの残した歌が、私たちの戦う力になってる。大丈夫だよ。私たちは泣かない。――戦えるよ)
ペトラの右手に柔らかく繊細な光の糸が集まる。
使い慣れたツヴァイハンダーが編まれていく。
いつもより硬さと鋭さを感じるのは気のせいだろうか。
それを握ると、ペトラはサラの手を離した。
数メートル先の扉がスライドした。
金属球体が3つ。
それがあっという間に精密兵器の姿となった。
ペトラは全く怯えず、むしろ少し安堵したような表情すら浮かべた。
「ふぅん。やっぱりふんだんには精密兵器を使えないのかな。それとも使いたくないのかな。貴重だもんね。良かったよ。10騎とか20騎じゃなくて」
サラは盾を作り、サンクミーの水槽の影へ隠れる。
弓矢の用意も済ませ、痛いくらい脈打つ鼓動を落ち着かせようと懸命に呼吸をする。
ペトラもまた、集中力を研ぎ澄ませるためひとつ長い息を吸った。
彼女の鋭い感覚が殺気のように冷えていく。
「〝帰る場所に明日がありますように〟。
これは約束なんだ。
祈りなんかで終わらせない」
必ず果たす約束を胸に。
ペトラは踏み出した。
―--------‐―
海底二階から三階にかけて。
大規模に〝イリュジオン〟が起動されていた。
訓練場として使われる広大な二階が、〝街〟となっていた。
ビルや商業施設が並び、信号のある道路を一般人が往来している。
Fageの自動車らしくどれも古びて汚いものが排気ガスを吐きながら走る。
「いやーすげーよなぁ〝イリュジオン〟。幻なのに気温とか空気感とか、思わず避けたくなっちまう。あ、建物のいくつかは本当にあるから、気をつけろよ~。俺は問題ないんだけどな」
悪戯な笑みは柔らかく、嫌みっぽく聞こえない。
そんな好青年――ランは雑踏に紛れて出迎えた敵を挑発する。
信号をはさんだ向かいの道路にはマナとキースがいた。
最初こそ驚きの顔をしていた二人だが、ランの登場に一気に警戒を高めて空気が張り詰めた。
マナはランから視線を動かさないよう注意しながら、辺りの人間の顔を見て内心血の気が引いていた。…キースもまた同じ心境だろう。
なぜなら。
(…知っている顔ばかりいる。私たちが外界に持つ印象をそのまま幻として表れているってこと?)
おぞましいのは…今はバラバラになっているはずのソーマやエレナ、サラ、ペトラなど彼らまでいることだ。
「キース。向こうも勝負に出てる。〝イリュジオン〟が怪物に近いくらい出力を高めているのなら、ただの幻影で済まされないかも」
冷静な口調でいるマナに引っ張られて、鳥肌が立っていたキースも落ち着いた声音を努められた。
「〝エア〟と違って我々は見える通りに回避した方がいいな。車に轢かれなくとも、ぶつかるという脳の認識がダメージになりそうだ」
張り詰めた空気を刺すような殺気を放ちながら、ランは甘い面差しでいる。
「とっとと終わせてやるぜ。…こんな――結局、無意味な抵抗なんかよ」




